今日から「染めもん展」やで!おこしやす

昨日は午前中は、ベテラン焙煎女子たちと、珈琲の勉強会。
玉露を飲み、飲み物の「まるみ」を舌の上で感じながら、いろんな珈琲豆を
焙煎したり、ブレンドしたり、それを濃いめに抽出して、氷を浮かべてのんだり、
水だし珈琲のコツを伝えたり、楽しみながら、融通無碍で無限の珈琲曼荼羅世界を逍遥。

二階では「満つまめの会」。ほんとうにこの会は、根っこが繋がった人たちが、優美に
広がりを見せはじめた。まだ半年たっただけやけど、年末あたりはたいへんなことになりそうや。

同時に2時からBCNというコンピュータ業界の新聞社の社長が「取材」にこられた。
天真庵にジャズの風を吹き込ませてくれたワカ、こと吉若徹さんは、ここの専務やった。
ソフトバンクを辞めて秋葉原にコンピュータの会社をつくったのが昭和58年ころで、
そのころからBCNさんとは、仲良くさせてもらっている。今更、インタビューもないけど、
「今」を語るのもよし、ということで、「今日」(裏千家の先生が今日庵からその名を刻んだんやろね)
と書いた茶櫃に、久保さんの煎茶碗、渡り(中国からわたってきた、という骨董言葉)の古錫の茶入れ、同じく
古錫の茶たくなどを使って、玉露を入れて、それを舌の上で転がしながら、談論風発。

その中で「なんで東京にきた」という話になった。「そうだ京都にいこう」というキャッチコピー
が流行ったことがあるけど、「そうだ東京にいこう」ときめた瞬間があった。

京都の白川道りに「からふねや北白川店」というのがあった。ぼくはそこの店長やった。すぐ近くに
「天下一品」の本店があり、もう少し下ったところに京都造形芸術大学があり、そこからまた少し
下ったところに、比叡山上り口という場所がある。そこに「大仙」という料理屋があった。
ある日、求人誌の担当のくまもんさんと酒を飲んでいた。伏見の名誉冠のぬるかんを、古伊万里のひさごの
徳利でだしてくれるお店やった。その名前は忘れたけど、くまもんさんが「九州からすごか男が東京で会社を
たちあがらっしゃと」という。みると、脳裏にかつて見たことがある男がのっていた。
「日本ソフトバンク 社長 孫正義」。間髪をいれず、「こいつ、知っとるばい」と返したら、「また
ごじょうだんを・・」とまるで、まるでだめおの酔っ払いのような目でこちらを凝視するので、カウンター
のはじっこにおいてあったピンク色の公衆電話に、十円玉をいっぱい両替して、孫さんに電話をした。

次の休みの日に上京して、何か月後に、ぼくは「日本ソフトバンク」のバイヤーの名刺を持って
いた。おわり。そんな感じだ。

今日から「染めもん展」。河野さんが京都からやってくる。彼はさきほど紹介した「京都造形芸術大学」の一期生。
そこの先生たちや生徒さんたちも、「からふねや」には、ぎょうさんきてくれはった。
お花とお仕覆を教えにきてくれはるT先生も、そこの出身。

創始者の徳山先生もときどききてくれはった。壱岐の出身で、志がありすぎたんか、牢屋に入れられたことがある。
いのだの創始者もそんな話がある。みんな必死になって、煩悶してた時代。そのときに差し入れられた
本が、奈良本辰也著『吉田松陰』やった、とHPにかいてあった。吉田松陰が終生にわたって德山の思想的な礎になったらしい。
奈良本先生は立命館文学部の先生で、その門下生に煎茶の重鎮・小川行楽さんがいて、奈良本先生は、歴史学では弟子の行楽さんに、
煎茶を習い、生涯煎茶世界に遊んだ達人でもある。

そんなかんやで、池袋時代から続く「染めもん展」を日曜日までやっています。よかったら遊びにきいや。感謝。