今日は「論語の会」

昨日は「蕎麦打ち教室」と「味噌つくり」を夕方からやった。
約四半世紀も付き合いのある友人が作務衣をきて初挑戦。
「お、拾得(じゅっとく)が憑依しているね」というと、照れくさそうに
笑っている。

彼とは本日の「論語の会」の縁で知り合った。23年目になるので、四半世紀に近い。
曹洞宗の座禅も20年やっておられる。ぼくも若いころ総持寺に座禅に通い詰めた時期がある。
来月は「もと総持寺」にいって座禅をしようと思ったりしている。もともと総持寺は能登に
あった。大火があり、今の鶴見にうつった。

曹洞宗の道元禅師の本に「典座教訓」というのがある。典座(てんぞ)というのは、お寺のまかないを
やる人で、畑の野菜と忖度(そんたく・本来はこういう意味で使う。政治用語ではない)しながら、献立を
つくる。その努力を精進といい、精進料理が寺のまかないになった。
おそばももともと、「寺方蕎麦」といい、精進料理に起源がある。そのころは、大豆のゆで汁に醤油を
いれて、汁にしていたらしい。だから二月の天真庵は、毎日大豆をゆでているので、さながら押上の「寺方そば」だ。
自然農で育った青大豆のゆで汁は、見知らぬ星のお店でもだせない味。

寒山拾得(かんざんじゅっとく)の「拾得」は、箒をもっている。「作務」をしながら、典座の修行をされている姿なのだ。
オールドフレンドは努めていた会社を退職され、今はマンションの管理人の仕事をしている。毎日掃除をしたり、
ゴミ出しをする。マンションの住民は、素知らぬ顔して、拾得のような彼を見て見ぬふりして会社にいったり、
幼稚園生をつれておかあさんが忙しそうにチャリンコででかけたりするらしい。
毎日が単純な作業だけど、いろいろ工夫をしたりしていると、「おもしろさ」や「奥深さ」の発見があるそうだ。
そして、知らぬぞんぜぬの住民たちに、積極的に「おはようございます」と笑顔で接していくと、3か月もすると、
箒をもっている後姿に元気な「おはようございます」がなげかけられたりするそうだ。和顔施(わがんせ)、そのものだ。
今のスマホ人や、隣は何をするひとぞ・・・の都会では大事なことかも。
そんな話を味噌つくりをしながら幸せそうに話している。お寺で修行しなくても、在野に学びの場があり、毎日が修行の場なのだと教えてもらった。

先週古本屋で見つけたある中学校の俳句集にこんなのがあった。

ぼくたちも 寒山拾得 落ち葉掃く

今日はこれから「卵かけごはん」。夜は「論語の会」(順受の会、という)
まーくんの「満つまめの会」も二階である。

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