♪土佐の高知のはりまや橋で・・・

先日昇華された弘田三枝子さんの「よさこい節」がラジオから流れた。
なかなか艶冶な声で、ほれぼれした。

高知県土佐清水市 大岐の浜という、ウミガメが産卵する海岸に、友達がおもしろいホテルを経営している。
時々メールをもらう。ぼくのことを「栄一さん」という。少し気恥しいが、その言い方が、接客をともなう宿泊業の人の丁寧さ、だと思う。
「海癒」(かいゆ)という。非日常で、自然を思いっきり堪能したい人におすすめの宿。
今は温泉施設もできているけど、まだ作り中の時に、2泊したことがある。四万十川の浮沈橋をわたったり、
川や海で遊び、夜はホタルのひかりを眺めながら、ワインを飲んだ。
その時はじめて「五一わいん」の一升瓶を堪能した。

先月、能登から東京にくる途中、小布施で「五一ブランデー」を調達。
昨日の夕方、たまたまカッポレの相方が、遊びにきた。彼は古希を過ぎたし、
カッポレで、男同志で手をつないで、芳町(男専門の遊郭)に通う、というような踊りを
するのは、濃厚接触になるし、先生もそろそろ八十路を迎えることもあり、しばらくかっぽれ
が踊れていない。

そんなこともあり、「ままよきんたまおとこのこ」よろしく五一ブランデーを、安土さんのブランデーグラスに入れて、
ロックで飲んだ。ビール一杯で真っ赤になる相方は、さすがに37度のブランデーのロックを
飲むと、茹で蛸のようになった。
いろいろなブランデーを飲んできたけど、五一ブランデーはなかなか芳醇な香りとのどこしがいい。
先月、能登の梅で梅酒をつくったけど、五一ブランデーで梅酒、というのもよさそうだ。
ワインと同じく、一升瓶で売っている、というのがすこぶる愉快だ。

巣ごもりが日常になり、大きな声で笑ったり、談論風発する機会が減り、みな少し鬱な顔している。
たまには、気のおけない仲間と酒を酌み交わし、「今ここ」を語り合うくらい、いいではないか、
と思う。しばらく、夜の勉強会は自粛しているけど、ときどき、はめをはずす、のも大事だと思う。

月曜の朝は卵かけごはん

茨木県の八郷(やさと)に「暮らしの実験室」という農場があり、
若い移住者が中心になって、無農薬の野菜をつくり、その野菜を餌
として、平飼いの鶏を育て、卵を販売ししている人たちが頑張っている。

ぼくも、一昨年までは、そこで育った蕎麦を楽しむ、という収穫祭で
蕎麦打ち指南をおおせつけられていた。スタッフも蕎麦打ち名人になり、
こちらも能登と東京の二股暮らしになったこともあり、今は、野菜と卵を
定期的に買わせていただく、という関係に落ち着いている。

毎回、おくられてくる野菜や卵の箱の中に、彼らの暮らしの実験ノートみたいなレポートが
入っていて、それを読むのも楽しみのひとつだ。都会にいると、「何が食べたい」というところを
起点に、近くのお店で、材料を調達する。でも畑で四季折々の野菜を育てると、まず畑の野菜
たちと忖度しながら、「今日はトマトがいっぱいとれたので、サラダにして、残ったものはケチャップやジャムを
つくり・・・」という具合になる。でも毎日食べても飽きないくらい、自然の中で、へんなものを足さずに
育った野菜たちは元気だ。そして、それを食べたひとにその元気の波動が伝わっていく。天地自然の理。

今回は、トマトが4種類きたので、毎日サラダにしたり、今朝は「そばピザ」にしたりして楽しんでいる。
「自分たちの命は、口に入る食べ物から生まれてくる」という当たり前のことを、再確認できる。

