寒の水 に うめ星(隕石玉)

天真庵のHPに「うめ星」という不思議な部屋がある。
UFOからのおくりもの?隕石を粉にして、土とまぶして、陶器の窯で焼いてつくってもらった。
「まゆつば」な感じがするし、ぼくが説明すると、もっと怪しい感じがする。
でもその部屋に写真をアップしているけど、普通のごはんが銀シャリになるし、味が土鍋で
うまくたけたみたいに、「♪た・き・た・て」感が異次元のレベルになる。

写真だけではわからないけど、ぬか漬けのつかり方や味のバランス、「♪か・が・や・き」
が、ベツモノなのだ。南天の写真は、わかる人しかわからないけど、10月27日に
実験を始めた。家の庭に咲いている南天と紅葉。紅葉は家の庭のものは、11月中旬には真っ赤になり、
12月の初旬には、散った。うらを見せ おもて見て 散る紅葉。裏表もトリックでもなく、「うめ星」
に入れた水は3か月たっても腐らなかったし、紅葉や南天は元気やった。

味噌の中にも入れてみた。市販の味噌は発酵をおさえるケミカルなものが入っていたり、防腐剤が
入っているので、冷蔵庫の中では発酵することはない。でもあの写真で見るように、味噌も冷蔵庫の中で
立派に発酵する。昨日も、すみだ珈琲の主人が味噌つくりにきたので、見せたら、「これおなじ味噌ですか」
と驚嘆しておられた。いろいろ不思議なことが起きている。内緒だけど、今年の味噌つくりの「仕込み水」
も、「寒の水」というより「神の水」に近い「隕石水」(ブリタの中にうめ星をいれた)でつくっている。

でもこの「うめ星」をおまもりにしたりして身につけ、一番びっくりするのは「自分の気持ちの気」
と反応して、こころが波立たない、というか平常心になるような感覚を感じる人が多い。
寝る時にまくらの下に忍ばせて、寝ると「夢の中身」が「これまでの夢はなあに?」になるみたい。
人は起きている間は顕在意識に支配され、眠っている時に、サムシンググレードな潜在意識の中を逍遥する。
その逍遥の中身が、どうも「新世界」を宇宙遊泳するがごとくなのだ。

人間はどうも、不思議な世界、見えない世界、聞こえない世界を、無意識にシャットアウトする防衛本能があり、
「え、ほんと?」という疑い深いものをみなもっているようだ。ヨガとか禅の世界に踏み込むと、チャクラが開いたり、
宇宙レベルの意識と繋がったりする体験をする。これからの時代は、そんな閉ざされた自我を「ほどく」
ことが必要な時代かもなんばん。昨日は「荘子」の勉強会。荘子をかじってみると、このあたりの
モヤモヤが解消されてくる。仏教や禅にも、大いなる影響を与えた思想。「仏」というのは、いろいろな
しがらみを「ほどく」という言霊でもある。常識とか、当たり前のことを、一度味方をコペルニクス的に変えてみるのもおもしろい。

今日は「満つまめの会」まーくんの気功整体も、宇宙レベルの神秘に満ちている。
夜は「書をしよう会」

今日も味噌味噌 明日も味噌

100匹めの猿の現象よろしく、減少することなく
「菌活の会」(手前味噌つくり)が100人を超えた。
昨日は5人の人が、手前味噌をつくりにきた。大豆と
麹は選択できるようにしていて、お塩は各自でもってくる、
というのがならわしになっている。できあがった味噌も、100人の家
でその家の菌たちや聴く音楽などにより、まちまちの「豆の一生」をおくることになる。
どこか人生に似ている。

クソミソというけど、人間の体は「食べるたべの臓器」みたいなもんや。
口から命のもとを入れ、咀嚼し嚥下し、各臓器をと通り、栄養などを吸収し、血や肉
となり、いらないものは肛門などから排出される。それの繰り返し。クソも味噌も
ある意味では、一物全体、みたいなものだ。排出されたくそは土にもどせば、野菜などを育てる
養分になる。その一連の流れが好循環になっているのが、自然の流れ、というものだ。
それがいろいろ不自然な流れになっているので、人も土も地球も病気がちになっている。

