かやくごはん 加薬 であり 火薬でもあり

昨日は「書をしよう会」だった。
前日に続き、梅味噌が大活躍する。新春に味噌をしこみ、春に梅をしこみ、
それをあわせる。日本人は春夏秋冬を、用意周到にいろいろな保存食をつくって、命を
紡いできたことが、よくわかる。

昨日は土用の丑の日だったので、うなぎの「ひつまぶし」をつくってみた。
昔から先祖さまは「たべあわせ」というのも大事にしてきた。一般に
「うなぎと梅」は相性がよくない、といわれている。でも人形町の老舗のうなぎや
には「梅」という字がついているし、どう考えても、科学的な根拠にとぼしい。

梅も土用に干す、というのが日本人の伝統的なならわし。あたらしくできた能登梅の
うめぼしを種をとって、ほぐす。こんぶ(乾燥)も、はさみで細かくきざみ、
ごはんを焚く時に適宜いれる。うなぎは、スーパーに並んでいたやつを、お酒に
塩山椒を入れ、5分くらい蒸らす。そうすると、高級店や老舗にまけないようなレベルにうなぎのぼりする。
それを適当な大きさに刻んで、食べる前に、まぜる。
昨日は酒を飲む時はほとんど酒肴をつままない先生が、どんぶりを空にした。

今日は「満つまめの会」
夜は「おんなかっぽれ」

書をしようかい

昨日は「順受の会」 22年も続いている通称「論語の会」。
この会のメンバーでもある銀座ルノアールの社長から焼酎の差し入れも
あり、昨日は一段と盛り上がった。平均年齢も20年増えて、65歳前後に
なったけど、前後不覚になるような人はいず、みんな平気で25度の焼酎を
生で一気飲みするような人たち。
昨日から「南洲遺訓」。つまり西郷どんのお話になった。

西郷さんの座右の銘に「敬天愛人」というのがある。愛人とあおかんする、そんな意味ではない。
天地自然を敬い、人を愛す。西郷どんの揮毫したものが残っていて、なかなか力強い筆運びに人がら
がしのばれる。

今日は「書をしよう会」。今日は土用の日なので、鰻のひつまぶしでもやろうかしらん。

明日は「満つまめの会」夜は「おんなかっぽれ」
木曜日、金曜日と続けて「普茶料理の会」 夏にこそ、野菜中心の精進料理が命を輝かせる季節でもある。

なすとトマトの鮨を堪能

いわゆる「精進鮨」の夏の王様かもなんばん。

近所でカフェをやってる素敵な女店主が、「朝採れた野菜」
をもってきてくれた。松戸(どうも松戸と町田の差がよくわからない)
に畑を借りていて、野菜をつくっている、らしい。
なすとちっちゃなトマトが、ピカピカ輝いていて、「おはよう」と
挨拶してるようだ。キュウリもまがっているけど、水水しい。

昨日は、二階が「お花のお稽古」&「お仕覆」。下では「蕎麦打ち」と「鮨をにぎる会」
が、混声合唱団よろしく、にぎわっていた。
海でとれた魚をその場で、〆たり、酢〆にするように、とれたての野菜を「鮨ねた」にする。
魚も野菜も「ひとてま」で、まったく違う世界へ飛翔するか、墜落するか、くらいベツモノになる。

トマトは半分にきり、甘いかえしと梅酢を、いい塩梅に配合して、その中につけとく。
酢飯に赤い帽子をかぶらせて、それをパクッと口に入れると、「ざまあみろ」というくらいうまい。

なすは、へたをとり、あつめのお湯に長湯させ、それをまな板におき、上にもう一枚まないた
をおく(投棄などでもいいい)。からすみみたいな形になるので、それを出汁でひたひたにつける。
そばをやる人は、そばつゆの湯にすればいい。それを切って、昨日はできたての「梅味噌」をのせて
食べた。ふだんはおとなしいかすみちゃんが、「日本酒がほしい」というので、京丹後のなんやらいう
酒を飲みながら、鮨会が始まる。

都会にいると、「おいしいもの」の情報があふれている。その情報にふりまわされながら、
まるで雑誌やミシラヌ媒体でも食べているような錯覚をおこしている「やから」が多い。
あれにしようかこれにしようかと、いろいろ選択できるけど、けっきょくまずいものを喰ってる、そんな感じ。
田舎にいくと、野菜や魚がとれる時は、容赦なくとれ、何をたべようか?という選択肢はない。「しかない」けど、
どれも「とれたて」の旬に満ちている。
「おいしいものを食べる」よりも「おいしく食べる」ほうにシフトしていってる人が、多くなってきた。

