うめぼしのうたアニメ

と、検索すると、アニメの「うめぼしのうた」がユーチューブで見られる。
「梅林ガールズのテーマソング」になりそうだ。子供からばあちゃんまでいける。

一昨年の春に旅立たれたけど、天真庵で「気骨の鮨会」なるものを月に一度
やってくれてた方淵さんという九州人がいた。押上に春慶寺という古刹がある。

歌舞伎役者や四谷怪談の鶴屋南北などが眠っている寺。ここでそば打ちを
頼まれた時に「末期がんなんだけど、腕のいい寿司職人がいる」
という話をきき、「ぜひ」ということで「命あるかぎり、天真庵で鮨の会をやります」
ということになった。一年半くらいやったけど、毎回「満席御免」だった。
今も「寿司を握る会」を天真庵でも島原や能登でもやっている。死んでも「残る」もん
がある。お金を残しても、それだけ、のこと。いいものや、こと、を残すと永遠である。
親子は一世、夫婦は二世、師弟は永世。「スッシー」もちゃくちゃくと増えている。

築地に買い出しにいったり、こはだなど青魚の〆方、あなごのさばき方、つめのつくりかた、
酢飯のやりかた・・・・をきっちりしこまれた。まだまだ足元にもおよばないけれど。
じいちゃんのために、柳包丁や出刃なども新調した。向島警察署の近くに、耳が聞こえなく
なくなるくらい、まじめに包丁を鍛冶屋のようにたたいてつくる匠じいちゃんにお願いしてつくってもらった。
そのじいちゃんも一昨年召された。

まな板も般若くんに頼んで木祖の檜でつくってもらった。銀座あたりで3万以上するような寿司屋に置いてあるようなもの。
お皿は久保さんの絵志野の四方皿がお気にいりで、そんな話をしたら、醤油をつける小皿を
黄瀬戸と志野でつくっていただき、じいちゃんは大喜びだった。
手酢といって、握るときに手につける器は、渡辺愛子ちゃんの片口が定番だった。
仕事を傍らで見ていると「これは立派な茶事だ」と思った。

それで毎回、鮨の会の時、最初にじいちゃんと二階で「玉露」を飲んだ。
ちゃんとふくさを使い、久保さんの蓋つきの玉露茶碗に入れて、京都のおひがしなんかをちゃうけに
してやった。今では懐かしい。能登で「能登前を握る」ことができるようになったのも、じいちゃんの魂
を受け継いだ「おかげ」である。

ある時、「これ知っとる?」といって、自分で揮毫された和紙を手渡された。
「うめぼしのうた」

二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売。もとよりすっぱいこのからだ、塩につかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、それもよのため、人のため。しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、運動会にもついて行く。まして戦(いくさ)のその時は、なくてはならぬこのわたし。

引っ越しの荷物をつくっているときにでてきて、読み返していると自然に涙がこぼれた。
昔の国語の教科書にはのっていたそうだ。「まして戦のその時は」というのが、時代を反映している。
それを「うめぼしのうたアニメ」で見ると、明治・大正・昭和・平成・そして来年からの新しい年号を
超え、未来永劫日本人の「食」の傍らに「うめぼし」があり続けてほしい、と思う。

これから「卵かけごはん」。天真庵のごはんは炊飯器の中に「うめ星」を入れて炊く。
キュウリやナスをぬか漬けにする。糠床の中にも「うめ星」をしのばせている。よその星から
やってきた「隕石」の粉を、地球の土とまぜて、陶器の玉にしたものだ。これまた不思議な縁。

夜は「順受の会」。それが終わると「松休み」の旅。帰りは能登で梅林ガールズたちと「梅仕事」。
梅干し、梅シロップ、梅味噌、梅酒。時間が許す人は能登で寒い時期に「剪定」を手伝ってくれたり、
梅を買っていって自分で梅仕事をする人、できあがった梅干しを買いにくる人、夏限定の「梅ジュース」を
飲みにくる人・・・みんな梅林ガールズだ。昨日も開店そうそうに「梅さき薫る」ようなふくよかな梅林ガールズの
ひとりが、能登から飛んできた梅を買ってかいかれた。梅林ガールズやスッシーたちは、みな美しい。感謝。

「7月のライブ」
16日(月・祭) 大石 学 ソロ LIVE

演奏:大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

28日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)

