♪さがしもんは なんですか?

寄る年波、というやつで忘れものが多い。
「忘却」というのは、ある意味、やさしい自然現象でもある。
ささいないざかいや、どうでもいいような執念みたいなものを、流してくれる力でもある。

昨年末、銀座の骨董屋さんが86歳でお店の緞帳を下げた。月に一度はぶらり、と銀ブラしながら
立ち寄り、文人たちが書き残した軸などをみながら、主人が入れてくれる玉露を飲む、のが
幸せな休日だったけど、残念だ。

池袋時代には、歩いて5分くらいのところに、古美術店という看板をだしたお店があった。
ここの主人も、煎茶が好きで、いついっても、小ぶりの京焼きの茶碗に玉露を入れてくれた。
「この茶碗は初代のシュンポウです」なんて解説をしながら、ぼくの眼を鍛えてくれた。
やはり10年くらい前に、82歳くらいでお店を締めた。75歳くらいから、腰が悪くなり、
「もうそろそろこれをゆずりたい」といって、李朝の箪笥を、格安で譲ってもらった。
天真庵の二階の「生」という白井晟一翁さんの書のところにある「バンダヂ」がそうだ。

そのころ、人間国宝で陶芸家の三輪休雪の寒山拾得がショールームに飾ってあった。
値段をきくと「150万」という。天真庵が南條先生の寒山拾得の絵を中心においてあったので
「売ってください」と何度もお願いしたけど、「まだ手放したくない」と何度もことわられた。
お店をしめてから、年賀状だけのやりとりになった。ある日、電話をして「休雪の寒山拾得はどうなりました?」
と聞いたら、「引っ越しの時、どっかにいってしまった」とのこと。縁がなかったとあきらめた。

最近は近くの骨董屋をときどき覗く。亀戸天神の近くの主人は年も近いし、まだまだお店をしめたり、
しないだろう、と踏んでいたら、先だって心臓が泊まりそうになって入院した。その前に「裏千家の先生が
残した茶櫃が入った」と電話をもらった。退院しても、その所在が不明のままだった。昨日連絡があり、
「お店の片隅にあった」とのこと。こぶりだけど、いい漆で、「今日」とかかれてある。

「今日庵」。一期一絵を大切にする茶人らしい名前。「今ここ」にすべてがある。今日という一生
を一生懸命いきることが、大切である、ことを教えてくれる。さっそく持ち帰り、久保さんの斑唐津の
煎茶椀を入れ、それで玉露を入れてみた。天真庵で今日庵を味わう、不思議なエニシの妙味が体中にしみわたった。

今日は「インヨガ」。だいくんが本日後楽園ホールでセミファイナルを闘うので、わたくしは
ボクサーパンツをはいて(別にそうすることもないけど)、夕方からボクシング観戦。

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