と、検索すると、アニメの「うめぼしのうた」がユーチューブで見られる。
「梅林ガールズのテーマソング」になりそうだ。子供からばあちゃんまでいける。
一昨年の春に旅立たれたけど、天真庵で「気骨の鮨会」なるものを月に一度
やってくれてた方淵さんという九州人がいた。押上に春慶寺という古刹がある。
歌舞伎役者や四谷怪談の鶴屋南北などが眠っている寺。ここでそば打ちを
頼まれた時に「末期がんなんだけど、腕のいい寿司職人がいる」
という話をきき、「ぜひ」ということで「命あるかぎり、天真庵で鮨の会をやります」
ということになった。一年半くらいやったけど、毎回「満席御免」だった。
今も「寿司を握る会」を天真庵でも島原や能登でもやっている。死んでも「残る」もん
がある。お金を残しても、それだけ、のこと。いいものや、こと、を残すと永遠である。
親子は一世、夫婦は二世、師弟は永世。「スッシー」もちゃくちゃくと増えている。
築地に買い出しにいったり、こはだなど青魚の〆方、あなごのさばき方、つめのつくりかた、
酢飯のやりかた・・・・をきっちりしこまれた。まだまだ足元にもおよばないけれど。
じいちゃんのために、柳包丁や出刃なども新調した。向島警察署の近くに、耳が聞こえなく
なくなるくらい、まじめに包丁を鍛冶屋のようにたたいてつくる匠じいちゃんにお願いしてつくってもらった。
そのじいちゃんも一昨年召された。
まな板も般若くんに頼んで木祖の檜でつくってもらった。銀座あたりで3万以上するような寿司屋に置いてあるようなもの。
お皿は久保さんの絵志野の四方皿がお気にいりで、そんな話をしたら、醤油をつける小皿を
黄瀬戸と志野でつくっていただき、じいちゃんは大喜びだった。
手酢といって、握るときに手につける器は、渡辺愛子ちゃんの片口が定番だった。
仕事を傍らで見ていると「これは立派な茶事だ」と思った。
それで毎回、鮨の会の時、最初にじいちゃんと二階で「玉露」を飲んだ。
ちゃんとふくさを使い、久保さんの蓋つきの玉露茶碗に入れて、京都のおひがしなんかをちゃうけに
してやった。今では懐かしい。能登で「能登前を握る」ことができるようになったのも、じいちゃんの魂
を受け継いだ「おかげ」である。
ある時、「これ知っとる?」といって、自分で揮毫された和紙を手渡された。
「うめぼしのうた」
二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売。もとよりすっぱいこのからだ、塩につかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、それもよのため、人のため。しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、運動会にもついて行く。まして戦(いくさ)のその時は、なくてはならぬこのわたし。
引っ越しの荷物をつくっているときにでてきて、読み返していると自然に涙がこぼれた。
昔の国語の教科書にはのっていたそうだ。「まして戦のその時は」というのが、時代を反映している。
それを「うめぼしのうたアニメ」で見ると、明治・大正・昭和・平成・そして来年からの新しい年号を
超え、未来永劫日本人の「食」の傍らに「うめぼし」があり続けてほしい、と思う。
これから「卵かけごはん」。天真庵のごはんは炊飯器の中に「うめ星」を入れて炊く。
キュウリやナスをぬか漬けにする。糠床の中にも「うめ星」をしのばせている。よその星から
やってきた「隕石」の粉を、地球の土とまぜて、陶器の玉にしたものだ。これまた不思議な縁。
夜は「順受の会」。それが終わると「松休み」の旅。帰りは能登で梅林ガールズたちと「梅仕事」。
梅干し、梅シロップ、梅味噌、梅酒。時間が許す人は能登で寒い時期に「剪定」を手伝ってくれたり、
梅を買っていって自分で梅仕事をする人、できあがった梅干しを買いにくる人、夏限定の「梅ジュース」を
飲みにくる人・・・みんな梅林ガールズだ。昨日も開店そうそうに「梅さき薫る」ようなふくよかな梅林ガールズの
ひとりが、能登から飛んできた梅を買ってかいかれた。梅林ガールズやスッシーたちは、みな美しい。感謝。
「7月のライブ」
16日(月・祭) 大石 学 ソロ LIVE
演奏:大石 学(ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)
28日(土) もにじん花火大会 らいぶ
演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)
17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)