味噌つくりの初日

昨日は朝から寸胴で大豆や黒豆をことことゆっくり煮た。
最初のバッターは、一昨年に会社をやめ、陶芸家になった若いカップル。
今どき、陶芸家で飯が食えるのか?と老婆心ながら心配していたけど、そんな浅はかな親心を
いい意味で裏切り、すこぶる評判で、昨年はコロナで中止になったけど、海外でも個展を
やるほどの人気作家に上り詰めた。

先輩の「久保さんの作品」を丁寧に手にとってみている姿が、「ちゃんとした陶芸家」になった証みたいな感じがした。
平成生まれで、今年30になるけど、これからが楽しみなアーティストだ。

今日も夕方から、味噌作りをやるので、朝からストーブの上の寸胴が、いい香りを部屋中にめぐらす。
味噌のミソみたいなもにゃけど、昔のように、どこの家でも、まな板でトントンと、みそ汁も実や香のものを
切る音が聞こえるような日本にもどってもらいたいものだ。便利な時代になったとはいえ、「食」の文化は
大きく衰退している、と思う。いっそ、縄文時代あたりから、やり直したほうが、いいかもなんばん。

明日・明後日は、定休日だけど、味噌作りの日。

今日から味噌作り月間

昨日はずっと冷たい雨が降っていた。こんな日はペレットストーブの火が
あたたかい。

そんなことを思っていると、玄関のすぐのところにあるストーブを、若いギャル(ギャルにはばあさんいないか?)
が3人が外で眺めていた。そしてリーダーが玄関をあけ、「入っていいですか」とおそるおそる聞く。
昔そういえば、「勇気をもって玄関をあけたら、店主が仁王立ちしていて、思わず足がふるえた」みたいなコメント
がネットで流れ、界隈で話題になったことがある。足がすくむほど、怖いか?と思ったけど、人のこころなんていうものは
島倉千代子さんも歌っていたけど「いろいろ」だ。

3人だったので、「奥のテーブルへどうぞ」と誘導した。3人はカウンターの前にじっと立っている。
「足がすくんでいるのだろうか?」などと思い、意識的に笑顔にしてみたら、ひとりが
「マスターは、宇宙人ですか?」と真顔で聞くのだった。思わず「そうや。よーわかったねボリボリ」と答えた。

実は、表のショールームの中に、団扇が飾ってあって、そこに「わたし こう見えても 宇宙人なんです」
と書いてある。能登の羽咋(はくい)という町は、UFOで町おこしに成功していて、そこにある「コスモアイル羽咋」
にいくと、サンダーくんという宇宙人キャラのグッズが、あまた売られていて、昨年、能登にきた梅林ガールズ(梅仕事を手伝って
くれてる人たち)といっしょに、コスモアイル羽咋にいって、買ったものだ。

能登には縄文真脇遺跡があるから、20年くらい前から毎年のように行き、今は半分近く能登で生きている。
縄文人というのは、当たり前のようにUFOとか👽とかと、交流していた、というのが、能登に住んでいたら、よくわかる。
どうも時代は、そちらのほうに、シフトしているようにも思う。今のぼくたちも、知的で、人間的で、ゆたか、な縄文。

3人とも、UFOとか隕石に興味があるみたいで、いろいろ雑談していたら、ひとりが「味噌つくりしたいです」
といいだし、もうひとりが「わたしも」ということになり、話のはずみで「私たち梅林ガールズになりたい」というので、
さっそく水着審査をして(ウソ)、新しく若い3人が梅林ガールズに参加することになった。そろそろAKBに対抗できるレベル
になってきた。

秋葉といえば、「YOZA]という隕石やを、友達がやっている。そこの「ゆーちゅーぶ」を見ると、
ぼくが「親方」とかいう呼び名ででているらしい。親分子分という任侠の世界みたい?

