人と与(とも)に楽しむ

九州中国地方が大雨で大変みたいんだ。
宗像の実家で93歳と86歳が暮らしている。ときどき
電話をすると「元気にやっているから、電話はいらない」などと
強がったりしている。でもそんな「求めない」気持ちが素晴らしいと思う。

昨日のブロフに紹介したおばあちゃんも、かなりおばあちゃんだ。
女性に年を聞くのは失礼だと、しつけられた。躾とは「し続ける」ことだし、そうすることに
よって、身が美しくなることだ。「真に美しいものは 真に正しいものだ。真に正しいものは 
真に美しいものだ」。順受の会の松田先生の恩師・故岡田武彦先生は、かくのたまわれた。

そのおばあちゃんも、ぼくの先生である。お店を始めてすぐのころ、
「あんた私が散歩するころには蕎麦を打っていて、昼間はずっと休憩なしで、時々
遊びにいって夜おそく帰ってきても、お店のかたずけをしていたりして、いつ寝ているの?」
なんてことをよくいわれた。「こんなお店をやり続けるには、健康でいないといけないのと、
時々は銀座とか日本橋(そのふたつの町が、おばあちゃんは大好きらしい)にいって、充電しないとダメよ」
とよくのたまわれた。

そのうち、毎日のように、郵便受にポスティング。おばあちゃんが気づけれないように、こそっと
いれてくれる。(うちのお店の玄関は、紫外線防止?のフィルムを貼っていて、外からは中が見えないけど、
反対はよく見えるのです)。
ポスティングの中身は駅に置いてある「フリーペーパー」。特に、銀座とか日本橋に関連するものは、
ときどきだぶって入れてある。(たぶん、これはあのうらぶた時代おくれのお店に参考になるにちがいない、とふんでいるのだろう)
先日梅をとりにきたときも、「これだぶっていない?」と聞いて、日本橋の情報誌をそっとカウンターにおいていかれた。
「いやはじめて」といったけど、「夏用の梅そばがのっているやつだ」とすぐにわかった。それをやったら、という意味かな?
おばあちゃんは、隠れたうちのマーケッターなのだ。そんな好奇心とかあふれる下町の人とふれあって10年。

岡田先生の言葉
「神より仏より、人のほうが大切である。世の宗教家よ、心せよ」