あかりちゃんにかがり火がともる

天真庵のHPの「あかりちゃん」をクリックすると、能登の家の床の間がでてくる。
先月掃除にいって、南條先生の寒山拾得の軸をかけた。まだその家の電気はきていないので
自然光の中で飾ってみた。そして、久保さんの黄瀬戸の香炉に香を焚き、空気を浄化し、
その家にかかわりのある人たちに感謝し、継ぎ住む気持ちを伝え、しばらく瞑想した。

「ここを美術館にしなさい」という天の声が聞こえた。
寒山(かんざん)は、巖の洞窟に住み、ぼろをまとい、時々腹が空いたらお寺にいき、托鉢よろしく
拾得(しゅうとく)という天座(てんぞ・寺のまかない)に残った飯をもらい、ふたりで飄々と遊んで
いた。寒山は詩を詠んだので、筆をもったモチーフで文殊菩薩の化身といわれる。拾得は箒をもった姿で
描かれ、普賢菩薩の化身といわれている。寒山拾得を知らない日本人は日本人じゃない、と、故高橋義孝先生は
いった。蘇州夜曲の♪鐘はなります 寒山寺・・・・も「寒山拾得」の世界で日本人のこころふるさと。

桜はそろそろ散り始めた。散る桜 咲いてる桜も 散る桜・・・・これは桜ではなく紅葉だったっけ?ねつぞう、や。
どっちにしても、「今」が大切だ、ということ。
庭のシャガが花をつけた。昨年のクリスマスに58歳で昇華した華道家・武内由紀子さんの家にあったものを、
ここの庭に植えたものだ。美人薄命を花にしたような人だった。能登の天真庵のオープニングには、床の間に
花を生けるのを楽しみにされていたのに残念だ。でも、たくさんの人に花を教えられ、まさに下化修生だ。

しゃがは、花によくつかう。「釈迦」をついつい連想するような言霊。お釈迦さまの教えの根本は、
「上求菩薩 下化衆生」(じょうぐぼたい げけしゅじょう) 道は死ぬまで精進して求め、人にはその教えをやさしく伝える、
そんな意味かな。いい言葉だ。お釈迦さまの言葉は、悩める人の暗い心にあかりを灯した。
寒山拾得の美術館に縁あり訪れる人たちの「あかりちゃん」みたいな美術館を目指したいものだ。

本日が「英語でそば会」
木曜日が「おとこかっぽれ」
金曜日は「ダメ中」ダメから始める中国語。