そういえば、銀座にも「隕石直売所」があり、「星の王子」という宇宙人みたいな店主がいて、
彼もいろいろ「ゆーちゅーぶ」で発信しておられる。
お客さんからきのうメールがきていて、「星の王子さんの、You Tube の隕石体験談のpart4に 天真庵がでています」
とのこと。今朝はこれから卵かけごはんで、夕方から味噌作りがあるので忙しいけど、今晩見てみようかと思う。
そういえば、先日、文庫ちゃんがきて「ぼくも、今年は隕石チームを結成します」とのこと。
なんやら、まわりが隕石の話題でかしましくなってきた。門外漢にならぬよう、ぼくも少し足を突っ込んで、勉強してみようかしらん。

今年は、「隕石」が大ブレークする年になるかもなんばん。感謝。

おからだ お大豆に・・

「オカラダ オダイズニ・・」
九州弁と関西弁は、かなり上手にしゃべれるけど、東北弁はエセに
なってしまう。唯一、「らしく」しゃべれるのは、味噌作りの時に
洒落る「オカラダ・・・」だけである。

北海道の大豆、5年前に大分の耶馬渓に移住して無農薬で大豆とお米をつくってくれているTくん、
そして、もち麦とか黒豆茶をお願いしている四国のMさんがつくってくれた黒豆が、そろった。
明日から、味噌作りが始まる。シンコロのおかげで、遠く(静岡とか名古屋方面からもこられていた)の人は、
参加できないけど、新人さんたちも増え、例年のような「菌活人(きんかつびと)」たちが、
「やる」と手をあげてくれた。
明日はさっそく有名な陶芸家家族が、三種類の味噌をつくるので、夕べみっつの寸胴に入れ、水を張った。
これから一か月ちょっと、お店は「味噌工場」みたいになってくる。昨年から家族になったペレットストーブ
も威力を発揮する時。火の見える空間というのは、じつにあたたかい。

あまり知られていないけど、天真庵には、「秘密の味噌蔵」がある。ここを改装してくれた中心人物の中西くん(芸大建築出身)
は、池袋時代からUNAといっしょに天真庵にしょっちゅう出入りしていて、そこに床下倉庫に手前味噌をつくっている
ことまで知っていたので、昭和20年に建てた古民家の一角に「秘密部屋」をちゃんとつくってくれた。そこに
2年分くらいの味噌が眠っていて、能登の味噌蔵にも、同じくらいの味噌を保管してある。
お金持ちではないけど、たぐいまれな「お味噌持ち」だと自負している(笑)

今日は天気予報では「雪」になっており、「明日は雪見酒だ!」と楽しみにしていたけど、冷たい雨どまりの様相。
雪見酒はよそう。

今日は日曜なので16時まで。それから「蕎麦打ち道場」。5年くらい前から蕎麦打ちをはじめ、3度目に
嫁さん(その当時は結婚を反対されていて、その相手の両親に挨拶しにいく時、その蕎麦を持参して蕎麦会をやった)
の家で蕎麦をふるまったDくんが、蕎麦を打ちにくる。彼の友達のTくんが、頼山陽が命名した耶馬渓(やばけい)で
農業移住をしたひと。みんな根っこが繋がっていてすばらしい。Dくんは無事結婚でき、今は3人家族で、近所で
幸せに暮らしている。そばの「つなぎ」が、つむいだ縁?

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」
大変な時代を迎えているけど、日々是好日よろしく、同じことを飽きずに、こつこつと感謝しながら通っている今日このごろ。感謝。

今日は16時まで営業

今年から、土曜日・日曜日も12時から16時まで営業。
それからの時間割で「蕎麦打ち」とか「珈琲塾」とか「金継ぎ」とか「お仕覆」
とか、適当な距離感を保ち、ぼちぼちやっていこうと思っている。

昨日は「お仕覆」をやった。昨年暮れにこられた「かっぽれ女子」が
熱燗器を買われ、「おうちで燗番娘」よろしく、酒を楽しむらしい。
ついでに、女子力アップをかねて、その器たちを包む「お仕覆」をやる、という熱い
「今年の抱負」を年末にかかげ、ことはじめ、ということにあいなった。
今回、UNA雪駄が、男子用3個、女子用6個できたけど、一昨日と昨日で男子2個、女子2個が嫁いだ。
池袋時代は、アーティストやセンスのいい人がいっぱい買っていかれた。うらぶれたこの墨田の街でどうかな?
と心配したけど、反対に「すぐなくなりそうだ」を心配している。

