こんな場所にカフェ?なんもく村の不思議カフェにであった。

火曜日の朝から、能登を出発。糸魚川の寿司屋にいって、それから姫川をのぼって、
長野によって、醤油・酒・野菜などを調達して東京へ、というコース。
普段はPCやスマホを使って、情報を収集したり音楽を聴いたり、サイフのような決済をしたり、
便利もここまでくるとどうなの?みたいな毎日。

思い切って、能登から東京にくる時は、「きわめて昔風のあなろぐ生活」にしようと、なるべく国道を通らず、
地図を頼りに、県道や農道や鹿注意の林道などを通って、東京にもどるようにしている。
新緑の中のこもれびの中で、アカゲラやオオルリなど、なかなか見られない鳥たちと出会ったり、不思議の森体験をした。
デジタルな日常をカットするのは、容易ではなけけど、自然の中に無理やり身をおくと、体も動物に限りなく近くもどり、
「直観力」みたいなものが、するどくなってくるように思う。

長野の醤油やさん、酒蔵さんは、もうかれこれ20年近いつきあいで、これまでは「東京から」、でかけていたが、
反対に能登から、獣道みたいなところを通っていくと、であうモノや景色や感動がまったく「ベツモノ」になる。

佐久の酒蔵「黒沢酒造」に、カフェが併設され、そこでイチゴのスムージーを飲み、群馬の「南牧村」を目指した。
先月、そこの生まれの素敵な女性が「元気シール」を買いにこられた。話をしているうちに、はじめて聞く「なんぼくむら」
にいきたくなって、「道の駅」を目指して走っていた。
すると、車道の左に、古色蒼然とした古民家があった。直感的に「ここには、縁ある人がいます」という声がしたので、
運転している筆子さんに、「もどって、あそこにいこう」と声かけた。

「なんやらカフェ」?・・・・正確にいうと「なんもく村のちょっとしたcafe」かな・・・
お互いにはじめてだったけど、やっぱり「知っていた」という不思議な体験をした。
都会ではぜったいにできっこないカフェ・・・でも一度都会で経験しないとできないカフェ。
自然以外なにもないところで、「そこでしかできないカフェ」を10年続けている。すばらしい、の一言。感謝。

焙煎にも四季がある?

港区にあるカフェから珈琲豆の注文があったので、昨日は
朝から炭をおこし、珪藻土七輪にいれ、ガラガラ手回ししながら、炭火焙煎をした。
玄関を網戸にして、その中で焙煎をする。天気のいい日は、近くの海辺や、里山でガラガラやる。
昨日は雨模様だったので、玄関でやった。
野良ネコたちが、「はらへった」みたいな感じで網戸の外をうろうろしている。
前日いただいたハチメ(めばる)が11尾あり、アラを炊いたんを、筆子さんが野良ネコにだす。

その「あさごはん」を、トンビがねらってくる。近くでみると、やっぱり鷲のような顔をしている。
さすがの野良ネコたちも、「ネコパンチが利くかな?」と不安げな顔しているので、おっぱらってあげた。
二ハゼが終わった珈琲豆を木桶にいれ、外でチャフをとる。そこで網戸をあけっぱにしておくと、こんどは
燕が家に入ってくる。里山では、ウグイスやホオジロが、本番の囀りを鳴らし、棚田ではカエルの唄が聴こえて
くるようになった。五月は「命の季節」だ。今年はへび年なので、鳥も虫も魚ももちろんヘビも、人間も一皮むけて
違う段階をめざして生きていかなければならない年である。

先々月にチョンボをして、財布をなくした。
その中に、免許証、マイナンバーカード、クレジットカード(法人)、保険証・・・など
大切なものがぜんぶ入っていた。すぐにいろいろ手続きをして、事なきをえた。
「玉子は同じ籠にもらない」という諺がある。やはりリスクは分担したほうがいい。
今日、志賀町の役所に、新しいマイナンバーカードをとりにいく予定だった。
「愛子さまが、志賀町をご訪問される」と朝のニュース。役所の前の道の駅にこられるらしい。
床の間の、もうひとりの「渡辺愛子さん」の「信楽焼きのうずくまる」をながめ、うずくまりたくなった。

生けとし生けるものに命があり仏性があり、またそれぞれの四季がある。天恩感謝。

田芹をアテに宇宙のダンス!