これから「卵かけごはん」。主役の卵は、もちろん「暮らしの実験室」の卵だ。感謝。

たんぽぽはたんぽぽ

人と比べない。自分らしくいきる。
たんぽぽはたんぽぽ、桜や梅やチューリップになる必要はない。
自分と向き合う時間が多い昨今、そんなことをふと思う。感謝。

久しぶりに今日の「真民さん」

「タンポポ族」

タンポポ族は
フラフラしない
グラグラしない
純一だからだ

タンポポ族は
クヨクヨしない
メソメソしない
根強いからだ

タンポポ族は
ペコペコしない
ヘラヘラしない
野人だからだ

タンポポ族は
平和を愛し
幸福のため
立ち上がる
それはタンポポの
花ことばだから      真民

ママ友の友達はみな友達・・?

味噌作りや梅仕事のワークショップをやっているので、幼稚園とか小学校低学年の
お母さんたちの友達、いわあゆる「ママ友」の輪が広がり、送り迎えの時に「おはようございます」
とか「こんにちわ」とか挨拶されることが、ままある。
人の名前とか顔を覚えるのが、先天的に苦手なので、名前も顔もわからなくても、「やあ」とか
「元気」とかいって、適当にあいさつ返しをやっているけど、「挨拶」というのは大事なことやね、と、
つくづく思う。

昨日はマスクをした女子(ママ)がふたり、カウンターに座った。もう3年近く「菌活の会」(味噌作り)
にきておられる。マスクをしても、美人なのだが、名前がでてこない。(○○君ママ・・という具合に、子供の名前を
中心にして覚えるので、永久的に苗字や名前はでてこない)。

そんなことは、どうでもいいけど、会話の中で「珈琲メーカーを買い替えるのに、どこにしたらいいか、わからない・・?ボリボリ」
しているので、「子育てで忙しいだろうばってんくさ、珈琲は「縄文ドリポット」使って自分の手で入れるのが一番」
と教えてあげた。もうひとりのママ友は、水出し珈琲を所望された。
お店には、ふたつの水出し珈琲の器具があり、最近一個は、水の量を調整するところが破損して、「すりや」
というガラスを磨く職人さんに直してもらって、水の落ちる姿が、芸術レベルにアップしたので、彼女たちを
その器具のところまで誘導して、「水の話」をした。興味深そうな顔していたけど、内心は「うざい」と思っているに違いない(笑)
話は飛躍するけど、これからの時代は「水」がすごく大事やと思う。

そんなことをつれずれなるまま、書いていると、街がいつもより、シーンとしている気配につつまれる。
シンコロの感染者の数が、急速に増えてきていることも一因だけど、その「ママ友」さんが帰り際に
「明日から子供たちは夏休みです」という言葉を思い出した。
今朝の新聞にのっていたけど、夫婦の家事の負担が、子供がいると女性が2・6倍も男性よりも大変らしい。
「おい、めし」とか「おい、珈琲」とか、いばっている場合ではない。
男子も厨房の中に入り、飯とか珈琲とかお茶くらい、上手に入れる修行をする夏期講座の8月・・・なんていいかもなんばん。
ぼくの8月のテーマは「キス」。

久しぶりに、投げ釣りをしてキスを釣ろうと思っている。「貴公子」という別名をもつキスは、夏の浜辺でキラキラ
と輝いていて、刺身にして、久保さんの織部の葉皿なんかに盛り付けると、真夏でも熱燗がほしくなる。
そのために、先月数馬酒造にいって「竹葉」の熱燗用を買って、能登の家に6本置いてある。
数馬酒造の近くに、「ふくべ鍛冶」という老舗の鍛冶屋さんがある。そこの「真切り包丁」は一年待ちだけど、
能登の海の男たちの必需品。
「ふくべ」というのも瓢箪のこと。ひさご、ふくべ・・・で検索すると、伝票やだけでなく、寿司屋とか居酒屋
とか、いろいろなお店の店名になっている。
お店の名前とか、ロゴ、とかも大事やね。
普段でも「にっぱち」といって、飲食店たちにはつらい八月。熱い夏になりそうだ。感謝。