大事な道具を「包む」というのは、日本人の「始末」の原点やし、すごくこれからの時代にも
ぴったりの「生活の知恵」だと思う。ひゃっきんモノは、そのかぎりではないけど、おばあちゃんや親が
使っていた道具を、金継ぎしたり、手直しして、大事で割れやすい茶道具や酒道具や華道具などは、
家のタンスにしまってある古着を使ったりして、「お仕覆」にするというのは、気持ちも掃除や脱糞した時
と同じように「すっきり」する。

お花の原田先生を紹介してくれ、原田先生が天国に引っ越した後には、立花を教えてくださった武内さんが
二階でお仕覆の会をやってくださった。3年くらい前のクリスマスのころ、まだ50代だったんやけど、
突然天に召された。その後は、筆子さんが、その意志を受け継いで、ほそぼそながら、希望者がいると、
「臨時お仕覆教室」を開催している。一回や二回、12回、いや100回くらいでは、拾得せきる技ではないので、
「本気かどうか」を確かめてから始めさせてもろうてます。

せっかく、シンコロさんが、たっぷりの「考える時間」や「自分らしさを創る時間」をくださった
のだから、いっちょ、ここはシンコロさんに「ありがとう」と感謝して、新しいウキウキすることを
はじめられたらいいと思う。まだオリンピックなどをやろう、と、あきらめの悪い輩もいっぱいいるけど、
冷静に考えても無理ちゃう。毎日近くのスーパーのオリンピックに買い物にいく道すがら、そんなことを考える今日このごろ。感謝。

味噌作りがはじまりはじまり

昨日、北海道や九州から大豆が届き、麹も茨木から届いた。
オープンエアーなベランダに置いてある冷凍庫のスイッチを入れ、
麹をいれた。25日から「味噌作り」(菌活の会)が始まる。

お店は明日からなので、今日は朝からスイッチを入れて、焙煎したり、そばのかえしを
つくったり、仕事モードになる。午後からはお仕覆(しふく)の会。かっぽれの女子たちが、
今年から始めるらしい。自分のもっている「もの(陶器など)」を、大事に「包む」というのは至福の時でもある。
金継ぎ、や、お仕覆がまた静かなブームらしい。「ものを大事にする」は、地球を大事に次の世代に渡す、と同意語。
おいしく安全な水をお金で買う前に、自分の汚れた体や衣類を洗う「合成洗剤を使うことをやめる」、ほうが、先。

今日は「燃えるごみ」の日。昨日から仕込みを始めたので、大きな袋をだした。
それをねらったカラスが近づいてくる。でもゴミ袋の中に、紙袋を入れ、その中に古新聞を
入れてあるので、カラスも歯がたたない。
かたわらの植木のところに、米ぬかをまく。すると、すずめたちが朝ごはんを食べにやってくる。
ときどき、すずめもカラスもみかけないような日がある。シンコロ時代、もともとうらぶれた十間橋
通りが、ホンモノのうらびれた感が漂い、心配になるようなこともある。
スズメとカラスでバードウォッチングというのも、なんやら、うらぶれているけど、生きとし生ける
仲間たちと、生きていくを楽しむ、という意味では、いい朝である。

今日の真民(しんみん)さん

「空の一角から」

迷うな
迷うなと
空の一角から
きこえてくる声がする
いましがた飛んでいった
小鳥たちの声であろうか      坂村真民

UNA雪駄を履くと元気になる!