東京を出発する朝、散歩していると、ガラス職人のTにあった。
どちらともなく「ちわっす」と挨拶。テレビは見ないので知らないけど、
「福山雅治がテレビでやっているお茶の宣伝で使っているガラスの急須は、おれが作った」
が自慢で、しばらく忙しくしていた。
夏の玉露を淹れるガラスの急須は、彼に作ってもらった。茶こしまで、ガラスでつくるのは
難しいのだが、涼しい顔して、要望どおりに作ってくれた。

水出し珈琲のガラスの器具も、15年くらい前に彼につくってもらった。お店にふたつ置いてある。
「すりし」という、コックの仕上げをやってくれるおじいちゃんの技もさえて、今も現役で、夏の水出し珈琲を
楽しませてくれている。最近は、久保さんの「縄文ドリポット」を、自作の「和っち珈琲器具」でいれることも多い。
能登の家では、居間に置いてあって、毎日かかさず、水出し珈琲を淹れる。UFOで、「ほぼぶらじる」をイチハゼさせ、深煎りにするのがコツ。

昨日の夕方、そのTから電話。「社長・・・・」
彼が「社長」から始まる時は、営業モードの時・・・・・
すこしめんどくさそうに「はい。なにかあった?」と応答。
「あのガラスの急須の特許がとれたよ。お店に少し置いて、売ってみたらどう?」
やっぱり営業だ。
「いっぱい売れて、忙しいんじゃないの?」と聞くと「落ち着いてきた」とのこと。
「買わないと思うけど、月末に一度アトリエに見にいくわ」と言って電話を切った。

5年おきくらいに、彼には「なにか」を頼む。隣の喫茶店の常連で、うちにはこないけど(笑)、
そろそろ5年たつので、「なにか」を作ってもらおうか?人生は、なんとなく、そんなスパイラルな「くりかえし事」
が起きる。

・・・など、考えながら、三輪福さんがもってきてくれた「田芹」をアテに、ビールを飲んだ。
グラスは「へちかんだグラス」、安土忠久さん作。水出し珈琲のサーバーにしているものもそうだ。

天然の田芹は香りが命なので、丁寧に洗って、手でちぎって、同じく安土さんのサラダボールに入れる。
その上に、タコとか、なまこを入れ、かえしに酢を加えてドレッシングにする。
タコもなまこも前日食べてしまったので、昨日は「のり」をちぎってのせた。
前の海でとれたのりを、近所の「海女さん」が干して作ったもの。海の香りが食卓に香る。
田芹の茎の部分は、鶏の砂肝といっしょに、ごま油でいためた。酒がとまらなくなる。

洒落ではないばってん、気がつけば、石川セリの唄が鼻歌に・・・
♪ダンスは、うまく踊れない・・・・

でも、酒もアテもうまく、体が上機嫌に揺れていた!宇宙のダンスかもなんばん?感謝。

能登の「まいもん」

遠慮深い能登の人は「うまいもん」の「う」をほとんど発声しないので、
よそもんの耳には、「まいもん」としか聞こえない。
春は自然の恵みの「まいもん」がいっぱい。

今日(土曜日)の朝3時から明日の朝3時までは、「漁(釣りや、和布取りを含む)」がお休み、
と集落で決めた「働き方改革」だ。働き方、というか「生き方」みたいなもんか。
春夏秋冬、季節ごとの「恵み」や「口福」をもたらしてくれる海に「感謝」の意味もこめて、
みんなこの日は、畑仕事や、家の仕事をする。ここの集落では「グランドゴルフ」をやる予定で、丁寧に
「お誘い」いただいたのであるが、丁寧にお断りした(笑)

