風薫る五月

今日で4月が終わり、明日から風薫る5月。
世間はゴールデンウィーク。お店をやる前は、ゴールデンウィークは
車で東北をよく旅した。カメラを趣味にしているころで、奥入瀬渓谷や白神山地なでを
撮りにでかけたものだ。今回能登に生活の軸足をシフトしようと準備しているけど、
美術品と自分で撮った写真がぼくの荷物の大半をしめていて、ほとんどが能登へ
先にいった、そんな気分。カメラもいっぱい持っていたけど、コンタックスのカメラ一台のみ
でみんな処分した。手動で一番むずかしいカメラで能登をいろいろ撮影している。

明日から5月。目に青葉 山ホトトギス 初ガツオ。
ホトトギズにもカツオにも興味はないけど、新芽が芽吹き、さわやかな風が薫るこの五月は大好きだ。
昨日は、庭に自生(千葉のそばやにわけてもらった)している茗荷の新芽を冷ややっこにして、酒の
つまみにした。そばの薬味にもいい。開いている葉っぱは固い。葉が茎にまいてあるもの(これは包茎やね)
を、切れる包丁でみじん切りにする。うそだと思ったら、お店の前のプランターにいっぱいあるので、
勝手に抜いていって試してごらんなさい。茗荷の香りを風が運んでくれるに違いない。
蕎麦もそうだけど、つるりとやって、鼻腔に蕎麦の香りがするのがいい。

これから卵かけごはん。気のはやいお客さんが開店前にきた気配。これにてごめん。
このゴールデン・・も、水木以外は営業。木曜日は「おとこかっぽれ」

カメば噛むほどおもしろい亀楽

昨日は亀楽のライブだった。
亀有で継承されているねつぞう伝統芸?
いきなり紙切りで、「天真庵亀楽」という紙ののれんを
かけながらリハーサル。

途中の休憩に「亀おみくじ」が用意されている。
私がひいたのは「石亀」。つまずいた後に運が開ける、と書いてあった。
昨日は数時間しか寝れなくて、今朝は少し眠かったけど、朝からいいことがあって元気だ。

休憩時間の最後に、古式ゆかしき「亀楽」の神事?珍事?
有田焼の蓋つきの茶碗に、ワラズボを入れ、熱い酒をかけ、蓋をする。
部屋のあかりをけして、マッチの火を近づけ、ヒレ酒よろしく、青いぼーという炎を
みながら、祝詞?のような歌を
♪わらずぼ わらすぼ  ワケノシンノス くやしがる・・
ワラスボもワケノシンノスも有明海の珍味だけど、福岡出身ながら、こんな儀式は初体験。

亀戸の古刹の住職たちもきてくれて、霊妙なライブ?が抱腹絶倒の連続でおわる。
亀戸のユルキャラ・シャカメくんも初めて知る。「西能登あかり」ちゃんに負けないくらい、かわいい亀さん。
いつもなら、打ち上げで酒を組みかわすところだが、彼らはそれから「深夜ライブ」
ということで、夜の首都高をドライブしながら西荻窪のライブハウスに向かって出発。

今日は日曜日なので、16時閉店。

今日は楽しいライブ。16時閉店です。

今日は「ソボブキ龜樂のライブがあるので16時閉店。

言葉で説明するのは大変難しいけど、ねつぞう亀楽4代目と称する西尾賢ワールドは、
花街でお座敷遊びをしたことない人たちも巻き込み、不思議な宴会芸のるつぼに
まきこまれるような感じかな。

この界隈も、亀戸・向島・浅草・玉ノ井・・・三味の音がなり、芸者や幇間たちが
腕を競った花街の地縛霊みたいなものが逍遥している土地である。

キャバクラやガールズバーでなく、またそんな花街が復活したら、低級官僚や低俗政治家や
変態芸能人たちのニュースが半減するのではなかろうか。
もっともそうなると、テレビや週刊誌のネタがなくなり、なりたちにくい商売もある。
なかなか世の中うまくいかないものだ。

28日(土) 「ソボブキ龜樂」

西尾賢(ピアノ/三味線など)・藤ノ木みか(歌/打楽器)・豆奴(おまけ)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

あごが落ちるくらいうまい

ので、アゴというらしい。
火曜日に、書の会もメンバーが、「島原に遊びにいったのでお土産・・」
といって焼きあごをもってきてくれた。トビウオのことで、九州ではこれをうどん
をはじめ、いろいろな料理に使う。

