手前味噌を持参する弁当

今日は東京は13度くらいになるらしい。雨水を過ぎて、寒かったり
あたたかくなったりを繰り返しながら、「春」を近くに感じる今日このごろ。
毎年春になると、山本ひかりさんのライブがある。今年のタイトル「ゆく冬くる春」
冬眠から覚めた動物たちが、ふきのとうなんかを食べながら、目や内臓を覚ます、といった感じ
で、春の里山で、ホオジロが「一筆啓上つかまつりそうろう」と鳴くような歌で春を迎えたい。

昨日はベテランの味噌作りママさんが手前味噌をつくりにこられた。かれこれ7年くらいになる。
ひとりは、「娘たちが弁当に、味噌と野菜のスティックをもっていく」とのこと。モデルのようにスレンダーで
きれいなママさんの娘は、きっとモデルのような仕事をしているかもなんばん。
何十回も読む本に、水上勉の「土を喰らう日々」というのがある。福井の寒村で生まれた著者は
9歳で京都の寺に預けられ、老師の身のまわりの世話をする。その時に、典座(てんぞ)よろしく、
精進料理を身につける。売れっ子の作家になり、軽井沢に書斎を移し、畑仕事をしながら、書いた本。
父親が山で仕事をしていて、春になると味噌を弁当に入れ、山菜などを採りながら回想する文を
思い出した。家の台所に「手前味噌」があると、人生が変わってくる。そんな理(ことわり)がわかる本だ。

今日は「満つまめの会」

3日(土) ゆく冬くる春~4山本ひかりのボサノバとオリジナルソング~

演奏:山本ひかり (唄・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

31日(土) 上原英里シャンソンライブ

演奏:上原英里 (唄・ギター)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

手前味噌つくりも7割を終えた あと30人

水曜日と木曜日は定休日。
そばを打たないかわりに、そば用の寸胴ふたつまで、味噌つくりに駆り出される。
水曜日が7人、昨日が4人・・・おかげで70人くらいまで、今年の味噌つくりを終え、
それぞれの家にもどっていった。あと31人。それが終われば、能登にいって梅仕事。

水曜日は、岐阜から毎年つくりにくるおねえさまがやってこられた。大家族なので
3口つくられた。味噌の容器も事前におくられてくる。その中に、母堂様の手作りの「おもち」が
入ったりしているのが、うれしい。味噌も、みそ汁も、おもちや、漬物・・・その家族分の味
があっていい。そこの家からは、梅干しや梅酒をつける容器も、いっぱいいただいた。まだ梅仕事を
やりはじめる前なので、母堂様の超能力?みたいなんに恐れ入った。

今日は「ダメ中」の予定だった。そのおねえさまも妹さんが、ダメ中の先生。昨年縁あって
名古屋の蕎麦屋の女将になり、月に一度名古屋から上京して「ダメから始める中国語」の先生を
やってもらっている。なんか論文(そばの歴史・・・まさかね)の締め切りに追われているらしく、
本日の講義は休講にあいなった。ねえさまに土産にもらった名古屋の「しるこサンド?」でも食べながら
ビールを飲もうか?

どの会も月に一度で、「毎月一回は実家に帰って、いっしょにごはん食べよう」みたいなフンイキ。
押上に天真庵を結んで11年。店もお客さんも、同じように10余年年をとり、親の介護などで
いろいろ大変な人が多くなってきた。その後は、自分たちが要介護の年になってくる。
最近は、蕎麦を打ちにお店にいき、自転車をお店の外に出す時、スクワットを20回するのが
日常になった。そばもんは、毎朝「びん棒」という棒を振り回して、蕎麦を打つ。
貧乏でも健康であればなんとかなる。台所には、手前味噌と能登の梅干しと、「うめ星」の糠漬け、が常備されていて、なんの不足もない。
まーくんに教えてもらった呼吸法もスクワットの後に5回。日々是好日。

