本を売るなら・・・ブック・・

能登から、宗像まで車で移動。939kある。
東京の天真庵から能登の寒山拾得美術館までは500kくらい。
東京から宗像までは約1000k。この35年くらいの間、毎年3・4回くらい
車で往復した。仕事で福岡や熊本を飛行機で往復した数も数えられないくらいあるので、
どこが本拠地だからわからないような生活だった。

今年の後半は、オヤジの具合がよくなく、8月に旅立ったので、今でも
毎月のように帰福する。そのうち、この世とあの世をいったりきたりするのだろう。
昨日は、膨大な本のかたずけ。能登におくる荷物、東京にもっていく荷物・・
残りは♪本を売るなら・・・と思い、ちなみに近くのそこにもっていった。
50冊くらいもっていって、査定してもらう間に、本を二冊1200円くらいで買った。
ま、相殺くらいかな、と思っていたら、500円支払うことになる。

ばかばかしいので、隣の隣のボンに声をかける。「何か読みたいもんがあればどうぞ」
押し売りではないけど、「押しあげ」だ。「押上からきた本の押しあげおじさん」
若いのに、安岡先生や天風先生の本、吉本ばななやお父さんの隆明さんの本・・・
50冊くらいをひきとってもらった。なんだか、脳の中が共有される友を見つけた気分だ。
彼のお母様は、ぼくの高校の後輩。秀才で本もよく読んだ。向田邦子さんのエッセーを一冊「おかあさんに」
とおしあげた。

これからまた能登へ。茶道具と寒山拾得の絵などを車に積んでいってくる。仲内琢磨くんのCD
を聴きながら日本海側を走ると、どんよりした雲も晴れ渡るような感じになる。

26日(土) 仲内拓磨ギターライブ

演奏:仲内拓磨(ギター)・ゲスト=Kyoko(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

能登まきり

昨日は能登町の「ふくべ鍛冶」に、能登まきりという漁師さん御用達の包丁をとりにいく。
100年前の鉄を使って、作るらしい。北前船がいききしていた時代に、アイヌの人
たちがサケをさばく包丁にヒントを得、初代の店主が工夫を重ね、「能登まきり」が完成した。
界隈の漁師さんたちの必需品で船にはなならずもっていく。万が一、海に落としても、ウキを
つけているほど大事に使っているらしい。

ぼくはてっきり九州あたりの海賊たちが、高倉健よろしくドスをもって能登にやってきたなごりか?
と思っていたけど・・・
夜は「ふろふき大根」と「ミズ」で買った牡蠣飯(250円)と能登牛のすき焼きで「竹葉」を飲む。
能登まきり、能登牛・・・「のとはやさしや土までも」というのがあるが、能登をつけると響きがいい。
「能登ぶらじる」があってもいいかもなんばん。

その後、梅茶翁にいく。ペチカがだいぶできあがってきた。たぶんできあがると、全国から
それを目当てに人が集まってくるだろう。そんな存在感がある。
厨房に入り、「ほぼぶらじる」を入れ、みんなで「能登珈琲時間」。

今朝は初めて「生えさ」を使って釣り。先日ホームセンターに、豆炭を買いにいったら、「青虫あります」
と書いていあった。ゴカイのようなものをこちらではそうゆうらしい。20g200円でゲットし、
今朝は江戸竿(竹でできた海釣りの竿)に、ブラクリ針をつけ、そこに青虫をチョン掛して、
海に投げる。一投目に「真フグ」が釣れた。漁師さんたちが見ていて、「うまく血を抜いて食べんと死ぬよ」
などといわれた。ほんとうは「アイナメ」をねらっているので、静かにリリース。
すこしづつだけど、「能登くらし」にリズムができてきた。

