まさに東京砂漠

暑い夏がもどってきた。
昨日はお休みだけど焙煎をしていた。Tシャツが塩田のように
汗を吸い、塩をつくっていた。このままだと熱中症に
なりそうなので、銀座にいく。ちょいとはずれの蕎麦屋で、ビールと卵焼き。
そばがきで菊正を二合飲んで、そばを手繰って、おしまい。ここで
少し気を大きくして、「勝ってくるぞと勇ましく」・・などを口ずさみながら
骨董屋をまわる、が、ぼくの銀ぶら。

昨年まで半世紀にわたり、文人や坊さんの掛け軸をあきなっていた「一楽堂」さん
の前を通ると、新しい建物の工事が始まっていた。主人は元気かしらん。「またまた一楽・・・」
田能村竹田と頼山陽の書簡「一楽帖」から命名したもので、とくに煎茶を愛した文人ものが好きだった。
そのおかげで、黄檗三筆、とか、上のふたりとか、亀田窮楽、池大雅(正確には、奥様の玉蘭」などの書と
えんがあり、月替わりで床の間に飾って、煎茶の時などに楽しんでいる。これまた一楽だ。

最近は煎茶ブームというか、煎茶道具が中国人やアジア人に人気らしい。とくに中国人は「渡り」を好む。
もともと煎茶は隠元和尚が中国から宇治の黄檗山にもってこられたのを起源とする。
そのころ中国からわたってきた道具を「渡り」という。煎茶人たちは、いい「渡り」に出会うと
「あ、渡哲也だ」みたいに目をランランと輝かせる。

まだ残っているいきつけの骨董屋をのぞいた。「見せたいものがある」と先日電話があったからだ。
明治時代の京都生まれの財界人がつくらせた「器局」。煎茶道具を運ぶ道具で、黒檀とか桐などでつくられているものが多い。
昨日みたのは、二本松箪笥のように少し赤がった風合い。「いいね」とかいう顔をすると、値段がはねあがるので、
「ぼくの持ってる黒檀の器局をこんど買ってくれない」とけん制。敵もクールな顔で、「あれは中国人に見せたらすぐ飛びつきますよ」
とのこと。
四方山話をしただけで、押上にもどる。煎茶の後輩から丁寧な暑中お見舞いがきていたので、天真庵のポストカードで返事を書く。
そのカードには、和気亀亭の涼炉の写真。一楽堂さんが「一生売りたくない」といった宝ものを、5年くらい前の暑い夏の日に
譲ってもらったものだ。いろいろな人に「使い継がれ、愛され続けていく」のが、いい。感謝。

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