お金持ちになる方法

昭和51年に京都で暮らすようにようになった。
その年の秋に、からふねやの本店を任されるようになった。
下鴨神社の近くにあって、カウンター5席、ふたりがけのテーブルがふたつ、
満席になっても9人という小さな珈琲屋。
セブンイレブン方式で、朝7時から夜11まで営業。お昼は手間がかかるので、
アルバイト(近くのノートルダム女子の人らが多かった)を使って、毎日朝から
晩まで、珈琲時間やった。

駐車場はなかったけど、ゆるい時代だったので、お店の前に一台おけた。
時々、「これはあかんでしょ」という左カンドルの大きな車(リンカーン)が止まった。
主人は呉服商を営んでいた人で、立命館の先輩だということもあり、誘われて一度西陣にある会社に
遊びにいった。

立派な三階建ての自社ビルで、最上階の社長室に入ると、ふかふかの絨毯(なぜだかあのころの社長室の
絨毯はふかふか。ソファーもふかふか、が流行りだった)。美人の秘書が珈琲を入れてくれた。
「あんたの珈琲ほどうまくないで・・・」と笑いながら、いろんな話をした。
その会社の名前に「ひさご」がついていた。「ひさご伝票」という会社もあるけど、
日本人にとっては、「ひさご」(瓢箪)は縁起のよい名前とされ、屋号に冠するものが流行ったころがあるようだ。
通りに面した窓の横に、ひさごの掛花がぶらさがり、そこに白い侘助が一輪投げ入れてあった。
リンカーンとは真逆な美意識みたいなんが、そこにあり、「不思議なおっさんやな」と思っていたら、
「風水や。部屋にひょうたんを置いていると、悪い気がなくなるやねん。陰陽師の安倍晴明さんもそんなこといわはったわ」

そういえば、そのビルにいく道の途中に「晴明神社」なるものがあった。
「せっかくやから、金持ちになる方法教えてあげよか」と、高そうな葉巻をくゆらせながら
いうので「はい、教えてください」と、高校時代から吸っているショートホープを吸いながら、どんな風に
すれば、こんなお金持ちになるのかな・・なんて楽しみにしていたら
「使わんこっちゃ」と、単刀直入にのたまわれた。なんか、瓢箪から駒、どころか、狐につままれたような話
だったが、それから何年かして、東京にきて、27歳の時に会社をつくってこっち、いろんな金の苦労をしながら
「使わんこっちゃ」の意味が最近すこしわかってきた。でも「お金持ちになりたい」という夢は、もともともっていないタチかもなんばん。

お暇(いとま)する時、「これ財布にいれよし、お金がどんどん増えるで。でも使わんこっちゃ」といって、象牙でできた🐢(かめ)を土産にもらった。
「ひさご」と「かめ」が、奏功したのか、なんとか人さまに迷惑をかけず、従業員スタッフには、給与を遅延することなく、会社を運営
できてきた、と感謝している。でも「使わんこっちゃ」という金言を守ることをいっさいしていないので、いまだに毎朝、びん棒、という名の
のし棒を振り回して、蕎麦を打つ毎日。

先週、銀座の王子が蕎麦を手繰りにきたと時、能登ジャラトン(隕石粉入りのセラミック)でできた「ひさごの根付」をプレゼントした。
その時もらった「亀さん」のレプリカのうおうなもんを久保さんに作ってもらった。
一昨日、浅草に向けて散歩している時に王子からメールで「ひょうたん、カメさん・・・○○個づつください」と注文が入る。
人生は、同じようなことが繰り返される。そんな妙味が味わえてきたら、お金よりも「ゆたか」なものが、いっぱい見えてくる。感謝。