能登時間

昨日能登についた。いつものように、加賀屋の近くの「総湯」でひとっぷろ浴びて、
志賀町にくる。
東京から本を30冊くらいもってきて、書庫にいれる。もともと置いてあった書庫の片隅に、
古い本を見つけた。昭和33年の初版の「点と線」だ。ぼくが二歳の時だ。
舞台が博多のみっつくらい手前にある「香椎駅」。小さいころ「香椎花園」に遠足にいったことがある・・

さっそく、炭をおこし、鉄瓶をのせ、「竹葉」をぬる燗にしながら「点と線」を読みはじめる・・
かっぱえびせんではないけど、やめられない、とまらない、酒も美味くてグビグビのどを鳴らす。
酒肴は、月曜日の忘年会のあまり。「がめ煮」(筑前煮)、カラスミ、蕎麦の実おから・・・

この集落は海風が強くて、京都の鰻の寝床みたいに、家が狭い土地に風を避けるように何軒も立っていて、
人の家の前をお互いに通って生活するスタイル。隣の家は、留守の時にも、家の前の植木などに水をあげたり
してくれているので、いつも「ほぼぶらじる」を手土産にする。昨日もそうしたら、隣の畑にいって、
大根、きゃべつ、ブロッコリー、白菜をくれた。しかも寒い中、それを水道で洗って土を落としてくれた・・
「みんなでささえあって生きている」が当たり前の「くらし」に感動する日々。日本人のこころの原点がある。

今朝はいつものように、徒歩165歩の海に釣りにでかける。冬は海風が強い日が多く、今日は釣り
はあきらめ、「蛸釣り」に変更。カニの疑似餌を針にまいて、港の岸壁ぞいに落としでたこをさぐる。
地元の漁師さんたちが、外野席のひやかしのように声をかけてくれる。
ひとりは「船の免許とったら、船はなんぼでもあるから・・」とのこと。すぐにその気になる・・
来年あたり、船で沖にでるか・・
途中メールをする。指がかじかんでうまくいけないけど、「北の港町から」
この港町は松本清張の「ゼロの焦点」の映画のロケ地でもあった。「ヤセの断崖」もここから600m。

今朝は、「そばかす」(そばをうった時にはじっこを落とす切れ端)を水で溶かして、
「ガレット」。能登にきたら、初日はだいたいそれ。タコが釣れたら、「あこがれのタコガレ(たこのガレット)
にする予定だったけど、釣果なくチーズとのり(天真庵風)だ。
ほぼぶらじるを飲みながらブログを書いている。

これから、ふくべ鍛冶に「まきり」を受け取りにいく。明日はそれをポケットに忍ばせて、
タコ釣りに挑戦。一歩づつだけど、能登人になりつつある。感謝。

ひょうたん ひさご ふくべ

みな瓢箪のこと。昔から家の中に瓢箪をおくと、魔よけになるといわれてきた。
天真庵の中も、花入れや酒器に「ひさご」をよく使っている。
4人掛けのテーブルのところにもひさごの掛花があり、矢羽すすきを投げ込んでいる。

能登に「ふくべ鍛冶」というのがある。明治41年創業の鍛冶屋さん。さざえやあわび用の道具、
農機具や能登の暮らしで使われる道具を、作りつづけている。「ものつくり」の原点があまたあって、
とても勉強になる。能登にいくことがあれば、ぜひたちよってほしいお店だ。
鍬(くわ)も、男性用と女性用があり、輪島型とか土地によって形状がかわっていたりする。
最近はかっぱ橋や築地の「包丁や」は、外国人に占領されている。「サントク」
というのが、世界共通語になりそうな勢いだ。三徳包丁。魚、野菜、肉なんでもOK牧場、というもの。
日本人がそんなものを知らなくなっているみたい。火鉢に鉄瓶などをのせる台を、「ゴトク」という。
先日台湾からきたお客さんが「あ、ゴトクだ」といった。五徳・・・暖をとる、鉄瓶で湯をわかす、餅をやく、
のりをあぶる、魚や肉をやく、畳の部屋を美しくする・・・・五徳以上の価値がある。

