金龍舞

中国にいくと、龍の調度品なんかを街中で見ることができる。
王族たちと庶民では、爪の数が違ったりするそうな。
お祭りにも、龍が玉をおっかけるようなものが日本にも伝わった。

昨日たまちゃんの写真を見ていたら、浅草の金流舞の写真を見つけた。
浅草芸者衆が、着物を着て、三味や太鼓や篠笛を鳴らす。
戦争時、日本が元気のない時代、浅草寺の住職が洒落で「金流舞をやればみんなが元気になる」
と思いやり始めた、とたまちゃんから聞いたことがある。
なるほど、浅草寺の山号はもともと「金龍山」。少しオヤジギャグっぽいけど、そこから始まった。
町おこしに、ソーラン節や阿波踊りを採用するのにも、同じようなニオイがする。
「あきない」とは、たゆまざる努力と継続と協力が必要なんだ。

浅草もそうやけど、大塚にも「三業地入り口」なる看板が駅ちかくにある。料亭・芸者・見番の
ことをそうよび、花柳界ではみなそんな呼び方をした。大塚には見番はなくなったけど、元見番の
近くに、「ネット21」のテントが残っている。ぼくが代表理事でやらせていただいたIT業界の組合の
元事務所。今は、ある婦人団体が事務所に使っているけど、テントはそのまま。時々、なじみの寿司屋にいく時、
前を通ると、懐かしくなってくる。20年前には、まだ三味線や踊りの上手な芸者さんがいた町。
その事務所のすぐ近くが、歌舞伎の女形のTさんの実家。10年前くらいまでは、料理屋も
営んでいた。その町の女の人たちが、みんなで協力しながら育てていった歴史がある。

順受の会の20周年の時、たまちゃんを呼んで、三味線をひいてもらい、かっぽれを踊ってもらった話をした。
それが彼女の最後のお座敷になった。昨日は、M先生に「手古舞」の写真を見てもらった。
「鹿児島では、太鼓のことをテコ」というらしい。そんな名前のお祭りもあるとか。
ネットで「鹿児島 手古舞」で検索すると、「天手古舞」とかいう名の、ラーメン屋や餃子屋がでてくる。
不思議な縁を感じた。

今日は「書の会」
木曜日が「おとこかっぽれ」 たまちゃんの追悼のかっぽれを踊ろう。

恋は遠い日の花火ではない

そんなCMがありました。
一日おくれで「隅田川花火大会」が昨日ありましたでござりまする。
毎年は「もにじん」さんたちの「浴衣ライブ」から始まり、片づけの途中で、
お店のオープンエアーなスペース(元犬小屋)からチラリと見ながら、ビールを
飲む、なんて具合だった。昨日は最初から最後まで初めて見た。
路地裏に上がる花火で、上のほうまであがるものしか見えないけど、その半端
なところが風情がある。近頃はマンションが多くたち、にわかに「特別席」みたいな
場所ができたらしいが、花火も桜も、下から見上げるのがよろし。できたら
美人の膝枕・・・というのが昔から粋人のあこがれである。

せくなあせるな世間のことは しばし美人の膝枕

都都逸にこんな艶冶なものが・・

♪横に寝かせて 枕をさせて 指で楽しむ 琴の糸

お祭り好きだったたまちゃんも昇華され、昨日は「お弟子さんへ・・」という
応援団先生のはからいで「三味線」が届いた。木づくりの三味線建てに入って
あるものを出して、つま弾いてみた。かっぽれや木遣りや、放送コードに抵触しそうな都都逸
を奏でていた音が懐かしい。しまおうとすると、木の底に名刺が落ちていた。
「ふ・・・代表・・・・M」の名刺。小川町の料理旅館で「順受の会 20周年のお座敷」の時の
料理旅館の代表者の名刺である。結局これが「最後のお座敷」になった。この三味線は練習用なので、
お座敷の前にお部屋で練習していたものだと思う。晩年は声も踊りも、ホロビッツの晩年同様
「骨董にひびが入る」ようなふうもあったけど、この道にかけてきた芸人魂を見るようでジーンときた。

今日は、その名刺のM先生の「順受の会」。今年は「荘子」を勉強している。
老荘思想とは、論語いわゆる孔門の思想とは、背反するものがあり、無為自然を旨とし、
道(タオ)の一元論をとなえ、宇宙のいとなみと人のそれを同じ道とし、人の生き死には、
同じようなもので昼夜無覚とようだと考え、悲喜することを排斥した。