そばピザ

先週から、突然はじめた「そばピザ」が好評だ。
昨日は卵かけごはん。朝のまかないは、「そばピザ」にした。
仕込みをしながら、珈琲ではなくシードルを飲みながら、ピザをほうばる。
なんとも、ファーズトフード店の朝、みたいで、不思議な気持ちになる。
しかし「和バスコ」の辛さがきいて、美味い。そばより、ピザのほうがでるように
なったら、どうしよう?
昨日は、六本木でお店をやっている人たちもきて、ワイワイがやがや蕎麦を手繰ったり、
ピザを食べながらビールを飲んだり、楽しい一日やった。

少し落ち着いて、王子が突然カウンターに座った。最近鎌倉のほうに引っ越し、
畑仕事をやっていて、夏野菜やいちごなどを育てている。サーフィンや海釣りも
始めたらしい。さすがに、ぼくと同じ「宗像族」の末裔のDNAがときどき悪さを
するようだ。

そんな四方山話をしていたら、文庫ちゃんが野菜をもってやってきた。
押上文庫の屋上が、野菜菜園になっていて、夏野菜や万願寺とうがらしを
もってきてくれた。「できる男?」たちは、みな土を耕しはじめている。
文庫くんも、「そばピザとハートレンドビール」を所望して、王子と
「野菜つくり」の話に興じていた。
「隕石」を畑つくりに応用すると、不思議な成果がでる。
まだこの星の人たちはほとんど気づいていないが、昨日偶然にカウンターにとまった「ふたり」
は、先駆者。もっとも王子は、「隕石」に関しては、第一人者になりつつある。
「隕石直売所 銀座」で検索したら、王子の宇宙人みたいな日常が見え隠れする。

金のように輝く時間

「金継ぎ」がブームらしい!
あまり知られていないが、天真庵では時々「金継ぎ教室」をやっている。
カンタン金継ぎと、漆を使った本格的な金継ぎと、両方やっているけど、後者は
「かぶれる」人があまたいるので、「シンコロにもうるしにも負けない」ような元気な
人だけがときどききて、筆子先生のもとで、楽しそうにやっている。

昨日は、連休最終日。毎日けっこう忙しく、そばも2時くらいに売り切れたりしていて、
昨日も早朝からばんばん元気に蕎麦を打ったけど、昨日は暇やった。
最初にこられたのは、お弟子様で、手土産にガーベラをもってきてくれた。それを
ピアノの上の升たかさんの花器に投げ入れた。昨日は桔梗の花が一輪しかなく、それも少し
しおれていたので、ガーベラを投げ入れたとたんに、天真庵の中がぱーっと明るくなった。
ガーベラの花言葉は「希望」。そん子は、シンコロで余裕のできた時間を有効に使い、千葉に畑を借りて
「百姓」の入門をはたしたらしい。そんな話をする目に「希望」の光を感じた。
「自分らしく生きる」を見つけた人は、みな美しい。

すこしおくれて、マスクした女子が入ってきた。久しぶりで、誰だかわからんかったけど、
マスクをとったら、お茶のお弟子様M、で、「なんだ、おまえか」と、ご無沙汰の挨拶をした。
そん子は、ぼくがお茶を教えていた時の最後のお弟子様。能登に半分移住をきめた時、
教室の緞帳を下げた。それからあとになっても「煎茶を学びたい」と熱心に、のたまうので、
織田流煎茶道の後輩の先生に頼んで、弟子入りさせてもろうた。ときどき、天真庵の二階で
その先生と稽古をやり、昨年は星野村の新茶の玉露を相伴させていただいた。
なかな見事で美味しいお茶やった。

最近、そのかごんまのよかおごじょ(鹿児島のいい女)が、金継ぎを始めた、らしい。
父上自慢の白薩摩のぐい飲みを金継ぎした写真をみせてもらった。
金継ぎは、金繕いともいう。欠けたり、割れたりした器を、漆でつないで、そこに銀やら金
やらをぬる。「古いものを大切にする」というもったいない精神と、割れたところに、金や銀を
ぬり、新しい「けしき」として愛でる、という日本人のわびた精神も内包している。