昨年の春、能登の梅茶翁に梅仕事にいった時、ふくべ鍛冶さんに「まきり」を頼んだ。
能登の漁師が、これ一本で、イカ、タコ、カニ、ブリをさばいあたり、船のロープを
切ったりするする道具。注文してから、一年半かかるけど、注文したらわすれたころにできあがる。
先日「できました」と電話があった。
明日から能登なので、できあがったものを受け取りにいってくる。

能登にしばらくいて、九州の実家の本のかたずけにいく。
妹に「にいちゃん、本をどげんすると」とつつかれているので、骨董屋の借金と同じく、
年内にすませようと思う。洋間の床と倉庫の棚がこわれそうなくらいある。
「断捨離」というのが大流行だけど、本はなかなか捨てられないモノだ。21日まで「休み」です。感謝。

サムタイム

昨日は、大石学&杉山千絵さんのライブだった。
大石さんのピアノと京女の千絵さんの歌・口笛・トークが絶妙で
京都の河原町の路地裏のジャズバーで飲んでいるような気分になった。

今日は吉祥寺の「サムタイム」で、ふたりは昼ライブをやる。東京のジャズの老舗。
こんどの二人の「CD」も素敵なので、吉祥寺土産にしてください。
「サムタイム」・・・ときどき

ピアノの横に南條先生が書いた「泣くも 笑うも 人生よ」という額がある。
先日の国貞雅子のライブの時、彼女がなんども大きな声で「そうよ・・みなさん・・泣くも笑うも人生よ」
と叫んだ。ときどき、人の琴線にふれるようだ。

能登の「寒山拾得美術館」には、南條先生の額がいくつも飾ってある。床の間の脇の棚に
小さな額があり、「さざえ」がふたつかかれてあり、そこの「ときどきは外を見る」と
いうのがある。鎧兜みたいなスーツきて、まわりは競争相手ばかりで、SNSみたいな顔も見えない
世界と繋がっている(もしかして、つながりたくない)ような毎日。きっと疲れるよね。

「ときどきはライブにいく」「ときどきは田舎にかえる」「ときどきは掃除をする」「ときどきは銭湯にいく」
「ときどきは居酒屋にいく」「ときどきはアホになる」・・いろんな「サムタイム」がおもしろい。

昨日はMさん(一度聞いたらわすれられない名前)がきてくれた。
ぼくの主催していた「業界団体」に参加されてからの付き合いで、30年近くつきあっている。
IT企業と農業法人の社長でもあり、南島原の蕎麦会や能登の梅仕事にも参加してもらった。
「なにをやってもうまくいくひと」ということで、みなに紹介する人。昨日は「能登で蒔いて」と蕎麦の種をくれた。
彼がときどき、その業界団体に所属していた人を連れて蕎麦を手繰りにくる。
100社くらいのコミュニティーではあったけど、ITというポッとでの人間の集団で
あったので、ぼくには見えてなかった話が聞けて、いまさらながら「人の勉強」をさせてもらったり反省することしきりの毎日。
「先生」とか「社長」とか「理事長」とか言われている間は「ダメ」だと痛感する。

明日は「順受の会」 23年続く論語の会。
20年くらいは、天真庵を会場にしてくれている。
「ときどきはいってみるか」という人も参加されにぎやかに忘年会、忘平成会ができそうだ。
古い友人でもある「ひとりの男」をデキンにした。個人的な好き嫌い、でデキンにするほど、いい商売ではない。
「もてなす」というのは、ある意味、命がけでやらないといけない場合もある。美人キャスターが「お・も・て・な・し」
でボリボリする(東京オリンピックのCM)ほど簡単ではない。
ちっぽけな店だけど、小さな単位ながら「家族」のようなコミュニティーが形成される。そこには「ルール」がある。
ルールを守れない人には去っていってもらうしかない。