ポットン、からコンポストトイレへ

ダメ中の時に、「中国のトイレ」の話になった。
プーアル茶を、不思議な縁で扱っていた時代があった。ある友人が
それを中心に営んでいた。少し経営がきつくなり、倉庫が借りれなく
なった、というので、池袋の天真庵の「押し入れ」を倉庫代わりにただで貸した。

そのままその社長がお茶を残して消えた。プーアル茶は土中発酵させ、古いほど価値がある。
でもそのまま家の中にほっとくわけにもいかないので、パッケージなどをデザインして売り始めた。
それが好評で、在庫がなくなりかけた。ITの仕事をしていたので、お茶のルートなど知るよしもない。
当時、半導体の買い付けによく香港にいっていた。そのついでで、お茶のルートを開拓。
中国本土にも足を入れた。

それが「茶」の始まりかどうかわからないけど、南條先生の「寒山拾得」の展覧会もやることになり、
蘇州の「寒山寺」にもいった。蘇州夜曲の里であり、寒山拾得の里でもあるので、日本人の「こころのふるさと」
みたいなところだ。でもそのころの中国の「トイレ」は、簡素?そのものやった。
寒山拾得は、禅の革命児?みたいなもんやけど、茶掛(お茶席の掛け軸)によく登場する。
「知足」(足ることを知る)ということと、筆をもって絵や詩を書いたり、箒で掃除をしたり、料理を
したり「生活の中すべてに、禅を学べるものがある」ということだろう。
だから能登の「寒山拾得美術館」も、ただボーと絵や器を見るようなところではなく、箒や鍬を
もったり、自分でそばや鮨をにぎったり、魚をつったり、梅仕事をしたり・・・そんな「道場」
みたいなところになる。(そんなこというと誰もこないかも・・でも来週すでに梅林ガールたちがやってくる)

昨日はヨガ。かすみちゃんが台湾に一人旅にいった。トイレが日本よりもきれいだった、とのこと。
台北のコンピュータショーにもよくいったけど、日本よりきれいだとはその当時は思わなかった。

能登の「寒山拾得美術館」は、義経の舟隠し、や松本清張先生の「ゼロの焦点」の舞台になったヤセの断崖
のすぐ近く。下水道がきていないので、合併浄化槽をつけ、水洗トイレにしようとこころみた。
業者さんに見積もりを出したら250万くらいかかるという。町から少し助成金がでる。
でもせっかくなので思い切り「未来のトイレ」をと思い、つくる浄化槽は風呂や台所などの水を処理し、
トイレは「コンポストトイレ」にして、災害やライフラインが破壊された時でも大丈夫なようにしてみよう、
ということになり、アメリカのコンポストトイレ(30万)を頼んで、能登の業者さんのところへ、先週おくったところだ。
トイレまわりに乗用車一台分くらいかかるけど、都会では忘れられた「循環型で、持続可能な生活」のためなら安い買い物だと思う。
家には畑もあるので、おがくずやもみ殻で、有機物になった排泄ぶつは、循環して野菜たちのの肥料になる。
いろいろ調べてみたら、「トイレ」も進化していて、おもしろい。

大阪で地震があった。都会でライフラインが止まったら、「トイレ」のことは考えておく必要がある。
人間は「食う臓器」ではないけど、命を紡いでいくために口から食べ物を入れ、嚥下し胃や腸に
いき、大腸から排泄する。死もそうだけど、命の根源的なものに蓋をされたような都会の生活。

森山直太朗さんの名曲のひとつに「うんこ」がある。
♪さっきまで体にあったものが、でた瞬間かんから嫌われる やっぱりおまえはうんこ   そんな詩である。さすが・・・
人間の根源的なものが、ウンコには内包されている。今の日本では、いつどこで大きな地震がくるやもわからない。
そろそろ、トイレでしゃがみながら、そんな「哲」をすることも一考である。ウーンとうなるか?悟るか?
ヨガや座禅というのは、脱糞と同じような境地にいたる、と思いませんかフフフー・・(陽水・夢の中へ 風?)
友達にメールをする時、「BGMは佐野元春の「約束の橋」」なんておしゃれだけど、「BGMは森山直太朗の「うんこ」」
というのは、恋愛ウンを落とすかもなんばん・・

日曜日なので16時閉店。それからは「蕎麦打ち道場」
今日はまーくんの「満つまめの会」 ぼくが50肩に悩んでいる時に出会い、天真庵の二階で
いろいろな人たちを助けてきた。もう一歩先を目指しているらしく、今日で一応、おしまいになった。
これからたぶん、もっと多くの人たちを救ってくれるに違いない。天恩感謝。