亀楽

昨日は二十四節気の「雨水」(うすい) 三寒四温の中で雪から雨になり、
少しづつ春を感じる季節。先日の「満つまめの会」では、そんな自然の運行を
一枚のCDに閉じ込めて、人の波動とこころを整えてくれる三輪福さんの新しいCD
を聴きながらやった。

亀有に伝統芸の「亀学」というのがある。三味線や太鼓など和楽器を操りながら、
日本の伝統的な風俗やお囃子、都都逸やジャズなんかに通じる酒脱な音楽。
昨年12月にlunaといっしょに天真庵でライブをやってくれた。抱腹絶倒というか
お祭りで味わう何かが憑依したような世界に包まれる。

昨日は「亀楽」の4代目と世界で唯一のオルゴリン奏者でもある豆奴さん、3代目の夫婦が
蕎麦を手繰りにこられた。

どうもその存在や系図なども「ねつ造」と、本人たちものたまわれている、「亀楽」
しかしながら、人間の根源的な琴線をおおいにふるわせ、こころの底から裸になるような
あの世界は、「ほんもの」といわれながら、ゆるかったり、ニセモノっぽいものが氾濫する昨今、
とても新鮮でここちよいものを感じる。

土産にもらったCDを聴いていると、幼きころ夢中になった山笠や提灯祭りや小倉の祇園太鼓のリズム、
京都のお祭りのお囃子などとともに、自分の人生を旅しながら振り返っているような気分になった。

その中に「げんげの唄(音頭?」なるものがある。富山にいくと、地元の居酒屋なんかに「げんげのてんぷら」
などというメニューがある。富山湾でとれる深海魚で、半魚人?というかヌメーとしていてグロテスクなんだが、
よくよく見ると、慈悲深い、かわいらしい顔をしている。てんぷらにした時の味は最高で、立山のぬる燗などで飲むと、
とまらなくなる。雑魚の中でも「下の下」といわれ、さげすまされた感のある名前だけど、美味なのである。
旅の途中にであったそんなげんげの物語を、4代目が唄にした。

48曲入っているCDにもう一曲印象的な唄がある。「きんたま踊り」
豆奴さんのおばあちゃんが、晩年入院している時に毎日のように、うわごとのように
「きんたま踊り」を口ずさんでいた、という話を聞いた。(ねつ造ではない)
厳粛な家で育ったばあちゃんが、晩年にそのような根源的な言霊を口にするのをヒントに
つくられた古くも新しくもない縄文的な祭事にも通じるような唄がおもしろい。

天真庵では3月2日(金)に、「女声で味わう江戸の艶物語」というライブをやる。
セックスとかエロティックなことが、氾濫し、映像化し、誰もがいつでもネットなどで
見られるようになって、ほんとうの「艶冶な世界」から遠ざかりつつある。
やはり男と女のことは、「ひめごと」で、スパイスのように隠し味程度にするのがよろし。

♪ゆらりゆらり ゆらりきんたまゆらして踊ろ(きんたま踊りのねつ造の唄  そんなニュアンスの楽しい曲) 鎮魂 南九

月曜の朝は卵かけごはん

なんやら、PCの調子が悪くて、パスワードをうけつけない。
シャットダウンして、お店にいこうと思ったらら、やっと立ち上がった。
たぶん、自分ひとりで生活していたら、PCも携帯も持たず、生活するタイプだと思う。
別にそうなっても、何も不自由はない。そんな話をこないだしていたら、若いさっちゃんが
「それはいけません。いくつになってもあきらめず、挑戦してください」と珍しく前向きなことを
いう。来月から「論語の会」に参加するそうだ。♪さっちゃんはね・・・不思議だねさっちゃん。

昨日は7人が味噌作りにこられた。二階でまーくんの「満つまめの会」一階では味噌作りと蕎麦打ち・・・
まさにてんやわんやだったけど、9時過ぎにはなんとか無事に終了。
燕京亭にいって、餃子とビール、紹興酒、五目麺などをいただいて、ひとごごちをととのえた。

今日は亀有から不思議な芸人さんたちがそばを手繰りにこられる。
これから「卵かけごはん」夜は「漢詩を詠む会」

昨日今日と少し寒い。

「半東半島」っていう新しい生き方はどやろう?

