黄泉の国にいった人ともあえる方法

昨日は、「ことはじめ」「仕事はじめ」

ゼロからものを動かしていく、というのはエネルギーがいるものだ。
年末に何もかも在庫が終わり、珈琲の焙煎やかえしを作ったり・・・もちろん
そばを打ったり、汁をつくったりで、いつもより労力がいる初日。

金曜日は毎週、お花を持参してくれる茶の先輩がいる。奇特な人であり、花のある人でもある。
母堂さま(故人)がお花の先生で、庭には季節の茶花な春夏秋冬咲いている。それを毎週もって
きていただくので、天真庵では花屋で買うことがなく、先輩の家の庭と我が家の庭に咲く花で
年がら花を楽しむことができる。ときどき「この花は母が大好きだった椿で・・」などという物語付きで
なき故人の人がらまでも忍んだりすることしきり。黄泉に旅立った人とは、自分もそこにいかないと
話ができない、と思っていたけど、そんな会話ができるのだと痛感。

今年、順受の会(論語の会)で勉強する「荘子」などを読み直してみると、人間が生きたり、死んだり
するようなことも、特別ではなく日常のごくありふれた自然のいちぶのようなもので、ふーん、と不思議に
ストンと丹田の下あたりに落ちるようなことが書いてある。老荘思想というけど、そろそろ老人さんに
なる人、寒山拾得のような神仙な境地、禅のことを勉強したい、という方、今年の「順受の会」はいいよ。

ぼくの大好きな白い「侘助」を、お店の掛花に投げ入れ、なき母堂さまが大好きだった赤い椿を、
二階の床の間のところに置いてある久保さんの信楽のひさごの花器に投げ入れた。
先月25日に若くて昇華されたお花の先生・竹内由希子さんが好きだった花器だ。
もともと華道とは、あの世にいかれた人に、手向ける、という気持ちが原点。みかみくんの紹介で
出会い、原田先生(故人)に花を教わり、その後に二階で花とお仕覆を教えてくれていた彼女の
ことを思い、手をあわせた。「あ、いいわね、この花」といいながら微笑んでいた笑顔が浮かんでくる。
これもまたあの世にいった人との対話なのかもしれない。

軸は、正月に大綱宗彦禅師の「梅」。江戸時代後期、京都大徳寺の黄梅院にすむ坊さん。歌をよくし、書画にすぐれ、10代千宗左、11代千宗室らとまじわった、らしい。揮毫された和歌がまるで南画かなんかのように、自然となんじでいる。お抹茶の人たちには大人気の坊さん。

明日は日曜日。「蕎麦打ち」&「気骨の鮨会」のことはじめ。
月曜日は、本日紹介した茶の先輩の「漢詩を詠む会」  漢詩とかお花のことがわかってくると、お茶
もおいしくなり、人生の味わいも少し深いところまでいくかもなんばんよ。日々是好日。