能登から梅が飛んできた。

能登の瑞穂にある「梅茶翁」から、昨日第一弾の「梅」がやってきた。
さっそく、大きな笊にあけ、少し熟成させるために干した。梅の淡い香りがただよう。
梅仕事が始まる。ちょうど近くの幼稚園児のママさんがきた。昨年は梅シロップを
Tくんといっしょにつくった。そのTくんが「そろそろ梅がやってくるね。またへたを爪楊枝で
とろうね」といったらしい。ひらがなや足し算ができるようになるのもいいけど、もっと
大切なことがあると痛感。こちらも教えられる。やはり教育には「共育」の要素がないと
いけないね。Tくんは「じゅげむじゅげむ・・・」がマイブーム。

今年の2月の味噌作りは、103人の人が参加した。幼稚園児のママ友の和
もはばをきかせている。子供たちのこころの中にも、それがワダチになっていくのが、いい。
梅仕事は約40人。梅干し、梅シロップ、梅味噌、梅酒・・・100件の家に百種類の
「味」があるのがいい。ヤンママもふるかぶママも、味噌と梅を味方にすると「おふくろの味」を築きあげる。

昨日は「早朝蕎麦打ち」を翔くんがやった。ギタリストで、3度ばかりうちでもライブ
をやってくれた。近所の「ブンカン」で、毎月2回「赤須バー」なるイベントをやっている。
それが松本のバーにも飛び火したらしく、昨日打ったそばは今晩松本のバーで食されることになる。
彼は伊那谷出身。近くの「旧邸」というシャアハウスに住んでいたとき、「東京の別荘」
という詩をぼくが書いて、彼が作曲した。いろいろなライブ会場で歌っているらしい。
♪伊那谷と東京との二股暮らし・・・・そんな詩・・・知らぬ間にこちらも、能登と東京の二股暮らしになった。

来週は「松休み」で九州の実家の松の手入れをして、その足で能登にいき、「梅仕事」をする。
途中で焼き鳥屋かどこかで、竹串をさす仕事でもしたら、まさに「松竹梅」だ。
田舎暮らしは「スローライフ」とかいわれているけど、目に見えないところで、いろいろな仕事が
いっぱいある。それが楽しい、と思えない人は、都会で生活したほうがいいと思う、くらいいろいろある。
「田舎も好き 都会も好き」という少し八方美人のいいとこどり、のようなスタンスでボチボチ歩み始めた感じ。
人生二度なし。

16日(月・祭) 大石 学 ソロ LIVE

演奏:大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

28日(土) もにじん花火大会 らいぶ

演奏:じんじん(ギター)・マツモニカ(ハーモニカ)

17時開場 17時半開演 ドレスコード:ゆかた・甚平 ¥3,000(蕎麦・珈琲 付き)

太陽の恵み

昨日は「夏至」だった。太陽の誕生日。
都会にいると、なんでも「お金」が最優先する。お米や魚や野菜を「お金」で買う。
「生きていくのは大変だ」というのも、お金を稼がないと、たつきがたたない、食えない意味のこという。
「おてんとうさまにもうしわけない」と昔の人はよくいった。よくよく考えてみると、
私たちが自分で働いて生きている、というのは大きな勘違い。野菜や果物、魚や動物・・・
私たちの命を紡いでくれているの、は、みなおてんとうさまの恵み。わたしたちは「生かされている」のだ。
お金で買えない大切なものがいっぱいある。夏至とは、そんなことを再認識する日。
畑を耕さない人を「不耕の人」と、ある哲学者のような方がいった。

先週、三重の久保さんちにいって、囲炉裏とか茶道具とか置き床とか掛花とかを
車に積んで能登にいった。
さっそく床の間に備前の掛花をかけ、家の前の小さな庭に自生していた薄を投げ入れた。
黄瀬戸の香炉は、たんぱんの緑が美しく、お香を焚くと、部屋中に凛とした空気が流れる。
座っているだけで、自然と「つながる」意識がはっきりとしてくる。

東京から持っていった鎌倉彫の飾り棚に、織部の抹茶茶碗をのせた。
久保さんが轆轤をひき、それに元東大寺の官長・清水公照さんが、揮毫したものだ。
置き床をその横においたら、そこが床の間になる。裏千家ゆかりの大徳寺の大綱宗彦の「梅の句」の軸
をそこに飾った。