市販されている味噌は、発酵をとめる薬とか防腐剤などが入っていて、それを口からとると、
腸内細菌を殺す、ということになる。天地自然の理、だ。
あまり頭をつかわなくても、わかりきっていることだが、「わかってないつもり」で
いるほうが、都合がいいのか、食育とか健康で持続可能で・・・とかいうような掛け声とは
真逆のことをやっている人が多い。どの世界もそうだ。

そのまま考えもせずに、上からいわれることを「うのみ」にするのが日本人の特徴らしい。
夏の風物詩の「鵜かい」の主役の鵜がアユなどをのみこむ姿を「鵜呑み」というのだ。
あれを見て、「ぼくたちと同じだ」と思う人は偉い。

鵜呑みよろしく、腸内細菌の役割を伝授する。

腸内細菌は人が生きていくために必要な物質、アミノ酸、ビタミン、ドーパミン、セロトニンを作っている。

中学のころ植物を育てる要素を習った。「マグチョンスピクカフェ」と覚えた記憶が残っている。
マグはマグネシウム(Mg)、チョンはC(炭素)H(水素)O(酸素)で、Nが窒素・・・
Sは硫黄やね・・・Pはピーマン(うそ)りんです。Kはカリウム。カフェはCa(カルシウム)とFeが鉄。

これから「卵かけごはん」夜は「順受の会」23年続いている通称「論語の会」だ。
今年は「荘子」を勉強する。たぶん、23年の中ではじめて荘子を勉強する。23年後にこの会
が続く保証はないので、今年のこの会はおすすめ。
明日は「書をしようかい」。お店の看板を揮毫してくれた貞本さんがやってくる日。

味噌 みつ豆 蕎麦打ち

今日は、そんな日だ。場所があるのかいな?というくらい・・・

昨日は大石学さん(ピアノ)と、三輪知可さん(ヴォーカル)のライブだった。
毎年海の日に、大石さんがソロでライブをやってくれる。セシルが海で亡くなった翌年
2012年から、ずっと。
そのほかに歌姫たちをつれて素敵なライブをやってくれる。国貞雅子、LUNA、三輪知可さん
がそうで、彼女たちのCDの制作にも、大石さんが一役も二役も三役もかってくれている。

話を聞くにつけ、ひとつひとつの曲に「ものがたり」が秘められていて、それがいいスパイスになって、
人のこころに染みる。昨年4月に三輪さんのファーストアルバムがリリースされた。彼女のサイトでも
案内が、あるのでぜひ勝手に買って、楽しんでほしい。無味乾燥な毎日に、血が通い、情感あふれるものが
五感を呼び戻す、そんな感じのCD。もうすぐ二枚目がリリースされる。とても楽しみだ。

デジタルのコインが流出した、とかニュースでにぎわっている。流通もお金も音楽も、
デジタルがはばをきかせているけど、人も自然もあなろぐだし、ここの部分だけは
「デジタル化させない」というこだわりを捨てたくない気がする。
生きていくかぎり、生・滅・生・滅を繰り返し、死に向かっていく。その刹那の中にある永遠の中に
「どう生きたか」という大事なものが含まれている。
「何歳まで長生きする」「死ぬまでセックス」「どれだけ老後にかかる」・・・そんなことがたびたび話題に
あがるけど、大事なんは「どう生きたか」ではなかろうかしらん。

もたもたしていたら、したいこと、すべきことが過ぎていき、みんな「過去」になる。
どんなに若くてもお金をつんでも、「過去はもどってこない」
「過去と人は変えられない 自分と未来は変えられる」
当たり前だけど、案外、わかっている人が少ない。

明日は「卵かけごはん」 夜は「順受の会」今年は荘子を勉強します。
火曜日は「書をしよう会」

手前味噌つくりが始まる

今年も「菌活の会」、つまり「手前味噌つくり」が始まった。昨日が初日。
2007年に押上に天真庵を池袋から引っ越す前、つまり、ブクロでも
味噌作りをやっていた。お店を始めてすぐに、コネルのまいかさんが
「私もやりたい」と手をあげた。最初は彼女だけが参加した。
その手と手が繋がっていき、昨年は93人が参加し、今年はついに100人を突破。

「100匹めの猿」という現象がある。あるはなれ小島で、サルがいもを海水で洗っていた。
仲間たちに伝わっていき、100匹になると、海を越えて、いろいろな場所で猿がいもを洗うようになる。
「いもずる式」ではなく、「いいものは時空を超えて伝わる」ということだと思う。