お茶の雑誌に「淡交」(たんこう)というのがある。
「君子の交わりは淡き水の如し」という荘子の言葉からきている。

順受の会は、23年目になる。長く続くコツは、先生が偉ぶらず、生徒同士も
あまりベタベタせず、机を並べて勉強する同志のような距離で、あっさりとつきあって
きたことが大きいのでは・・「論語読みの論語知らず」の名言はあるが、
黄泉(よみ)の国にいくまでは、荘子よろしく「淡き水の如く」の気概で生き抜いていきたいと思う。
花火のように、熱く燃えるような恋も悪くはないが・・

♪顔見りゃ 苦労を忘れるような 人がありゃこそ 苦労する

矛盾することころが人生の機微なね。いいね。たまちゃんが「昔花柳界で、こんなのが流行ったわよ」
といって、三味線弾きながらやった都都逸にこんなのがある。

♪諦めましたよ どう諦めた 諦め きれぬと 諦めた

もてる男もきっと苦労やけど、女ごころも粋やね!90年の芸者人生にも、恋の花火がいっぱい・・

これから「卵かけごはん」
明日は「書の会」

けんかもよくした、たまちゃんやったけど、最後はよかったね。

♪白だ黒だと 喧嘩はおやめ 白という字も 墨で書く

ちゃんちゃん!感謝。

崖の上のポニョ

それの舞台になったのが、広島の鞆の浦。
風光明媚な港町。能登の寒山拾得美術館も、最初は「崖っぷちに立つ美術館」
というのが有力候補だった。行政にも頼らず、お客さんや時代におもねらず、いつも
崖っぷちに涼しい顔して立っている、・・そんな美術館があってもおもしろいのではなかろうか?

話がそれた。鞆の浦出身の建築家で「藤井厚二」という建築家がいた。明治生まれで、東京大学の
建築をでて、京大の先生をやった人。夭折で49歳で召されたので、作品は少ない。
京都の大山崎、サントリーのふるさとみたいなところに、「聴竹居」(ちょうちくきょ)というのが残っている。
彼が自邸を、「暮らしの実験室」のようにしてつくった和洋折衷の家。

関東大震災で、壊れた仕様建築を目の当たりにして、「この国にあった建築を」の思いで、
実験的に立てたもの。「イス・テーブルに座る」というのと「畳の部屋」というのは背反する。
その背反を、同じスペース、もしくは襖でしきる、というテーマでしつらえた空間は見事である。
そしてなにより大切にしたのが「気の流れ」。最近の家には、それがまったく感じられない。

お茶はお花の世界でも「立礼」(りゅうれい)というのが今後のテーマ。畳に座ってお茶事などを
やっていると、風流な気分の前に、足がしびれて通風みたいに痛さが体中をふきまくる。
でも、掛け軸、花、絵・・・日本の家は「坐ってみる高さ」におかれてある。それが大きな課題。
京都や江戸も、「昔はちゃんとした料理屋」だったところも、床の間がある部屋にテーブルが並べてあって、
床の間の軸はそのままで、デコボコして、入れ歯で和食をナイフとフォークで食っているような
茶番が日常になってきた。それを日常茶番、という。

「床の間」について藤井さんが残したこんな言葉がある。

床の間では、そこに目を留める人への
啓発のためにふさわしく配置された品物によって
一種の無言劇が演じられている。

聴竹居の床の間には、彼が大好きだった池大雅の書がさりげなく飾られている。
天真庵には大雅はないが、ときどき奥様の玉蘭の軸を掛けてお茶をやることがある。

今日は、
天真庵の二階では「満つまめの会」  夕方は「蕎麦打ち教室」

明日の朝は「卵かけごはん」 夜は「順受の会」
23年目を迎える別名「論語の会」  20周年の記念パティーには、たまちゃんが三味線を弾いてくれた。

火曜日は「書の会」
木曜日が「おとこかっぽれ」

今日の浴衣ライブは来年までお預け・・

今日やる予定だった「隅田川花火大会」は明日に延期された。
毎年花火大会の時は「前座ライブ」よろしく、ギターのじんじんさん、
ハーモニカのマツモニカさん、あわせて「もにじん」さんが、楽しいブラジル音楽などを
演奏してくれ、花火の音が聞こえると、浴衣姿で、みなでそれぞれのポイントにいき、
花火を見たり、二次会の居酒屋にいったり、というのが、ならわしだった。