お茶とかお花とか「道」がつくものは、形式が最優先されているようだけど、一番大切な
ものは「自然によりそい」ながら、自然体に調和されていく感覚を身に着ける、ことだと最近思う。
そこの「道」に具わっているから「道具」といい、料理の器と同じで「半分くらい」は、それによってきまる、
と思う。でもそこだけに固執すると「道具自慢」になったりするので見苦しいし、窮屈ではあるが・・。
あくまでこれも自然体がいい。

雨の能登を車で走っていたら、子供を抱いた母猿や、きつねやたぬきたちの小動物と出くわすことが茶飯だ。
(都会にも、人をだますきつねやたぬきはいっぱいいるし、ギャーギャーいってる猿も多い。とくに浅草とか
観光地に)
火曜日は「書の会」だった。この会にくる女性が「この作家、私の遠い親戚」だといって、以前一冊読んだ
(正確には、途中で挫折)した作家の本を、あだっちゃんがもってきてくれた。
「狐笛のかなた」(上橋菜穂子)。
都会にもいるけど、少し遠くになった里山の中に、こんな素晴らしいおとぎ話のようなきっと今でも
繰り広げられているに違いない、と思った。児童文学の賞をとられたみたいだけど、おとなにもこどもにもいい本。

自然や動物は、自分だけでなく、相手も生かし、自分も生きる、という知恵がある。
社会、というやっかいなものを作ってから、われわれは競争意識とかお金が優先し、
「おれがおれが」の世界で煩悶し、共に生きる、という「愛」を忘れてしまったのごとくだ。
こころのバランスを失いかけたら、やはり自然にふれることがいい。
能登と東京の「二股暮らし」を始めて、そんなことをつくづく思う今日このごろ。日々是好日。

今日は「ダメ中」。

梅林ガールズの募集終了

今年の梅仕事の募集が終わった。40人近い人が「梅干し」「梅味噌」「梅シロップ」「梅酒」
をつくりにくることに、あいなった。能登に「梅仕事」にいく女子たちも・・

先週「梅茶翁」にいくと、出番を待つ「梅」たちがたわわになっていた。梅雨をあびるごとに育つので梅雨という。
都会にいるとそんなこともつゆ知らずに、ぼーっと一生を過ごしていく人がほとんど。それはそれで
「知らぬが仏」かもなんばん。

今年も「梅林ガールズ」たちと、能登の「梅茶翁」に泊まり、梅をとる。そこでは夜が漆黒のように深く、
ふとんに入って寝ていても、外にたぬきとか小動物が歩く足音さへも感じる。人間も動物のはしくれだと
いうことがよくわかる。朝はスマホの目覚ましが鳴る前に、シジュウカラやヤマガラやジョウビタキたちが
起こしてくれる。起きるとすぐに、カフェ(週末のみ営業)のCDのスイッチ。
「The TIME、Now2018」を聴くのがならわしだ。

「梅茶翁」の三輪福さんと岡野浩幹さんのコラボで、「2018年春分からの一年の惑星たちの周波数と環境音
がちりばめられている。今回のCDは「梅茶翁」の梅林の横の小川のせせらぎ音も入っていて、東京で聴く
こともあるけど、音まで「地産地消」で、こころもからだも大地と一体になった気がする。
呼吸を静かにしていると、こころが波打たなくなり、これまでのすべてが、遠い遠い夢の世界のように思えてくる。

明後日は「夏至」。太陽が生まれた日、ともいわれる。この星のあちこちで太陽に感謝しながら、キャンドルを
灯したり、祈りをささげるようなイベントがあまたある。夏至の日の日の出(たぶん4時半くらい)の前は、
この地球という星全体に、α波が広がる、ということもわかってきた。つまり高僧や悟り人たちの「波動」
を感じられることができるらしい。これも知らぬが仏で、ほっとくのもけっこうだが、信じてみるのも、またけっこう。

今日は「書をしよう会」 寒山拾得(かんざんじゅっとく)の寒山は筆を持っている。文殊菩薩の化身だといわれる。
相方が拾得(じゅっとく)。普賢菩薩の化身。そんなことを知らない人は日本人ではない。と高橋義孝先生は
おっしゃった。その高橋先生が贔屓にしていた大塚の「江戸一」で、書の貞本先生と出会った。
今日は「寒山」の日。

