京都のおでん

昨日は「墨交会」。正確には「墨岡會」と書く。
京都工芸繊維大学出身の建築家たちが、年に二度集まって「今」を語り合う会。
昨日は少し寒かったので「京風おでん」をつくった。

とりそばなどの汁は、「甘かえし」というのを使う。店によってそれぞれ作り方があるけど、
天真庵では、九州の少し甘い醤油と、そばのお弟子さまの実家の「白醤油」(千葉)を
使っている。今年の秋から、白醤油の比率を変えて、「黄金比」に近づいた?そんな
感じになってきた。(京都風のおでんをやると最高・おでんは立派な日本料理やと思う)

ぼくが通っていた立命館は、昭和50年代中まで御所の横にあった。河原町通りをはさんで、府立医大があった。
御所の北側に同志社があった。よく御所で大学対抗のソフトボールなどを「ビール」をかけてやったりしていた。
負けたら、ビールが飲めず、梨木神社の井戸の水を飲んで、悔しさを味わった。もっともここの名水はビール
よりも美味かったかもなんばん。

近くの荒神口の交差点のところに「シャンクレール」という伝説のジャズ喫茶があった。そこで初めて
聴いたキース・ジャレットの音は、今でも脳裏に刻まれている。そこから100mくらい「下る」ったところに
「安兵衛」というおでんやがあった。学生・西陣の着物や・画商・芸術家・・・多士済々の面々が、おでんの鍋が
鎮座するまわりのカウンターにとまって、鏡屋式よろしくおでんをつまみに、名誉冠という伏見の酒をぬる燗にして飲んだ。

ときどき、府立医大の学生であり、「映画監督」でもあった大森一樹さんもそのお店であった。
あるとき、彼が有名な役者さんたちを連れて、安兵衛で飲んでいた。「ヒポクラテスたち」という当時の京都の
医学生たちの青春模様が描かれている映画の出演者の人たちだった。自殺されたなんやらさんとか、原田なんやらさん。。
酔った勢いで「ぼくも映画にでてみたい」といった。ら、「からふねやは、だしたる」といってくれた。
冗談だと思っていた。東京にきて、初めてのクリスマスの日。当時のソフトバンクは市ヶ谷にあって、総武線と中央線
で荻窪(最初は荻窪の住民やった)でおり、ルミネの中の映画館で「ヒポクラテス」を見た。
その自殺された俳優さんが「からふねやですね」というセリフをいった時にはびっくりした。と同時に
安兵衛のおでんを食べたい、と思った。まるでパブロクの犬・・うすあげに刻みネギがぎょうさんつまっている、が大好物。

そんなわけで、冬の「寺子屋」の時に、「京風おでん」正確には「安兵衛のおでん」をオマージュすることしばし。

今日は「満つまめの会」。夜はかすみちゃんの「ゆるゆるヨガ」。かすみちゃんにも「おでん」を伝授しとかなあかん。

明日は八郷の暮らしの実験室で「新そば祭り」があるのでお店は休み。
大きな声だしていいたいけど、自分たちで食べるもんがどんな風になっているか、まじめに考える時が
きているように思う。とくに「これから」がまだ長い人、自分の遺伝子を引き継いだ人たちが「これから」の人、
一度は「暮らしの実験室」(天真庵のHPにリンクしている)を体験してほしい、と思う。感謝。