あけましておめでとうございます。

犬年がスタートした。今年は「ひとり」がテーマか?
人はひとりで生まれてきて、ひとりであの世にかえる。
「自分で年越しそばを打つ」というイベントを年末3日、朝から晩までやっている。

ひところ「退職後は蕎麦打ちをやる」ような男子が多くて、町中に「そばもん」があふれるかと思いきや、
さにあらずで、そば打ちのカルチャーセンターなどが憂き目を見ている感があるが、
また時代の振り子がふれたのか、若い女子たちの間でひそかに「そばやってみーへん」という話が
ふえているようだ。とにもかくにも「めどき」が続き、女が強い時代が続く。

そんなこともあって、年末の「そばもん初心者」も増え、昼ごはんもコンビニのおにぎりとか、昨日は
ストーブでイモをふかしてすませた、そんな具合である。ラジオでは古い昭和の曲が流れていて、さながら「昭和の長屋」
を醸し出す、そんな中でもそば打ちだった。

ある建築家は、「そばも美しくなくては」と、切ったそばを芸術的に並べ、小学校の音楽の先生はラジオのナツメロを
歌手のようにうたいながら、めん棒を動かし、看護婦さんはカウンターで話される「糖尿病」の話などに、
アドバイスをくれながらそば切りをやっている。割烹着て蕎麦を打つ茶の同心は、「茶事にそば」
とばかりに真剣にそばと対峙していた。いろいろおもしろいことが今年もおきそうな予感。百人いれば百種類の「そば」がある。

「年越しそばおいしかった」というメールもいっぱい。とくに「自分で打ったそば」は
「世界一のそば」だと銘々が自信をもっていいと思う。太い細いは、問題ではない。
唯一無二、他とは違う「もの」がそこにあればいい。

うちの師匠が「そばは、自分のために打つものです」という名言を残した。
自分の本心良心と対話する時間を「孤高の時間」といい、あるいみ「孤独」とは、そのあたりの
心境をいうのだと、今朝の新聞にも書いてあった。「ひとり」の時間が自分のこころを見つめる貴重な時間。
「孤独」と「寂しい」は似て非なるものらしい。正月から「目からうろこ」
これから甥っ子たちと、「すし大会」。うろこを落とす包丁を用意したところ。

Alone,but not lonely ひとりだ、でも寂しくはない。このAloneの「ひとり」は、サムシンググレート(自然)と繋がる自立したひとりの自分。

南島原や能登に「蕎麦打ち」などで出向く時、必ず「すし会」をやる。
教育とは、食の分野でも「共育」だと痛感する。
みんなで協力しながら、同じものをいしょに楽しむ。こんなに
素晴らしい「食育」はない。「そば」「茶」「すし」が紡ぐ不思議な縁が
優美に静かに広がっていく・・・そんな初夢を見た。
「うめ星」を枕の下に置いて寝ると、不思議な正夢を見る、そんな声が
あちこちで聞こえる。今年は「星」もキーワードかもなんばん。
わんちゃんたちの首輪にもぶらさがってきている。

昨年ブームになった「人生フルーツ」のご自宅も、「建築家はワンルームの
建築によって記憶される」という言葉を残した著名な建築家に従い、大きなワンルームだった。
そうすると、いろいろな無駄もないし、生活動線もよく、雑然とした部屋も自然な感じになり、外の枯葉なども
入ってくるけど、これも自然らしくなる。どうかすると庭にいる犬も部屋に入ってくる・・・これがほんとにワンルーム、なんちゃって・・

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