今日は七夕。昨日は「サラダの日。」
サラダの日に、新人女子が元気に「初そば打ち」。
お茶のお弟子さんでもあるふたりは、玉のような汗びっしょりになったけど
いい蕎麦が打てた。粒粒の汗をかき、一粒で一本になる蕎麦を打つ。そのそばも、
一粒の種から、育ったものだ。いろいろな手もかかり、それぞれの「一粒」が生きている。
まさに「粒々皆辛苦の一粒」である。これから蕎麦打ち教室のことを「粒々皆辛苦の会」(りゅうりゅうみなしんくのかい)
にしよう。ひとつぶひとつぶの「命」に感謝しながら、蕎麦を打つ。そば前の「酒」も、一粒一粒の「命」を命がけで酒
にした物語の一滴。古人は「血の一滴」として大切にしてきた。
能登半島から梅といっしょに、笹の葉がおくられてきた。梅茶翁の梅林に続く山道に
一生懸命に生きている草木の仲間である。久保さんの志野の四方皿にのせ、そこに蕎麦豆腐
をのせると、「七夕のハレ舞台」ができる。
能登の地酒に「竹葉」というのがある。「笹の葉」と酒は繋がりが深い。昔から酒飲みのことを「大寅」といった。
座敷遊びでは♪トラ トラ オートラ」というのがある。
寅は昔から竹といっしょに描かれる。そして酒飲みは自分が飲みたいので、まず
人に「ささ」「ささ」といって、徳利の首をもって酒を勧める。そんな縁起とか演技から
「ささ」が「酒」になり、大酒飲みのことを「大寅」とアダ名した、らしい。
本日は♀の「大寅」があまたやってくる。「ダメから始める中国語」がある。
へたなことをしたりすると、右腕が食いちぎられるようなことにもなりかねないので、
いつも、小さくなって蕎麦会の端っこでじっとしている。
寒山拾得(かんざんじゅっとく)の絵は、ふたりの奇人がほうきと筆をもって遊んでいる構図。
そこに寅と老師が加わり、4人(3人と一匹)が寄り添って寝ている構図もある。
老師の名は「豊干禅師」(ぶかん)という。禅の世界では「この世で一番幸せな姿」
ということになっている。まだまだ凡夫で修行の途中ではあるが、そのうち、大寅さん
たちと雑魚寝ができるくらいの境地に達したいものだ。
今日は「満つまめの会」 狩野探幽が描いた「豊干」を飾ってみよう。感謝。