学生街の喫茶店 で味噌つくり

昨日はまいかさんが、味噌作りにやってこられた。
100匹目の猿現象の一匹目の人だ。天真庵で
長いこと「ねんど教室」の先生をやってもらっていた。
8年くらい前のある日、「味噌つくり教えてくれへん」と大阪弁で
のたまわれた。「ええよ」とかみさんが、えせ関西弁で答えて、
「味噌作りキッド?」みたいなんで始めた。それから、口こみ広がっていき
今年100匹を超えた、という源流の一滴にあたる人。

次にきたのはかっぽれ仲間のおじさん。古希を迎えられたので、「い」をいれたほうが
いいような二人。足元をじっと見ていたら「どげ~したと」と九州弁できかれたので
「足がついとるか・・・と確認しとったと」と答えた、ら、笑っておられた。

ちょうどその時、区の人?がアンケート調査にこられた。近くに3年後に大学が誘致されることに
なった。それで「あなたのお店はそれにどう対応しますか?」というようなアンケート。
「別に・・・」というのが正直なところ。ガロの学生街の喫茶店よろしく、ボブデュランをかける
つもりはないし、学生相手の「大盛自由」みたいな「オモネリ」は死んでもいややし、「このままいく」
というようなことを30分くらい話した。でも最近は界隈にコンビニができたり、古い長屋が壊されて
おひとりさま用の賃貸物件や、建売住宅が増えてきたように思う。この辺の魅力が一気呵成に失われつつある。

ちょうどそんなタイミングで酔香のすがちゃんがいぶりがっこを納品しにやってきた。
日本一うまい「いぶりがっこ」は、彼らの親戚筋の人がていねいに畑仕事から仕上げてくれる。
市販されている「薬品つけもの」とは似て非なるものだ。どの世界も「大量生産のニセモノ」と「こつこつ手作りのホンモノ」
に二分される。
すがちゃんも京都の立命館で、ぼくの3つ下。そのころの京都は「街中が、喫茶店」のような街だった。
荒神口にジャズの名店「シャンクレール」があり、御所のまわりにはあまたのジャズ喫茶があって、
大きなJBLのスピーカーが鎮座していた。

そんな話をしていたら、古希のおじいちゃまが、「ぼくのJBLあげよか」とのたまった。
断捨離のひとつだという。「年をとってくると、あげな大きなもん動かすのも大変」だという。
近々とりにいくこととあいなった。
やっぱ「学生街の喫茶店」になるのだろうか?スカイツリーの時も、「できる前に引っ越したい」
と思っていた。東京オリンピック、大学・・・なんだか騒々しくなりそうだ。どこか北国の古民家
でも見つけて、「炬燵カフェ」でもやりたい気分。これから年とったらどうして暮らそう、というのも
問題だけど、この都市、東京の未来もいろいろ心配なこと多し。