明日は「おんなかっぽれ」 明日は実践、拾得の日。ぼくはひたすら「典座(てんぞ)の日」だ。

写ルンです!が若者に人気らしい。

最近、振り子がふれて「昔にもどる」ような現象がいろいろ見られる。
近所に住むアパレルのデザイナーの「おっさ」が「最近レコードにはまっている」とのこと。
最初はA面だけかけて、B面があることを知らず、友達に「半分しか曲がはいってない、損をした」
とぼやいた、とか。昨年若くて召された父親が残した陽水の「氷の世界」が一押しらしい。
日本で最初に百万枚が売れたアルバム。高校時代に陽水をよく聴いた。

骨董屋(古道具屋)に時々ダイヤル式の電話が並ぶ。レトロな風情にひかれ、
若い人に人気らしい。が、使い方がわからない。「指入れてまわすんだよ」というと、
一本の指をひとつの穴に入れ、ダイヤルではなくそのまま指だけ回したりするような珍事があちこちで
くりひろげれているらしい。桜田淳子の「クッククック・・青い鳥」みたいだ。

近くのオリンピックのカメラやさんで、時々フィルムを買い、超アナログのコンタックスの
カメラに入れて、能登の写真をとっている。先日はカウンターに並んでいた「移ルンです」が気になった。
酒屋のレジでワンカップ大関を見つけて「懐かしい」と思うように、「懐かしいけど、誰が買うの?」
と尋ねてみた。「若い人に人気なんです」とのこと。撮り終ったら、現像するのではなく、デジタルに変換(カメラやでやってくれる)
して、スマホにとりこみ、SNSなんかで配信する、のがトレンドだとか。さっそく今回の能登は「写ルンです」
をつれていった。樹木希林さんの「それなりに・・・」というCMが懐かしい。

ときどき陽水の「いつのまにか少女は」を聴いている。「少年時代」と双璧なくらい好きな曲。

♪いつのまにか青い空がのぞいてる思いつめた黒い雲は逃げてゆく君はどこで生まれた の、育ってきたの君は静かに音もたてずに大人になった・・ 白い膚が光 に触れまぶしそう髪の色は青い空に浮きたって燃える夏の太陽はそこまできてる君は …

君は季節がかわるみたいに おとなになあった・・・  

    「氷の世界」には入っていないけど、いいネ。男はいつまでも
子供のまま、だからこの歌をいくつになって聴いても、染みる。

これから「卵かけごはん」
明日は「書の会」
水曜日は「おんなかっぽれ」

幸せのポスティング

お店のポストには、毎日のようにポスティングがある。
自分も近くの友人たちに時々いろいろな「好き」をポスティングする。
昨日は「亀戸文化センター」でやる「歌声コンサート」のチラシ。
関係者らしい人がやっているので「がんばってください」とお返しすると、
「ありがとうございます」と微笑み返し。

画廊を始めた平成8年に、「南條観山展」のチラシを池袋の印刷屋さんに頼み、
2000枚を近くのマンションや家にポスティングした。
2週間の開催期間に、その効果は「ゼロ」やった。若い意気込みや期待とよこすべり、
まったく真逆の結果に打ちひしがれた。しかし、その後10年画廊をやったけど
看板を見てきた「いちげんさん」は4人だった。きっとギネスやと思う。
(でも実際は、いろいろな企画展やライブや寺子屋のようなことが始まったので、
年間500人以上は天真庵にきてた。それが今につながり、能登の美術館につながっていく)

お店を押上に開いて、11年間、毎週近くのおばあちゃんがポスティングをしてくれる。
時々お孫さんとチーズケーキを食べにこられる。「毎日お店におられるので、世間の情報がインプット
しにくくなると心配して」が理由で、地下鉄のフリーペーパーをポストに入れてくれる。奇特なばあちゃん。

最近その中で「なるほど」と思った記事が「ワンショット消費&ワンショット恋愛」。
「ガングロ」さんは、実際どこの駅にもいたし、ブクロにはいっぱいいた。
今は「メルカリ女子」なる族があまたいるらしく、その子らは「ワンショット消費」なる
キーワードで自分が着て見せる「服」を買い、買う時にはメルカリで売ることをちゃんと
マーケティングしているそうな。着ると同時に脱ぐ、なんとも忙しい呼吸やね。
服をシェアーする、という概念らいいが、同じ服をかぶらせず、見せる、という「見栄」
は、少し変態チックな露出症?と思えなくない。ま、それが時代の流れなんだろうが・・・
「伊達(だて)の薄着で風邪をひく」 見栄や伊達だけで生きていくと風邪(病気)になるよ、という諺。