これから「卵かけごはん」夜は「論語の会」(22年目の順受の会)。
明日は「書をしよう会」
水曜日が「おんなかっぽれ」   毎日毎日がいろいろな出会いがあり、日々是好日。感謝。

今日はいっぺんに4種類の寺子屋の日

昨日はまーくんの「みつまめの会」だった。
82歳で現役の会計士が、毎週のように通ってこられる。
その年で現役というのもすごいけど、自転車にのって矍鑠として、颯爽
とやってくる。腰はすこし曲がっていて「これさへなんとかなれば、なんとかまだまだ現役でいれる」
とのことで、熱心に通ってこられる。

5回目になるけど、だいぶ腰もまっすぐになってきた。ご本人も、「くるたびに楽になり、
若返るような感じ」とのこと。なんとかの手習い、とかいうけど、「大丈夫 せったい死ぬまで生きられる」
よろしく、生きている間、その気になれば、なんでも上達できる、のだと思う。「英語でそば会」
にこられれている、ぼくより少し先輩のご婦人たちの生き方を見ていても、「やるきと元気と好奇心:
を失わなければ、人生どうにかなる。

今日は、日曜日なので16時。下では、それから「粒々皆辛苦のそば打ち教室」&「なんとなく鮨もにぎるかい?」
二階は「お花のお稽古」&「お仕覆の会」

みつまめの会

昨日はちかさんの「インヨガ」。彼女はこの秋に子供が誕生するので、
しばらくお休みになる。元気な姫をつれてくる日が楽しみだ。
インヨガの後は、元気にそばを手繰っていかれた。こどももおなかの中で
そばを手繰っていく。そばにはつなぎの力がある。命を紡いでいく力がある。

その間、かすみちゃんのヨガがピンチピッター。ちかさんもくるらしい。
人と人が出会い、いろいろ物語も紡がれていく。この星で一番の芸術は
人と人が出会っていくこと、だと思っている。

天真庵にくるちっちゃな子供たちは、おおむね夏休みに入った。
「おばあちゃんちにいってくる」「じいちゃんが退職して山の中のお民家に住みだして、
そこへおとまり・・」など、いろいろな楽しみが待っているみたい。

うちの両親は宮崎の延岡が実家だったので、小さいころの夏休みは、延岡で過ごした。
牧水が詩にした城山などは、遊び場であり学び場だった。ゆっくりした「よだきい」
(宮崎弁  あるがままに・・・みたいな意味。俗人は、めんどくさい、と訳す)
の精神は、牧水の文学の神髄であるにちがいない。ときどき大阪からフェリー
にのって、鹿児島の志布志にいき、延岡に眠る先祖さまに挨拶にいったりする。
九州は夏がいい。

今日は「みつまめの会」 暑くて体調をくずす人や犬猫たちが多いらしい。
おでかけの時はペットボトルに水を入れていけ、とラジオの声。
うちでは、静岡から毎月ぼっちゃんがくんでくる「硯水泉」を飲んでいる。
お茶の産地なので、玉露や煎茶を入れると、甘露のレベルがあがる。

明日は日曜日。16時まで営業。それから「粒々皆辛苦のそば打ち教室」&「なんとなく鮨もにぎるかい?」

梅ジュースが猛暑を吹き飛ばす

ラジオの天気予報によると、しばらく猛暑が続くらしい。
床下収納に昨年つくった能登梅のシロップがあり、一年ぶりにあけた。
さすがに風通しがいいので、常温でも問題なく、蕎麦をばんばん打って
汗をかいた体に気持ちのいい清風よろしく、すーっと染み渡る。
味噌も古い建物の天真庵の床下に収納庫をつくっているので、重宝している。
マンション暮らしも便利だけど、日本人の昔からの知恵袋生活をだいぶカットされた生活になる。

昨日は、暑い中、かっぱ橋まで歩いていった。すぐ近くから「上野松坂屋行き」にのり、
菊谷橋で降りるといいのだが、ほとんど歩いていくことが多い。
そもそも家を出る時に、「かっぱ橋にいこう」などと計画をたてて玄関を出ない。
近くの骨董屋があいていたら、ひやかしに声をかけ、錦糸町までぶらぶら歩いて、それから電車にのり、
いろいろなところを徘徊する日もあれば、途中で踵をかえして、浅草経由でかっぱ橋にいったりする。

昨日はそんなわけでかっぱ橋をぶらぶらし、近くのブックオフで、古本を買った。
最近能登に毎年通っているので、松本清張の「ゼロの焦点」を260円で買って、
いきつけのカフェ(そんなかっこいいところではない。仏壇店が並ぶ街の角にあるやきそばや)
で、やきそば(それしかない。普通盛り400円。大盛500円)で普通盛りとビール(スーパードライ500円)
を注文し、その本を読んだ。クーラーもきいていない、老夫婦が営むこのカフェ?が昔から大好きで、
ここで本を読んだりしていると、新しい発想がわいたりする、そんな大事な場所でもある。

