今日は、お花、お仕覆、蕎麦打ち日和

連休は、☂・雨ふれふれ、かーさんがジャモメでお迎えうれしいな、な日々。
庭の樹木たちも、虫のすだく音にあわせて踊っているようだ。ほととぎすは、まるで
飛んでいかんとばかりに、薄紫の花を揺らしている。
台風が過ぎると、いっきに秋だ。稲さんたちは収穫前の最後の試練だけど、がんばれがんばれ。

昨日はガンの手術を無事おわらせ、退院してきた常連さんがリハビリをかねて蕎麦を手繰りに歩いて
こられた。見舞いにさしあげた「能登の奇跡の水」にマジックで「命の水」と書いて、毎日飲んでいたらしい。
「女性は涙を流すたびに、目がきれいになる」なんていわれているけど、奇跡の水でミストすると、ほんとうに
きれいさっぱりした気分になる。

今日は二階では「お花」と「お仕覆」の教室がある。
お店は16時閉店で、それから「蕎麦打ち教室。

明日は祭日だけど、「卵かけごはん」(8-10)
夜「福の会」

火曜日が「タイムドメイン」
水曜日の14時から「無茶しぃの会」
木曜日が「そったく珈琲塾」&「無茶しぃの会」二階は「満つまめの会」夜は「おんなかっぽれ」

縄文そば半島

今日は二階で「満つまめの会」をひがなやりまして、夜は「ゆるゆるヨガ」。

今回の親父の手術を垣間見て、この10年くらい医学が急速に進歩しているのを
目の当たりにした。でも人間は機械ではないので、部品を交換して健康体になるのではなく、
生まれ持って借りている体を大事にしていきたいものだ。
まーくんの「満つまめ」の人たちを見ていると、「気」とか「呼吸」とかいうのは大事やね。
ヨガもしかり。神様から借りている体なので、大事に使ってお返ししなくてはね。

神さまといえば、宗像には世界遺産になった宗像大社があるけど、その隣に「鎮国寺」という古刹がある。
弘法大師が高野山をつくる前に建立したお寺で、真言密教のお寺さん。
九州にもどると必ずお参りする。今回は親父が微妙なところを右往左往していたので、信心深いお袋
が普段以上に般若心経を唱えていた。「あ、一本ローソクを追加しといて」というので「?」
していると「Mくんの奥さんのぶん」という。自分の連れ合いが危篤な時に、今月旅立った親友の奥さん
のことを気遣ってくれている。普段は「痴ほう?」と思うようなことも多くなったけど、不思議なやさしさを
秘めたかたでもある。

ヨガといえば、恵那の山の中に住む聖者みたいな人が、不思議なものをカウンターにおいていった。
「縄文土器と同じ原理で、大気の気と大地の気のバランスがとれるので、気がよくなり運がよくなりますよ」
といって、ニッコリ笑っておいていった。天真庵のHPの「遊山」というところに、能登の「真脇遺跡」という
縄文人の遺跡の写真がある。狩猟を主とした縄文人は、栄養失調で一か所に定住しなかった、という定説を覆し、
真脇では5000年も縄文人が定住していた痕跡がある。その地にいくと、「なるほど」というのが、
腹でわかる、そんな土地だ。昨日はぼくのそばのお弟子さまが「山梨で田舎暮らしをはじめたけど、次の場所を探している」
とのたまいながら、蕎麦を手繰っていた。能登の資料を見せると、目が縄文人のように輝いていた。理屈ではなく、
不思議なパワーに惹きつけられる、そんな時や磁場がある。能登が「縄文そば半島」になったりして・・

明日は日曜日なので16時閉店。その後は「粒々皆辛苦のそば打ち道場」
明後日は「卵かけごはん」&夜が「福の会」

宗像ユリックスで「人生フルーツ」を上映するバイ!