シエアリングの影響は「恋愛」の世界にも波及しているらしく、「恋愛がめんどくさい」
というのが男女ともにもっているらしく、かといって「彼氏(彼女)がいない、というのもカッコ悪いので、
ワンショットでメンテもいらないし、知らぬ相手でも、ごはんして、エッチして、おわり」というのが定番らしい。

AIが「仕事」をうばいつつある昨今、恋愛もどうも「スマホ」なしではできない世の中になっているらしい。
どきどきしながら、10円玉をにぎりしめ近くの公衆電話から、女の子の家で電話しでてきたお母様に
「・・・・〇子さん、ご在宅でしょうか?」といい、どきどきしながら待っていたら、父親がでてきて
「〇子はおらん。きさん(おまえ)何考えてんや」といわれ、ガチャンと切られながらも、次の一手を考える・・
そんな恋愛は化石時代のように遠い?
♪君はおぼえているかしら あの白いポスト・・  ブランコか

恰好や見栄を気にする結果、おなじような価値観で、おなじような人生を歩む・・・
これから「AIにはできないことをする」ことを考えないと仕事にならないし、
ほかの人にではできない唯一無二な「なにか」を身につけないと、生きていくのがむずかしい時代。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「そば打ち」
二階は「お仕覆」 いろいろな「好き」を古布をつかって「包み込む」。日本人が
大切にしてきた@こころを勉強する。

からあげを、佃煮にする

昨日は朝から、寿司屋のように魚をさばいたり、煮たりからあげにしたりした。
金曜日は休み明けなので、普段より「そば」と「焙煎」とか、時間に追われる日。
でもコールマンのクーラーボックスには、あじとこのしろと、ハチメの小魚(からあげ)たちが
ぎっしりつまっている。せっかく能登から上京してきたのだから、浅草くらいつれて
いきたいところだが、歳月人を待たず、時間との勝負になる。

朝から「からあげ」をからあげにするのは、なんとなく違う感じがしたので、
甘汁に酒を加えて、「佃煮」にした。あじは「開き」にして干す。
いつも留守中に、大家さんに留守番を頼むので、6尾をおろして、さしみにした。
このしろは、すしやの仕込み同様、塩で〆て、酢洗いをした後、ひたひたの酢につける。
その塩梅がすしやの技。九州でも能登でも、ほかにうまい魚がいっぱいあるので、あまり食べないけど、
江戸前の鮨職人は、その雑魚をスターにした。鮨のために生まれてきたような魚だ。

金曜日はお茶の先輩が自宅から季節の花をもってきてくれる。今は半夏生(はんげしょう)が
おしろいのように、半分化粧をしているような風情で咲く。その様子から、そんな名前がついたのだろう。
「田舎ものの厚化粧」というけど、やはり化粧は、ほどほどかすっぴんがいい。

先輩はいつも文膳(そばやの昼酒セット)「からあげのつくだに」が気にいられて、
普段より一本多く飲まれた。帰りにお返しに「このしろ」を。
こんな「原始的なぶつぶつ交換」が、これからの時代には、いいね。

こども連れのおかあさんが「潮干狩りにいってきた」といって、お裾分けに・・・
アイスクリンを食べる子供の前に「からあげのてんぷら」を、久保さんの志野の
小鉢にいれだすと、「うまい!」と叫ぶ。ぶつぶつ交換に魚をおすそわけして
「こんばんは、かあちゃんに一本つけてもらいな」というと、かあちゃんの背中が
笑っていた。海にいくと切り身の魚がいる、なんていうような子供を育ててはいけない。
この国は、山が豊かで、そのおかげで海の魚がおいしい、のだ。
小さい子供は、魚釣りを教えたほうがいい。釣りがうまくなると、「おか釣り」も
名人になり、引きこもりや生涯童貞なんていうことはなくなるに違いない。

茨木で無農薬の「大豆」のトラストをやっている友人が「おすそわけ」
といって、青大豆でつくった豆腐をもってこられた。またまた原始的ぶつぶつ交換が・・

こんな不思議なことが、天真庵では日常茶飯事。ずっと東京にいると、「優先順序」
がきまっていて、「お金になること」に縛られるけど、田舎と往復するようになって、
「自然とふれあうリズム」と「今しなくてはいけないこと」のバランスがようくなってきた
ように思う。今月は希望者には「能登で梅仕事」も募集している。
「ロハス」とか「スローライフ」とかいう、都会で見る妄想のような夢と、現実は、
その人の感じ方によって、「こんなもんだ」というレベルが、雲泥の開きがあると
思う。でもその「それぞれ」が人生になっていく。