ゼロの焦点の舞台北陸で、時代は戦後の昭和。そのころ上野から金沢まで夜行で10時間かかっていた。
かみさんのおばあちゃんは、昭和のはじめに輪島から新橋まで夜行で3日かけてきた、という話をしていた。
今は新幹線で2時間半で金沢までいくし、車で7時間も走れば能登にいく。もっとはやくいきたければ、羽田から
40分で能登里山空港にいく時代である。でもマンション暮らし同様、便利なことを手にいれる裏には、
置き忘れたものも多い。

今日は「インヨガ」。チカ先生が産休に入るので、今日でしばらくお休み。
ピンチヒッターで、かすみちゃんが、ときどき「ゆるゆるヨガ」をやってくれる予定。

縄文ドリポット 真脇遺跡にて発見 歴史的な快挙?

昨日は「大石学 ピアノ ソロ ライブ」だった。
セシルモンローを忍んで、「クロキリロック」をしこたま飲んで、
気がついたら、夜中の一時半だった。「語りつくせど、飲み足らない・・」そんな夜だった。
朝蕎麦を打ちながら、新作の「アール・グレイ」という電子ピアノのCDを聞いた。
二日酔いの頭を、さわやかな風が流れていくがごとく。寝苦しい夜にオススメ。

昼間はやはり猛暑で、ウチミズヤン(自動打ち水装)」が大活躍した。
3日目になり、水の吸い上げ速度能力が向上?したのか、少し油断を
すると、焼き締めの器の水が干上がってしまう。

押上文庫くんが、蕎麦を手繰りにきた。特許申請中?のウチミズアンの
ノウハウを伝え、特殊なタオルを進呈した。きっと今日あたりから、
古備前か常滑の器に水をためたウチミズヤンが、押上文庫の店先に登場するに違いない。

この7月から「珈琲ドリポット」が「縄文ドリポット」に名前を変えた。
能登半島に真脇遺跡という縄文人たちが長いこと「楽園」にしていた遺跡がある。

天真庵のHPの「遊山」というところに、昨年真脇にいった写真がある。先週三輪福さん
から写真がおくられてきた。昨年、縄文住宅の柱を、昔の土器を使ってほった。
そこに、縄文住宅が完成した写真。
自然によりそった簡素な生活。それは、昔の話というより、「懐かしい未来」だと思う。
その住宅の写真の片隅に、ドリポットが・・・
この写真を見て、「縄文ドリポット」の名前が浮かんだ。

今日は「タイムドメイン」
縄文時代の集落は、50人規模。それが「国家」の適正な大きさだったみたいだ。
一番偉い「宰相」という宰という字は、包丁の象形文字らしい。ものの本にそう書いてあった。
つまり、イルカとか、みんなで収穫したものを、包丁でさばいて分け与える、という器量を
もっていた、そんなことらしい。能登には総持寺の「もと」がある。
そこを切り開いた道元さんは「典座」(てんぞ)の心得の本を残した。
典座、とは、寒山拾得の拾得の役割。修行する雲水たちの食事を担当する係。
今日は、典座みたいな仲間が、いろいろな食材やCD、酒を持ち寄り、
与(とも)に楽しむ会。感謝。

大石学 ソロピアノ ライブ

本日は、「海の日」。海の日は、毎年大石さんがやってきて、ピアノを
奏でてくれる日。
毎年、セシルモンローも天国から遊びにきてくれるようなそんな気配がする日。

昨日も猛暑で、「自動打ち水装置」が大活躍した。
今日の東京は朝からやっとすこしおしめり。

これから「卵かけごはん」

本日は16時閉店。
今宵も素敵なライブに酔いしれそうだ。感謝。

地球温暖化を救う 「自動打ち水装置」

お花とお仕覆のT先生が、なんやら、ゆう新素材のダスターをくれた。
さっそくダスター(雑巾やね)として使ってみる。保湿性がいい。
さすが、いつも、水揚げに神経を使うお花の先生のセレクトモノだと感心した。

昨日もネコの水について書いたけど、こう暑くては、ネコも草木も人間も、みな
乾物になってしまいそうな日が続く。そこで、思いついたのが、「自動打ち水装置」。
さっそく、久保さんの焼き締めの丈の深い器に、水をいっぱい入れ、そこの淵に、そのなんやら、いう
新しい素材の雑巾をかけてみる。じっと外で待つ。雑巾から水がしたたるどころか、自分
の頭から汗がしたたり落ちる。ま、これも自然の打ち水か?などと思っていたら5分後に雑巾から
ポタポタと水がでてきた。まるで温泉を掘り当てた「やまし」のようにひとり汗だくで悦に入る。

