お店のポストには、毎日のようにポスティングがある。
自分も近くの友人たちに時々いろいろな「好き」をポスティングする。
昨日は「亀戸文化センター」でやる「歌声コンサート」のチラシ。
関係者らしい人がやっているので「がんばってください」とお返しすると、
「ありがとうございます」と微笑み返し。
画廊を始めた平成8年に、「南條観山展」のチラシを池袋の印刷屋さんに頼み、
2000枚を近くのマンションや家にポスティングした。
2週間の開催期間に、その効果は「ゼロ」やった。若い意気込みや期待とよこすべり、
まったく真逆の結果に打ちひしがれた。しかし、その後10年画廊をやったけど
看板を見てきた「いちげんさん」は4人だった。きっとギネスやと思う。
(でも実際は、いろいろな企画展やライブや寺子屋のようなことが始まったので、
年間500人以上は天真庵にきてた。それが今につながり、能登の美術館につながっていく)
お店を押上に開いて、11年間、毎週近くのおばあちゃんがポスティングをしてくれる。
時々お孫さんとチーズケーキを食べにこられる。「毎日お店におられるので、世間の情報がインプット
しにくくなると心配して」が理由で、地下鉄のフリーペーパーをポストに入れてくれる。奇特なばあちゃん。
最近その中で「なるほど」と思った記事が「ワンショット消費&ワンショット恋愛」。
「ガングロ」さんは、実際どこの駅にもいたし、ブクロにはいっぱいいた。
今は「メルカリ女子」なる族があまたいるらしく、その子らは「ワンショット消費」なる
キーワードで自分が着て見せる「服」を買い、買う時にはメルカリで売ることをちゃんと
マーケティングしているそうな。着ると同時に脱ぐ、なんとも忙しい呼吸やね。
服をシェアーする、という概念らいいが、同じ服をかぶらせず、見せる、という「見栄」
は、少し変態チックな露出症?と思えなくない。ま、それが時代の流れなんだろうが・・・
「伊達(だて)の薄着で風邪をひく」 見栄や伊達だけで生きていくと風邪(病気)になるよ、という諺。
シエアリングの影響は「恋愛」の世界にも波及しているらしく、「恋愛がめんどくさい」
というのが男女ともにもっているらしく、かといって「彼氏(彼女)がいない、というのもカッコ悪いので、
ワンショットでメンテもいらないし、知らぬ相手でも、ごはんして、エッチして、おわり」というのが定番らしい。
AIが「仕事」をうばいつつある昨今、恋愛もどうも「スマホ」なしではできない世の中になっているらしい。
どきどきしながら、10円玉をにぎりしめ近くの公衆電話から、女の子の家で電話しでてきたお母様に
「・・・・〇子さん、ご在宅でしょうか?」といい、どきどきしながら待っていたら、父親がでてきて
「〇子はおらん。きさん(おまえ)何考えてんや」といわれ、ガチャンと切られながらも、次の一手を考える・・
そんな恋愛は化石時代のように遠い?
♪君はおぼえているかしら あの白いポスト・・ ブランコか
恰好や見栄を気にする結果、おなじような価値観で、おなじような人生を歩む・・・
これから「AIにはできないことをする」ことを考えないと仕事にならないし、
ほかの人にではできない唯一無二な「なにか」を身につけないと、生きていくのがむずかしい時代。
今日は日曜日なので16時閉店。それから「そば打ち」
二階は「お仕覆」 いろいろな「好き」を古布をつかって「包み込む」。日本人が
大切にしてきた@こころを勉強する。