昨日は、能登町で「梅茶翁」を営む三輪福さんが、里山でとれた「うど」「タラの芽」「田芹」などをもって遊びに
きてくれた。朝、タコ釣りの師匠に「わかめの芽」をいっぱいいただいたので、それをしゃぶしゃぶで食べた。
「湖月館」で、はじめて「わかめのしゃぶしゃぶ」をいただいてからこっち、これを食さないと春がこない。
採れたてのわかめを、箸でしゃぶしゃぶ、と左右に一往復させると、茶色のワカメが、鮮やかな緑に変色し、
それを口に入れた瞬間の口福は、筆舌が及ばない。豆腐、キノコなどもいっしょに鍋に入れて、ポン酢で食べる。
「湖月館」では、「いしる」という魚醤で味付けをするのがならわし。能登は、志賀町側を「外浦」といい、
梅茶翁などがある富山湾側を「内浦」という。気候や海流の違いで、魚や貝、捕れる海藻も違い、いしるの材料の
魚も、捕れる場所で、いわし、イカ、キス・・・などそれぞれ特徴が違っていて、またおもしろい。

昨日の宴の〆は、「タコ飯」。
東京のスーパーなどには、アフリカあたりから飛行機で飛んできたタコが並ぶ。
宇宙人みたいなタコと知恵比べをし、ゲットしたタコ足をぬかを使って荒い、63度前後の湯で入浴させたタコを、
ごはんといっしょに炊く。味付けは、「かえし」と「能登塩」だ。
ワカメのしゃぶしゃぶの注意点は、「食べすぎる」こと。お腹の中で増殖したワカメが「満腹警戒情報」
を発信するのだが、別腹とばかりに、3合の「たこ飯」も空になった。能登のまいもんに・・・感謝。

卯の花

そろそろ、あちこちで白くて可憐な「卯の花」が咲き始める。
京都では、晦日の日に、「きらず」(おからのこと・・・包丁で切らずに食べれる)を
食べる。来月もお客さんとの縁が切れませんように、という縁起。
四十雀、という鳥も「始終空っぽ」みたいで、なんとなく貧乏神が憑りついているような名前なので、
あまり家で飼われなかった。同じように「おから」も「お空」を連想させるので、商家では、「卯の花」とか「きらず」
と呼ばれてきた。

天真庵のショールームに、犬の焼き物が飾ってある。陶芸家の渡辺愛子さんが作ったもの。
17年前の天真庵押上のオープニングパーティーの時は、大阪生まれの彼女が「タコ焼き」を
カウンターで焼いてくれた。今では、銀座の黒田陶苑さんや、ヨーロッパで陶展をするような、えらい陶芸家にならはった。
2011年の311の大地震で、彼女がつくった筒型の掛け花が、壁とぶつかって、半分に割れた。
昨年の正月、能登が揺れた。震度7の志賀町の我が家の床の間には、渡辺愛子さんの「うずくまる」(信楽の壷)を
飾ってあった。ころがって床の間から、畳に場所をかえていたけど、割れなかった。さすがだ。

昨日、志賀町の町営の温泉「増穂の湯」にいき、その足で「Aコープ」というスーパーに買い出しにいく。
レジの横の本屋をのぞいたら、「和楽」が売っていた。「国宝」が新しい号の特集。
なんとなく気になって、買って帰る。

志野の銘椀に〈卯花墻(うのはながき)〉というのがある。
「この茶わんが好きです」みたいな感じの記事があって、そこに渡辺愛子さんの写真がのってあった。
今日明日と来客があるので、床の間の「うずくまる」の横に「和楽」を置いておこう。
たとえ床の間がなくても、気にいった花器がひとつあると、「和を楽しめる空間」ができる。感謝。