ときどき「水は入っているか」とか「ポタポタが続いているか」などが気になり、のぞく。
お客さんも、道ゆく人たちも、このノーベル賞ものの発明に気がついてくれない。
都会の人は、みな忙しいからしかたないか。と思っていると、若い青年が入ってきて、「あれ、すごいですね」と
絶賛してくれた。ぼくの自己満足に克をいれてくれたような気がする。でも粒々皆辛苦の汗がむくわれた。
でもこれを十間橋通りのお店がみなやってくれたら、界隈の温度が少し低くなるような気がする。

今日は日曜日。二階ではまーくんの気功整体、「満つまめの会」の日。
一階の営業は12時から16時まで。
16時半から「蕎麦打ち・粒々皆辛苦の会」

明日は「海の日」。朝8時から10時は祝日でも「卵かけごはん」をやります。
営業は12時から16時。夜は「大石学ソロライブ」。

BCN見たよ

というメールが三件。蕎麦の雑誌に「珈琲のおいしいお店」として紹介されたり、珈琲の雑誌に
「蕎麦とガレットが売りのお店」みたいにのることはあっても、ビジネスコンピュータニュース(BCNの意味)
に、紹介されるそばや、とうのはミスマッチみたいにおもしろい。
BCNと検索すると、週刊BCN+みたいなんがあって、そこに見開きの記事で二週続けて紹介されている。
暇な人は見てやってください。感謝。

大阪在中の大学時代の友達からメール。「ぼくはまだ現役(あちらは引退したが)なので、ときどき
上京する。HPを見たら、19時閉店とのこと。さすがに還暦を過ぎへたったか」とのこと。
ときどきお客さんからも「19時閉店とは、道楽ですか?」みたいなことをいわれる。
道楽?聞いた瞬間、極道のように血がのぼり「どったろか、おまえじぶんでやってみろ、アホ、ボケ」とかいいたく
なるときがある。でもぐっとがまんして「人知らずして、うらみず」と呪文を唱える。

水曜日に歯医者にいく。無茶しぃの会を少しはやめてもらい、19時にいった。
治療が終わった時、知ったような顔の男が支払いをしていた。いっしょに写真を勉強
した人で、年も同じだし、業界もいっしょだったのでよく飲んだ。でも声をかける
のを躊躇。その人が帰った後、受付嬢に「あの人Nさん?」と聞いたら、「え、知り合いですか?」
と驚くので「写真・・・」の話をしたら、「どうして声かけなかったのですか?」というので、
「あまりに、じいちゃんになっているので・・」といったら、クスッと笑って、「Nさんも、気がつかなかった
みたいですね」という。「そうだ、ぼくもじいちゃんだ」老老介護という言葉があるけど、今度またあったら老老会話を、してみよう。

今日から3連休。朝お店にいったら、鉢やプランターの植物がぐったりしていた。さっそく水をあげる。
野良猫さんたちも、水のみばが少なくなって困ってるみたい。お店の前に「つくばい」がある。そこに
いつも水をためていた。猫もときどき顔をつっこんで水を飲んでいた。でも毎朝のようにそこにポイ捨てのたばこも・・
そんなこともあり、水を物干しのあるオープンエアー部屋においた。するとこんどはカラスがやってきて、入れ物
ごと落として割れたり・・・生きとし生けるものみな兄弟ではあるが、この星の上で共存していくのは、やさしいことではない。

月曜日の「海の日」は、ジャズピアニストの大石学さんのソロライブをやります。すぐ近所に、セシル・モンロー
という伝説のジャズドラマーが住んでいた。大石学トリオのドラマー。5年前の夏、千葉の海で亡くなった。
依頼「海の日」に彼を追悼して、大石学さんがやってくる。彼の新しいCDでネコのジャケットのヤツは、
静かな曲ばかりはいっていて、寝苦しい夏の夜や、「ああ、あの人はいまどこで何をしているのだろうか」
などと感傷的になる日に聴くといい。ライブはもっといいけど、一年前からほぼ満席なのです。
今月は「墨田花火大会の浴衣ライブ」もある。元気が元気だったころかずっと続いているライブ。
これも先日キャンセルがあったので、あと二席だけ空席。

8月は「ももちゃんの薩摩琵琶」とかチェロのコンサート、9月は英里さんのシャンソン、ゆかりちゃんのボサノバなどがあり、
目白押上状態。