今日は日曜日なので、16時まで営業。
二階では「満つまめの会」 下は7人の味噌つくり、かたわらで「蕎麦打ち」という日だ。
なので今朝も5時に起きて、お店にいくと、いの一番に、ストーブをつけ、そこに寸胴をのせ、
大豆を煮る、から始まる。24時間以上水につけた大豆を、低温でゆっくりコトコト煮る。
電子レンジとか圧力鍋などをつかって、時短で料理をつくる時代だけど、ゆっくりコトコト
の中にけっこう大事でオイシクナールという魔法のエキスがつまっている。

3年後に大学が近くにできる、を前に、2年後に近くに電子専門学校もできる。そこの立ち上げの責任者
が昨日挨拶がてら、ほぼぶらじるを飲みにこられた。大阪なまりの流暢な言葉で夢を語られているので、こちらも
京都弁ではんなりとお答えした。少子高齢化で、大学生の数も減るし、大学も減っていかざるを得ない。
それにみな「奨学金」という名のサラキンみたいな借金を背負って、この斜陽で元気のない日本を背負っていかなくてはならない。
「これまでの発想」で生きていっても希望も夢も抱けへん。働き方を変える、いうより、生き方根本を変えんといかんばいね。

大学のほうは千葉大学の建築家の一部ができるらしい。その中で「トレーラハウス」の講義を教える、という
先生も以前珈琲を飲みにやってきた。最近タイニーハウスとかいう、移動式の家も静かなブームらしい。
東京一極集中で、地方にいくと空き家や休耕田や山も荒れ放題・・・といった光景が目につく。
ちょっと前に「半農半X」という生き方を提唱されてる人も遊びにきたけど、「半東半島」という暮らしは
どうやろう。「半分が東京、半分が半島とか田舎くらし」 元気で体が動くうちに、都市と田舎の二股暮らし。
そんな暮らしの実験室をやるような人が増えてきたら、「これからは日本の時代だ」
になるような気がする。うかうかしていると陽が沈んでいく。「よし」といって足を一歩すすめて、田舎に
いってみよう。青い海、希望に満ちた夕陽や美しい棚田、やさしいおじいちゃんおばあちゃんが歓待してくれるに違いない。

明日の朝は「卵かけごはん」  夜は「漢詩を詠む会」

ゆりかごからはかばまで・・・

小さいのは3歳、大きいのは古希過ぎまで、体をこきつかって「手前味噌」を毎日作りにこられる。
まるで「ゆりかごから墓場」まで、飲む点滴の味噌汁の元をつくりにこられる。
もちろん三歳児は親といっしょにこられる。今年は近所の幼稚園の「ママ友」たちが、
あまた参加された。彼女たちは「育児」の話題、とりわけ「食育」には興味深々の様子。
絶版になったけど彼女たちには岡田武彦先生の「ヒトは躾で人になる」をおすすめしたい。
躾とは、しつづけることで、ヒトが人、になって、身ぶり手ぶりが美しくなる。

「古希あたりの人は、断捨離で、自分が大切にした「もの」や「ものがたりを含んだこと」
の整理を真剣に悩む。その前の世代は「親の介護」とか「熟年離婚?」とか「これから、どこで
誰と過ごすか」なんかを悩んでおられる人が多い。昨日の最終のふたりは、そんな世代の人たち。
悩みに答えるわかではないけど、大石学さんのCDをかけた。

