老後を元気にするキーワード「きょうよう」「きょういく」「おいるしょっく」

昨日、福岡の6つ先輩から電話。
「今日、友達の誕生日やけん、4時ころふたりでいく。うまい蕎麦と酒とボボブラジルをよろしく」(なんどいっても、ほぼではなくボボという)とのこと。ぼくらの世代までは、福岡では「歳がひとつでも上だと『王様』で、下だと『奴隷』」。
だからソフトバンクの孫さんとあった時、彼が引野中学のひとつ下だったので、ぼくが王様で、彼が奴隷。
「この会社におれをいれんね」と言ったら、拒みようがなく、そのまま創業期に一年お邪魔したことがある。

先輩は「久留米」出身。普通74歳にもなると、「薬」や「病気」や「孫」の話をするのが普通だけど、
まだまだ元気で、月の半分近く「長野」のゲストハウスを拠点にして、長野の飲食店などのコンシェルジュみたいな
ことをしている。「しまうまおじさん」で検索すると、でてくる。
浅草で活躍する「プッチャリン」も同級生で、ときどきすっぴん(いつも、プッチャリンの道化師の化粧をしている)で
天真庵につれてきて、そばを手繰ったりの日々是好日。

「70になったら大事なことが三つあるっちゃん。『きょうよう』と『きょういく』と「おいるしょっく」ばい」
やけに、まじめなことをいうな、と思っていたら、ニヤリとして、
「今日用がある」、つまり何につけ、やることがある。「今日行く」、映画でも飲みにでも、行くとこがある。
「老いるショック」と戦うこと、の三つが大切だとのいこと。
人生の半分以上を過ごした東京の真ん中で、九州弁が抜けない先輩に尊敬の念をいだいている。

長野のゲストハウスにいく時は、「UFO焙煎器」をもっていき、朝ごはんの時に、見知らぬお客さんに
も「ボボブラジルという珈琲をだす店の主人で、ぼくの福岡の後輩が発明した」とか言って、煎りたて
の珈琲をふるまっておられるらしい。その縁で、ときどき「しまうまおじさんから聞きました」
とかいって、UFOを買いにこられる方がいる。その人たちに「生豆は?」というと、ほぼ100%が
「デカマラ」と答える。もちろん、しまうまおじさんの教育のたまもの。

デカマラも、そうだけど、珈琲豆が異常気象のおかげで生産量が激減していて、高騰している。
先日、リッタママと空五郎くんが、飲みにきた時、「元気ブラン」という珈琲焼酎をお土産にした。
いまや、輸入もされていない「モカマタリ」を焼酎につけこんだものだ。
あの名曲「珈琲ルンバ」にでてくるけど、これからは飲むことができないかもなんばん。
酔って、空五郎くんに渡すのを忘れたけど、珈琲ルンバの替え歌の詩をつくった。

「こーしールンバ」

昔 押上のこーしーやさんが
夢を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの
こはく色した こーしー焼酎を飲ませてあげました
やがて こころ うきうき
とっても 不思議 このムード
たちまち 男は若い娘と 昼寝(しるね)した

コーガ マラカス 楽しいルンバのリズム
南の国の 情熱のアロマ
それは 素敵な 飲みもの
こーしー焼酎 「元気ブラン」
みんな 陽気に飲んで踊ろう
愛の こーしー・ルンバ

「能登」が、すごい!

昨日、地産地消文化情報誌「能登」が届いた。
能登の歴史とか、食べ物、文化を発信する季刊誌。
正月に地震で、この雑誌の主幹であり編集長であり、お寺の住職である
経塚(つねづか)さんから翌日、「志賀町の寒山拾得美術館の被害は?」とメールがきた。
ご自分の家であり、事務所でもあるお寺は、甚大な被害にあい、金沢に避難している最中に
「お見舞いメール」・・・・この人は、なんという懐の大きな人だと痛感。

