世の中に 惜しまるるとき 散りてこそ 花も花なれ 色もありける

きれいな人が突然昇華された。

26日の朝、能登「寒ブリ」が届いた。先月あたりに書いたけど、昭和51年ころ
京都下賀茂にあった「からふねや本店」の店長をやっていたころ、すぐ近くに「関西文理学院」(通称・カンブリ)
という予備校があって、そこの生徒や先生がめだかの学校よろしく、珈琲を飲みにきてくれた。

ブリの頭を落としたころ、N響のやまねさんがたっくんといっしょに年末の挨拶にきてくれた。
たっくんにとっては、ものほんのブリは初めてなので、「食育」とばかりに、解体ショーを披露した。
エラや内臓は、生まれて初めてなので、冬の日本海を泳いでいる寒ブリの丸い目玉のように、大きな目をしながら
「それ食べられるの?」とエラを指さした。「これは海の中で息をするもので、食べれません」と答えた。

手もまな板も、真っ赤な血潮で染められているその時、携帯がなった。かみさんからで「タケウチさんが亡くなった」
とのこと。てっきり銀座の骨董屋さんで昨年88歳で引退したほうのタケウチさんと思ったいたら、
「お花のタケウチさん」とのこと。原田先生のもと、いっしょに机を並べて花の勉強をしたやまねさんも驚愕されている。

享年は正確にはわからないけど、「京都造形大学」の一期生がぼくと同じ年で、彼女は3か4期生だったので、
還暦を待たずに、旅立ったことになる。突然のことで、まったく気持ちが整理できへん。
立て花やお仕覆を一所懸命習っているお弟子さまたちに連絡したり、縁ある人たちに連絡するのに二日かかった。

手元に「風興の会」の雑誌が置いてある。彼女が中心になって編集した素晴らしい花の雑誌。

特集が「原田耕三のいけばな」(在るがままに)。結果的にこれが最終号になる。
西堀一三の「日本生花の特質」
岡田幸三(原田先生の師)の花

その後に「東洋古典医学」「黄帝内経素問」(こうていだいけいそもん)という新しい目次があった。
利休さんも「花は野にあるように」とのたまわれた。医学も花も、自然にとりそい、陰陽で成り立っている。
「在るがままに」という、一見受け身のような原田先生が到達した境地も、そのような「哲」と同じ世界観なのだろう。

竹内由希子さんの編集後記を読む。
(前略)・・・さて、最近、わたくしの周りでは病気の友人知人身内が多数いて、心配が絶えません。
そんなこともあり、長年、東洋古典医学の講座等でお世話になっている、田中雅子先生に原稿をお願いしました。
陰陽五行節説など東洋古典医学と茶・花は思想的に重なる部分がありますので、これからも、この記事が花や皆さま
の大切な健康のための良きヒントになれば幸いです。・・・(略)

この原稿を書いている時、先日縁を切ったTからメルマガが届いた。(メールは今後いっさい不要だ、天真庵にも来るべからず、と返信。ネットの世界はあんな詐欺師が平然と生きている)
二度と会えない、ということでは、同じであるが、レベルが違う。彼女は、ほんとうに美しく、大切なことを
残していかれた。似て非なる「わかれ」である。明日禅林寺にて通夜があります。鎮魂。