月曜日の朝に親父が吐血して救急車ではこばれ、
緊急手術をした。火曜日の夕方の便でかえった。
和白病院という心臓とか血管系に強い病院に運よく
はこばれ、手術がうまくいって、一命をとりとめた。

ICU(集中治療室)にいき、顔を見るやいなや
「生きるのも苦がおおいばってん、死ぬときも苦しかばい。おんなじばい」と
高僧のようなことをのたまいながら笑っていた。92歳。
ガダルカナルの稀有な生き残り組であり、61のとき動脈瘤破裂。
その時の古傷が悪さをしたらしい、普通だったら30年前に即天国、のところ、
そのたびに「サムシング・グッド」か「ゴッド」が働いた。

ICUってところは、面会が3時からで、15分と決められているので、午前中は
庭の雑草取りをした。
実家は宗像という宗像大社の神域にある。今年世界遺産になった。
駅前が「それにむけて準備」をしていて変わってきた。もとパンやのところが、
「なんやら。。。宗像」というコンシャルジュの待機するお店?ができた。
のぞいてみると、「人生フルーツ」のチラシがあった。
ほかのものを見ず、すぐにその映画が上映される宗像ユリックスにいき、チケットを
母たちにプレゼント。10月18日(水曜)。
「これは見たほうがええばい」・・・とユリックスのチケット売り場の女性たちにも力説しておいた。

昨日は台風の影響か?飛行機もゆれた。「人生フルーツ」のごとく、力を入れずぎず、
自分たちが生きたいまんま、こころおだやかな毎日を過ごしたいと思う。感謝。

今日は都合により16時閉店 満つまめの会はやります。

ちょっと野暮用ができて、夕方の便で福岡にかえることになった。
満つまめの会は、予定通り二階でやっておりますが、一階の
お店のほうは16時閉店にさせてください。

昨日は「長屋で女史会」だった。
勉強が終わって、蕎麦会の時、版画の話になった。

久しぶりに川上澄生さんの版画を夕方に飾ったので、不思議な気持ちになった。
お店が始まる11年前、その版画を銀座の画廊で買い求めた。着物をきた3人の
女性が、西洋風のモダンな椅子に座って、談論を風発しているような絵。
もう一枚、同じように女性が着物を着てワインを飲んでいる絵があった。

その絵は一日違いで買いそこなった。若いころは、おねっちゃんのいるお店で、いつも財布の中が
空っぽになり、年をとってからは、骨董屋をのぞいて、気に入ったものがあると、財布の中身
をぜんぶおいていく習性ができ、いつもすってんてんで、家に帰った。
美術品とか、茶道具とか、普通の生活とは乖離したもの、無用の用みたいなものを買うのは、「自腹に限る」
と、白井晟一先生がおっしゃっていたらしく、その話を聞いてから、自分のお金(会社やギャラリーの経費でない)ときめている。

3人娘の版画を見ながらワインを飲むと、美味い。できたらクラシックなバカラのワイングラスで飲むと、もっとうまい。
昨日は文庫ちゃんとそんな話をしながら盛り上がった。今のグラスと違って鉛の含有量が少なく、女性的なやわらかさがある。
ガラスといえば天真庵のグラスのほとんどは、安土さんのものを使っている。彼の実家には生前の川上さんも遊びにいっていたらしく、
版画も残っているらしい。川上、安土・・・・そーんなバカラ、の奇妙なお話。

朝焼けの日は☂が降る?

今朝は朝刊が休刊日。
ぼくは、休肝日はもうけたことがない。成人する少し前(だいぶ前?九州は15歳くらいから飲む?)
から、毎日飲んでいる。

蕎麦を打ちながらラジオの天気予報を聞いていると、今朝は朝焼けが見えて、そのことわざのように、夕方から
下り坂になる、ということだ。

人生にも、下り坂と上り坂があり、「まさかの坂」というのもときどきあるらしい。
前のふたつは、経験とか運とかが左右しながらもどうにか過ごしていける。「まさかの坂」が
来た時は、その人の「人間性」が大きく左右する。らしい。そんな本をどこかで読んだことがある。

今日は「長屋で女史会」がある。ものほんの女子大の先生が、日本の歴史を「女性」にスポットライト
をあてて、蘊蓄たっぷり、酒席にぴったりの、ちょっと女子大には聞かせられない話をしてくださる。
多士済々の人たちが、生徒としてやってくるし、かなりおもしろい寺子屋になってきた。

明日は「ちんぷん漢文」の日。
「古典」が苦手だった、という人が多いけど、文人たちに中国の文化はあこがれであり、実に奥深い
ものかかがよくわかる。お米といっしょで、かめばかむほど、おいしくなるし、血や肉になっていく。