「行雲流水」(こううんりゅうすい)
というタイトルのCD。返り点をつけて反対に読むと、「うんこ、水に流す」。
禅語で、自然のなりゆきにまかせ、声なき声を聴きながら、行く雲のように、また流れる水のように、
さらさらと、たださらさらと生きていく、という境地か。
「一所不住」というのもある。「いたるところに青山あり」と同意義な禅語だ。便利な大都会で
暮らし続けようが、山紫水明の里山里海で暮らそうが、どこへいってもそこに「居」して、自分の
立ち位置がきめられる、そんな境涯を現した言葉だ。家族とかまわりの意見を聞いて右往左往しているようだと、
いつまでたっても「居場所がないよ」ということかもなんばん。

今日も味噌つくり。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」
こころを波たたないような呼吸をする、笑顔でいる、感謝をしながら毎日を生きる。なんの不足もない。日々是好日。

学生街の喫茶店 で味噌つくり

昨日はまいかさんが、味噌作りにやってこられた。
100匹目の猿現象の一匹目の人だ。天真庵で
長いこと「ねんど教室」の先生をやってもらっていた。
8年くらい前のある日、「味噌つくり教えてくれへん」と大阪弁で
のたまわれた。「ええよ」とかみさんが、えせ関西弁で答えて、
「味噌作りキッド?」みたいなんで始めた。それから、口こみ広がっていき
今年100匹を超えた、という源流の一滴にあたる人。

次にきたのはかっぽれ仲間のおじさん。古希を迎えられたので、「い」をいれたほうが
いいような二人。足元をじっと見ていたら「どげ~したと」と九州弁できかれたので
「足がついとるか・・・と確認しとったと」と答えた、ら、笑っておられた。

ちょうどその時、区の人?がアンケート調査にこられた。近くに3年後に大学が誘致されることに
なった。それで「あなたのお店はそれにどう対応しますか?」というようなアンケート。
「別に・・・」というのが正直なところ。ガロの学生街の喫茶店よろしく、ボブデュランをかける
つもりはないし、学生相手の「大盛自由」みたいな「オモネリ」は死んでもいややし、「このままいく」
というようなことを30分くらい話した。でも最近は界隈にコンビニができたり、古い長屋が壊されて
おひとりさま用の賃貸物件や、建売住宅が増えてきたように思う。この辺の魅力が一気呵成に失われつつある。

ちょうどそんなタイミングで酔香のすがちゃんがいぶりがっこを納品しにやってきた。
日本一うまい「いぶりがっこ」は、彼らの親戚筋の人がていねいに畑仕事から仕上げてくれる。
市販されている「薬品つけもの」とは似て非なるものだ。どの世界も「大量生産のニセモノ」と「こつこつ手作りのホンモノ」
に二分される。
すがちゃんも京都の立命館で、ぼくの3つ下。そのころの京都は「街中が、喫茶店」のような街だった。
荒神口にジャズの名店「シャンクレール」があり、御所のまわりにはあまたのジャズ喫茶があって、
大きなJBLのスピーカーが鎮座していた。

そんな話をしていたら、古希のおじいちゃまが、「ぼくのJBLあげよか」とのたまった。
断捨離のひとつだという。「年をとってくると、あげな大きなもん動かすのも大変」だという。
近々とりにいくこととあいなった。
やっぱ「学生街の喫茶店」になるのだろうか?スカイツリーの時も、「できる前に引っ越したい」
と思っていた。東京オリンピック、大学・・・なんだか騒々しくなりそうだ。どこか北国の古民家
でも見つけて、「炬燵カフェ」でもやりたい気分。これから年とったらどうして暮らそう、というのも
問題だけど、この都市、東京の未来もいろいろ心配なこと多し。

