庭にほととぎすが・・・

といっても、東京ではお目にかかれない。鳥ではなく、植物のほうが、
小さな庭のほとりに、薄紫の華憐な花をさかせた。さっそくお店にもっていき、
床の間(ガラスの置き床だが)の古瀬戸の花器に投げ入れる。軸は「體中玄」。
売茶翁(正確には八橋売茶翁・・・福岡出身の茶人)が揮毫したものだ。
冷やした玉露を一服したら、涼やかな風鈴の音がした。みやび みやび な ひとり茶。

愛用の茶道具が、美人の新米煎茶道先生に嫁いだので、久保さんの焼き締めの宝瓶(ほうひん)で
玉露をいれ、斑唐津の酒器で一服。昔から備前の徳利に斑唐津のぐいのみ、という組み合わせが酒徒のかこがれのまと。
すこしまとはずれ、だけど、昼酒以上に玉露に酔った気分になる。
般若くんの作った茶箪笥の上には、彼が塗師の巣山氏にぬってもらった茶櫃がある。その中には
縄文ドリポットと、斑唐津の茶碗がしこんである。ときどき「珈琲点前」をやっているときに使う道具。

茶箪笥の上には、雑多なものをおく「ものおき」がある。改装の時に天井をはずしたので、昔は天井裏だったところ。
そこに古い大きな茶箱がある。その中には黒檀の器局(茶道具を運ぶもの)が入ってあり、すき間に折敷(おしき)が
入っている。その折敷は、茶人があこがれの「埋もれ木」というやつだ。そこに愛用の茶碗と茶たくをのせて、お茶を飲む。
飲んでいる空間が一瞬にして凛とする不思議な木。東京にいる時は使わないけど、地方の海辺や茶畑みたいなとこで使うと、いい。

茶を飲んだ「だしがら」は、のりといっしょに佃煮にする。酒のつまみに最高だし、冷ややっこの上にのせたりすると、
次の朝まで幸せな酩酊の妖精が頭の上を飛び回るくらい、うまい。
雑然とした庭には、大葉やみょうがもでてきた。今どきの、遺伝子操作された「エフワン」とは違い、毎年芽をだし、
夏の冷ややっこの薬味になってくれる。昨日の勉強会は、そんな「遺伝子組み換え」の勉強をした。ときどきそんな
勉強会をすると、微妙な空気が漂うことがある。命を紡いでいく大切なものはみな口の中から体に入っていく。
その口から入る「たべもの」が、薬というより毒みたいなもんが席捲してきた。石鹸を喰うよりひどいものだらけ、という
ことを、各自が少し自覚しないと、これからの人たちの「命」があやうい。

今日は「タイムドメイン」。気のおけない仲間たちが、仲間といっしょに飲みたい酒や酒肴を持ち寄り、
それぞれが推薦するCDを聴きながら談論風発する日。

明日は「おんなかっぽれ」  このかっぽれも、来年あたりは、どこか地方でやりたいとひそかに思っている。感謝。