これから「卵かけごはん」。ごはんと味噌汁とお漬物。それだけあれば何も足すことなし。
「足るを知る」の日本人の原型みたいな食事。

なさざればくわずというかあなかしこ 何をなしてか我はくらへる

ある芸術家の歌。古今東西を問わず、みんな飯を食う、ということで悩みながら生き、死んでいく。感謝。

「満つまめの会」がすごいね。

天気予報を見ると、今日は30度になるらしい。
自動打ち水機が活躍しそうだ。
このあたりは、飛木稲荷の神域で今日は秋まつり。
地味なお祭りだけど、元気はこのお祭りを見た後召された。

秋まつりといえば、熊本の「藤崎宮秋の大祭」を現地で体験すると、
熊本人の気骨や歴史が丹田の下にズシリとおりてくる。
昔は「ぼした祭り」といっていた。九州では、力道山の
次代に、あの名レスラー「ボボブラジル」とはなかなかいえない事情があった。
朝から説明するにはちと、テンションがあがらないけど・・・

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ち教室」
二階は「満つまめの会」

芸術の秋だ。音楽家たちも芸術家たちも、いろいろ忙しそうだ。

30日(土) ボサノヴァライブ 秋の光

演奏:山本ひかり(歌・ギター)

19時開場 19時半開演  ¥3,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

この世はすべて次代送り

先週農業をやっている旧友がそばを手繰りにきた。
どうやら軌道にのった農業法人を後輩に託して、次のことをやるらしい。
人生いろいろだ。ぼくの誕生日に「おめでとうメール」がきたので、返事に
「麦の家、をめざすようなこと考えてみたらどうだ」みたいな返信をした。

比叡山のふもとに「麦の家」がある。松井浄蓮さんが始めた。
最近古本屋で、彼の本を見つけた。

・・・(略)・・人生においては「次代送り」の喜びというものが大切。果物の樹を一本植える
にしても石を家のまわりや田圃のふちにおきにしても、先祖の行跡を考え、子孫の末を思い、
数百年ののちの夢までみつつ工夫しているなどということは、土の上に生活の根をおくものでなければ
能(あた)わぬことである。(浄蓮)

都会で暮らしていく未来には、ぜったいにつかめない「哲」である。

昨日大石学さんから新しいCDが届いた。「雨の音」。。。?なんやらそんなタイトルのソロピアノアルバム。
どんどん新しい曲ができてくる、ようだ。海賊と呼ばれた男、出光佐三翁の随筆に「自噴の水」というのがある。
人生は短い。人にいわれてやるのではなく、自分の本心良心の奥底から湧いてくるような感動を大事にしたい。
そんな意味だったように思う。昨日このCDをかけていたら、バタバタとお客さんがそばを手繰りにやってこられたので、
この一枚で開店から閉店を過ごした。今朝蕎麦を打ちをしながら聴いたら、みんないい曲だ。
「自噴の水」でいきたいもんだ。感謝。

かっぽれ飯

昨日は「おとこ かっぽれ」。もうかれこれ8年くらいやっていることになる。
女子はまだ一年くらいだけど、男子の3倍くらいの人数になり、活気もある。
幇間芸(ほうかん)というのは、そもそもは男の専売特許みたいなものであるが、
生命力にあふれる女子が席捲している。お茶もお花も、同じようなことがいえる。

まわりの友達が、現役を引退して、田舎にひっこんだり、東京でブラブラしたりし始めた。
会社をうまく経営し、株を売ったりして悠々自適なんとか、大手にいて退職金がいっぱいでて
余裕の人もけっこういる。でも余裕のある人たちは、だいたい「お金にものいわせて遊ぶ(暮らす)」ことを
標準にしているので、自分の手を動かして何かを創造する、とか、体を動かしながら汗をかく、
なんていうことから遠い人が多いような気がする。引退した後に退屈しないコツは、
毎日コツコツと体を使い、頭や体をつかって、自分ひとりででき、一生の残りの日々を費やしても悔いのない「何か」を見つけることだ。

そういう意味では「お茶」とか「お花」なんていうのは、お点前の順番をおぼえる、とか、上手にできる、とか、うまく投げ入れる、とかハウツーの範囲を
超えて、「どう生きる」かという問いを自分に課せるような「哲」があるので、おもしろい。お金で買えない「コト」が多いのもいい。