池袋に天真庵があったころ、毎年夏には「うな雪駄」の展示販売会をやった。
「UNA」というブランドを、みかんくんが立ち上げ、うな帽(うなの帽子)や、
マホマフ(魔法のマフラー)など、季節ごとに、いろんなグッズを天真庵で
展示していた。彼が芸大をでて、すぐのころ、デザインした作品がニューヨーク近代美術館(MoMA)が買って
展示していた。世界的なアーティストになる、とみんな期待していたが、病気になったり、いろいろあって、
少し気が落ちて低迷期がながかった。

今日はひさしぶりに、「UNA雪駄」の新作をもってきた。センスというものは、努力や精進でできるもので
ない。やはり天与の才能のような気がする。そんな作品が揃った。
彼も今年50になる。病気してOにもどったけど、人間毎日が一生みたいなもんだ。
明日がまた誕生日。なんども、毎日生まれ変わって、うきうきするものにチャレンジすればいい。

今日の真民(しんみん)さん。

あの時のことを、お互い忘れまい
二人がかたく誓いあった時のことを
深く喜びあった時のことを

思いあがった時は いつも思い出そう
初めて父となり初めて母となったあの嬉し涙を
お互い古くなっていく袋に 新しいものを入れ直そう
己を失った時はいつも語り合おう
いさめ合い、悲しみあい、苦しみあい
二人で過ごした日々のことを

人生のテンカウント 

日本チャンピョン以上のボクサーが引退する時、リングの中央で
テンカウントのゴングを鳴らして、彼の功績を湛える、そんなならわしが
ボクシング業界にある。

「テンカウント 奇跡のトレーナー松本清司」という本がある。ヨネクラボクシングジム
にいた天才トレーナー。柴田国明、ガッツ石松など5人の世界チャンピョンを育て、
数々の東洋、日本チャンピオンをうんだ、名門ジム。(数年前に解散)

その本の中に日本フェザー級チャンピオンの岩本弘行さんの話がでてくる。
努力家でもう少しパンチ力があったら、間違いなく「世界チャンピオン」になったボクサー。
パンチが弱いぶん、挑戦者が果敢に攻めてくるので、11回の防衛線は、必ずといっていいほど
目じりの古傷があいて、流血した。その流血を上手にとめたのも、松本トレーナーで、それ以後
彼のことを「血止めの松本」と業界人は呼んだ。ボクサーは猪突猛進型が多く、「ここ」
という引き際を自分で始末できない。そこでテンカウントを悟らすのも、トレーナーの大事な仕事。
まじめタイプの岩本氏に印籠を渡す話も泣けた。

その岩本さんは、引退後に鮨の修行をし、大山で寿司屋「岩本」をやっておられる。ぼくも池袋に住んでいたころ、目白のヨネクラジム
に通っていた。ときどき、柴田さん、ガッツさんら往年のチャンピオンも米倉会長を訪れたりしていた。
その中に元気なOBがいて、同じ年でもあり、馬があい、ときどきいっしょにトレーニングをしたり、
寿司屋にいったり、彼が「寒山拾得展」の南條先生や久保さんの陶展に毎年遊びにきたりする関係になった。
寿司屋では、久保さんの器も多く使われている。

昨年のぼくの誕生日に電話があり、「今年いっぱいで寿司屋を閉める」とのことだった。
コロナ禍の中でもあり、20年という節目もあり、自ら、第二のリングから降りようと決心した
らしい。一抹の寂しさを感じたけど、それもまた人生。

なんて思っていたら年賀状に「6日からやります」とあった。「やった!まだ続く」と喜び、昨日
ひさしぶりに大山に鮨をつまみに参上。後楽園ホール時代か彼を応援してくれたファンたちが、鮨のテンカウント
はまだはやい、と騒いで、引退を取りやめた、らしい。酒がすすんだ。
カウンターの後ろで、写真になった松本トレーナーが彼の戦いを今もじっと見ている。
「まだまだ引退はするな」といっているように見えた。感謝。

やっちゃばがあった秋葉原

ひさしぶりに秋葉原にいってきた。
昭和58年に、秋葉原でソフトハウス(当時はITの会社をそんな風に呼んでいた)を
立ち上げた。当時南砂のマンションに住んでいた。錦糸町まで総武線、そこからバス、という
通勤スタイルやった。朝、いわゆる電気街口で降りると、駅前にあったラーメン屋は混雑していた。

そこに「やっちゃば」(正確には、神田青果市場)があり、全国からトラックに野菜つんで運んだ
トラック野郎たちが、朝のラーメンで腹ごしらえをしていた。野菜のクズとダンボールが毎朝、山のように
積まれていて、それをリヤカーで運んで、ホームレスさんたちは、日銭をかせぎ、焼酎を買って、残った
ダンボールで家をつくり、残った野菜のくずを鍋にし、稼いだ日銭を焼酎に変え、毎日をおくっていた。

