🚹の道具 🚺の道具

能登のUFOが好評だ。今週くらいまで「能登の海藻」
は「義馬藻」を使っている。勧進帳で有名な義経と弁慶は
安宅の関から、東北に逃れていった、という伝説がある。
その義経の馬がどうじゃこうじゃ、というのが、この海藻の名前の由来らしい。

義馬藻には、雄株雌株のように♂♀の区別があるそうな。能登の海藻はうまい、と聞いて
いたけど、なるほど蕎麦に入れてもうまい。能登の潮風に吹かれ、梅雨に洗われた梅も絶品である。

本の整理に続き、茶箪笥の中にあるカメラの道具も、コンタックスのカメラ一台を残し、
みんなあげたり、捨てたりした。その時、カメラの三脚の後ろに、桐箱がありあけたら、
漆の茶合がでてきた。大塚の骨董屋から買った漆の沈金。輪島の人間国宝の故・前大峰先生の作。

陶芸家の久保さんのところに預けていた茶櫃がもどってきた。「今日」と蒔絵が施してある。
宗旦翁が使っていたものではなさそうだけど、そちらの道の人が愛用していたものらしい。
その茶人が使っていた結界もいっしょに買った。その箱の包みには京都の茶道具屋の名前があったけど、
今は存在しない。京都もどんどん変わっていく。

少し小ぶりの茶櫃の中に、少し小ぶりの茶碗や急須や茶たくなどを入れてみた。
京都と東京の「美意識」の違いというのは、この「大きさ」にあるように思う。
畳しかり、料理やの器、料理の盛り方しかり。

最近煎茶を習いにきている宇治出身のクンが、この茶櫃をいたく気に入って、「ぜひゆずってください」と
のことであったが、「きみおかま?」といい、「これは女性、しかも美しい女性が持つもんやで」と断った。
男女平等な時代とはいえ、男が持つにふさわしい道具、女が持つにふさわしい道具というのがある。
明日は、お花のお稽古日。秋から煎茶のご教授を始める美しい女性がくる。彼女なんかが「ぜひゆずってください」
といったら、ふたつ返事なんだが・・・しかし彼女は、黄檗モノ、しかも黄檗三筆とか、頼山陽や竹田の掛け軸の
ほうに触手が動いているような気配。そのあたりは、男の道具ではなかろうかとか思ったりする今日このごろ。

今日は「満つまめの会」 夜は「ゆるゆるヨガ」
明日は二階で「お花のお稽古」、「お仕覆のお稽古」  「粒々皆辛苦のそば打ち教室」