押上のシェアハウス旧邸

キラキラ商店街を抜けると、明治通りにぶつかる。
そこの角に「ブンカン」がある。天真庵を改装途中に
縁があり、元喫茶店(スナック?手風琴)だったところに、
天真庵の改装であまったモノを使ってつくった。ので、
なんとなく兄弟店?のような雰囲気がある。

そこの初代店長の「なつきくん」が南島原に移住して「口之津巷珈琲焙煎所」
(みんな漢字にすると中国のお店みたい?)
をつくり、その地域にはなくてはならない「居場所」になっている。
毎日くるおじいちゃん、おばあちゃんが、聞き取りにくい九州弁でなんだかのたまって
おられるのを、なつきくんがボーとした普段顔で聞いている。
「九州人の自分でもわからんのに、よくわかるね?」と問うと
「毎日同じことしかしゃべらないので・・・」とのこと。なるほど達人の域に到達してきた。

二代目の店長の「ぼっちゃん」はもっと若いけど、おばあちゃんおじいちゃんの「もてなし」
にたけていて、老若男女の幅広いファンを獲得している。
田舎暮らしに最も大切な「こころ」を二人の後輩から学ぶ。「近頃の若い者」はすごい。
「日替わり店長」制度はなつきくん以来の伝統で、オムライス、稲庭うどん、カレー
など毎日ちがった店長がそれぞれの得意料理を提供するスタイルだ。

そこから300mくらい右にった対面に、「旧邸」がある。
主人の「だいきくん」は、そば・お茶のお弟子さま。最近は「論語」「書」「寿司の会」
も参加されていて、天真庵の寺小屋の常連でもある。6月は先祖さまの残した
春日茶を摘んだりすることをライフワークにしていて、界隈の若者も年に一度
「茶摘み娘」になったりして自然にふれあう、水を得た魚のように元気だ。

「旧邸」はシエアハウスで、そこの住民の人たちも、蕎麦を手繰りにきたり、
味噌作りや梅干しばあちゃんになりにきたりする。それぞれのカフェやシェアハウスが
コミュニティーの場になり、「居場所と出番」を醸し出す場になっている。

天真庵は、能登に軸足を移し、いったりきたりの「二股暮らし」になってきたけど、
この町には、根っこから繋がっている「根粒」のようなものが残せたかな・・とか
最近すこしうぬぼれている。でもきっとまたその中から能登に「梅仕事」とか
を手伝ったりする中で、移住したりする子らもできそうで、もっと楽しみだ。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「日曜日は、そばもんになろう会」
明日は「月曜の朝は卵かけごはん」
火曜日から木曜日は「能登里浜時間」  夏までには「寒山拾得美術館」ができあがるハズ。
目標とか期限とか「きめず」に、マイペースでぼちぼちやっている。

昔は「大輪の花が咲くように・・・」といったり、最近では「その場その場で咲きなさい」
とかいう言葉が流行っている。そんな必要はないんじゃない。
どうしても「がんばって・・」とか「努力して・・」とかいう「付属語」が見え隠れする。
花は「美しく咲こう」とか「きれいといわれたい」とか思っていない。「ただ」咲いているだけ。
それを発見する人の「美」だ。笑顔のいい人は、そのまま床の間の茶花のような「風情」がある。

旧邸の床の間に、葉蘭が生けてあった。竹の寸胴に、「くばり」をけずり、真を中心に七枚の逆勝手の
生花。竹は、節々でも元気にまっすぐ伸びる、の縁起でよろこばれてきた。でも本当は、目に見えない
地面地面の下にぎゅっと根をはっている姿がいい。人の値打ちも「そこらいへん」ではないかしらん。感謝。