昨年「腸内細菌のベストバランスが病気にならない体をつくる」(佐々木淳・kkロングセラーズ)を読んだ。
テレビや雑誌でも最近、「腸内細菌が大事だ」といわれる。「火の用心」と同じで、「そうや」と思っても
具体的なことがよく理解されていない。「知ってるつもり」になって、「ふーん」でおわることが多い。
「市販の味噌を食べていると、その大事な腸内細菌は死んでしまうんやで」といっても、「ふーん」
で、平気で不健康なくさい糞をする日々・・・そんな人には、ぜひ一読をおすすめする。目からうろこ、肛門から
いいクソが落ちるようになれば、その人も幸せかもなんばん。

今日はライブがあるので16時閉店。(満席御礼)
明日は日曜日なので16時閉店。二階では「満つまめの会」 やっぱり「健康で持続可能な生活」が大事やね。

月曜日の朝は「卵かけごはん」  平飼いの卵 手前味噌でつくる味噌汁 防腐剤の入っていない、つまり腸内細菌
を殺さない味噌と、お漬物。

月曜の夜は「順受の会」  今年は荘子をやります。東洋人・日本人として生まれてよかった、と思える
ような内容になると思う。23年目。「いってみようかな」と思ったら「そうし なさい!」
火曜日は「書をしよう会」

27日(土) 大石学Duoライブ

演奏: 大石学(ピアノ)・三輪知可(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

皮から始める水餃子

水曜日は「おんなかっぽれ」
猛烈な寒波が襲う東京だったけど、そんな日も浴衣だけで、けつをまくる(はしょる?)って、ハチマキと襷をかけ、
いなせなお嬢さんたちが、愉快にかっぽれを踊る。
一階では、カリスマ調律師さんがピアノの調律。調律がおわると、男子はぼくだけで、いつものように
「押上かっぽれ美女軍団」と蕎麦会。寒いので、「投じそば」にした。寒い冬はこれにまさるそばは、「あなたのそば」
くらいしかない。

昨日は「ダメから始める中国語」の日だった。
年に一度か二度、「皮から始める水餃子」をやる。
昨日は9人の女子が集まり、ワイワイがやがややりまがら、水餃子をつくった。
もうベテラン組は七?八回目になるので、菊練り?(そんなに大きくはないので片手でできる)も、
あんを包む作業も手慣れたものだ。10人で150個くらいつくって、あっという間に平らげた。
「投じそば」「みんなでにぎる鮨会」と「皮から。。」  全員参加型の会は、楽し。

さて今日から「手前味噌つくり」が始まる。
明日はライブがあるので16時閉店。

雪がこんこんと降る

天気予報どおり、先日は昼前から雪になった。
道路も屋根も、白く化粧され、車もチェーンと道路が擦れ合う音が聞こえていた。
「今日は誰もお客さんがこないかもしれないので、二階から読みたい本をかかえて、
ストーブの前の机に積んで、珈琲片手に読んでいたら、開店と同時に、満席になった。

九州さんの自分には今だにわかないことがある。小さいころ「子供ニュース」で、雪国の子供たちが
「かまくら」の中で暖をとりながら、ぜんざいなどを食べている姿。あれどうして雪が解けないの?
とずっと思っている。今も不思議に思っている。
京都にいって、冬に寒いとこへいってスキーをしてる友達を見て、「何が楽しんだろう?」
とずっと思っていた。今もそう思う。

今朝は雪かきを一時間ちゃっとして、蕎麦を打つ。蕎麦を打つのも重労働だけど、雪かきも
なかなか足腰の鍛錬になる。

今日は「タイムドメイン」
雪の日は、大石学さんのピアノソロをボリュームを下げて聴くのがいい。
昨日の夕方そうしていたら、大石さんから「土曜日よろしくお願いします」とメールがきた。
もう雪は残っていないかもしれないけど、素敵な週末ライブになりそうだ。(すでに満席)
来月は「手前味噌つくり」の月なので、ライブはありませぬ。

27日(土) 大石学Duoライブ

演奏: 大石学(ピアノ)・三輪知可(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

今日は卵かけごはん

先日、八郷(やさと)農場の「暮らしの実験室」から、卵と野菜のパックが届いた。
会員にならなくとも、スポット買いもできるので、「自分の舌」と「自分の五感」で
一度体験してみられるといい。口の中に入れるものが元気でないと、健康で持続可能な生き方
はできない。野性味のなくなった野菜と呼ばれているものを食べても、元気にはなりませぬ。
天真庵のHPにもリンクしているので、普段いろいろなことに「?」と思っている人、ある日「!」
と気づいたら、一度お試しあれ。