「お金を借りるのがうまく、ぜったい返さない人」や「信仰の自由をたてに特定宗教に勧誘する人」・・・
そんな人はどの会にも参加してほしくない。

時代小説にでてくる詐話師の話など、読んでいても少し笑える人情味なんかがあるけど、最近の
詐欺師や詐話師の話は、時代を反映しているのか、ささくれだった話が多い。しかもSNSなどを巧みに
利用するので、なおさらたちが悪い。

えらそうなこといいながら、骨董屋に借金がある身。
暮れまでには、返さないとぼくも「デキン」になる。くわばらくわばら・・・

二階では「満つまめの会」  今日は16時閉店。それから「蕎麦打ち教室」
明後日から「能登」
いよいよ「自分で年越しそばを打つ会」や「年越しそば」の注文がきはじめた。感謝。

今日はライブがあるので16時閉店

国貞の親分、というとヤクザみたいだけど、今日は大石学さんと京都から杉山千絵さん
が初めて天真庵にやってくる。今でも京都は町中がカフェ、みたいな町だけど、
ぼくらの学生時代は、その中にジャズ喫茶がいっぱいあった。彼女は同志社
だけど、御所の横に立命館があるころは、寺町や河原町にジャズ喫茶がいっぱいあった。

授業をさぼって、よく荒神口のシャンクレール(ジャズ喫茶の名店だった)にいって、
バリバリ音をたてるレコードのジャズを聴きながら、珈琲を飲んだ。♪それが青春・・・

12月はもうひとつ「ゆさそばライブ」がある。これも超満員。

8日(土) 杉山千絵&大石 学 LIVE

演奏:杉山千絵(ヴォーカル)大石 学(ピアノ)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

22(土) ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうご(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲・付き)

鬼も悪うけど、来年の一月のギターのライブもいいよ。

1月26日(土) 仲内拓磨ギターライブ

演奏:仲内拓磨(ギター)・ゲスト=Kyoko(ヴォーカル)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

奇人列伝

昔から普通の人よりも、奇人変人といわれる人のほうがおもしろい。
普通の人の基準で見るから「奇人」だけど、自然の目でみると、そちらのほうが普通かもしれない。
江戸時代に文人茶として流行した煎茶の世界にも、あまたの「奇人」がいて、
伴蒿蹊の著した『近世畸人伝』を読みながら煎茶を飲むと、江戸時代にスリップする旅気分になる。

その本の中に、池大雅と奥方の玉蘭が紹介されている。ある日大雅が写生ででかけるのに、筆を忘れて
いった。おいかけて筆を渡そうとする玉蘭に「どちらさまか存じませんが、ご親切にありがとう」
みたいなことをいった、というような逸話が紹介されていた。

こないだの京都工芸繊維大学のOBの会に、ぼくの煎茶のお弟子様がいて、二階に飾ってあった玉蘭の絵
にくいついた。「この掛け軸の写真を撮っていいですか」という。
彼も絵をたしなみ、外国で個展をやるくらいの腕前で、お茶の手前も無手勝手流ながら、それらしき風格がある。
玉蘭の絵は、古信楽の破れ壺らしきものと蘭の葉が描かれていて、そこに祇園の芸子が詩をさらさらと揮毫している。
その詩を読み解きたい、らしい。その軸を手に入れた銀座の骨董屋は、東大をでて高級官僚をやっていたが、
野にくだって骨董屋になった。池大雅の研究家としても知られた。箱の中には、そのおやじの解説文もある。
でも、少し納得いかぬところがあるらしく、今朝メールで「読み解いた」というのが届いた。
こんな奇人がまわりにいると、人生は10倍楽しくなる。

そゝ出で 葉色艶やかに清く
咲そふ花の處 芳しく
にほひみちぬれば 山林閑居も
かくれえぬものから あかず愛ずる
こそいとめでたけれ

これを書いた芸子さんも「近世畸人伝」に連なる奇人である。

国貞雅子が大きくなった!

