玉露を飲む健康法

今年の新茶がでまわってきた。近所に住む「だいきくん」が、毎年岐阜
のお茶を自分でつんで、もってきてくれる。少し野趣のある感じだがいいお茶だ。
毎年この界隈でお茶好きが手伝いにいって、新茶をはこんでくれる。

お昼にハリーポッターくんがそばを手繰りにきた。めがねがおしゃれであの映画の主人公みたいなので
勝手にそうよんでいる。最近お茶にはまっているらしい。先週の休みの日に、なんやらゆう陶芸作家の個展を
表参道のギャラリーにいったらしい。初日の開店30分後にいったら、急須が全部売り切れていた、とのこと。
若い人たちや、中国人や韓国の人らの中でも、「お茶」、しかもお抹茶ではなく、煎茶に興味がある人が
増えてきているように思う。

夕方、若いファッション関係の若者がそばを手繰りにきた。近所の香取神社の近くにアトリエとお店を
構えている。先月お邪魔したら、久保さんの「白い小さないがんだ器」にハーブティーを入れてウェルカムドリンク
をだしてくれた。昨日も久保さんの「白い小さないがんだ器」をじっと見ている。「そばちゃこに使うんだったら、
ぼくのお弟子様価格にしてあげるよ」というと、少し考えていた。たぶん10分以内に書の会にくる女子がそれを
見つけると、「これ」といってもってかえる。ので、「今買わないと、すぐ買われるで」といって、押し売りをした。
あんのじょう、その女子がやってきて、その話をすると、悔しがっていた。お茶も一期一会。お茶碗も一期一会なのだ。

今日は10時から「満つまめの会」。最近まーくんも「玉露」と久保さんの「白い小さないがんだ器」にはまって
いる。今日最初のお客さまは、浅草で器のギャラリーをやっている女子。
いろいろおもしろい人が「満つまめの会」に集まってきた。夜は「おんなかっぽれ」
おんなかっぽれの女子はみんな「満つまめの会」のメンバー。なんやらしらん人が聞いたら、「あやしい宗教団体」
みたいに思えるかもなんばん。「天真庵」は健全な寺子屋なのでありまする。感謝。

なんとなく蕎麦を食う会

天真庵のHPの表紙にそんな部屋がある。
日曜日に「そば打ち」と「食う会」をやっている。
最初は普茶料理もいっしょに覚えようと思い、そんな会にした。
最近は、「なんとなく鮨をくう会」になってきた。蕎麦のお弟子さま
たちが、南島原とか能登に移住しはじめ、庭付きならず、「海付き」の家に
住むようになり、蕎麦もいいけど、「これからは鮨もやろう」
ということにあいなったしだい。そこの部屋に、「不思議な茶会図」
みたいなものを張り付けてみた。一番新しいお弟子さまが、初日の「お稽古」をして、
記憶にあるものを描写したものを書簡にしておくってくれたもの。「時代物」のようで
おもしろい。

昨日は「論語の会」。先月「河合寛次郎」さんの本を貸してあげた子が、お礼に
お酒をもってきてくれた。昨日は「京の風」が吹いた。
スカッチの会のW先生が「京都にいってきました」と、「京の土」というお菓子を
もってきてくれて、京都の話で盛り上がった。姉小路(あねのこうじ、という)の亀末廣のお菓子。
そして、「河合寛次郎館の近くの珈琲屋」の話をしてくれた。
夕方にはマーくんが、「阿闍梨餅」を、もってきてくれた。京都の友人に「上京するときは、
阿闍梨餅をよろしく」と頼んでくれたらしい。そんなわけで、昨日は根っこから京都の風を
愛でた。清風、というか風雅な気持ちになった。

今日は東京も30度を体感する夏日になるらしい。涼しいうちに買い物をして、
アイスコーヒーをいっぱいしかけてみるとしよう。
今日の夜は「書そしよう会」

明日は「満つまめの会」  マーくんが気合を入れて、元気を広げる日。
夜は「おんなかっぽれ」 木曜日は「おとこかっぽれ」明後日は6月やね。はやいはやい。

TKG 月曜の朝は・・

TKG、つまり「卵かけごはん」。月曜日の8時から10時はTKG。
昨日は「日曜そば打ち道場」やった。
かっぽれをいっしょにやっているくんが、初めてそばを打った。

かっぽれとか音楽みたいなものは、残らない、というか、
その場限りで終わり、というのがいい。一期一会でいい。
その最たるものが「茶」。

料理というのも、食べてしまえばおわり、というのがいい。
そば切り、というのは、「かんそ」という意味では、頂点にあるやもしれない。
そば粉に水を入れ、水回しをして、それを丸くのばし、それをまた◇にして、
たたんで、切る、それだけのことだ。でも簡素の中にこそ「ホンモノ」がある。