ちょうど、「隕石粉入りのぐいのみ」が、お客様の粗相で壊れたのが一客あったので、
「これ継いでみるや」というと、目を丸くして「いいんですか?」という。
時々、木祖の漆やに金継ぎを頼む。だいたい、ぐいのみを直してもらって、一万から一万五千円かかる。(手間からいって安いと思う)

金を磨くのに、先人たちは、「鯛の歯」を使って道具をつくり、金をピカピカにしてきた。
「どうしてる?」と聞いたら、「オリンピック(近くのスーパー)で、鯛の頭を買ってきて、あら煮にして、
歯をとったら、だめでした」という。養殖の鯛の歯は、小さくもろい、らしい。それで、錦糸町の駅前の
なんやらいう老舗の魚屋で、天然の鯛の頭を買ってきて、またあら煮にして、歯をとったら、
うまくいった、らしい。

「えびで鯛をつった」ような気分になった。でもおごじょの目も同じように、キラキラ星だ。
「できたら、もってきます」とかえっていった。さて、どんな具合のものができるのか楽しみだ。
シンコロのおかげで、素敵な「私の時間」を過ごす人も増えてきた。そんな人たちと新しい「共に楽しむ」
という幸せ時間を共有する。至福の時だ。

蕎麦打ち教室をやっている時、おかまのMが「ポリカリせんべい?」を持参してやってきた。
「九州の雨が心配で、Sさんに電話したら、元気だったわ。Sさんが言ってたけど、わたしのこと、おかまのM
でブログにちょくちょくでてくるんでしすって・・・?わたし、おかまじゃなく、おんな好きのホモ、よ」とのこと。
Sがいたり、Mがいたり、男や女や女好きのホモ?がいたり・・・いろんな人がいるから、人生おもしろい!感謝。

料理が楽しくなる「しいたけ」

先週の土曜日、蕎麦会の日の午前中、じゅんちゃんの「南島原ボールドハウス」にも紹介されている南島原の古民家を3件
見せてもらった。蕎麦会のお礼に「もう一軒、南島原に家をもって、トリプルライフをしてください」との約束の履行、
ということらしい。古い家を見るのは、きらいじゃないので、じゅんちゃんコンシェルジュについて、まわった。
2件目の家が、昔栄えた商店街から徒歩5分くらいの坂道をのぼっていくところにあった。石畳や石垣の苔むした感じ
がいい。玄関には蹲(つくばい)があり、庭に葉蘭や木賊(とくさ)が今を忍んでるように生きていて、家のあがり口には、沓脱石がおかれ、
家びとはいなくなったけど、「魂」が残っておられる。なんだか茶会によばれたような気持ちになって、靴をぬいだ。

床の間には、「御玄猪・・おげんちょ」(池坊専明が、立花という華道に使うために考案した花入れがおいてある。古銅のしっかりしたものだ。)
庭の葉蘭や木賊を生けたりしたのだろう。芦屋釜?と思うような立派な釜もそのまま置いてある。
お茶とお花を嗜まれていたのだろう。軸は、寒山拾得。お元気な時に、蘇州の寒山寺を旅し、買ってこられたものに違いない。

その部屋にある仏壇に頭を下げて、開帳させてもろうた。道元禅師の木彫りの像が置いてあり、傍らに
「典座教訓」が置いてあった。すぐ近くに曹洞宗のお寺があり、そこの若い雲水さんたちは、ときどき、
なつきくんの「くちのつ巷珈琲焙煎所」の二階で坐禅をやっている。茶禅一味が、現代風になり珈琲禅一味だ。