2年、3年前に、花火大会がはじまって5分くらいで大雨で中止、というのもあった。
今年の西日本の豪雨も想像を絶するものだったけど、地球環境が変わってしまったかの様子。
台風がまた被災地のほうに矛先を向けているようなので、みなさんの無事を祈りたいと思う。
いつどこで、災害や天災にあってもおかしくないような時代を迎えているようだ。
「災害がきたら災害にあえばよろし 死ぬときは死ぬるがよろし」とのたまわれた良寛さん
ほど達観できないけど、きたときはきたとき、どたばたするな、の覚悟は必要かもなんばん。

明日は前座ライブはなくなったけど、花火大会はありまする。
天真庵の二階では「満つまめの会」  夕方は「蕎麦打ち教室」

月曜の朝は「卵かけごはん」 夜は「順受の会」
23年目を迎える別名「論語の会」  20周年の記念パティーには、たまちゃんが三味線を弾いてくれた。

火曜日は「書の会」
水曜日が「おとこかっぽれ」

7月は暑かったけど、なんとなく8月のページがめくられていく。
8月は東京には半分くらいしかいない予定。能登の美術館のオープンに向けて
がんばらなくては・・

てんてこまいな一日

昨日は、たまちゃんの顔を一目見ようと、弟子たちが集まった。
一門会ではみな艶やかな着物に三味線という出で立ちだが、昨日
はみな喪服。
そもそも「師匠というのは弟子が発見するもの」だと思う。
おばあちゃんくらい年の差がありながら、三味線の弟子になり精進した若い女子
たちの生き方とやさしさに心打たれた。ここらいへんの下町の人情って、
なかなかほかでは見られない。独居老人で、最後は病気がちで、三味線もかっぽれも
おぼつかなくなったけど、ちゃんと弟子たちが、協力して面倒を見てくれた。幸せな人生やな。

かみさんの運転で斎場に・・・
帰ってきて、たまちゃんの在りし日の写真をみながら談論風発。
「て・こ・ま・い・の姿、見てみたかったね」との声。
手古舞・・・江戸時代の祭礼で、女性が男装をし神輿みこしの 先駆をして舞った舞。浅草芸者時代によくやったらしい。
祭りで神輿をかつぐのも大好きだっだけど、まげをゆい、右肩ぬぎの派手な襦袢姿で、闊歩するのがなによりも好きだった。
天手古舞・・これも神楽の太鼓などで踊り狂う姿から、忙しすぎることを、「てんてこまい」というようになった。

ときどき、わがまま芸人のサガから、弟子やまわりの人たちを、てんてこまいにさせたたまちゃん。
最後は、弟子たちに見送られ、「よかったわ」と笑いながら手古舞で三途の川を渡ったに違いない。
弟子のひとりが「生きているうちに、師匠に出会えたことに感謝したい」といって涙ぐんだ。

そんな会話をカウンターで聞いていた三線のタケシィが「いい話をきかせてもらいました」
といって整体の後のお茶を飲みながら笑っていた。先週までパリの路上で三線を弾いた。
たまちゃんもロスの路上で三味線を弾いた経験がある。三線も三味線も、根っこが同じ。
人が生きる、って、寂しいことやつらいことが多く、それらの感情から音楽という芸術が作られていく。
でもこの星で、一番の芸術は「ひととひとがであう」ことだと思う。

たまちゃんは、そばを手繰って、珈琲を飲むときに、必ず「ひとごごち、がついた」といった。
「ほっとする」時間って、大事やね。安らかに、天国で、ひとごこちをつかせてください。感謝。

たまちゃん逝く

昨日の朝、「たまちゃんが今朝なくなった」と応援団の医院長から電話をもらった。
1929年6月30日生まれだったので、享年89歳。時分の花ではなく、失せざる花(不失花)
のような人生だった。