これから「卵かけごはん」。八郷の野性味のある自然農でつくられた野菜を入れたエサ平飼いで元気
に育った卵。具沢山の味噌汁のみも、八郷の野菜たち・・・・こんな朝ごはんを食べていると、雨にも負けず・・
今日は雪か?雪にも、冬の寒さにも負けず・・だ。

そうそう、今日の味噌汁は、八郷の青大豆でつくった二年味噌。大豆を注文したお礼に入っていたものだ。
今月末から味噌作り。北海道の大豆と八郷の青大豆を選択できるようにしている。
今年もたくさんの人たちが「手前味噌作り」に参加される。「健康の和」が優美にゆっくりと
広がっていく「手から手」へのリレーが素晴らしい。

昨日は「お花の会」と「お仕覆の会」だった。どちらも武内さんが教えてくれていたけど、花も先生
もこなかった。でもいつものように、梅の枝を、さや(陶芸家が窯で使う道具)に投げ入れ、昔の農具の上に
のせ、床の間に飾った。うぐいすでも遊びにきそうな気配。お香を焚くと、お香の中に微かな声が聞こえて
きそうな気がした。花の命も人の命も短いけど、その瞬間瞬間に永遠がある。

お仕覆は「自習」とあいなった。若いMが、結婚することになった。おなかに新しい命を宿しているらしい。
帰りに、久保さんの備前の皿と、志野のお食い初め用の杯を持たせた。
生きていく命と死んでいく命、どちらも同じ「命」である。大事にしていきたいものだ。感謝合掌。

奥様は18歳 みんな18歳

昨日は「満つまめの会」 昔昔、奥様は18歳、というテレビ番組があった。
満つまめの会のまーくんは、最近、難しい試験に無事合格し、先生に
「体を18歳にもどす秘儀」を教えてもらったらしい。今年から「満つまめの会」
では、その秘儀をつかって、みんなの体を18歳にするコツを教えている。
二階から降りてくると、みな18歳・・・そんなワケではないけど、時間をかけて
じょじょに、若返っていく、ということらしい。
40歳の奥様が18歳(22年の差)に・・・これはすぐには無理やわね。
80歳になった時に、58歳・・・・これは無理ではない。時間をかける、というのは、そんなことであります。

最近、若くでもガンになる人が多い。ふたりにひとりはガンになる、そんな時代だ。
がん細胞も誰でももっていて、体力とか免疫力が低下した時に、ガンになる。
でも人は100%いつか死ぬのだし、先の心配するより、「今」を充実させたほうが賢いと思う。

CMとか広告にだませて、なんでも「買わされてきた」世代の人たちが、テレビや週刊誌で「老後の資金は何千万必要」
などと、無責任な評論家なんかの話をうのみにして、吝嗇家になっている傾向がある。食えなくなったら、野垂れ死に
するか、せんでいいように、ふこう(不耕)な人生を改めて、土地を耕して何か野菜でもつくってみては如何?
海に竿だせば、何か小魚や雑魚くらいは釣れるでしょ。能登半島では、クロダイをスイカで釣る。
畑でスイカをつくり、人間が8割食べて、2割をクロダイの餌にする・・・そんなことを、みんなが
気づきはじめると、日本の自給率がかなりアップするのでは。

いろんなことが行き詰っているような世の中。そんな状態を「五里霧中」という。
昨日のゴリではないけど、小さな魚を捕るのに、じっと待つ。それを時間をかけて調理し、
酒の酒肴にしたり、ごはんのおかずにする。ゴリをとるのに必死、食べるのに夢中。それがほんとの「ゴリ夢中」
人生発想や見方や味方を得ると、明るく楽しくなる。

今日は日曜日なので16時閉店。それから「蕎麦打ち」
二階では「お仕覆」(自習・・・お花とお仕覆の武内先生が先月25日に昇華された)

水曜日は「おんなかっぽれ」
木曜日は「ダメ中」(HPには17時から・・・・間違いで18時半から)

