昨日は休みだけど、味噌作りをやった。
途中錦糸町の古本屋でおもしろい本をみつけ、豆源郷に豆腐を買いににいき、ブラブラ往復
一時間の散歩をした。ここの豆腐は、能登半島の古式でつくる塩のにがりを使ってつくる。
ぼくは勝手に「縄文豆腐」と呼んでいるけど、京都の豆腐よりもうまい。主人はときどき蕎麦を
手繰りにこられる。
その本には、30代、40代、50代、老後・・・・の「台所」のかたち、が検証されていておもしろかった。
天真庵のHP、ギャラリーのところに南條正一、とかいう部屋がある。
平成8年、つまり1997年に天真庵が池袋にて結ばれた。小生41歳の時やねん。
最初の場所は、敷地100坪ちょっとのとこの3階建ての家。上場会社の社長宅でバブル期に
根抵当などがついて、微妙な物件を月50万円で借り、二階をギャラリーと会社にし、3階
部分が台所と、4部屋あって、炬燵にカセットコンロをおいて、おでんか何かを横の台所で
つくっている?そんな懐かしい写真がある。まだ久保さんと出会っていないので、器は、
黄瀬戸や織部などがない。
途中から、コンクリート打ちっぱなしのところがギャラリーになっている。そのお化け屋敷みたいなところ
が、マンションになり、隣の家を同じ条件で借りた。一階が駐車場。二階が会社、三階が自宅で、
4階に台所とギャラリースペース。このころは、久保さんの個展をやったりして、器に、織部や黄瀬戸や志野
が豊富になってきた。そばも打つようになってきたので、そばちょこも集まってきた。
平成18年の写真には、ながやくん(早川のながやの主人)が、花見の料理をつくってくれた写真がある。
彼の登場で、器に漆なども加わり、お客さんの舌も目もかなりきたえらえた。
このふたつの家で活躍しているのが、木の囲炉裏。鉄瓶で湯を沸かしたり、鍋をおいたり、餅やサンマを
焼いたり、台所の中心になって、たびだび写真に登場する。
この囲炉裏は、池袋にカメラ(当時はこっていた)を買いにいく途中の骨董屋でみつけ(ちょうど東北の古民家から引き取って
きたタイミングにでくわし)、買ったものだ。今でも天真庵の二階に鎮座していて、ひさごの五徳の上に、鉄瓶がのっている。
台所に「火」が消えて久しい。でも火のあるところに人は集まる。今年は格別に寒い。寒いときは、あたたかい
火が恋しいもんだ。
今日は「満つまめの会」 便利な世の中になり、台所から火が消え、高断熱、高気密の部屋で過ごす
ことが多くなった。花粉症やいろんなアレルギーは、便利さや人工的な快適さとうらはらに、増えているように思う。
「あるがまま」に生きる。四季おりおりの季節を五感を開放して楽しむ。そんなことを「台所」を含め、家に
求める時代がきているように思う。少し時代を昭和あたりにスイッチすると、答えがいっぱいある。
今朝も5時にお店にいき、ストーブに寸胴をのせ、大豆を煮ている。
豆源郷の豆腐がうまい、もうひとつの理由は、同じように低温で時間をかけて大豆を煮ているところが秘訣。
これも「古式」であり、昔の豆腐屋さんはみなそうやった。桃源郷も、遠い昔の神話ではない。すこし
「不便な生活を楽しむ」にスイッチを切り替えると、目の前に現れる?かもなんばん。