昨日の夜、ボクシングの村田の試合の録画を見た。微妙な判定だったけど、挑戦者としたら
今ひとつ手数が足らない、という気もした。それが終わってチャンネルをまわすと、
ゲームの「高橋名人」がでていた。30年前のファミコン時代の英雄だ。
ソウトバンク時代、ゲームといえばハドソンで、彼はそこの社員でぼくは商品部の
バイヤーをやっていたので、彼とはよく仕事をした。58歳になり、すっかり髪の毛も
なくなった姿に、時間の経過と、彼の人生を垣間見た気がした。でも「名人」なんていわれた
時代よりも、いい顔になった。

今日の夜は「論語の会」(順受の会)
明日は「書の会」  ふつか続けて文人墨客たちがやってくる。
なんやら、煎茶のブームなしきものがきていて、「なんちゃって茶人」ボリボリ・・
みたいなもんがいろいろでてきているけど、やっぱり「茶」というものは、仏教とか禅
とかとかかわりが深いので、ドリッパー男子よろしく、みたいなものとは違うベクトルで
すすんでいけばいい、と思う。     

すーさんがやってきた。

釣りバカ日記の新しいシリーズがテレビでやっている。
テレビはまりみないけど、最近ボクシングがいっぱいあたったので
いっしょに見た。西田敏行がすーさんに格上げ?された。

花街では、鈴木さんはすーさん、田中さんはターザン(うそ、たーさん)、
とかいった呼び方をするのがならわし。ぼくは「のーさん」。でも大塚では
「ノムちゃん」と呼ばれていた。

昨日、すーさんがひさしぶりにそばを手繰りにこられた。85歳になったらしいが、
ベンツを運転し、気のきいたリネンの帽子をかぶっている。
その時、偶然に元・浅草芸者のたまちゃんもやってきた。88歳?
浅草のお座敷では、何度もあっているらしいが、天真庵では初の顔見世。
「あらお元気そうね」「いやもう棺桶に片足だよ」なんていいながら四方山話が始まった。

最後に「sさんはまだ元気でやっているよ」とすーさん。「そうね、たっしゃな人だからね」とたまちゃん。
でも実際はsさんは昨年暮れに、旅立たれた。
粋な会話に足をつっこむ無粋なことはやめ、そのままふたりの話を楽しんだ。

年をとると、少しボケるくらいがちょうどいい。たまちゃんも、さる事件があって
天真庵の敷居は高くなって、しばらくこれなかったけど、最近また勇気をしぼって
敷居をまたいでくるようになった。「忘却」というのも、自然がくれたやさしさかもなんばん。

おかげでsさんも生きている。死んであの世にいったって、生きている人のこころに、
みんな生きていく。死、というのがあるから「生」というのが生きてくる。感謝。

今日は「満つまめの会」16時閉店の後は「日曜そば打ち道場」
明日は「卵かけごはん」 夜は「順受の会」
明後日が「書の会」

鯵が飛んできた。

早川の名店「ながや」の長屋くんから電話があり
「いい鯵があがったので、干物にしておくりました」とのこと。
昨日届いた。目で愛でるだけで、酒が飲めそうだ。

相模湾あたりの鯵が最高である、といわれているけど、この季節の鯵は
格別にうまい。しかし、「そこの鯵は背骨や腹骨はついていないの?」
といわれるくらいみごとな鯵の干物。

最近はまるごと一尾の魚が近所のスーパーなどでは並んでいないので、子供たちは
「魚というのは、切り身で海の中を泳いでいる」と思っている子が多いらしい。

このみごとな「開き」を見ていると、水族館でエイのように、ひらひらと羽をひろげて
およぐ「開き」を探す子がきっといるに違いない。

今朝の朝食で食べてみた。塩加減もよく、小骨もないので、ぜいたくな刺身でも
食べている気分だ。久保さんの志野のお茶碗の中のごはんまで、まるごと「贅沢な朝ごはん」。

けっうな包丁さばきの開きをいただき、朝ごはんをおひらきにさせていただきました。感謝。

伊那谷の春

ダメ中が名古屋であった。
まいこ先生が、その名古屋の蕎麦屋の女将さんになった。
そのお祝いもかね、「ダメ中in名古屋」が、「ふー助」
であった。杜甫の「春望」を中国語で読む。

