「人生フルーツ」を観て、フルーツを切る包丁を研ぐ

水曜日に中野のポレポレ座にいって「人生フルーツ」を見た。
高齢のご夫婦が自然に寄り添い、自分たちでできることをいとわず、こつこつ
とゆっくりと歩んでいく姿をドキュメントした映画だ。
若い人たちの中に、ゆっくり口コミで広がっている、そんな感じの映画。

銀座のある骨董屋が店じまいをするとき、二本の日本の包丁を買った。
「近くでやっていた和食屋のオヤジが使っていた」ということだった。亡くなられ閉店された、という話。
柳(さしみをきる包丁)と薄刃(菜切り包丁)。刃がこぼれているし、さびもひどいけど、
凛とした品格があったので、持ってかえった。そのうち時間があれば、近くに包丁研ぎの名人のじいちゃん
もいたし、だすか、なんと思っていた。そのじいちゃんも天国にいき、そのじいちゃんの作る包丁が大好き
だった佐賀のがばいじいちゃん(月に一度天真庵で鮨をにぎってくれた)も、昨年召された。

木曜日の夕方、「無茶しぃの会(煎茶の教室)」まで2時間あった。焙煎したり、かえしをつくったり・・
いつもの仕込みは残っていたけど、「今しかない」とばかりに、砥石みっつを水につけ、包丁研ぎモード
に入っていった。普通の包丁だと、一本一時間もあれば、珈琲を飲む余裕もうまれるけど、名にしおう名店の
主人が使っていた「本焼き」の包丁は、そんなわけにはいかない。汗をかきかきかき、なんとか一本仕上がる
ころ「お願いします」とお弟子様が入ってこられた。昨日も5時からバンバンと蕎麦を打った後、もう一本を
研いだ。なんとか開店するまでに仕上がったけど、「チーズケーキ」を作るのを忘れ、チャリンコを走らせ、
東部ストアーにいく。並びの骨董屋のオヤジが「天真庵さん、自転車のれるんだ」と笑っていた。

日頃は仕込みなどに優先順位がきまっていて、なかなかそれ以外のことをするのに、スイッチが入りにくい。
たぶん、90歳になっても自分でつくった野菜やフルーツをつくる「人生フルーツ」を見て、「自分でできることは
自分でする」という当たり前のことに、感動した結果がそうさせたんだと思う。

昨日はダメ中だった。その映画のチラシを見せた後、くだんの包丁を披露した。酩酊した時に
日本刀のような包丁を握るのは、まさに「気ちがいに刃物」である。

今日は「ボサノバライブ」があるので16時閉店。じんじんさん、布上さんの素晴らしいライブ。
明日は新講座「夜咄 夜間飛行」がある。現役のパイロットさんを囲んで談論風発の時間を楽しむ会だ。

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