その前日、延岡のお寺にお参り。野村家先祖代々を祀ってある。
親父の実家があったとこと、おふくろの実家があったとこの真ん中あたりに、100年以上続く「しいたけや」がある。
親父の父は、界隈では名にしおう庭師で、おふくろの家はその近くで魚屋を営んでいて、
植木屋のせがれと魚屋の娘がお見合い結婚して、ぼくが生まれた、ということだ。
今は、しいたけやだけが残り、マンションをたて、一階がお店になっている。いつも延岡にいくと、そのしいたけやにいって、しいたけを買ってくる。
そのたびに、典座教訓であまりに有名な話を思い出す。

道元さんが中国に仏教の修行に行った時、船である港についたら、齢60を超えた僧が、
日本製のしいたけを買っていた。話をしていたら、お寺のまかない(典座・・てんぞ)だと
いう。片道三十四里あるいてきた話を聞いて、若い道元は「あなたのようなお寺には、若くて修行中の雲水
がたくさんいるでしょうに、わざわざどうしてこられたのですか」と聞いた。
典座が「わたくしの修行です。」と答えた。
道元さんが「台所仕事は若いものにまかせて、座禅したり、弘案のことを考えたり、いろいろあるでしょうに・・」というと、
典座は大笑いし、「あなたは、まだ何もおわかりになっていないですね」といって、踵をかえし、また三十四里をかえっていった。

禅の「居」、というか、台所でも「今ここ」になりきった老典座の生きざまを見て、若い道元さんが悟ったお話。

今日は日曜日なので16時。それから「蕎麦打ち道場」。明日の朝は卵かけごはん。
今朝は、延岡の「しいたけ」をつかって蕎麦汁をつくる。ぼくもまだまだ雲水のようなものだが、歳だけは
老典座に近づいてきた。感謝。

最強の媚薬酒?

ネットで「無煙竹ボイラー」で検索すると、長野の「モキ製作所」のつくった竹のボーラーの
映像が見られる。能登の家のボイラーを石油から、これにスイッチしようか、なんて考えている。
早速朝釣りの合間に、近くの里山を散策しながら、竹林の様子を見学。タヌキさんに出会ったり、
へびさんがいたり、山の中は、和敬静寂、自然そのものだ。
数か月前に、足が痛い、というお弟子様の依頼で、ビワの葉っぱをみつけ、持ち帰ったことがある。
山の中は、薬草や木の実が豊富で、病院や薬学などない時代は、みなまわりの自然の中に「薬」のありかを知っていた。

「またたび」の木を発見。「ねこにまたたび」ということわざがあるくらい、猫はまたたびが好きで、またたびをあげると、
不思議なフェロモンを感じて、「ね~してして・・ニャンニャン」みたいなポーズをとったりする。
別名、「夏梅」といい、梅の花のような華憐な花がさき、あのごつごつとした緑の実をつける。
それを、魚用のビクに入れ、東京にもって帰った。35度の「純」という焼酎がお店に常備してあるので、
それに漬け、オリゴ糖を入れて、仕込んだ。年末あたりに飲み頃になるだろう。
茨木の八郷(やさと)に、10年前くらいまでやっていた蕎麦屋の女将さんに「またたび酒」を飲ませてもらったことがある。
ご主人はマタギのように、山で熊や鹿を銃で撃ち、ジビエそば?みたいなものもメニューにあった。
「これ飲んだら、今夜は大変よ」と、齢(よわい)80近い女将がニヤリと笑った顔を今でもおぼえている。
最高の媚薬なのだろうか?酔いにまかせ「マタギの股をまたぎたくなるのですか?」と、聞こうとして、飲みこんだ(笑)

昨日は、新作の「そばピザ」がたくさんでた!もっとも、そばが2時過ぎに売り切れたので、その後は、
ガレットかそばピザになる。そのうち、能登の珪藻土をつかって、ピザ窯をつくろうかしらん。

