火曜日が「書をしよう会」で、昨日が「おんなかっぽれ」やった。
どうやら雨季、梅雨になりそうだ。
これまであまり歓迎していなかったけど、梅雨の雨にうたれるたびに「梅」
の実は大きくなる。うっとうしい、ばかりでなく、恵の雨でもある。
いよいよ「梅林ガールズ」たちの旬でもある。実りの梅雨。
書の会の時、カウンターのところに「禅語」の本を置いてあったのを、いずみさんが
「貸してください」というので貸すと、「晴好雨奇」と揮毫した横にかえるが蓮の葉を
傘にしている絵が気に入られ、それに挑戦。なかなかおもしろい作品ができた。
カメラマン、絵描きも参加され、多士済々の文人墨客の会だった。
こういう人たちが集まる場を「サロン」というのだろう。能登もそうしたい。
「晴好雨奇」(せいこううき)
晴れた日もいいけど、雨の日はまた山紫水明の景色に趣がます。昨年の雨の日
は大石学さんの「雨の・・」アルバムを毎日聴いていた。雨の日の寂寥感は
いいようもなく寂しい。でもその一滴の中に閉じ込こめられた感は、なかなか風流でもある。
晴れてよし 曇りてよし 富士の山 というのもある。泰然自若そのもの。
梅は雨のたびに大きくなるんよ おんなの人は涙を流すごとに 美しくなるんよ
南條先生が伊予弁で、そげな話をようしとったんを、思い出した。
今日で大好きな五月が終わる。終わりはまた始まりで、まあるい一滴の季節。
今朝は庭の矢羽すすきと棕櫚竹を渡辺愛子作の信楽の花器に植え替え、お店にもってきた。
昨日の雨をたっぷり含んだ土をスコップで掘り起こし、花器に入れる瞬間に「土の香り」
がする。「生きてる」の匂いだ。矢羽すすき棕櫚竹もも元気に東京の土に根をはり、根粒から
恵をいっぱい教授する。粒々皆辛苦の旅。ひとつぶひとつぶ 一滴一滴がたまって人生の妙味が
わかってくる。お茶とかお花とかの「道」には、このあたりの風流の「かけら」がいっぱいころがっている。感謝。