酒を酌み交わしながら、友んが遠方より集まり(半分が中国人)、
そばやの酒宴を堪能した。しめのそばの後に、みんなで中島みゆきの「糸」をうたう。
♪たての糸はわたし よこの糸はあなた  ・・・あの歌。

名古屋には、伊那谷経由で車を走らせた。伊那に眠る旧友に毎年珈琲を手向ける。
昭和56年の4月に23歳で逝った城倉良雄くん。同じ「からふねや」で珈琲の修行をし、
同じ病気で府立医大に入院した。ぼくも余命宣告をされたけど、そんなもの無視して、その後
は東京にいったので、病院にはいっていない。でも生かされている、ということだろう。
お墓には、イノダのデミカップをおいてある。そこに毎年いって「ほぼぶらじる」を入れ、
「今」を語りあう。死んだ人とは、自分も死んであの世にいかないと、再会できない、
と思っていたけど、こんなことで「つながる」こともできる。生きる、と死ぬ、とは
同じことのように最近つくづく思う。

その足で下伊那の「おどもカフェ」へ。ぼくのおそばのお弟子さまの親友が
やっているカフェ。阿南病院のすぐ近くの古い歯科医院の建物を改装して
つくった。近所のおばあちゃんから、生まれたての子供までが、「大事な場所」
として、くつろいでいる。天真庵ゆかりのギターの翔くんも、毎月ここで
ライブをやることになった。

帰りは東名を走り、初台のオペラシティーまで。
伝説の音楽家・ハインツ・ホリガーの音楽-スカルダネッツ・ツィクルスを聴きに。
先週天真庵でクラリネットを奏でてくれた「山根さんが、コントラバスクラリネットを演奏した。
今月うちに泊まりにきたヨッシーがヴィオラを担当。
オーボエ奏者としても世界的なホリガーさんのオリジナル曲で、1975年から書き始め、1991年に
完成したもの。2時間半ぶっつづけ休みなしの不思議世界。超一流の演奏者が奏でる楽器の音もそうだけど、
合唱団の人たちの微分音(ピアノは半音 その半分の音階をたくみにあやつる人たち)のハーモニーは
この世のものとは思えないレベルだった。(名古屋の糸もすごかったけど・・)
何を唄っているのか知るよしもないけど、三輪福さんの新しいCDのように、地球や宇宙のいとなみを
感ずるままに表現しているように思った。そこに居るだけで、「生きている」を喜べる、そんな音楽を体験した。

今日は「インヨガ」。

ダメ中が名古屋で・・・?

昨日でスカイツリーが五歳。もう少し時間がたち、後妻でも
もらうような年齢にあるか、とも思うくらい若い。
昨日は「福の会」だった。先生の福田さんも昨日が誕生日。
タケシィとスカイツリーと同じ星の下に生まれた人。

昨日も最初のお客さまが外国人だった。「日本語のメニューしかないよ」
というと、「大丈夫」と日本語で答え、スカホをメニューにかざして、
英語に変換しながら「ホボブラジルをください」とのこと。

「よくもまあ、こんなうらぶれた珈琲屋にたどりついたね」というと、
「ナンジャラ ベスト コーヒー・・・?」とかいうサイトから
きた、という。ぼくも知らない世界が世界にはあるんや・・・
まったく時代についていけていない。

夕方にシアトルから、ときどき日本にやってきて、そのたびにそばを手繰り
にこれれるご夫婦が、そばを食べにきてくれた。
珈琲の本場のシアトルに前回は、「珈琲ドリポット」をもってかえってくれた。
シアトルの珈琲をそれでいれると、美味いらしい。「旅するドリポット」

今日は「満つまめの会」  満席だったけど、昨日ひとつキャンセル
があったので、キャンセルまちや姫に連絡したら、「喜んで・・」ということで
今日も満席ごめん状態。みんなの体の具合もだいぶ改善されてきたようにおもわれる。

明日は「ダメから始める中国語」を、名古屋の蕎麦屋でやることになった。
毎日いろいろな奇人さんがやってきて、いろんな展開になって、不思議なえにし物語
がいっぱいできて、こんな楽しいことはない。おわりなごやも人でもつ。

月曜日の朝は卵かけごはん

今日はスカイツリーが5歳の誕生日になる。
その一年前、つまり311の年に「卵かけごはん」が始まった。
途中から「天真庵流のお点前」みたいな食べ方が主流になった。
そうすると、きみの黄みの味が引き立つ、ホント。

ぼくの生まれた北九州では「黄身」のことを「きなみ」という。
京都に住んだ学生時代、御所の近くの「安兵衛」というおでんやで
「この卵のキナミがうまいね」といったら、「?」顔されたことを覚えている。
京都ではゆで卵のことを「にぬき」という。いろいろな土地に、その土地特有の風俗がある。