生まれてすぐ親に売られ、花街に預けられ、芸を仕込まれる。浅草芸者として活躍した
後、悠玄亭玉として浅草などで女幇間として人気を博した。

4年くらい前のある日、赤く染めた髪、裸足に粋な下駄はいたおばあちゃんがひとりで入ってきた。彼女が引っ越してきた日。
「前通ったら、コーシーのいい香りがしたんで、たまらなくなったわよ。入れてちょうだい」
からドラマが始まる。それから3年くらい、毎日蕎麦を手繰りにくる。6月30日には「誕生日ライブ」をやった。
天真庵のHPの「長屋Live」に写真がのこっている。

昨日は「おんなかっぽれ」。そもそも幇間芸とは、お座敷で、芸者さんがくるまでの時間をとりもちながら、
かっぽれや小唄や都都逸で、笑わせたり楽しませたりする芸。
三味線や太鼓や笛、即興の機転も必要とするし、そもそもまぬかざるお客でありながら、出番と居場所をつくり、
という、お座敷芸の中では最高峰のむずかしい芸だ。
「おんなかっぽれ」の教室がうめれたのも、たまちゃんがくるようになった縁だし、
不思議な月曜日の日、卵かけごはんに3人の女性が別々にきて、彼女たちがその日にたまちゃんの
三味線の弟子にになった、卵かけごはんが、芸者の卵を3つ産んだ。

「不失花」(失せざる花)というのは、世阿弥の秘伝書「風姿花伝」の中にあることば。
能役者であり演出家であった彼は、「花」を大切にした。若いころの花は、みずみずしく、勢いも
あるけど、それは「時分の花」にすぎない。人は年おいても、一枝の花を持つことが必要である。
そのためには、毎日を精進しながら稽古を続けること。この「花」は、芸術家や役者にとどまらず、
一般人にも必要な花のような気がする。世の中には、まこと「花のある人」とそうでない人にわかれている。
その差は、生まれつきのこと、だけではないのかもなんばん。

今日は休みだけど「満つまめの会」
かみさんは、三味線のお弟子さんたちを車にのせ、たまちゃんにお別れにいくらしい。
悲喜こもごもの物語があったけど、人とたばこは煙になってこそ、価値がある。
そんな古人の言葉を思い出した。こころから拍手をしたい気分。鎮魂。

台風が近づいているけど、土曜日の「花火大会」は、楽しみだ。

ビールもまずい?

記録的な猛暑が続く。昨日は40度を超えたところもある。
そばを冷やす水道の水からも、お湯のような東京水しかでない。
氷の力を借りて、なんとかそばも金冷法よろしくしゃきっとするのです。

ビールを飲んでも、帰って暑くなる感じ。涼をもとめて屋上のビアガーデン、
というのも、この暑さでは、かえって敬遠されるらしい。
昨日は今年できあがった梅シロップに焼酎を入れ、炭酸で割って飲んだ。
これは40度の暑さの中でも、いける。夏に梅干しや、梅シロップができるワケ、がわかる。

今月初め、小倉駅から東京まで新幹線にて帰っていた。食堂、ビュッフェがあるころは、出張も
新幹線が最優先で、のるなりビュッフェにいき、ビールとサンドイッチ片手に本を読んだり
するのがよかった。新しい発想とかが一番生まれた場所でもある。
効率優先でいつしか食堂がなくなり、のる機会もめっきり減った。

次の日から豪雨というタイミングで岡山や広島を雨の中を走っていった。
三列座りのいすの窓際に座っていた。通路側には、IT業界風族のオタクっぽいにいちゃん。
そろそろ、社内販売の駅弁でも食うか、なんて思っていたら、京都についた。
大きなキャリィーバックをガラガラさせて、なぞの東洋人たちが入ってきた。
座席の上にはのせられないし、どうするんだろう?と、知らん顔していたら、若い
女子が、ぼくとおたくの真ん中に座ろうとした。「え。。?」と思ったけど、
キャリーバッグを押し込み、彼女も涼しい顔して座り、スマホで中国の映画を見ながら
乞えだして笑ったりしている。ぼくが「ちょっと小便にいってくる」となっても、大仕事になる。

日本の観光地はみな同じようなことがおこっている。天真庵界隈も、民泊というグレーなくくりの制度の中、
普通の家や長屋やマンションから、外国人観光客たちが、大きなキャリィーバッグをがらがらさせて闊歩する
姿は日常茶飯になった。

これから、天真庵で、ぼう大手3社のジョイントで、そんな混雑を緩和させる画期的なアイデアの
撮影会?がある。40度を超えるような暑い中でも、アイデアを実現させていくプロジェクトは進行
している。東京オリンピックの時は、ガラガラは半減するかもなんばん?

