日替り人生

今日から12月。師走であ~る。
先月後半から「新そば」を打ち始めた。10日は八郷の「暮らしの実験室」
で「新そば祭り」がある。お店はりんじぃ休業。昨年あたりから、縁ある
ところには、損得を不優先ででかけるようにしている。
「今なにをしたい」というよりも「今なにをしなくてはいけないか」の声を
優先している。今にはじまったことではないけど、そのほうが「自然」だと思っている。

「暮らしの実験室」では、野菜や鶏や豚などを、「自然」を最優先にして
とりくんでいる。しかも若く、その土地で生まれ育ったのではなく、縁あって
「よそもの」を覚悟して、そこで土を喰らような人間らしいいとなみが実験されているのだ。
農業も規制緩和されたり、外国の圧力にまけ、大型で何をつかって作っているのかわからない工業製品
みたいなものが顔をきかせたり、日本人もそれに負けじよろしく、大型化の傾向になりつつあるように思う。
ほんとうに「安全」を求めたいのであれば、「自分でつくる」しかないような時代。

大半の人が、都会に暮らしどこかの企業に属し、この字型人生(朝はやく地下鉄にのり、夜おそく自宅に帰る。横からみると
この字になる)をおくっているのが現状で、しかたない部分もあるけど、ときどきスマホでゾンビみたいな顔して
電車にいる時間に「哲」してみると、「違う生き方があるよね」と思ったりすることもあろう、と思う。

南島原に移り住んだ「なつきくん」が店長をしていた「ぶんかん」というお店が、近くにある。
そのころから「日替わり店長」制度があった。今は「ぼっちゃん」が受け継ぎ、水曜日は「オムライス」、木曜日が「稲庭うどん」
金曜日が「カレー」とか、日替わりで店長が自慢の料理を供す、そんなことを続けている。

先月、とあるおんなのこがそばを手繰りにきた。珈琲を飲みながら、「夢」を語っていた。
どこかのお店のスペースを借りて「おひとりさまカフェ」みたいなことをやりたい、そんなことだった。
白羽の矢は天真庵に向けられたが、うちのお客さまは「おしゃべり」が多く奇人変人の会員制カフェの
ような感じでもあるし、「ぶんかん」を紹介した。さっそく明日明後日の夜は、彼女がデビューするらしい。

終身雇用とかいう神話も神格化され、大手も存続が危うく、あげくにそのために従業員をクビ
にするような時代である。「働き手」のほうも、座して死を待つ、ようなことをせず、
「働き方」(つまりは生き方)を、変えていく時代がやってきている、と思う。
今日と同じ明日はこない、そんな激動の時代。まごまごしていると、孫のような人たちに
追い抜かれたり、その人の部下になる、そんな時代がきているかもなんばんよ。

明日はおもしろいライブがある。