昨日は暑かったけど、汗だくになりながら、たくさんお客さんがきてくれて、朝から
バンバン打ったそばも、みんな売った。
夕方から、二階はお仕覆。一階では「そば打ち教室が始まった。」
ぼく以外はみな、といういつもだけど、不思議世界。

大型新人さんも初参加。なんやらいうお出汁の会社のインストラクターの資格を有して
いて、その延長線に「そば」があるらしい。すばらしいことだ。「和」の食文化は、
その中心に「出汁」がでんと座っているようなもの。
ベテランの「そばもんねえさん」たちの指導もよく、艶やかなそばができた。

その後は「なんとなく鮨を食う会」。各地で「すし職人をつくる学校」みたいなものが
流行っているらしい。天真庵では寺子屋のように、「個」を大切にしながら、みんなで
高めあうような内容。唯一無二の「すしこや」になりつつある。もちろん「そば鮨」も
習うことができ、その場で食う。

8時から10時が「卵かけごはん」  夜は「福の会」
「個」を磨いていくと、生きている人のぶんだけ、「福」の種類があっていいかもなんばん。
根本的には「人とくらべない」ことや。

なんとなく鮨をくう会

昨日は三線ライブ。明日スカイツリーは5歳の誕生日。
タケシィは50歳の誕生日。明日が結婚記念日という常連の夫婦
と0歳のれんちゃんが三線を聴きにきた。最初はねむっていたれんちゃん
が三線に反応して、手拍子をうったり、拍手をしたりして、会場をわかせた。
おかあさんは難産で大変だったけど、悠然と南山を見る、そんななごやかな
子供に恵まれた。

昼間は「満つまめの会」だった。珈琲より玉露を飲むほうが、「気」にいいと、
最近は二階にあがる前に、玉露を一煎飲んでからまーくんが二階にあがる。
「玉露を飲むと、瞬間的に体中の毛細血管まで玉露のうまみが伝達されるでしょう」
と、これまでは説明してきた。まーくんは、初めて飲んだ時、
「このお茶は、頚椎の7番あたりから仙椎まですっきりさせるものがあります」とのこと。
ぼくがそんな風にいうと薬事法に抵触しそうだけど、彼がゆうと、「ふむふむ」という感じ。

昨日は最初にドイツからきた若いカップルが「ザルソバとギョクロ」を所望されたこともあり、
玉露がいっぱいでた。海外でも「ギョクロ」が大ブレークの気配ありだ。
ワイングラスで飲む、は、気にいらないけど、煎茶が世界に広がっていくのは、素晴らしいことだと
思う。

今日は日曜日なので、16時に閉店。それから「そば打ちにっぽん」&「なんとなく鮨をくう会」
二階では「お花」と「お仕覆」のお稽古日。
この会も、南島原でやったり、来月は能登でやる。日本の文化は、参加してこそ、価値がある。

明日の朝は「卵かけごはん」夜は「福の会」

スカイツリー5歳の誕生日おめでとうライブ

昨日のブログでお伝えしたように、二日続けてライブ。

19日(金) MUSICA LIBERA TOKYO

演奏:山根孝司(クラリネット)・藤田朗子(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

20日(土)タケシィ 三線(サンシン)らいぶ

演奏:タケシィ(三線)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

昨日の山根さん、藤田さんのユニットは、二年前に宇部で聴いたことがある。
山根さんといっしょに習っていた古流の花の原田先生が、体調をくずし、
東京にこれなくなったので、「では」といって、宇部でやってくださった。
それが、原田先生と最後になった。
お花も、音楽も、「その場かぎり」の一期一会が基本だ。お茶はその際たるもの。
その場で「消えていく」という刹那の中に輝きがある。
昨日のコンサートも、たぶん天真庵では、最初で最後になるであろう稀有なひとときだった。

今日はタケシーの「三線ライブ」。スカイツリーが明日で5歳。
タケシーもスカイツリーと誕生日が同じことから、毎年このあたりでライブ
をやることになった。

お茶を飲む、花を生ける、音楽に感動する、というのは「生きている」という
喜びと感応する伊吹みたいなものだ。生きて限りは、そんな感覚を失わずに
いたい、とつくづく思う。

というわけで、本日も16時閉店。「満つまめの会」は、12時から・・今日も満席。

明日は日曜日なので16時閉店。お花のお稽古日であり、お仕覆のお稽古日でもある。
16時半からは「がんばれ そばもんの会」&「なんとなく 鮨もやるもん」がある。

明日で5歳になるらしい。