東京・妙高・能登のコラボ

東京から、冷凍した「オカラ」と「うすあげ」、すがちゃんにもらったいぶりがっこをもってきた。
途中の妙高高原の近くの「道の駅 あらい」で、筍を見ていたら、納品にきた
おばあちゃんが、ひとつ形のいいのを、筍のカゴにいれた。ちゃんと、米糠まで小さな袋
に入って600円。それを買い物かごに入れると、おばあちゃんがウィンクしてくれた。
その他、「こしあぶら」「こごみ」「うど」などをカゴにいれ、レジ近くにおいてある「キムチ」を購入。

昨日の朝、タコを釣った。米糠で足を洗い、内臓などの処理をして、63度のお湯で15分ほど
ゆでる。先月糸魚川の寿司屋のおやじに聞いた方法。そこの「タコの柔らか煮」が逸品。
もちろん、にぎりも美味い。
夕飯は、タコの刺身。珈琲のお弟子さまにいただいた「古伊万里の皿」に盛った。
頭などは、ざく切りにして、妙高高原のキムチじいちゃんの白菜キムチとあえた。
少し盗みぐいをしてみたら、あまりに美味くて、常備している「百竈」をそばちょこについで、盗み飲み。
こんな環境で生活していたら、みな「キッチンドリンカー」になる。

タケノコは、別の鍋で、米糠と唐辛子を入れて下準備をして、「筍ごはん」「若竹煮」(家の前で採れたワカメ)にする。
「筍ごはん」を炊く「水」は、蛸を茹でた汁。プラス、豆源郷の薄揚げを入れるとベツモノの「筍ごはん」になる。

オカラは、同じく豆源郷の緑豆のオカラ。近所のおばあちゃんにいただいた「新タマネギ」をうすぎりにして、
つぶつぶマスタードとあえる。ボールにオカラと、シーチキン、いぶりがっこの刻んだん、を入れて、マヨネーズでぜんぶ混ぜる。
昨日は、おまけに、タコの足のぶつ切りを入れた。京都の「からふねや」では、毎朝モーニング用のポテトサラダを作った。
この調子でいくと、「オカラサラダ」をつくる回数が、「ポテトサラダ」をつくった回数を凌駕しそうだ。
東京のお店では、再現できないばってん、「究極のオカラサラダ」のできあがり。

「足るを知る」というのは、出費を抑えたり、清貧の世界のような、なんとなく「貧乏」なイメージがある。
違う。「足るを知る」というのは、まんま「ゆたか」だと思う。限りなく富貴に近い「ゆたか」がそこにある。天恩感謝。

能登でパラタを喰う!インド人もビックリの美味さ?

能登もいい季節になってきた。
新緑は青々と萌え、藤の花がそれを霞がかかるように覆っている。
縄文人は、この藤が咲くころに「そろそろイルカがやってくる」という対外時計をもっていて、
集落ごとに、作戦会議をはじめて、捕ったイルカを仲良くわけ、家家では、それをいしるみたいな魚醤で
醸しながら、タンパク源にした。そんな「縄文なるもの」が、これからの世界を生き抜くヒントになっている。

そんなことを思いながら、和倉の「総湯」(今月から10円上がって500円 5000円以上の価値がある)に入り、都塵を洗い流す。
いつものように、静かなクラシック音楽がかかっている。昨日はチャンバロのバッハがかかり、湯舟の中でウトウトしながら聴いた。
筆子さんは、ぼくより1時間長風呂なので、この時間差が、ぼくの徘徊散歩時間。地震にも負けず、お店を開けているところを回って、
ガスエビのから揚げを摘みにビールを飲んだり、お店の人と談論風発するのがならわし。