すぐに、中古の車を、まったい(小学校時代からの親友で、フジテレビに努めていた)の紹介で買い、
やっちゃばの近くに駐車場を借りた。月五万やった。駅周辺には「ビラ配り」のおっちゃん、おばっちゃん
たちもいた。電気店と契約されていて、そのお店に連れていき、買い物させると、その料金に数パーセントを
もらっておられた。ホームレスさんと同様、「そこにいたるまでの人生の道」の話になると、「人生物語」
が人の数だけあった。ぼくはまだ20代やったけど、彼らと時々酒を飲んだり、一度は、いっしょに
箱根の温泉にいったり・・・不思議な思い出がいっぱい残っている。

ボクシング会場や、野球場から「ダフ屋」がいなくなった。シロウトがネットで転売するような時代
になった。「テンバイヤー」とかいうらしい。ヤクザの仕事をシロウトが凌駕してしまった。
パソコンの創成期に、ひと稼ぎしていた「ビラくばりさん」たちも、ネットの発展で職を失った。
そのころからやっちゃばも「太田市場」への移転がきまり、ホームレスさんたちも、居場所が
なくなった。

ある日、知り合いのホームレスがいつものように、ダンボールをリヤカー(いつもミックスの愛犬をのせてい)で運びながら、
働いていると、警察がきて職質していた。「おい、酒くさいの? 朝から酒飲んでいるのか?」と警察が上から目線で
おっちゃんに言い寄ると、そのおっちゃんが涼しい顔して「こいつ(愛犬のほうに指をさし)の誕生日祝いをしていたんだ」
という。思わず歌舞伎の大向うのように「よっ ナリタヤ誕生日おめでとう」と声をあげてしまった。
まだまだ「人情」が下町に残っていた時代。いまは、フィギアとオタクとAKBの街になりさがっていった。
ぼくの会社も一作目のソフトが大ヒットして、一年で秋葉原の事務所を、代々木に引っ越しをした。まだ「昭和」やった。感謝。

巣ごもり生活

東京にいて、人と会わず、お店もあけず、じっとしている、
という初週間。
時間はたっぷりあって、読む本もたっぷりあって、ある意味充実しているようだけど、
「これがいつまで続くの・・・?」とか考え始めると不安になる。
でも、どんな環境の中にいても、「今やれること」を見つけて、うきうきしながら
体を動かしていると、そのことに没頭できるものだ。

昨日は気分転換に、千葉の農家に今年の収穫計画の打ち合わせにいった。14年前にお店を始めてからずっと
蕎麦の栽培をお願いしている。酒々井(しすい)に畑と蕎麦屋「石臼自家挽き蕎麦 みなもと」がある。
蕎麦の種を蒔き、育て、花を愛で、収穫した実を自家製粉して、お客さんに
供しておられる。これからみんなが目指す「最強の六次産業」(種まきから収穫、加工、販売まで自分でやる)。
自然にふれあう、ということで、自分をみつめ、また自然という他力から恵をもらったり、力や生きるヒント
などを教えてもらったり・・学ことばかり。

白い華憐な花が咲くころは、表の縁台でそば畑の景色を見ながら蕎麦が手繰れる。
またその時期は、木の箱を置いて、養蜂もおこなっている。
できたそばハチミツは、アイスクリームにかけると美味い。
天真庵の「そばやのアイスクリン」は、その畑の副産物でもあるハチミツを
バニラアイスにかける。まさに「大地のおくりもの」やね。
スプーン一杯のハチミツは、一匹の蜂が生涯かけて集めた量。「いただきます」に気がこもる。

