漢詩を読もうかいのはじまりはじまり

昨日は二階で「満つまめの会」だった。昨年の秋から
ボチボチ始めた。季節がめぐり、マーくんが半袖になって
みんなに気功整体をやってくれ、長くやっている人たちは、
体もこころもバランスがよくなって。明るく、積極的に
なってきてると思う。おかげで、「かっぽれ」とか「お仕覆」とか
「お茶やお花」といった世間的には「絶滅危惧種」のようなものまで
人が集まってくるようになった。

夕方、薩摩琵琶のももちゃんがそばを手繰りにきた。天真庵hpのリンク
からお客さまとのふれあいがあった、らしい。いろいろな分野で、振り子
がふれる現象がおきていて、薩摩琵琶を習いたい人が増えてきているそうだ。
薩摩武士の「たしなみ」として一世風靡した時代がある。

昨日から「漢詩をよもうかい」が始まった。先生は織田流煎茶道の南甫先生。
織田流煎茶道では、正教授になると、「茶名」なるものをつける。
頭に「南」をつけるのがならわし。何代か前の家元は「南洲」。鹿児島
の人で、西郷南洲さんを尊敬していたことがうかがえる。
南甫先生は、唐の大詩人で「詩聖」と呼ばれた杜甫からとったものだ。
ということで、先日は杜甫の代表作を勉強した。

茶人たちの聖書、みたいなもので「南方録」というのがある。福岡の星野村で
その存在をしった。福岡の黒田藩の立花実山が南方宗啓の記した「茶の神髄」を
表した聖典。

お茶も、お点前の形や順番を覚えるだけなら、短時間でできる。大切なことは、
そんな「かたち」より、なんどもなんども繰り返し、おもてなしを重ねることで、
ある日ふと、腑に落ちたり、その後、川の流れのように、自然にふるまえるように
なったりし、人としてその人らしく生きていく、そんなことではないかしらん。

今日明日は「そったく珈琲塾」&「無茶しぃの会」
珈琲とか煎茶のおもてなしのおもしろさを、自分なりに伝えている。

金曜日からは「染めもん展」 京都から河野夫妻がやってくる。京都には
「茶のこころ」が町中にあふれている。