味噌 みつ豆 蕎麦打ち

今日は、そんな日だ。場所があるのかいな?というくらい・・・

昨日は大石学さん(ピアノ)と、三輪知可さん(ヴォーカル)のライブだった。
毎年海の日に、大石さんがソロでライブをやってくれる。セシルが海で亡くなった翌年
2012年から、ずっと。
そのほかに歌姫たちをつれて素敵なライブをやってくれる。国貞雅子、LUNA、三輪知可さん
がそうで、彼女たちのCDの制作にも、大石さんが一役も二役も三役もかってくれている。

話を聞くにつけ、ひとつひとつの曲に「ものがたり」が秘められていて、それがいいスパイスになって、
人のこころに染みる。昨年4月に三輪さんのファーストアルバムがリリースされた。彼女のサイトでも
案内が、あるのでぜひ勝手に買って、楽しんでほしい。無味乾燥な毎日に、血が通い、情感あふれるものが
五感を呼び戻す、そんな感じのCD。もうすぐ二枚目がリリースされる。とても楽しみだ。

デジタルのコインが流出した、とかニュースでにぎわっている。流通もお金も音楽も、
デジタルがはばをきかせているけど、人も自然もあなろぐだし、ここの部分だけは
「デジタル化させない」というこだわりを捨てたくない気がする。
生きていくかぎり、生・滅・生・滅を繰り返し、死に向かっていく。その刹那の中にある永遠の中に
「どう生きたか」という大事なものが含まれている。
「何歳まで長生きする」「死ぬまでセックス」「どれだけ老後にかかる」・・・そんなことがたびたび話題に
あがるけど、大事なんは「どう生きたか」ではなかろうかしらん。

もたもたしていたら、したいこと、すべきことが過ぎていき、みんな「過去」になる。
どんなに若くてもお金をつんでも、「過去はもどってこない」
「過去と人は変えられない 自分と未来は変えられる」
当たり前だけど、案外、わかっている人が少ない。

明日は「卵かけごはん」 夜は「順受の会」今年は荘子を勉強します。
火曜日は「書をしよう会」

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