今日も粒々皆辛苦の大豆旅

昨日と今日は、お休みだけど、お味噌つくりの佳境を迎えている。
昨年までは、北海道産の大豆と、埼玉産の「借金なし」という大豆のふたつから選んでもらっていた。
後者の生産者が高齢になってやめたので、今年は「暮らしの実験室」の青大豆をいれて、選んで
もらっている。今年のもうひとつの目玉は「しこみ水」には、「うめ星」をしのばせている。昨年までとの違いが楽しみでもある。
天真庵の「うめ星」の部屋に、植物やごはんの実験の写真がいっぱいのせてある。

大豆を寸胴に入れ、二晩寝かす。昨日が5人、今日が6人なので、11個の寸胴(足りないときは蕎麦の寸胴まで借りだされる)
今日は10時から始まるので、蕎麦打ちはないけど、5時にお店にいき、ストーブの上に寸胴をのせる。
石油ストーブの石油を満タンにし、寸胴を上におくと、蕎麦打ちがないので、珈琲を飲みながら、本を読む。
今日は読みかけの「墨子」を読んでいる。今年の論語の会(順受の会)は荘子。老子・荘子・墨子を勉強すると、
人間が自由に生きる、ということのヒントがいっぱいある。墨子は、ちょっとくどいのと、遊びが少ないので、
あまり人気がないし、古典の教科書にものっていない。でもこれを読むと、おもろすぎて、珈琲もさめること多し。

麹は乾燥したものと、生を選んでもらう。種類もそれぞれ数種。生麹は冷凍保存を強いられるので、2月は
お店の冷蔵庫の冷凍室がそれで満帆になるので、魚の干物などを極力やらないようにする。したがって
毎朝のように食べる魚が、納豆や目玉焼きにかわることがある。

お塩は各自でもってきてもらう。麹と混ぜ合わせる時も、各自の手をつかってもらう。
大豆も旅をし、麹も旅をし、塩も塩の道の旅をし、人生の旅の途中の人の手によって、それらを混ぜあわせる
瞬間から、その人とその人の家の「歴」が始まる。「手作り」というものは、そこが醍醐味であり、すごく
大切な「食育」の根本があるように思う。大事な日本の習慣が失われつつある。一度失われると、大事であった
ということさへも跡形もなく消える。

そろそろ最初の女子がくるので、お店にいくとしよう。
今日で2月も真ん中。今年はのべ103人が味噌をつくりにくる。やっと今日で40人ちょっとが作りおえる計算。
人間は108の煩悩があるという。来年はそのあたりに近づくか超えるだろう。煩悩即菩提、という言葉もある。いろいろな煩悩を、混ぜ合わせ、菌
の力を借りて、美味い味噌に仕上げる。粒々皆辛苦の人生の旅が、パーっと明るくなる気がする。これも墨子効果か。天恩感謝。

自己破産が増えている らしい

今朝の新聞にそのようなことが書かれてあった。何日か前にも、奨学金の返済で
自己破産、保証人になった親も道ずれ、みたいな記事があった。大学の学費がそれだけ高くて、
「大学はでたけれど」、正社員の道も険しく・・・というのが実情なのだろう。
どちらにしても、今のような戦国時代みたいな時は、「自分に投資」するのが一番安全で、失敗
しても納得がいくので、「中卒でボクシングをやる」とか「寿司屋の修行をする」とか「百姓になる」
、「なまことり、たこ釣りの名人を目指す」なんていう道もありだと思う。

先日、着信に「岩本」というのがあった。ヨネクラボクシングジムで日本チャンピオン(11回?防衛 今は大山の「いわもと」という
寿司屋のおやじ)
からだ。毎年かみさんの誕生日に電話をくれる。彼は柴田国明さんにあこがれ、中学を卒業と同時にヨネクラジムに入門。
古傷から出血すること毎試合のごとく、で、「血止めの松本」という名トレーナーに見守られ、四角いジャングルで活躍した。
ボクサーは現役時間が少なく引退後のほうが長いので、リングから寿司屋の厨房に居場所を移し、「日本一元気な寿司屋」
をやっている。同じ年で、よくヨネクラジムではいっしょにボクシングをした仲でもある。
寿命が延びて、引退後の暮らしをどうしようか?なんて思い悩んでいる人は、大山の「いわもと」のカウンターで
鮨をつまんでみると、いいかもなんばん。