ゴリで手取川を飲む

酒を毎日のように飲み歩いていたころ、新宿の「ゴリ」と大塚の「串駒」でよく飲んだ。
今おもえば、このふたつのお店は「石川」と深くかかわりのあるお店だ。

新宿の「ゴリ」で、ゴリ仲間と、手取川(石川の地酒)をよく飲んだ。
ゴリは看板に「ゴリラ」の絵がかいてあったので、一般の人は「ゴリラ」の略
だと思っているとおもわれるが、金沢の「ゴリだ」だ。
今は知らないけど、昔の金沢の人は「ぶったい」という不思議な物体(漁具)を
使って、辛抱強く、一寸にもならない小さな魚をとった。
一般的に釣りは「フナではじまり、フナで終わる」という名言があるけど、金沢の太公望さん
は、その前に「ゴリ」で精神を鍛えられる。ごりはうまくで、みんな夢中で食べる。それが「ごり夢中」・・なんちゃって

串駒には「いしり鍋」というのがあり、「いしり醤油」という能登半島の魚醤をつかった伝統料理が看板だった。
大林さんという主人はぼくよりひとつふたつ年配で、熊本出身のひごもっこすだったけど、還暦前に
天国に召された。大塚のジャズの名店グレコにいっしょにいって、バーボンを飲んだ仲でもある。

先日能登にいった時、「金沢のあにき」みたいな人に「ゴリの佃煮」をいただいた。
昨日の一番のお客さまは、先月58歳で召されたお花とお仕覆の先生だった武内由美子さんのご主人。
花とお仕覆の道具をわざわざとりにこられた。彼女と同様福岡県人であり同郷だ。話を聞いていると、
先祖は「倭寇」という海賊らしい。私の実家がある宗像も宗像族という海賊が住み着いた町、漁法や海女の文化を
日本海側に伝えていった人たちである。能登を切り開いていった人たちとも縁があるに違いない。
今年の忘年会あたりは、能登で「いしり鍋」でも囲みながら、能登の美味い地酒で一献・・なんていうのもいいな。
いつも冗談みたいにいっていると現実になるので、おもしろいけど・・感謝。

寒ブリ祭り

能登半に移住したお弟子さまから、大量のおまめの注文があった。
節分のおまめではありません。満つまめでもありません。珈琲豆。
ちょうど能登にいく用事があったので、羽田から能登里山空港まで
もっていった。時間に余裕があれば届けたいと思ったけど、すごい雪なのと、
こちらの用事があったので、空港の売店から発送した。
「能登はやさしや土までも・・」雪もまたいい。

あちらのテレビでも案内されていたけど、明日能登町にて「寒ブリ祭り」が
ある。年中お祭りをやっている土地というのは、「神遊び」というか、生活の
身近なところに神様がいらっしゃって、素敵なことやと思う。季語もなくなってしまった
都会には、神どころか、人の居場所すらなくなりつつある。ワッショイ・・・
というのは、神さまがいらっしゃった、という韓国語が起源なんのでありらん。

能登里山空港は、羽田から一日二便、ANAが飛んでいる。(小松空港までは10往復便)
バスのような小型の飛行機で、遠足にいく気分。のって本読みながら、ウトウトしていたら
ついてしまう、そんな距離感だ。のたのたしていても、すぐ能登につく、そんなに近い。

帰りに輪島に立ち寄った。どんよりとした冬雲の下、雪が残る路上で、リアカーを改造したような屋台
で、頬かむりをした腰のまがったおばあちゃんが、一夜干しのイカを行商しておられた。腰はまがっているけど、
この寒空の下で、満面の笑顔でおられる姿が、いい。「あるがまま」の生きざまを垣間見たような感動がある。
厳しい自然やけど、自然の神様の畏敬を感じながら、あるがままの生き方をされている。昔の日本人はみなそうだった
ような気がする。

その足で空港にいき、空港の3階のお店で、帰りの飛行機、までの時間をつぶす。
「イカの一夜干し」を酒肴に、輪島の地酒「千枚田」を3合飲む。窓の外には、雪景色。
お店のおばちゃんに「ここで矢代亜紀の歌でも流れたら、飛行機にのりおくれてもいいわ」というと、「そうね」
と笑っておられた。

能登は「日本人のこころの原風景」がいっぱい残っている。「梅茶翁」の部屋で案内されていますが来週
「剪定」の教室があります。今年も能登の「梅林ガールズ」が咲きはじめまする。感謝。