煎茶しかしない。を北九州弁でいうと、煎茶しかせんちゃ、になる。
昨日と本日は、「無茶しぃの会」で、煎茶のお稽古をしている。
お抹茶の先生のような人が、昨日もやってきた。今日もそんな人たちがやってくる。
昨日は、文庫ちゃんがシューベルトの歌曲集のCDをもってきてくれて、
それをかけていたら、新人くんが入ってきて、「これ大学のときやりました」とのこと。
前日やった杜甫の漢詩も朗々と中国語で読み上げる。まことに不思議な奇人くんだ。
裏千家修行もかなりやっていて、くだんの「今日」とかかれた漆の茶櫃を見た瞬間
目が少年のように輝いていた。「これは、きれいな女性が使ったほうがいいとおもわへん?」
と促したが、あきらめきれぬ様子。ま、道具も縁あるところ、収まるところに収まるのがええ。
今日はこれから「そったく焙煎塾」。ベテラン女子がやってくる。最近珈琲党の人も
煎茶も楽しむ、という人も増え、今朝は焙煎前に、煎茶と玉露を袋つめした。
シーラー?とかいう機械で袋をパッチンととめる。
そもそも、なんでお茶に興味をもったか?というと(昨日、その新人くんと話をしてきずいた)
池袋時代に知り合ったボクシング好きな社長が、プーアル茶を売っていて、ある日資金繰りに困って
倉庫兼事務所をたたむことになり、200kか300kのお茶の居場所を探していて、たまたま
池袋の田舎のお屋敷みたいな家に住んでいて、押し入れがいっぱい空いていたので、そこに
おいていた。その後、その社長と連絡がつかなくなり、自社ブランドにして、在庫整理していたら、
いつのまにや全部なくなり、当時半導体の買い付けのため香港にいったりするとき、半導体と
いっしょにプーアル茶も仕入れるようになった。そんないきさつを思い出した。
そういえば、今日の午後はIT業界の新聞社の社長がきて、取材を受ける。
IT業界からどうして茶にいかれたのですか?と質問されたら、答える答えが見つかった。
なんとなくだけど、茶をにごすわけだはないけど、アジアや世界のゴタゴタは、「煎茶」
を飲みながら、談笑することで、かなりの解決策になるのではないか、と思う。
そして確実に日本のお茶に、世界の人が関心を持ち始めているように思う。
明日から「染めもん展」 京都にしかないもん、がいっぱいある。
その「いっぱい」も、これから日本人が日本人に戻るカギがいっぱいあるように思う。感謝。
今日は「満つまめの会」もある。最近はいつも満席で、自分がやる時間がとれにくくなってきた。