素敵なピアノの発表会

かよちゃんの門下生の「ピアノ発表会」が昨日開催された。7回目。
石の上にも7年。かよちゃんの嫡男のたっくんも、二曲演奏した。
彼のおとんも、カウンターに座って、満面笑みで珈琲を飲んでいた。
彼はなんやら響という(S?M?いやN)のクラリネット奏者。

サプライズなお客さんがカウンターに鎮座しているのに、みんなあがらず、自然体で
それぞれの曲を演奏した。あがり症のかみさんもはじめてノーミスで一曲を演奏。
お茶もそうだけど、お点前などある意味どうでもいいのである。
日常の中に組み入れて、「自然体」で楽しめばそれでよい。音楽の「音」というのは、
「神様のおつげ」というのが根底にある象形文字らしい。先日の「漢詩を詠む会」で習った。

2年目になるいずさんは、10月に生まれた初孫を連れてやってきた。これまで孫が演奏するを聴きながら、
酒を飲むというじいちゃん&ばあちゃんはあまたいてけど、逆バージョン。「孫の力」というのは、
すごい、とあらためて痛感する。もちろん、孫がばあちゃんのピアノを聴きながら酒を飲んだわけではない。
ミルクは飲んでいたけど・・・
仙崖和尚が「親死ね 子死ね 孫死ね」と讃を揮毫した話は有名だが(順番にいくのがええよ、という教え)、
親も子も孫も、音楽という一期一会の刹那の中で「ともに生きているをよろこぶ」という刹那も、なにごと
にも代えがたい幸せの時間である。

おおとりは、今年初参加のなほちゃん。かっぽれもやる活発なお嬢さん。先月は能登で梅仕事もごいっしょした。
「家族」という感覚や単位がわかりにくい世の中になってきたけど、打ち上げでみなでそばを手繰っている時、
「これは立派な大家族」であることを痛感。なほちゃんがカレーそばを手繰りながら、「このカレーはどうやって
つくるのですか?」と聞くので、昭和の時代にどこの家でも西城秀樹が宣伝していたあのカレーのことが
頭に浮かんできて「ハウスバーモンドカレーだよ」と答えた。超がつくくらい「自然」いや「天然」の彼女は
真顔になっていたけど、名クラリネッターが横で笑っていた。カレーもそばも、いろんなものがでてきたけど、
「ホンモノはみな簡素」ではなかろうか。

今年もいよいよおわりに近づいてきた。おわりよければすべてよし。一日一日を大切に、家族を大切に
過ごしていければいい。今年の漢字が「北」とどこかの坊さんが揮毫したらしい。
平和という言葉をみなが意識するくらい、戦争もなく過ごせてきた70年ちょっとの平穏な日々が微妙になってきた時代でもある。