長屋でエロスの会

昨日は、長屋で女史会だった。
歴史というものは、その時の権力者におもねりながら「ねつ造」
に近い感じで残っていくのが常だし、だいたいが男の目線で残され、伝わってきたものが多い。
この「長屋・・・」は女性にスポットをあてて、コペルニクス的な転回ですすんでいるのが実に楽しい。

といっても、もっぱら厨房で、典座(てんぞ)の拾得(じゅっとく)よろしく、講義の後の「蕎麦会」
の準備をしながら、BGMのように聞いているだけなんだけど、途中で包丁をもつ手がとまるくらい、おもしろい。

一年以上も「本能寺の変」をやっているのも変だけど、この何か月は「男色」についての話だった。
お寺や戦国時代の戦場は女性がいないので、男は男を求める、のがならわしだった。
プラトニックという言葉も、男女の情ではなく、男と男の話だし、佐賀の「葉隠れ」という
勇ましい哲学の中でも、男と男の話が多いらしい。世阿弥の哲「時分の花」というのそうらしい。
個人的には「秘すれば花」や「不失花」(うせざるはな)は、男と女の話であったほうがいい、と思うが・・
「風姿花伝」をもう一度ひも解くことにしようか・・

最後にエロス。「男と男」「女と女」「男と女」がそれぞれひとつの球体になっているらしい。
人が誕生する時、球体がふたつにわかれて、そのかたわれを探す旅が「エロス」の本来の意味らしい。
ロマンティックではあるし、想像するだけで、なんとなくウキウキする。そんな不思議な勉強会。

先生は金沢にしばらく住んでおられたので、蕎麦会の時は「金沢」をつまみにすることが多い。
加賀の加と能登の能からとった「加能がに」というのが美味いという話がでた。

能登で準備中の「寒山拾得美術館」の近くに「加能作次郎文学碑」があり、彼の代表作の「父の生涯」
の一節が刻まれている。

人は誰でも その生涯の中に
一度位自分で 自分を幸福に
思う時期を持つ ものである

人生という旅の途中に、みんなそれぞれ、泣いたり笑ったりしながら幸福を感じる時期を持つ。旅は哲。

木曜日は「珈琲塾」 二階は「満つまめの会」