今日の東京は朝から☔
長崎出身の新人の「そばもん」が、二回目の蕎麦打ちにくる。
昭和32年の今日、諫早(いさはや)で大洪水がおきて、600人以上の犠牲者がでた、
と今朝のニュースが伝えた。
これまで島原半島で、4回の蕎麦会をやった。だいぶお弟子様も増え、今日くる新人さん
も数年後に長崎に帰る予定なので、なんか不思議な「そばもん」が長崎にあまた生まれる
ようで、ウキウキする。

♪ああああ~ 長崎は 今日も雨だった

またたび・・・また旅がしたくなった。感謝。

今日から営業(12時から夕方陽がくれる前くらいまで)

といっても、休み中に、ネットなどで注文いただいた珈琲豆の出荷などが
あるので、昨日は朝から黙々と焙煎し、さながら「もくもくサロン」だった。
シンコロさんがまた広がっているので、12時から18時くらいまでボチボチやっておりまする。

能登の水曜日の朝、朝まずめは曇りで、潮の流れもよく、「絶対に釣れる」
という日だった。いつも、すずきやあいなめ、ひらめを狙う礒は、先客(あまさんが、さざえやあわびをとっていた)
がおられたので、タコやんという疑似餌をもって、徒歩10分の隣の港町に歩いていく。
漁師さんたちが、「そんなので、タコが釣れるんかね・・???」なんて、半分あざ笑いながら白い歯を
みせながらバカにする。先々月から、自分の家の前の海(前浜、という)、隣の海(浜田、という)は、タコやんを
ずる引きさせながら、「ここは砂地やな」とか「ここは海藻が多くて、ねがかりするな」とか、「ここはタコの高級マンション(必ず、空いてもうまる場所)やな」
とか、シミュレーションしているので、これから本格的なタコのシーズン、確かな自信のようなものがあった。

釣り始めて、5分後に、タコやんにたこが覆いかぶさり、ゲット。漁師のじいちゃんたちも「お~」と歓声をあげた。
そして、2分後に、もう一尾あがる。漁師さんたちが、寄ってきて、「この棹は・・」「この疑似餌は?」とか熱心に
聞かれる。彼らは、自分たちの先祖は九州人、だと信じている。海女やいろんな漁の文化は、九州の漁師や海賊さんたちがもってきた。
そのうち、「釣りキチ三平」あたりに、「能登のタコやん」みたいなマンガになってデビューするかもなんばん。

昨日は、そのタコを塩でていねいに処理し、ゆでだこにし、ガレットに入れて朝食。
あこがれの「タコがれ」(蛸ガレット)。シードルとの相性も抜群だった。

今朝は、新メニュー「そばやのピザ」の実験。
雲仙の蕎麦会で、ひさしぶりに手にいれた「和バスコ」をかけて食べる。
これは、超筆舌もんやね。本日から新しいメニュー(黒板にチョークで、「そばやのピザ」と書いただけ)
に登場・・・

この三か月、夜の寺子屋やライブが中止になって、たっぷり時間があって、本をいっぱい読んだり、
旅したり、畑仕事や梅仕事、釣りの種類も増えてきたり・・・・すっかり新しい人生を歩みはじめた感が強い。
お店の売り上げは、夜の部のほうが断然多いので、持続不可能?なような売り上げになってきたけど、
自分の体力が若返ってきたり、自給自足力や、サバイバル術がかなりアップしているので、
「なんとかなる」という確信じみたものが胎動している感じがする。

今のような不安でいっぱいな時代は、「自分に投資する」ことだと思う。
投資いっても、お金をかける、という意味ではないよ。自然の中で、ゆっくり深呼吸でもして、
こころを波だたせず、精妙な状態にもってくると、なにか聞こえない声が降りてきたりする。
そんな声に寄り添いながら生きていくことを、昔から「無為自然」といった。
特別な修行をせんかて、誰でも、そんな声が聞こえる、そんな時を迎えているんとちゃうかな。
「自分らしく生きる」。そこには、何の仕事して稼ぐ、とか、どこで何して、とかいう、余計なものは無用。
「ただ生きる」でいい。