昨年12月23日に天真庵でライブをやってから、ほぼ一年ぶりにあった。
いつものように「おはようございます」と笑顔で入ってきた瞬間に、大きく見えた。
昨年のライブの直前に、お父様の危篤の電話があった。(今年一月二日に旅立たれた)
ピアノの弾き語りなので、お客さんに背を向けながらのライブだった。
自分が歌う一曲一曲が染みて泣きながら歌った。「わが胸のふるさと」を
歌った時は、涙がとめどなく流れた。ぼくは典座のように厨房から垣間見ながらもらい泣きした。

ライブが終わるまでお父様のことは伏せていた。でもお客さまの「こころ」に届いて、
みんな涙した。ほんと涙がとまらなかった。
新しいCDのデモ版を聴いた。今度のCDにも「わが胸のふるさと」が入っている。
でも、前のアルバムのそれよりも、ずっとよくなった。
「国貞雅子」のHPに巨匠大石学のピアノで歌う映像がある。今月24日にリリースされるので、
それを買って、聴き比べてほしい。「声にもオーラとか気とか波動がのる」ことがわかる。

自分で野菜をつくったり、やさとの「くらしの実験室」あたりの新鮮な野菜を食べると、
そこの「土」や「根粒」と、自分の体の中の宇宙が一体になるような感覚になる。

いい音楽も、同じように、体中の細胞を一瞬にして元気にしてくれるような「何か」がある。
こんどの「なんやら」(タイトルはわすれた)いうアルバムは、次の時代を生きて
いく上に元気な道しるべになってくれるに違いない。

ちなみに、国貞雅子は、11月にブルーノートで名曲「トゥナイト」を絶唱した。
作曲者であり、レジェンドの「ディブ・グルーシン」が来日した時、白羽の矢
が飛んできた(本人のコメント)。それを見に行ったファンは、また泣いたらしい。
人間はあっと驚くような後に、こころに染み入る感銘を受けるようになっている。

明後日土曜日は巨匠・大石学さんがライブをやってくれる。国貞のピアノの先生でもある。

2007年の4月に天真庵が押上に結ばれた。親友のワカが、次の年に国貞を連れてきた。
そして、ワカは2010年に風のように56歳で召された。2011の春に、隣のトトロ
みたいに隣の隣に住んでいたセシルモンローが大石学のCDをもってきて、カウンターで
「クロキリ」を飲みながらいっしょに聴いた。初めて聴く大石ワールドに酔っていたら
「オオイシがテンアンでライブやりたいいってるよ」という。夢のようだったけど、
7月に実現した。それから数日後の夏休み最後の日曜日、大石学トリオのドラマーだったセシル
は館山の海から天国に召された。確かワカと同じ年やった。
それから毎年「海の日」は、大石学ソロライブをやっている。不思議な縁だ。
大石学ライブに聴きにきた国貞雅子が、ピアノの師弟関係を結ぶ。

親子は一世 夫婦は二世 師弟は永世

人の命は一度きりだけど、死んでも未来永劫つながっていくものが「音楽(芸術)」にはある。
せっかく授かった命なので、生きている刹那に、永劫につながる美しいモノやコトを何かひとつ残していきたいものだ。
この世で無駄のない縁で繋がれた人たちとは、きっとあの世にいっても会えるもんだと信じたい。感謝。

元気のない日も、これを見ると元気になる!