28日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)
この日は、満月だって・・

大暑 暑さに対処するには・・

今日は二十四節気の「大暑」(たいしょ)。大寒の時は「あ、そうか」とか思ったり
するけど、大暑というのは、あまりいわなくなった。でも今年は、「あ、そうか。なんとか自分で対処しなくては・・」
なんて思ったりする。東京も37度になる予報だ。

一昨日、梅を干した。能登の梅を使っているので、一般的な梅仕事より少しおそい。
天真庵の駐車場側にオープンエアーな空間がある。昔は大きな犬小屋だったところ。
そこにそばの笊とか、てぬいぐいでつくったおしぼり、なんかを干すスペース。
風通しがいいので、魚を干物にする青い網、と、梅とか唐辛子とか干し椎茸をつくる青い網
がぶらさがっている。都会でこんなスペースを確保しているのは、まことにありがたい。
それでも、近くにセータカノッポのマンションがたってからは、風向きがかわってきた。

今日は卵かけごはん。九州に住む妹がつくる「元気つくし」という米がごはん。
それに「もち麦」を適宜いれる。天真庵では、12年前からそうやってお米を炊いている。
一昨年?その前・・あたりに、テレビでもち麦が紹介されて、大ブームがおこり(日本人でほんとうに
洗脳されやすい)、本屋に「もち麦ダイエット」みたいな本があふれ、スーパーに「もどき」
が並んだ。国産は一割にも満たない、のが現状だ。

天真庵のもち麦は、愛媛の農家さんに頼んでおくってもらう。ときどき上京される時に蕎麦を
手繰りにこられたりする。能登では畑もやる予定で準備をすすめているので、いろいろアドバイスも
いただく。話を聞くたびに、これまで耕さなかった人生を「不耕な人生」だと反省している。
その「もち麦」が、「姫もち麦」として、商標登録された。食べてみたらわかるけど、
「もどき」とは、似て非なる世界。ぜひ自分で確かめてほしい。宿便のとれかた、うんこの質が
かわってくる。それをわかならないような人を昔から@くそみそ、という。

今日のあさごはんの味噌汁は、もちろん自家製の手前味噌。身は、「暮らしの実験室 やさと農場」の野菜(人参・なす・オクラ・玉ねぎ)たち。
卵も、その野菜の「おながれ」で育ったにわとりが産んだ卵。平飼い、で、♂もいっしょに暮している。
効率最優先で♀だけ閉じ込められ、眠ることも、エッチもできず、ただ産むだけのブロイラーと、真逆の環境。
これも、食べてみたら、一瞬でコロンと違いがわかる。ブスな人でも、わかる。だから
昔から@コロンブスの卵といった。

香のものは「糠味噌のキュウリ」  の予定だった。文庫ちゃんが屋上菜園でつくった無農薬の
キュウリをいただき、それを「うめ星」入りの糠床につけていた。昨日試食したら、あまりに美味いので、
それを酒肴に酒を飲んでいたらなくなった。(笑えない・でもうめ星糠床はほんとうにスゴイ)
ので、やさとのキャベツを梅酢漬けにした。梅干しを作ると、この「梅酢」ができるのがすばらしい。

そんな内容の「卵かけごはん」を毎週月曜日の8時から10時までやっている。550円也。
一汁一菜みたいな簡素な朝ごはん。

今日二階では「満つまめの会」  まーくんの気功整体

蓮月人を待たず

江戸時代の京都に太田垣蓮月という絶世の美人で、書や俳句や陶芸や囲碁にも秀でた才女がいた。
「蓮月椀」といって、彼女が手びねりした茶碗に、自作のワカを釘みたいなんで掘って焼いた
ものは、文人趣味の極みで煎茶人のみならず、人気がある。今世界中で人気の富岡鉄斎の育ての親でもある。
天真庵のショールームにも、いつも飾ってある。トイレに続く廊下にも、彼女が揮毫した和歌が飾ってある。

織田流煎茶道の同心の美人の先生が蕎麦を手繰りにこられた。8月に二階で「お茶のお稽古」をする
打ち合わせをかねて・・。ふと三日前に「かまやさん(並びの古道具屋)に、蓮月碗がおいてますね」と
酒を飲みながらポツリといった銀座の骨董屋のひとりごとを思い出した。ぼく「3万くらいもってる?」
蓮月似の彼女「なんでですか?」ぼく「並びのけったいなお店に、レンゲツがでたらしい」
蓮月尼(かくあげ)「それはみてみたいです」ぼく「よっしゃ、ごいっしょつかまつる」