夕方残りの「からあげ」を、本家どりよろしく「からあげ」にしていたら、友達がきた。昨年はいっしょに能登で梅仕事をした。
「ほぼぶらじる」を所望されたので、久保さんの白いコーヒーカップに入れて供す。小鉢に「からあげ」。
彼は障害者を一般社会にふれさすような団体の理事もやっていて、「田植えをしている障害者(
実に、この世は障害者だらけ。自分もかなりクレイジーな障害者だし、まじめな顔してテレビやラジオや
新聞にでているような人も、神の目線からいうと障害者だと思う。ゆえに、みんな仲間であり家族なんちゃう)の
写真を見せてくれた。自然の中に溶け込んだ笑顔がすばらしい。
珈琲が残っているのに、「お酒ちょうだい」となって、ふたりで障害者の話、田んぼの話などをした。

昨日思ったのだが、都会で準備できる「田舎暮らし」に、一番が「蕎麦打ち」。
その次が「魚を自分でさばく」がくるのではなかろうか?
すると、おか・・はともかく、釣りにも興味がわいてきたり、料理にも触手がのびる・・・
少し包丁なんかに「こだわり」ができると、包丁の刃と男(女も)も磨かれてくるかもなんばん。

今日は「満つまめの会」 都会も田舎も関係なく「健康」が一番。

出世しない魚

昨日まで能登で暮らした。というより、まだまだ掃除掃除掃除・・
正確にいうと、最初の日は東名を久しぶりに走り、
三重の菰野町の久保さんちにいく。「寒山美術館」
には、久保さんの器、久保さんの器に南條先生の描いた寒山拾得の器
などが飾ってある。今回はある高僧(奇僧?)が久保さんとコラボしたお宝。
能登に連れて行く前に「鑑定団」にもっていけそうな器を車に積んで、
関ケ原経由でいく。

東京から能登まで車で約7時間半かかる。関越と北陸自動車でそんな感じ。
今回久保さんちから関ケ原経由で6時間くらい(途中で温泉入ったり・・寄り道するので正確ではないけど、高速はあまりつかわず)
でいける。久保さんちから名古屋が一時間。たぶん名古屋からだと5時間以内に能登にいくかもなんばん。
能登の温泉にいくと、休憩所では「北国新聞」か「中日新聞」がおいてある。それだけ関係も深いんやろね。

今回も梅茶翁に、梅林の下見と、蕎麦打ちを教えにいく。今年は雨が少ないけど、梅は大きく育っている。
梅林ガールズの出番の季節だ。いくと、しんごちゃんが味をさばいていた。30尾くらい上手に背開きをしている。
「すしにする?」と聞くと「フライですよ」といってニッコリ・・?
彼は東京の八広から能登に移り住んで2年。朝2時に起床し、船にのり漁師をやっている(定置網)。
帰ってくると仮眠をし、午後は畑で無農薬の野菜をつくり、土日はカフェとして、ホボブラジルや
体にやさしいものを供している。油の準備をするらしく、残りの30をバトンいや包丁タッチでさばく。
夕食の4人ぶんをのぞいて、残りはパン粉をつけたまま冷凍保存。

ちょうど、頭の中に♪タコ タコ タコの足よろしく、「能登の新名物」と思いながら、梅林で
実験をしようと思っていたものがある。ガレットにタコを入れ、たこ焼き風のガレットをつくる。
「たこがれ」。「あこがれの彼とたこがれ」・・・・ちょっとロマンチックやろ。
天真庵も2007年のオープンの時、「ガレット」をメニューにのせたら、男子の9割、
女子の7割が「ガレットで何?」という感じだった。「青山あたりでは、彼とガレットがトレンディーですよ」
といってもみんな「?」な感じだった。

でも今回の「たこがれ」はうまい。オタフクソースとマヨネーズをつけて食べると、
つい大阪弁になって「おばちゃん、ビールちょうだい」って感じになる。

昨日は帰り際にお魚をいっぱいもらう。このしろ(こはだ)に味と小魚。
この小魚は?と質問すると「からあげ」だという。
「めざし」というけど、そんな魚がないと同じ種類かと思い。。「からあげにすると美味い魚?」
と再質問すると「能登ではこれをカラアゲというんです」とのこと。「食べ方は?」と尋ねると
「それもカラアゲです」という。
全国津々浦々で魚の呼び方が出世する段階とかでも、いろいろある。
九州で生まれ育ち、途中は京都に住み、それから東京に住み、仕事や遊びでいろいろ旅するのが病気みたいな生活を
しているので、頭の中がチャンポンになってけど、全国的に「めばる」という魚を能登では「ハチメ」という。
それの小魚を漁師さんが「カラアゲ」というのだそうな。今朝は朝そばを打った後、魚を大急ぎで調理中。
そばやの朝はなんやかんやで忙しい。感謝。

