いんげん豆の隠元さん

今回は、隠元和尚の掛け軸を能登に運んだ。
正確にはいうと、小松空港で別行動になったので、まだかけていないが・・・
黄檗山を開き、禅やお茶や書や精進料理などを日本に伝えた坊さん。

今、合併浄化槽の工事とコンポストトイレの工事をしてもらっている。
船乗りさんたちの集落で、冬の海風を避けるため、小山を防風にするように、
海から「うなぎの寝床」のように、上手に家が並んでいる。海まで徒歩5分だけど、
海抜20mくらいはありそうだ。潮騒も海の香りもしないけど、押上は海抜Om以下?

海の近くの家は「真垣(まがき)」といって、竹の垣をつくって風や砂から家を守る
のが能登の日常でもある。隣と間をあけると意味が意味をなさないので、協力してやっている。
そんな「助け合う」姿が、日常の中にある。能登はやさしや土までも・・・・
という有名な言葉があるが、まこと自然も人もやさしい人が多い。

工事をするために、隣の家の人に「軽トラ」をおくことをお願いした。ら、快諾してくれた。
引っ越しの挨拶にお菓子をもっていったら、朝もぐってとられたさざえと、わかめをくれたおばさんち。
自分の家の工事でないのに、工事をするおじさんたちに、スイカの差し入れとか、お茶を
だしたりしてくれたらしい。珈琲が好きだと聞いたので、「ほぼぶらじる」の豆を焙煎して
もたせた。そしたらまたお返しに、おばさんが自分の畑でつくった「いんげん豆」をくれた。

昨日はそれを、じゃがいもと油あげといっしょに「いんげん・あぶらげ・じゃがいものたいたん」をつくった。
かすみちゃんがもってきてくれた「梅林ガールズたちの奮闘写真」をみながら、それをつまんで、クロキリロックを
飲んだ。みんな能登のスーパーで調達した「野良仕事のおばちゃんご用達の帽子」などをかぶっている。
なんと、その恰好で、近くのマルガジェラートでジェラートをほおばっている写真もある。
「東京も好き 田舎も好き」なひとが増えてくると、この国の未来は明るい。

みんなでつんだ梅が運ばれてきて、珈琲の香りに負けないくらい梅の香りにつつまれている。
今日から「梅仕事」の本番。自然があいてだけに、味噌と違った意味で、緊張する。
今回は45人。たぶんこれも味噌と同じように100人を超えるようになりそうだけど、
今回ぐらいが限界のような気もする。ま、これもなりゆきという縁にまかせるしかない。
「全国どこの町にいっても春夏秋冬そろっている」。ぼくたちはあまりにもそんな便利な時代
に育ち、テレビやネットや雑誌などから洗脳され、消費させられているのをあたりまえにしすぎた世代。
ちょっと、まじめに生きてみたいと思う。

今日から夏限定の「能登そばUFO」を始める。
明日も「梅仕事」 16時以降は「蕎麦打ち」「すしの会」