今朝の新聞の一面に「シャエアハウス投資 不正多発」という記事も。
楽して金かせぐこと、身につかないことはない。シャアハウスは、「家族」のようなふらあいが欲しい
人たちが共同で工夫しながら生き暮らす空間。「金だけ、今だけ、自分だけ」というやからかな金集めて、
儲け話をでっちあげるような輩のつくる物件ではないのではなかろうか?

その新聞を配達してくれるところに、少しはやめのチョコレートを届けた。味噌作りの時は、
つくった日付を忘れないように、その日の新聞でつつむ。人数が多い日は新聞屋さんに
余った新聞をいただきにいく。そのお礼に新聞少年たちにチョコ、というのがならわしになった。
山田太郎ではないけど、新聞を配達して学校にいく、ボクシング(ヨネクラは、新聞少年には入会金を免除していた)
をする、というのが普通だった。今の新聞少年はほとんどが、ベトナムや中国人である。
汗を流して金をかせぐ、学費という自分投資をする・・・そんな基本的なところが、消えてしまってませんかね。

今日も夕方は「味噌つくり」 近くのシャアハウスの女の子たちがやってくる。代表で味噌をつくり、
共同の台所の床下にねかせ、できあがったらみんなでシャアして、みそ汁や野菜いためや、もろきゅうにして
「共食」をする。それがシエアハウスの基本的な姿。
「おいしいものを食べる」・・・バブルの時代。今は「おいしく食べる」
「おいしく食べる」こつは「気のおけない友達といっしょに食べる」ことだと思う。感謝。

月曜の朝は 卵かけごはん

今日は旗日の月曜日。旗日であっても、月曜の朝は卵かけごはん。
今日も味噌つくりがあるので5時にお店にいって、ストーブに大豆を一日つけた寸胴を
のせる。低温で「ゆっくり」時間をかけた手間が、大豆をおいしくするのです。
それから蕎麦を打ち、いつものように家にもどり、これを書いている。

昨日は「巫女っちゃけん」のみこちゃんが味噌作りに参加。彼女の両親は、天真庵
のイベントで知り合い、結婚し、みこちゃんが生まれた。
その後に味噌をつくったのは5歳になる「たつき」君。二歳から手伝っているので三年目の味噌つくり。
人生の半分以上を味噌つくりに費やしている。味噌人生。ここの両親も天真庵で出会った。

昨日味噌つくりが終わった後、湯豆腐でぬる燗を飲んだ。「惣花」という灘の酒。ぬるめで燗にすると美味い。
鍋には「ギマサ」も入れてみた。昨年の夏に「能登そばUFO」という新作そばにいれた海藻。

ホンダワラの若い芽で、能登半島では「義馬草」(ギバサ)と呼ぶ。壇ノ浦で平家を破った義経は京に
凱旋し、不思議な縁で、平家の重鎮、平時忠の娘の「わらび姫」を妻にした。
そして誰もが知るように、その後兄頼朝の嫉妬により、奥州にのがれた、とされる。
その時、平時忠とわらび姫は能登半島に流された。落人になった義経は、最後の別れをと、能登に
立ち寄った伝説が能登にはあまたある。「義経の舟隠し」という夕陽が美しい場所があったりする。

ギバサ、とはその時、義経の馬に海藻のホンダワラを与えた、という「義経の馬の草」として、今も
能登では呼んでいるのだ。

厳しい能登の冬を連想させるようなギバサをつまみに、ぬる燗を飲む。義経とわらび姫の悲しい話が
五臓六腑に涙のように染みるのである。

いけない。卵かけごはんの時間だ。今日は「満つまめの会」もある。