おーいお茶

昨日は「ちんぷん漢文」の日だった。
織田流煎茶道の先輩、南甫先生がやってきて、漢文を教えてくださる日。
漢文といえば「詩経」から始まった歴史がある。天真庵の寺子屋のはじまり
は「順受の会」。荘子の言葉からなずけたられた会だが、わかりやすく通称「論語の会」。
22年目になる。昨年は「詩経」を勉強した。

茶名の「南甫」からも想像できるけど、彼は杜甫という詩人が好きに違いない。
この勉強会の初日は「杜甫」を勉強した。唐の時代は中国が世界の中心にあった時で、
寒山拾得もそうだし、いろいろな芸術・文化が花咲いた時代。今も中国は発展しているけど、
唐と違って、文化や芸術などがまったくおいついていないような気がする。

昨日は「王維」を勉強した。杜甫は政治的な混乱などにより、中国を転々とした。
「名前からいって、移動は歩いていったんでしょうか?」とバカな質問をした。ら、
先生は真顔で「そのころは船が中心です」と答えられた。徒歩15分くらいでいける距離ではない。
昨日は「やはり王維は、お茶をたしなんだでしょうか?」と質問しようとした。けど、
破門されそうなので、お茶をにごした。
しかし、煎茶の世界は中国の文人たちが、隠居し、竹林の中などで草庵を結び、自然に
よりそいながら、お茶や詩や音楽などを楽しんだことなどの影響を強くうけている。

王維に「送別の詩」がある。昨日はそれを日本語と中国語で読んだ。
「勧酒」の「さよならだけが 人生だ」ではないけど、人生のわびさびの妙を
感じる詩である。「陽関三条」(ようかんさんじょう)といって、中国ではこの詩の
最後の行(西出陽関無故人・・・西にいってしまえば、故人(友達のこと)もいなくなるね)
を3回繰り返して読むのがならわしになっている。酒を酌み交わしながら、別れを惜しむ場面
になると、泣くだろうな、と思うくらい情感的な詩である。

今日明日は「そったく珈琲塾」&「無茶しぃの会(煎茶のお稽古)」