今朝の新聞にそのようなことが書かれてあった。何日か前にも、奨学金の返済で
自己破産、保証人になった親も道ずれ、みたいな記事があった。大学の学費がそれだけ高くて、
「大学はでたけれど」、正社員の道も険しく・・・というのが実情なのだろう。
どちらにしても、今のような戦国時代みたいな時は、「自分に投資」するのが一番安全で、失敗
しても納得がいくので、「中卒でボクシングをやる」とか「寿司屋の修行をする」とか「百姓になる」
、「なまことり、たこ釣りの名人を目指す」なんていう道もありだと思う。
先日、着信に「岩本」というのがあった。ヨネクラボクシングジムで日本チャンピオン(11回?防衛 今は大山の「いわもと」という
寿司屋のおやじ)
からだ。毎年かみさんの誕生日に電話をくれる。彼は柴田国明さんにあこがれ、中学を卒業と同時にヨネクラジムに入門。
古傷から出血すること毎試合のごとく、で、「血止めの松本」という名トレーナーに見守られ、四角いジャングルで活躍した。
ボクサーは現役時間が少なく引退後のほうが長いので、リングから寿司屋の厨房に居場所を移し、「日本一元気な寿司屋」
をやっている。同じ年で、よくヨネクラジムではいっしょにボクシングをした仲でもある。
寿命が延びて、引退後の暮らしをどうしようか?なんて思い悩んでいる人は、大山の「いわもと」のカウンターで
鮨をつまんでみると、いいかもなんばん。
今朝の新聞の一面に「シャエアハウス投資 不正多発」という記事も。
楽して金かせぐこと、身につかないことはない。シャアハウスは、「家族」のようなふらあいが欲しい
人たちが共同で工夫しながら生き暮らす空間。「金だけ、今だけ、自分だけ」というやからかな金集めて、
儲け話をでっちあげるような輩のつくる物件ではないのではなかろうか?
その新聞を配達してくれるところに、少しはやめのチョコレートを届けた。味噌作りの時は、
つくった日付を忘れないように、その日の新聞でつつむ。人数が多い日は新聞屋さんに
余った新聞をいただきにいく。そのお礼に新聞少年たちにチョコ、というのがならわしになった。
山田太郎ではないけど、新聞を配達して学校にいく、ボクシング(ヨネクラは、新聞少年には入会金を免除していた)
をする、というのが普通だった。今の新聞少年はほとんどが、ベトナムや中国人である。
汗を流して金をかせぐ、学費という自分投資をする・・・そんな基本的なところが、消えてしまってませんかね。
今日も夕方は「味噌つくり」 近くのシャアハウスの女の子たちがやってくる。代表で味噌をつくり、
共同の台所の床下にねかせ、できあがったらみんなでシャアして、みそ汁や野菜いためや、もろきゅうにして
「共食」をする。それがシエアハウスの基本的な姿。
「おいしいものを食べる」・・・バブルの時代。今は「おいしく食べる」
「おいしく食べる」こつは「気のおけない友達といっしょに食べる」ことだと思う。感謝。