ゆりかごからはかばまで・・・

小さいのは3歳、大きいのは古希過ぎまで、体をこきつかって「手前味噌」を毎日作りにこられる。
まるで「ゆりかごから墓場」まで、飲む点滴の味噌汁の元をつくりにこられる。
もちろん三歳児は親といっしょにこられる。今年は近所の幼稚園の「ママ友」たちが、
あまた参加された。彼女たちは「育児」の話題、とりわけ「食育」には興味深々の様子。
絶版になったけど彼女たちには岡田武彦先生の「ヒトは躾で人になる」をおすすめしたい。
躾とは、しつづけることで、ヒトが人、になって、身ぶり手ぶりが美しくなる。

「古希あたりの人は、断捨離で、自分が大切にした「もの」や「ものがたりを含んだこと」
の整理を真剣に悩む。その前の世代は「親の介護」とか「熟年離婚?」とか「これから、どこで
誰と過ごすか」なんかを悩んでおられる人が多い。昨日の最終のふたりは、そんな世代の人たち。
悩みに答えるわかではないけど、大石学さんのCDをかけた。

「行雲流水」(こううんりゅうすい)
というタイトルのCD。返り点をつけて反対に読むと、「うんこ、水に流す」。
禅語で、自然のなりゆきにまかせ、声なき声を聴きながら、行く雲のように、また流れる水のように、
さらさらと、たださらさらと生きていく、という境地か。
「一所不住」というのもある。「いたるところに青山あり」と同意義な禅語だ。便利な大都会で
暮らし続けようが、山紫水明の里山里海で暮らそうが、どこへいってもそこに「居」して、自分の
立ち位置がきめられる、そんな境涯を現した言葉だ。家族とかまわりの意見を聞いて右往左往しているようだと、
いつまでたっても「居場所がないよ」ということかもなんばん。

今日も味噌つくり。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」
こころを波たたないような呼吸をする、笑顔でいる、感謝をしながら毎日を生きる。なんの不足もない。日々是好日。