そういえば、何年か前の中原中也の命日に、彼の詩に曲をつけ歌う、
という企画があった。若い青年が一生懸命に歌った。あまり上手じゃなかったけど、
「熱意」が伝わるライブだった。
ぼくが通った大学は、京都御所の横らへんにあった。今は衣笠とか琵琶湖キャンパス
とかになっているけど。その御所の近くの校舎の北に、小さな酒屋があった。
そこの二階は、中原中也がある女性と同棲していた下宿だった。
今はもうなくなっていると思うけど、その酒屋のすぐ近くに「中島食堂」という貧乏学生御用達
の食堂があった。今どきは、500円だせば、カレーやなんとか丼が食べれる時代だけど、その当時は
牛丼のチェーン店は京都になかった。「マクド」は今出川にあったけど・・
汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる 中原中也
汚れてっちまっていない「もうひとりの自分」がいるから、こんな美しい詩ができる。
坐という字は、土の上に人がふたりいる。「汚れた自分」と「もうひとりの自分」かもなんばん。感謝。