といって、歩きだしたら、古本屋カフェ準備中のMくんとでくわす。M「昼まっから、美人とふたりで・・」
ぼく「かまやに蓮月をみにいく」 おんな好きのホモを自称のM「あ~ら ついていっていい」
ということで、おかまくんもいっしょに「かまや」へ・・・
Mくんが、主人に間髪をいれずに、アイスクリームを渡したのも功を奏した?のか、いい値段で
蓮月碗が、連月尼に嫁いだ。めでたしめでたし。

夜は「ゆるゆるヨガ」
元気で健康美人の梅林ガールズたちが、月に一度やっている。
ひょんなことから10月の「のて」にいっしょにいくことになった。昨日のブログがすぐに実行に移される。スゴイ。
歳月人を待たず。蓮月も人を待たず。
ノテーと、していたらチャンスや縁はどんどん遠ざかる。命短し恋せよおとめ。だ。

28日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)
この日は「満月」であることを、ヨガの先生のかすみちゃんに聞いて知る。
素敵な夜になりそうだ。感謝。

今日は16時まで。それから「蕎麦塾」  来月の第一週の日曜日は「そば」「よが」「すし」の三つ巴の会になった。

ノテーとしてたら、すぐに人生のおわりがくるかもなんばん。

先日、久しぶりにまーくんがきて、「満つまめの会」をやってくれた。
日曜日は満席になったけど、久しぶりの平日だったので、少し時間が
あったので一時間やってもらった。

まーくんはほとんど目は効かないけど、何もいわずに、人の気の流れや、
筋肉の使い方のクセを見抜く。
「あれ、筋肉は柔らかくなっているけど、相変わらず、足の外側の筋肉が強すぎですね。スクワット
とかやっていません?」と聞くので、「毎日、中村天風式のスクワットを20回やってるよ」
と答えた。それを彼の前でやってみせたら、「なるほど、さすが天風さん・・・・でもマスター(彼はぼくのことを
そうよぶ。失恋レストランみたいで好きな呼び方ではないのだが・・・)、少し変更して新しいスクワットを
伝授します」といい、新しいスクワットを習って、それをマスターしつつある今日このごろ。

連日猛暑が続き、「命の危険をともなう暑さ・・・」なんてラジオから流れている。
そんな中、蕎麦やほぼブラジルを飲みにきてくださるお客さまには、頭が下がる。感謝。
昨日は自家製の梅仕事も無事終了。全部で100kくらいの能登梅子さんをみんなで手仕事した。

話は飛梅のように飛ぶ。「能登の手仕事」から「のて」というイベントが10月やったかな、あるらしい。
先週、いつも「ただいま」といいながら天真庵に入ってくる娘みたいな女の子が、梅仕事をしながら、
「おとうさん(彼女はそんな呼び方をする。産んだ、というか仕込んだ記憶はないのだが・・)、ノテ、
って知ってますか?」という。「?」な顔をしていたら、スマホをサクサクと操作して教えてくれた。
ネットで「ノテ」で検索するとでてくる。能登島でやる秋のイベント。「新宿から深夜バスにのり、和倉温泉まで
ヒトップロ浴びてからいきました」と目を輝かせて話す。若いってすばらしい、ノテーとしてたら、すぐに天国や。

能登島も天国みたいな温泉がある。千寿荘やったかいな。温泉もいいけど、女将の機関銃トークがすばらしい。
こないだの能登地震から、水質が変わって、世界一になった、と女将はのたまう。さもありなん、と風呂からあがって
汗かきながらその水を飲むと、そう思うのであります。ひょっこりひょうたん島の能登島には、夢のある話がいっぱい・・
そのばあちゃんがやっている「水」という食堂も安くてうまくて、唯一無二な食堂。梅林ガールズたちと必ずいくとこ。
「能登の底力」というか、自然によりそって生きている人たちの「ゆたかさ」を感じるとこ。深夜バスでいくと、片道
7000円くらいでいけます。新宿のヘルスなんかいくお金があったら、新宿から能登にいったほうがヘルスよ!

28日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)