語りつくせど・・・
の続編があった。
昨日の朝買い物から帰ってくると、カウンターに成川氏が座っていた。
昨日のライブの興奮と、語り残した「何か」がありそうな感じだった。
巫女(みこ)の話になった。女時(めどき)が長く続いているけど、
「女性はみな巫女である」という。卑弥呼も巫女やし、昔から神の声を
伝える役目は女性がはたしてきた。男はそんな女性たちが、感性を研ぎ澄まし、
楽しく暮らすための「下働き」に徹していた。
縄文土器も、女性たちが狩りにいった男たちの無事と収穫の祈りのための祭器である。
最近、その聖域を少しうろつく男性がいる。みな中性のような男子たちらしい・・?
卑弥呼に感応し、「巫女ちゃけんを見ましたか?」と質問した。また昨日のように
目を丸くして「見ます」といった。ぼくの実家のある近くの宮地嶽神社が舞台になっとるんバイ、
と答えたら、「宗像大社の近くの寺でも昨年に続き、今年も奉納のライブをします」
とのこと。「鎮国寺でやるのですか?」と質問すると、「え、知ってるの鎮国寺・・・」と目を丸くして
ビックリされた。
鎮国寺は野村家の菩提寺みたいなお寺。
くうかい、喰う会ではなく、空海。弘法大使でもある。
彼が遣唐使として中国に仏教の修行にいくとき、海が荒れた。それを宗像大社の神様が鎮めてくれ、
そのお礼参りにいった時に、霊的な導きがあって、大社の近くの山の中に「鎮国寺」を建立した。
あまり参拝する人は少ないけど、のちに高野山にもつくるように「奥の院」があり、そこまでの
道はこの世とは思えないほど、霊気に満ちた空気が漂っている。霊験(れいげん)あらたか、とかい
う雰囲気が「!」と体で実感できる場。
昭和54年に本堂の改修をやった。ちょうどぼくが京都にいたころで仕送りも大変だったと思うが、
父が30万を寄付し、名前を刻んだ石がお寺の入り口に建っている。
今年の3月に鎮国寺からみの「空海」のイベントに、里地帰(さとちき)という天真庵で
初年度に二胡のライブをやってくれたこが二胡を演奏し、うちの母や妹が見にいった。
それに続いて成川さんの奉納演奏。「すしを喰うかい」だけをやっている場合じゃない。
8月19日。(参加者はこの指とまれ!)
これから「卵かけごはん」夜は「順受の会」
明日は「書の会」 空海は筆を選ばず。寒山もそうだった。そういえば「筆おろし」
をしてくれるのも大半が女子だ。みんな巫女ちゃけん・・
天恩感謝の日々。