いつもの路を徘徊していると、お店の上に、黄色いハンカチが掲げられた不思議なお店を見つけた。高倉健さんの映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」の世界。店の前を通ると、ヒロインの倍賞千恵子さんみたいなかわいい女将さんが、プレハブ店舗の窓から「こんにちわ」と元気に挨拶してくれた。こうなると、無視することができず、入店し「ビールありますか?」と質問。「ありません」とまた元気な返事がかえってきた。

能登島でイルカウォッチングとカフェをやっておられる「海とオルゴール」という店ある。彼女は母親が代表の「海・・・」
の2号店を、和倉にだした、という話だ。先月オープンしたばかりだ。
「一番人気!パラタ」とキッチンに掲げてある。「パラタ?」
よくわからないけど、パラタとアイスコーヒーを注文。インドの粉もので、「なん」みたいなもんだ。
中に野菜と生ハムが入っていて、もちもちパリッとした触感がいい。オープンエアーな場所に、テーブルが置いてある。
一番端っこのテーブルに座っていると、そこに大きなパラソルを立ててくれた。黄色いハンカチ、パラソル、音楽が
ハワイアン・・・・異次元世界に誘われた。

「パラタとアイスコーヒー」を飲んでいると、女将さんの友人という素敵な女性が、同じテーブルに座り、
ドーナツのテイクアウトを所望。女将さんが「この人は、七尾のS寿司の女将さんです。ぜひいってください」と紹介。
前から気になっていたお寿司屋さん。「今週中にいきます」と約束(寿司とか美人には目がない?)。
雨にも負けず、風にも負けず、地震にも負けず・・・能登の人たちは、元気でやさしく美しい!

今朝はいい天気。近くの海まで「タコヤン」をもって徘徊散歩。地震で壊れた船着き場が大工事になっていて、
船が岸壁に移動していた。「タコ」は、岸壁の際や、天気のいい日は、船底の日陰で昼寝(朝寝?)していることが多い。
一番左の船の下に、タコヤンを投げ入れた。一分も待たずに、限りなく1Kクラスの大きなタコが、タコヤンにフアーと抱き着いてきた。
このフアーという瞬間が、タコヤンでタコ釣りの醍醐味だ。ゴルフの「ファー」とは似て非なる世界。幸先のいい「能登くらし いちにちめ」。感謝。

UFO焙煎機

昨日、岡山の山の中で暮らしはじめたギタリストの「赤須翔」
から、生豆の注文があった。田舎暮らしが板についてきたのか、
珈琲を焙煎する頻度があがっているようだ。
都会よりも、美味い空気の中で、自分で焙煎した珈琲を飲むのは、筆舌を超えた美味さがある。

今朝、PCを開いたら、天真庵のHPのフォームから、「UFO焙煎機」
の注文がきていた。買うきっかけを「他の人のブログを読んで」とあった。
きっと「UFO焙煎機 友の会 会長」の赤須翔のブログを読まれたのだろう。
ほかにも、熱心なユーザーがいて、ぼくより素敵なブログをあげてくれている人が何人かいらっしゃる。
ぼくが「UFO焙煎機よかよ」というより、何倍も効果があるようだ。
ジャンクメールを毎朝、眠い眼をこすりながら「迷惑メール」の中に削除する。そんな中に、
「UFO焙煎機」とか、「珈琲豆」とか「うめ星」などの注文を見つけた時は、翡翠海岸で翡翠を見つけたような
感動(実際に体験したことはないけど)がある。

昨日は「茶」が高騰したことを書いた。珈琲豆も、注文するごとに高くなってきた。
「珈琲豆を売る」を生業にしている人の、青色吐息の声が聞こえてくる。
「飲食店」を経営しているぼくたちは、「カスミを喰うレシピ」でも発案するしか前途が危ういかもなんばん。感謝。

明日から23日(金)まで、能登休み。

星野村の茶会

昨日、ふたりの「風興の花人」とことを書いた。
10年以上前になるけど、縁があって、原田先生が花を生け、福岡の茶人が茶をいれる、という茶会が
星野村であった。たまたま、隣に座った「土どろぼう」(陶芸家・山本源太著)さんと仲良くなって、ときどき帰福する時には、
源太窯を訪ねる。