熱燗が好きだったあだっちゃんのおかあさんを忍ぶ、という意味もふくめ、
熱燗を少しあつめにして、久保さんの黄瀬戸の片口に入れ、みんなで飲んだ。
ふぐのひれ酒とイワナの骨酒を彷彿させるような不思議な酒になる。
♪お酒はぬるめの燗がいい つまみはあぶったイカでいい・・・
同じく九州のイカの一夜干しをつまみに、おおいに飲んだ。
天国から遊びにこられたのではなかろうか?というくらい盛り上がった。

次の日は「おんなかっぽれ」。メンバーのこうこちゃんがベネズエラに
移住するので、送別会をかねて飲んだ。
シュワシュワワインとワインに、あご酒・・・チャンポンはきく!
メンバーで三味線を7やっているのが、三味線を奏でてくれた。
着物美人に三味線美人、日本の女性の美は奥が深い。
お座敷遊びをしているような惜別の宴だった。
イカの塩辛とポテトサラダの組み合わせが美味い、ことを知る。
塩辛好きな人はぜひお試しあれ。

明日は、お座敷遊びのようなライブ。
28日(土) 「ソボブキ龜樂」(すでに満席ゴメン)

西尾賢(ピアノ/三味線など)・藤ノ木みか(歌/打楽器)・豆奴(おまけ)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

合鹿碗

能登にいくと柳田の温泉によくいく。そこに合鹿(ごうろく)という村がありそこで
発見された、高台(こうだい・おわんの足)が高いたっぷりした漆の器を合鹿碗という。

先週は、和倉温泉の加賀屋にいった。正確にいうと、加賀屋の別館にある美術館を訪ねた。
そこに合鹿碗の名人、いや漆の革命児みたいな人・角偉三郎美術館ができた。(かく いさぶろう)
1940年輪島生まれ、天才ははやく旅立たれ、2005年、65歳で天国に召された。

たまたま金沢の華人の紹介で、2003年に赤坂の料理屋でお会いしたことがある。
仕事がらいろんな漆の器を見てきたけど、彼の作品は次元が違っていた。
「これ手みたいなんがついてますが、どうやってつけるんですか?」とヤボな質問をした。
「ぼくは、手に直接漆をつけて、仕事をしています」と涼しい顔で答えられた、のが
印象的で、それが最初で最後の邂逅だった。

今日は「書の会」
この会のメンバーで天真庵の名刺とかチラシをつくってくれているあだっちゃんの母堂様が
先週昇華された。天真庵のHPのあかりちゃんのところをクリックすると、今作って
もらっている「寒山拾得美術館」の名刺のデザインがのっている(もうちょっと変更する)

いい人は、あちらに早く呼ばれ、大事な仕事が待っているのかしらん。
母堂様は、ときどきぶらり旅よろしく天真庵のカウンターにちょこんと座り、独酌を楽しまれた。
「おでん、熱燗、昔の女」ではないけど、古い日記をひとりで読むように、自伝の恋物語などを
静かに語ったりする姿がかっこよかった。久保さんの備前の徳利がお気にいりで、
斑唐津のぐいのみで、いつも3合あけた。
昔の恋の話、男と女の話・・・誰でも語れることできるけど、一人称の「が」ではなく、
映画や小説を読んでいるみたいに話にひきずられる、そんな次元の話が酒席でさらっと
語れるようになるのは、「色道」の最終章あたりにあるような気がする。

毎日のように新聞やテレビをよごしている「低級官僚のセクハラ云々(でんでんではないよ、うんぬん)」
とは次元が違うよね。キャバクラやガールズバーにいって「ぼくちゃん低級官僚。へそから上も下も最低・・ボリボリ」
いうような輩ばっかりやね、永田町も霞が関も。。
向島の芸者さんに教えてもらった都都逸がある。
♪かたく握った手と手の中に 今度あう日が書いてある
いいね。情報と交換にさわらせろ・・・その手で自分の頬をなぐりなさい。

明日は「おんなかっぽれ」
こうこちゃんがベネズエラに移住するので、明日は送別会。
生まれてくるのも奇跡だし、生きていくのも奇跡。そして死んでいくのもまた奇跡やね。

