中国にいくと、龍の調度品なんかを街中で見ることができる。
王族たちと庶民では、爪の数が違ったりするそうな。
お祭りにも、龍が玉をおっかけるようなものが日本にも伝わった。
昨日たまちゃんの写真を見ていたら、浅草の金流舞の写真を見つけた。
浅草芸者衆が、着物を着て、三味や太鼓や篠笛を鳴らす。
戦争時、日本が元気のない時代、浅草寺の住職が洒落で「金流舞をやればみんなが元気になる」
と思いやり始めた、とたまちゃんから聞いたことがある。
なるほど、浅草寺の山号はもともと「金龍山」。少しオヤジギャグっぽいけど、そこから始まった。
町おこしに、ソーラン節や阿波踊りを採用するのにも、同じようなニオイがする。
「あきない」とは、たゆまざる努力と継続と協力が必要なんだ。
浅草もそうやけど、大塚にも「三業地入り口」なる看板が駅ちかくにある。料亭・芸者・見番の
ことをそうよび、花柳界ではみなそんな呼び方をした。大塚には見番はなくなったけど、元見番の
近くに、「ネット21」のテントが残っている。ぼくが代表理事でやらせていただいたIT業界の組合の
元事務所。今は、ある婦人団体が事務所に使っているけど、テントはそのまま。時々、なじみの寿司屋にいく時、
前を通ると、懐かしくなってくる。20年前には、まだ三味線や踊りの上手な芸者さんがいた町。
その事務所のすぐ近くが、歌舞伎の女形のTさんの実家。10年前くらいまでは、料理屋も
営んでいた。その町の女の人たちが、みんなで協力しながら育てていった歴史がある。
順受の会の20周年の時、たまちゃんを呼んで、三味線をひいてもらい、かっぽれを踊ってもらった話をした。
それが彼女の最後のお座敷になった。昨日は、M先生に「手古舞」の写真を見てもらった。
「鹿児島では、太鼓のことをテコ」というらしい。そんな名前のお祭りもあるとか。
ネットで「鹿児島 手古舞」で検索すると、「天手古舞」とかいう名の、ラーメン屋や餃子屋がでてくる。
不思議な縁を感じた。
今日は「書の会」
木曜日が「おとこかっぽれ」 たまちゃんの追悼のかっぽれを踊ろう。