星野村というのは、日本一おいしい玉露をつくる村。山紫水明の里で、もちろん星もきれいだ。
今朝の朝刊に、外国人のニーズもあって、玉露の値段が1・7倍になったとの記事。スカイツリーの
中にも「抹茶専門店」なるものがあって、朝から外国人でにぎわっている。
「お米」もそうだけど、デパートの閉店セールと同様、「なくなる」とニュースになったら、普段は
パンやパスタばかり食べてボリボリしている輩が、かしましくなって、ますます値段があがったりする。
「テンバイヤー」にとっては、絶好の商機?

「茶」も同じような動きになってきた。今は煎茶の茶積みの季節。気温が下がっているので、新葉が
うまく育っていなく、星野村も、宇治も収穫が大幅に減りそうだ。きっと、近々、そんなニュースが
流れると思う。そうすると、またまたボリボリ星人たちが、さわぎだし、値段が高騰するに違いない。

今日も朝の起き掛けに、白湯を飲み、「ムーントーク」を聴きながら蕎麦を打ったり、珈琲を焙煎したり
の一日が始まる。そば打ちや、珈琲を焙煎すると、汗がでて、水分を補給したくなる。
それから冷蔵庫に冷やしている「水素茶」を飲む。「還元くん」でしかけた魔法のお茶。
珈琲を飲むのは、朝ごはんが終わって、朝焼いた珈琲の試飲で、デミの半分くらい。
栄西が「喫茶養生記」を著したころ、お茶は「薬」だった。ちゃんとしたお茶を、ちゃんと淹れて飲むと、
今でも、茶は体を楽にしてくれる「薬」だと思う。感謝。

風姿花伝

世阿弥(ぜあみ)が、能の理論を後輩たちに伝えるために、「風姿花伝(ふうしかでん)」を残した。

先日、妹に4人目の孫が生まれ、筆子さんのスマホに「風花が無事産まれました」
と、写真がおくられてきた。
なかなか風雅な名前だ?

天真庵の二階で、ながいこと「花の教室」をやっていた。宇部から原田先生が毎月きてくれて、
古流の生け花を指導してくださった。先生の先生が「岡田幸三」先生。
京都に住んでいらっしゃって、晩年は花を極めるためには、必然ということで、出家までされた伝説の華人。
岡田先生が、「花の伝書」という本を残した。その中に、原田先生の言葉が紹介され、「岡田先生は、妥協がなく、風興の花を
生けた人です」とあった。そのため、原田先生の花の会も、「風興の会」と呼ばれ、武内さんが会報を書いた。
岡田先生、原田先生、武内さんも、みな昇華されたけど・・・

さっそく、風花ちゃんのお祝いに、「花の伝書」と久保さんの「一輪挿し」をおくった。

目に青葉 山ほととぎす 初ガツオ

天真庵の店先においてある「緑」たちも、あざやかな新緑を楽しませてくれる季節。
ほととぎすの声はしないけれど、鉢植えの「ほととぎす」も新芽をつけはじめた。
「女房を質にいれても食べたい」と江戸っ子にいわせた「初かつお」。古女房は質草にならず、
厚切りのカツオは、アラ古希の歯では、「コキッ」と折れそうで歯がたたない。
そんな事情で、初カツオよりも、新茶のほうが、待ち遠しい今日このごろ。

風姿花伝の中には、「時分の花」と「誠の花」というのがよくでてくる。
「時分の花」・・・若いころは、若さだけで一時的な美しさがある。
「誠の花」・・たとえ、質屋のオヤジにしかとされるようになっても、
内面からにじみでる人間性みたいなものが、ほんとうの美しさ。
そんなことを、世阿弥さんは伝えたかったのだろう。感謝。