たまかけごはん タケノコごはん

今日は月曜日なのでこれから「卵かけごはん」
味噌汁の実は、能登のおばあちゃんが掘ったタケノコ、わかめ、あぶらげ・・

若竹煮をつくった翌日は、そのあまりで「タケノコごはん」をつくる。
タケノコを小さく刻み、わかめも刻み、味を少し整えて(煮物は最初は薄味にして、ジョジョに
整えていくのがよろし)、おあげがあれば、なおよろし。
そんなことを考えていたら、近所に住む常連さまがおあげのおすそわけをくれた。
よくいろいろなものをいただく。ぼくのアドレスがjyuttokuだからかもなんばん?
あぶらあげのうまい店が近くにあるのは、幸せなことだ。おいしいあぶらあげをもって
きてくれる人が近くにいるのも、幸せなことだ。

「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)の拾得は、お寺の豊干禅師に拾われて、「典座」(てんぞ)
になった。典座とは、お寺の「まかない」をやる人で、雲水よりも位が高い。
典座教訓・・曹洞宗の初祖道元さんが残した本がある。畑にあるものを忖度(いまはやりの・そんたく)
してこころをこめた料理をつくる。人間の根源的なよろこび(好喜の底・こうきのてい・・そんな禅語を思い出した。)

京都の長岡に「天真庵」があった時代がある。南條先生の姪っ子さんが嫁いだ家で、長岡天神の
すぐ近くにあった。そこの主人は京野菜のめききで、こつこつ八百屋をやりながら、その地に
「小さな美術館」みたいな素敵な空間をつくった。今回、能登に美術館をつくることになり、
HPの「寒山拾得」の世界の写真をあらためて見直すと、まだ40だったころの自分やスタッフ、
画家の生井さんの尺八、ボクサーの岩本さん、そして京都の天真庵(正確には、画廊天真)
の主人たちがのっていて懐かしかった。

その京都の主人は、毎春に東京でやっていた「南條観山展」に、朝堀の筍を新幹線で
土産にもってきてくれた。来ると、「挨拶はさておき、鍋に湯をわかしてくれへん」というのが口癖。
ちゃんと筍を地面に植わったままの直立不動の向きにかかえ、もってくるのだ。すごくささいで
当たり前のことだけど、彼はそうゆうことを大切にし、野菜に愛情をもちながら、生きてきた。
たけのこごはんに「あぶらあげ」を入れるのも、京都風だといって教えてくれた。
そんなことを思い出した。人にはいろいろな「歴のひきだし」がある。
ながいこと生きていると、風化していくものも多くなるが、年をとって「気づく」こともいっぱいある。
そんなことがひろいあげられる瞬間も、「拾得」になった気分。

今日の夜は「順受の会」・・23年続いている論語の会。
明日は「書の会」
水曜日が「おんなかっぽれ」

夏も近づく・・・

今日も30度近くなるらしい。
こないだまで、炭火を起こす・・・から一日が始まって
いたけど、今は、窓を開け、麦茶を沸かす・・・にかわる。

今日は「満つまめの会」があり、営業は16時まで。
それから「蕎麦打ち大学」。
昨日は、開店する前からバタバタで、2時ころにほぼそばが売り切れだった。
今日も元気に蕎麦を打ったけど、もうひと玉打つとしよう。

明日は「卵かけごはん」夜は「順受の会」
明後日が「書の会」

5月のスケジュール 染もん展

「京の染色工芸」 河野染色工芸スタジオの仕事

18(金)15~19時、19(土)・20(日)13~19時

26日(金)ギターライブ

演奏者:成川正憲(ギター)

19時開場 19時半開演

いかんともしがたい?

さざえをさしみにしようと思ったら、あの殻を生でとらないといけない。
ある程度大きくなったものなら、すぐに取り出すことができるけど、出始め
のさざえさんをさしみにするのは、けっこう大変なことだと、指が痛感。
いかんともしがたいものがある。

いかを塩辛にする。これがいかんとも・・・というわかにはいかない。
東京で使うイカは冷凍ものが多い。朝どれのイカとふぐといわしを梅茶翁のしんごちゃんが
土産にもたせてくれた。わたもそのまま食べてもうまい。能登ではそうするらしい。
昨日はそれに、塩を少しまぶし、ゲソなどをぶつぎりにして、出来上がり・・・
味噌と酒を入れると、別次元の「塩辛」ができる。

昨日の昼、ワイン好きの友達が昼酒を飲みにきた。ワインと塩辛が大好きなんだが、
それでは組み合わせが悪い。昨日は塩辛をつまみに能登の地酒を2杯飲んでいかれた。
ふぐの白子をさっと湯通しして、ポン酢でだした。「死んでもいいなら食べて」
といってだした。一本目が終わるころ、ニコリと笑って食べられた。こうゆう勇気ある人
のおかげ?でいろんなものが食べれるようになった。