昨日は「英語でそば会」だった。
少し時間がかかったけど、若い元気なサウジアラビア人の女性をつかまえて、
英語で談論風発。毎月、世界中の人をポン引きして、英会話を楽しんでいる。

夕方には、ブラジル人でギタリストである人が、3人家族でやってきた。
宮崎からハイエースを改造したキャンピングカーで、東京のシェアハウスに
いく途中に立ち寄った、ということ。(表のショールームの「ほぼぶらじる」に釣られたらしい)
男の子は来週一歳。「マルコ」と呼んでいるので、女の子と思っていたら♂らしい。
「丸虎」と命名したらしい。東京に一年くらい住んだ後、また日本中を家族で
旅するらしい。いろいろな人生があるものだ。人の数だけ人生がある。

かすみちゃんが「能登の写真」と「暮らしの実験室の蕎麦会」の写真をおくってくれた。
天真庵のHPの「遊山」というところに、「蕎麦会」の写真をアップした。
能登の「寒山拾得美術館」のあかりちゃんをクリックすると、10月16日のオープニングの日
の朝、近くの里海を散歩していた時に虹の写真が掲載された。美術館より宗教法人みたいな写真?
小さく白い人が教祖さま。うそ、ぼくがルアーでアオリイカを釣っている。来年は、「いかとり名人」か「たことり名人」になるぞ。
先日、「気」の先生がそれを見て、「すごいパワーのある写真。ぜひいろんな人に見せて元気にしてあげて」
というので、そこにアップした。「大道無門」ではないけど、門になって、いろいろな人がいったり
きたりしそうな雄大な道を感じた。大道には、老若男女問わず、貴賤や性別も関係なく、だれでもどこからでも
門が開かれている。

今日は「国貞雅子」のライブ。
明日は「焙煎教室」 夜は「おとこかっぽれ」

耶馬渓の風

今年の6月に、大阪の泉大津から門司港までの阪九フェリーの中で、平魚泳さん家族
がライブをやった。そのフェリーでは、30分ほどライブをやると、乗船料が一人分免除される。
遠距離のトラックの運ちゃんや、遠くからの旅人たちは、車の運転からひと時離れ、露天風呂も
あるので、空の青や海の青を眺めながら、ひとっ風呂あび、沈む夕陽を眺めながら食事をし、
その後でライブを聴く、というのは至福の時間である。

ライブが終わった後、彼らのCDを買いながら、四方山話をしていた。
ふと7年前に耶馬渓(やばけい)に移り住んだTくんの話をしたら、
「こないだまで、隣同志でした」という不思議な偶然にビックリした。
そして、9月に天真庵でライブをやってもらった。

昨日そのTくんが、7年ぶりに天真庵に蕎麦を手繰りにきた。
手土産に彼がつくった無農薬のお米をもらった。大豆も無農薬でつくっているというので、
来年の菌活の会(味噌作り)には、耶馬渓産の大豆も加わることになった。

「不思議な関係性」というか、いろいろ縁ある人が、縁ある地方に移り住んで、
梅林を整えたり、漁師になったり、田んぼや畑をやったりしている。またその人
たちが、里帰りのように天真庵にきてくれる。それに影響され、ダウンシフターズ(減速生産者)
になろう、という若者もつぎつぎと現れ、地方に移住したり、ぼくらみたいに地方と都会との
「二股生活」をしたりする人が増えてきた。まるで「@都会と田舎の鏡屋敷」みたい。

昨日の夜は二階で「普茶料理の会」
「普く大衆に茶を施す」という意味で、江戸時代に隠元和尚が中国から宇治の黄檗山に
きて伝えた料理。宇治にくる前に長崎にいたので、長崎にも「しっぽく料理」
という精進料理が伝わった。隠元豆というように、当時としては新しい野菜も
中国から伝えてくれ、お茶と禅をその地に根ずかせてくれた。
時々天真庵の二階でのお茶会に、隠元和尚の掛け軸を披露することもある。

今日は二階では「満つまめの会」
夜は「英語でそば会」

明日はお店は休みだけど、国貞雅子のライブ。できたてのほやほやのCDを携えてやってくる。楽しみ。
木曜も休みだけど、午前中は「焙煎教室」で夜は「おとこかっぽれ」

年末の「自分でそばを打つ」というやつも、予定表がぼつぼつうまってきた。