蕎麦を打ち始めたころ、最終章をこんな風に考えていた。

朝まずめに30分釣りをする。
帰ってきて20人分のそばを打つ。
蕎麦が売り切れたら、おしまい。晴れていたら畑や山にいき、
友が訪ねてきたら、煎茶を一服する。晴耕雨読。
夕方になると若いお弟子様がやってきてお店は交代。
ぼくは、カウンターに座って、沈む夕日をみながら朝釣った魚をつまみに酒を2合飲む。

そんなことができる場所を旅の途中で模索してきた。

義経とわらび姫とUFO

今日は「おとこかっぽれ」の日。あいにく朝から東京は☂。

今日はBUNKANの坊ちゃんが、水を持ってきてくれる。南島原に移り住んだなつき君
の仕事を受け継ぎ、月一のペースで、静岡の奇跡の水を汲みにいってくれる。
午前中の約束だったけど、都合がつかなくなり、夕方リベンジ。静岡の水は、世界一の
浄水器・富士山の水。論語の会の幹事を長年務めてくれた清水さんも、この夏静岡に移住した。

昼は「残り物のパスタ」。能登のギバサと能登梅の梅干しで「能登そばUFO」が誕生した。
これをパスタにすると、ビールにあうのでは?とひらめきやってみた。
オリーブオイルににんにくひとかけら、梅干し、ギバサ、そこに適宜ゆでたパスタをからませ、最後に
パラリとかえしをかける。残りもんだけで作った「貧乏パスタ」だけど、ビールのすすむこと。

ぎばさとは、能登でとれる「ホンダワラ」のこと。雄株・雌株があり、早春の冷たい海で採集して干して常備する。
壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、京都に凱旋し、不思議なエニシで敵方の重鎮・平時忠の娘「わらび姫」を妻にした。
ご存知義経はその後、兄頼朝にうとんじられ、奥州に逃げる。「勧進帳」は有名な話で、今でも歌舞伎や芝居で人気がある。

平時忠は、奥能登に流され、父といっしょに住むわらび姫に一目あいにでかけた、という話が能登に残っている。
先週はそんな話が残る「義経の隠し舟」の里へいってみた。
ギバサとは、その時義経が馬に与えた海藻・ホンダワラのことを表し、「義経の馬の草」が原点らしい。
半官贔屓の日本人は、頼朝とか森友とかより、義経が大好きである。勧進帳で涙を流し、夏は体を動かし汗を流し、
流した後に、ギバサと梅干しのきいた「能登そばUFO」を食べながら、義経とわらび姫のことを忍んで涙をながし、
能登の地酒を飲む。新しい義経伝説。                 

奥能登国際芸術祭

が始まった。2017年9月3日(日)〜10月22日(日)までの50日間。珠洲のいろいろな場所で、いろんな国
の芸術家たちが、真善美を発信する。
オープニングでは、三輪福さんが海で素敵な舞を奉納した。昨日メールに添付してあった映像を見て、
能登の神秘をあたらめて知る。われわれ日本人のこころの原点のようなものは「縄文」に由来する。奥能登は
縄文の魂が自然の中、日常に残っているところ。

天真庵のHPの「遊山」というところに、今月1日に真脇遺跡の「縄文の家」で三輪福さんとやった「縄文のお茶会」
の写真をアップした。日本のお茶の原点は、千利休さまあたりを原点にしているけど、きっと縄文あたりに「火」
を発見したころから、自然発生的に生まれていたのでは、と思ったりした。

昨日は「英語でそば会」だった。残念ながらポン引きはうまくいかなかった。ツアーのポーランド人があまたいたらしく、
「ツアーで、これからみなで食事をします」というような事情だったらしい。
残念会のようなそば会になった。でもゆっくりと日本語で酒を酌み交わすのも、またいいものだ。
最近なんだか知らないけど、「中高年の登山学」よろしく山をやる中高年の人と縁がある。校長は岩崎元朗さん。
「山は哲」という信念を持った人で中高年の登山人の教祖みたいな人。ぼくが主催していた「ねっと21」のメンバーでもあった。
彼の弟子と「立山」に登って以来、毎年のように立山に登ることが5年くらいあった。その後はマラソンと
ボクシングにはまり山から少し遠ざかっている。奥能登の内浦(富山湾側)からは、晴れた日には立山が湾の向こう
見える。今年は二度見た。不思議な「えにし」を感じる。天恩感謝。