のとでくらす、ような美術館

明日からまた能登にいく。
寒山拾得美術館もだいぶできてきた。
名刺にも書いたけど、「のとの里山で暮らす ような美術館」に
したいと思っている。肩肘張らず、里山里海の空気を吸いながら、
小鳥の声や田圃の香りを楽しみながら歩いてきてほしい。

国とか県とか公のものか、功なし名を遂げ、たような人たちが昔から美術館をつくってきた。
「その日暮らしのものが、身の丈にあった目線で、その日暮らしのような素朴な美術館が
あってもいいのではないか?」と神の啓示があり(あったかな?)能登に作り始めた。
あまさんが裸のままきたり、野良仕事の恰好で鍬もってきたり、普段着のまま遊びにきてほしい。

「寒山拾得(かんざんじゅっとく)美術館」
少しおおげさな名前であるけど、公のものや、財閥系の美術館に「冠」くらいは負けない
ものを、というおもいと、「日本人がほんとうに大切にしてきたもの」が、その中にいっぱい
つまっているので、その名前を採用した。
1996年に「画廊天真」なる看板を池袋の「お化け屋敷」みたいな家の門柱に掲げた
時から「寒山美術館」は始まったようなものだ。南條先生の寒山拾得、白井晟一さんの書、長崎剛志
くんの版画が飾られ、久保忠廣さんの器で、珈琲やお茶やお酒を酌み交わし、蕎麦を手繰る
空間である。「原点回帰」ではないけど、先週からお店の看板を、20年前の「画廊天真」に
もどしてみた。ずっとやってきたことは、ひとつごと。

天真庵の階段のところに、月を見上げる寒山拾得の絵がある。昔から絵描きは、
月を取る(運気を高める)縁起でそんな構図の絵を描いた。
その短冊は最初の個展の時に、書いてもらってその当時の「店主室」に飾っていたもの。
画廊を始めたころは、IT企業の社長連中と普通の主婦の方たちが「寒山拾得の絵」を
よく買ってくれた。ITの人たちは、ぼくがその会社に遊びにいき、社長室などに通され、
話をしていくうちに、なかば半強制的?に嫁がせたものが多い。2社だけ倒産の憂き目にあった
ところはあるが、残りの30社くらいは、今でも存続している。「運気」があがったのかもしれない?
社長になるにはふさわしくない人もいるし、倒産することも悪いことではない。
夫婦だってあわない人は、はやめに離婚することは悪いことではない。どうしても、この人間関係が
いやや、と思ったら、辞表をだしてもいい。あまりクヨクヨせんこっちゃ。「なんとかなる」

社長連中は「領収書」を切って絵を買う。主婦は「自腹を切って絵を買う。後者のほうが、100倍
素晴らしい、ことを体感させてもらう。「絵」とか美術品や「普段の飲み喰いの」は、自分のこころの
こやしにしようと思ったら、「自腹」に限る。今、青山でやっている「原爆堂」の白井晟一さんの遺言
みたいな言葉でもある。松涛美術館を設計した人。

これから「卵かけごはん」
最近は味噌汁に能登の海藻などが浮かんだりする。もうすぐ「能登そばUFO」もでる。
能登の梅と、海藻をのせた「冷やかけそば」

昨日の夜、「菌活」(味噌作りの会)に来る人たちに、「梅仕事」のメールを配信した。
味噌作りは自分でやっているけど、梅仕事をしたい、とかいう人は、お店にきてそんな話を
してくれると、「梅林ガールス」の仲間になれる、と思う。
顔がわからない人とメールだけでやりとりは、苦手なので、そうしてほしい。
写真をお店でとらせない、とか、一時間たったら追加オーダー、とか、お店で携帯やpcの使用を禁止
・・とか今風とは反対のうるさいお店ではあるけど、そんなところがいい、という少数派にささえられて
、なんとかここまできて、のとまでいく、そんな「今日このごろ」。能登の案内には住所ものせていない。
かわった美術館。感謝。