いわしは、手さばきをする。東京の居酒屋なんかでは、しょうがなど薬味を使うことが多い。
能登のそれは、そのまま、おろして醤油で食べる。そのまま、が、高次元。
梅茶翁の梅林の梅で梅林ガールズ仕事でできた梅干しといわしで「梅煮」。
10匹つくったけど、すぐに寒梅、いや完売・・・性格には、常連さんにくばった。

お金を使わずにそろった材料で、いろいろつくってみた。
「ほんとうのゆたかさ」が、このあたりにありそうな気がしてきた。  天のめぐみに感謝。

能登の「梅茶翁」は土日営業。有名なジェラート屋(能登町)を目指して遊びにいくといいよ。

究極の若竹煮

3日間能登で暮らした。
絵や陶器などは、あらかた引っ越しができた。
「美術館」としては、必要なものが揃った感じ。
近所の家に江戸のお菓子をもって挨拶にいった。

最初の家のおばあちゃんが、「こんな田舎やけ 何にもないよ」
といって、今朝取りのワカメとさざえを10個くれた。
いきなり豪華な原始的なぶつぶつ交換。無一物、すなわち無尽蔵。

次にいったおうちのおばあちゃんは野良仕事の恰好ででてきて、
「さっき山で掘ってきた。なんにもないけど・・・」
といってタケノコをくれた。今晩のおかずが「さざえのさしみ、わかたけ煮、わかめのサラダ・・・」
いきなり地産地消の贅沢な夕食になった。浦島太郎にでもなった気持ち。
住んでいる場所の近くの小高い場所にあがり、そこから見える場所のものを食べる。何の不足もない。
縄文のころから、日本人はそんな生活をし、そこにいる神様たちに感謝しながら生きてきた。

次の日、能登富士といわれる高爪山が青い空を借景にいい具合で目の前にあった。
前田利家ゆかりの神社・高爪神社が近所にある。その昔は、北前船もこの山を目印に航海した歴史
もあり、海や山のあまたの神がおられるような神社だ。

石段をコツコツ歩いてお社にいき、帰ろうとしたら、下からゆっくりとのぼってくる仙人みたいな老人
とすれ違った。「おはようございます」と挨拶したら、「どちらから・・?」と聞くので
「東京です」と答えた。「F宮司さんはそこにいますよ」いってほほ笑んだ。
びっくりした。東京から初めてきた人に、自然に「F宮司・・・」
実は、ぼくの親しい友人の親友がFさん。お参りした後に、挨拶にいく予定だったのだ。
この神社は昔は「鷹爪神社」と呼ばれていた。仙人たちが鷹にのっていききしていた神域でもある。
そのうちぼくも鷹かUFOにのって、能登上空を散策してみよう。

今日は「満つまめの会」

達磨さん にらめっこしましょ

月曜の朝は「卵かけごはん」

二階に「初祖達磨大師」という軸がかかっている。
黄檗山の二代目住持「木庵」の書。黄檗三筆のひとり。
黄檗も曹洞宗・臨済宗と同じく「禅宗」で、達磨さんが教祖にあたる。

その達磨を梁の武帝が、寺などを用意して、手厚くお招きしたときの会話がおもしろい。
武帝「寺をつくり、経典を用意し、あらゆる努力をしている。どんな功徳があるだろうか?」
達磨「そんなものなにもない」<無功徳>
武帝「いったい仏教の第一義はどのあたりにあるのだ?」
達磨「そんなもん 知らへん」<不識>
びっくりした武帝は
「いったいお前さんは誰だ」と問うと
達磨は忽然と「不識」と答えた。   

いきなり達磨さんの教義に入ると、一般の人にわかりにくいので、「ぼちぼちこのあたりから」
といった配慮からか、こんな禅問答あたりが、禅の入り口に用意されているようだ。

ぼくが蕎麦の修行をした場所も、広島の山奥にあった「達磨」さんだった。
蕎麦の神様と呼ばれる「高橋さん」の座右の銘も、仏教の根本。
「上求菩提 下化衆生」

「不立文字」・・・いろんな「教え」を言葉や文字で教えることなかれ・・・

つまるところ、達磨さんは「弱音をぐだぐだはくな。そして人間本来(天真)のことにあたれ。」
といったところか・・?人生達磨・・ 手も足も出ない時がある。そんな時は、自分のこころを見つめる、といい。 

明日から3日間、能登暮らし。「そこで暮らしているような美術館」に何をおくか・・
あれこれ悩んだりしていると、達磨さんから「喝!」が飛んできそうだ。天恩感謝。