帰りは千葉街道をゆっくり東京に向かって走ってかえった。
四つ木あたりの大橋を渡ったあたりで、「そや酒を買いにいこう」と思い、
これまた開店以来お世話になっている杉浦酒店にいって、「帰山」(きざん)
という長野の蕎麦焼酎と、いつもの「花」という佐久の蕎麦焼酎を買ってかえった。
「帰山」・・・・自然にもどろう、というメッセージのことだま。お店を改装して
いる時、「野村さんの今の生き方にぴったりだと思って」ということことで、当時
溝の口に住んでいた文庫ちゃんが差し入れてくれた。その縁で、杉浦酒店とつながっていく。
そして、すぐに文庫ちゃんも押上に引っ越してきて「押上文庫」というお店を始める。

必要なひととは、はやくもおそくもなく、ちょうどいいタイミングで出会っていくものだ。
邂逅(かいこう)の妙がわかってくると、酒がますます美味しくなってくる。感謝。

墨だ!墨だ!一瞬にして自分の精神的文化力をアップ!

月曜日の営業が終わったら、能登にいく予定だった。
今年のテーマは「なにも決めない」。これまでもそうだけど、
「無目的」に生きていこうと思っている。ただ、「今ここ」
には、ウキウキとほとばしるような思いと、笑顔と感謝を
忘れずにいたいと思う。シンクロ時代には、「うきうき、笑顔、感謝」
は大切なキーワードでもある。

結論からいうと、能登にはいかなかった。能登の家は、二回目の改装をお願いしていて、
その出来上がりを見るのが楽しみでもあったけど、雪の中に閉じ込めれるのも、九州産の
温室育ちの身には、ちーときついか?などと思い。今回は東京にいることにした。
お店を開くのもいいけど、開き直って、来週の金曜日まで休みにする。
その後は25日から2月いっぱい、ひょっとしたら3月初めまで「味噌作り」で、能登にも外にも
いけないような毎日になるので、これでいいのだ精神で、サボール。

昨日は上野の骨董屋の店主から「いい蕎麦猪口が入った」と連絡があった。一時間くらいかけて
押上から上野まで歩いていった。
天真庵で使っている蕎麦猪口は、ぜんぶ久保さんにお願いしている。
京都の骨董屋で見つけた古伊万里のこぶりの蕎麦猪口のサイズにしてもろうて、織部や唐津や黄瀬戸などで
つくってもらった。ときどき蕎麦会をやる南島原や能登にも、半永久的に預ってもらっている。
もともと伊万里の蕎麦猪口は、世界中に「フリーカップ」として輸出されていたもので、珈琲や紅茶など
はそれで飲んでいた。マイセンが磁器を発明したのち、グリップがついて逆輸入されるようになり、島国日本の
いなかもんたちは「すてき~ ボリボリ」よろしくグリップに小指をたてたりして、珈琲を飲むようになった。
「らしい」歴史である。

昨日は、買ってきたきた蕎麦猪口に日本酒を入れて飲んだ。最近は、一升瓶よりも四合瓶で買う左党が多く、
徳利を使わず、いきなりぐいのみスタイルが流行っているらしい。あまり品はよろしくないが、小ぶりの蕎麦猪口
に6勺ほど入れて飲む、のも悪くない。でも独酌の時は、せめて「折敷」(おしき)と、その中に「向う附け」
はほしい。久保さんの織部の葉皿に、蕎麦豆腐をのせたら、きまった。きまりすぎて、4合瓶がすぐ空になった。
ぼくはやっぱり、一升瓶派だ。

骨董屋からの帰り、神谷バーの前あたりで雪が降り出した。急ぎ足で橋を渡って、「うんこビル」の下あたりにある
「ギャラリーアビアント」に雪やどり。17日まで、新春企画10周年の「墨だ!展」を開催している。
天真庵ゆかりの生井厳さんや、沢村澄子さん、宇野マサシさんたちの書が展示されている。宇野さんの「母」に捧げる
ような思いを揮毫したものには泣かされた。さすが・・・
また、大好きな熊谷守一や、莫山先生の書も展示されている。色紙に書いた「夢」という岡本太郎先生
の書もよかった。「いくつになっても、夢を見なくなったら、人間おしまいだ。爆発やで・・」
という声が聞こえてきそうだった。出歩くのもままならぬ気配が漂うけど、文人たちの生きざま
が憑依したような墨の芸術というのは、一瞬にして人生を変えてくれたりする「力」をもっている。感謝。