年をとっても、元気な人 ぼけない人

新聞やテレビや雑誌を読まなくても、どの町を歩いてみても、
老人の割合が増えている。この押上界隈も、例外でなく、ガラガラを押しながら
歩いているじいちゃんばあちゃんの多いこと。救急車のサイレンの音を聞かない日はない。
年間に召される人が100万人以上という「多死」の時代である。

昨日の昼間は「満つまめの会」だった。この会は最初はうちの常連さんで「昼カラオケ」の好きな
人に誘われていったのがきっかけ。もちろん「昼からカラオケ」ではなく、気功整体。
近くの公民館みたいな公共施設をまーくんが借りて、毎週水曜日にやっていた。
「ゆーとぴあ?」なんやらそんな名前の施設で、なかなか毎週部屋をキープするのがむずかしく
なり、天真庵の二階でやることになった。

最初は「昼・・」の人たちが多かった。こちらにきて、うちのカッポレの連中や音楽家、料理人、
カフェー人、ギャラリアンたちが幅をきかせつつある。みなほぼ「くちこみ」で広がっている。

その中に2人のおばあちゃんがいる。ふたりとも、年齢的には「後期高齢者」なのだが、
現役で仕事をしている。ひとりは自分が創業した会社を、ひとまわり以上若いご主人
(年をとって結婚したので、年上が相手では、すぐ介護になる可能性があるので、そうした、と自分で
のたまわれている)、にまかせて、本人が経理をやっている、らしい。

もうひとりのおばちゃんが昨日「満つまめの会」にきた。電動だけど、自転車で颯爽と風を
切ってやってくる。おじいちゃんと会計事務所をやっていたけど、おじいちゃんが天国に召され、
どうしてもお願いされるお客さんの経理事務をお手伝いしている、らしい。

ふたりに共通していること。現役、ということもあるが、いつもおしゃれをして、いずまえを直す気持ち、
を持っている。仕事以外に、お茶など習っていたり、映画にいったり、感動する気持ちを持続させている。
冗談もでてくるし、笑ったときの「笑顔」がいい、のも共通している。しっかりした「自分の居場所」を
自分でつくっているような気する。カウンターに座って玉露を飲みながらかわすちょっとした日常茶飯が、
自然体で肩に力が入っていない。

昨日は「ダメ中」だった。うちのかみさんが初めて蕎麦を打った。先生が名古屋から
こられる、という洒落ではないけど、きしめん風な蕎麦だったので、豚を冷シャブにして、
サラダにして食べた。7人で10人前をあっという間に完食。ぼくが老衰でいついっても
天真庵は大丈夫かもなんばん?

今日は「インヨガ」。カナ先生がこの秋に家族がひとり増える。そんな準備もあって、
この7月で「インヨガ」はしばらくお休みになります。その間、ぼくのそばと珈琲のお弟子さま
のひとりがピンチピッターで「ゆるゆるヨガ」をやる予定。

明日は日曜日。日曜日は16時で「閉店」。その後は「粒々皆辛苦の会」(蕎麦打ち教室)
明日は「金継ぎ教室」(不定期)がありまする。