今日も粒々皆辛苦の大豆旅

昨日と今日は、お休みだけど、お味噌つくりの佳境を迎えている。
昨年までは、北海道産の大豆と、埼玉産の「借金なし」という大豆のふたつから選んでもらっていた。
後者の生産者が高齢になってやめたので、今年は「暮らしの実験室」の青大豆をいれて、選んで
もらっている。今年のもうひとつの目玉は「しこみ水」には、「うめ星」をしのばせている。昨年までとの違いが楽しみでもある。
天真庵の「うめ星」の部屋に、植物やごはんの実験の写真がいっぱいのせてある。

大豆を寸胴に入れ、二晩寝かす。昨日が5人、今日が6人なので、11個の寸胴(足りないときは蕎麦の寸胴まで借りだされる)
今日は10時から始まるので、蕎麦打ちはないけど、5時にお店にいき、ストーブの上に寸胴をのせる。
石油ストーブの石油を満タンにし、寸胴を上におくと、蕎麦打ちがないので、珈琲を飲みながら、本を読む。
今日は読みかけの「墨子」を読んでいる。今年の論語の会(順受の会)は荘子。老子・荘子・墨子を勉強すると、
人間が自由に生きる、ということのヒントがいっぱいある。墨子は、ちょっとくどいのと、遊びが少ないので、
あまり人気がないし、古典の教科書にものっていない。でもこれを読むと、おもろすぎて、珈琲もさめること多し。

麹は乾燥したものと、生を選んでもらう。種類もそれぞれ数種。生麹は冷凍保存を強いられるので、2月は
お店の冷蔵庫の冷凍室がそれで満帆になるので、魚の干物などを極力やらないようにする。したがって
毎朝のように食べる魚が、納豆や目玉焼きにかわることがある。

お塩は各自でもってきてもらう。麹と混ぜ合わせる時も、各自の手をつかってもらう。
大豆も旅をし、麹も旅をし、塩も塩の道の旅をし、人生の旅の途中の人の手によって、それらを混ぜあわせる
瞬間から、その人とその人の家の「歴」が始まる。「手作り」というものは、そこが醍醐味であり、すごく
大切な「食育」の根本があるように思う。大事な日本の習慣が失われつつある。一度失われると、大事であった
ということさへも跡形もなく消える。

そろそろ最初の女子がくるので、お店にいくとしよう。
今日で2月も真ん中。今年はのべ103人が味噌をつくりにくる。やっと今日で40人ちょっとが作りおえる計算。
人間は108の煩悩があるという。来年はそのあたりに近づくか超えるだろう。煩悩即菩提、という言葉もある。いろいろな煩悩を、混ぜ合わせ、菌
の力を借りて、美味い味噌に仕上げる。粒々皆辛苦の人生の旅が、パーっと明るくなる気がする。これも墨子効果か。天恩感謝。