いわゆる「精進鮨」の夏の王様かもなんばん。
近所でカフェをやってる素敵な女店主が、「朝採れた野菜」
をもってきてくれた。松戸(どうも松戸と町田の差がよくわからない)
に畑を借りていて、野菜をつくっている、らしい。
なすとちっちゃなトマトが、ピカピカ輝いていて、「おはよう」と
挨拶してるようだ。キュウリもまがっているけど、水水しい。
昨日は、二階が「お花のお稽古」&「お仕覆」。下では「蕎麦打ち」と「鮨をにぎる会」
が、混声合唱団よろしく、にぎわっていた。
海でとれた魚をその場で、〆たり、酢〆にするように、とれたての野菜を「鮨ねた」にする。
魚も野菜も「ひとてま」で、まったく違う世界へ飛翔するか、墜落するか、くらいベツモノになる。
トマトは半分にきり、甘いかえしと梅酢を、いい塩梅に配合して、その中につけとく。
酢飯に赤い帽子をかぶらせて、それをパクッと口に入れると、「ざまあみろ」というくらいうまい。
なすは、へたをとり、あつめのお湯に長湯させ、それをまな板におき、上にもう一枚まないた
をおく(投棄などでもいいい)。からすみみたいな形になるので、それを出汁でひたひたにつける。
そばをやる人は、そばつゆの湯にすればいい。それを切って、昨日はできたての「梅味噌」をのせて
食べた。ふだんはおとなしいかすみちゃんが、「日本酒がほしい」というので、京丹後のなんやらいう
酒を飲みながら、鮨会が始まる。
都会にいると、「おいしいもの」の情報があふれている。その情報にふりまわされながら、
まるで雑誌やミシラヌ媒体でも食べているような錯覚をおこしている「やから」が多い。
あれにしようかこれにしようかと、いろいろ選択できるけど、けっきょくまずいものを喰ってる、そんな感じ。
田舎にいくと、野菜や魚がとれる時は、容赦なくとれ、何をたべようか?という選択肢はない。「しかない」けど、
どれも「とれたて」の旬に満ちている。
「おいしいものを食べる」よりも「おいしく食べる」ほうにシフトしていってる人が、多くなってきた。
これから「卵かけごはん」夜は「論語の会」(22年目の順受の会)。
明日は「書をしよう会」
水曜日が「おんなかっぽれ」 毎日毎日がいろいろな出会いがあり、日々是好日。感謝。