能登は季刊誌で、新年号を準備していたのにかかわらず、「春号55号」を「世界一美しい半島へ」
という「令和6年能登半島地震」の特集にされた。
それが、「日本地域コンテンツ大賞2024」の大賞を受賞された。ほんまに、おめでとうございます!
次の「56号」が、「ゆっくりじっくり能登流で」という復興なかばの能登を「その目で見にきてください」という特集。
でもこれも印刷が終わった翌日に豪雨。能登人にとっては、泣きっ面に蜂のダブルパンチになった。
でも、ボランティアなどで、能登にいった人たちは、口々に「能登の人たちに、反対に勇気をもらった」という。
そして、縁あってはじめて「能登」を手にした人たちは、定期購読をしたり、バックナンバーを買ったり
しているようだ。

そして今回の57号は「仮設食堂で元気に営業中」
という特集。ぼくも能登にいくと、志賀町の「仮設食堂」にいって、タコ焼きや、弁当を買うのがならわしになった。
能登空港、すずなり(珠洲の道の駅)、輪島にも、仮設食堂ができて、お店が被災して営業ができなくなったお店
の人たちが、元気に腕をふるっておられる。そして、みんなの笑顔がいい!

「地産地消文化情報誌 能登」で検索してポチすると、能登の雑誌がどこにでも届く。
できたら、55、56、57号を読んでみてください。46号には「寒山拾得美術館が4p紹介されています(笑)
ひとごとじゃなく、「自分のこと」として、拝読よろしくお願いいたしまし候。感謝。

月曜の朝は玉子かけごはん!

今日は少し肌寒い朝。8時から10時まで「玉子かけごはん」の営業日。
昨日の閉店間際、近くの「お世話しあうはうす」の女将さんがそばを手繰りにこられた。
福井県出身なので「ぶっかけそば」みたいな「梅おろしそば」が好物。
「今日は寒いので『おコンそば』をください」とのこと。まさか齢84になる彼女が
ブログを読んでいるとは思いがたいけど、いつものように、能登の合鹿椀(ごうろくわん)で
だした。

一滴も残さず、完食して・・・
「このあ揚げ、どこの豆腐屋?」と聞くので「石原の豆源郷」と答えて、簡単な地図を
箸袋に書いてわたした。
「明日、散歩がてらいってくるわ」というので、箸袋をもどしてもらって、「月曜定休 午前11時から午後6時半」
とメモを追加してわたした。

帰り際に、大きな紙袋を「よかったら使って」といってくれた。紙袋の中に桐箱が入っていて、
「九谷焼・・・・〇〇」と揮毫されている。
「こんないいものは、いただけません」と、お断りしたけど、「価値がわかる人に使ってもらいたいだけ」
と言って、凛とした顔して帰っていかれた。

お店が終わって、湯豆腐をつくり、その九谷焼のひさごの徳利に、秋田の由利政宗をいれて、
ぬる燗にして飲んだ。
久保田万太郎の世界だ。

湯豆腐や 持薬の酒の 一二杯

上の助空五郎

昨日は、近所のカフェ「リッタ」の二階で、上の助空五郎くんのライブがあった。
午後13時と16時からの二部制。昔から「蕎麦屋の二階」というのは、逢瀬の場所になったり、
歴史を動かす舞台になったりしたけど、カフェの二階で落語やヨガやライブをやることも静かなブームだ。
「バカでも金持ちが一等賞」みたいな風潮が長く続いてきたけど、やっぱり「精神的文化力」の微塵もなく、
ただ金持ちというのは、無粋だ。

打ち上げのようなものを天真庵でやった。リッタのママさんと、空五郎くんが18時半めどに来るとのこと。
昼間、「おコンそば」がたくさんでたので、16時に暖簾を下げてから、豆源郷に「おあげ」
を買いにいった。いつものは、錦糸町や亀戸のブックオフで本を一冊買い、どこかのカフェや公園で
本を読み、豆腐屋まで一里よろしくてくてく徘徊散歩をするのだが、はじめて道草を食わずに一直線。
徒歩30分、往復一時間。歩数で8200歩、だった。

帰ってきて、おでんを温めなおし、能登の珪藻土七輪で、ごはんを炊いた。
若いふたりに、「おでん」と「かまじか」と「おにぎらず」を食べさせたいと思った。
蕎麦湯割りの焼酎を飲みながら、談論風発。
この夏、上の助空五郎くんの家族が勢ぞろいして「血縁キャバレー」なるイベントを彼の故郷・飛騨高山でやった。
能登休みの前だったので、リッタのママさんもいっしょに、松本経由で飛騨立山までの珍道中。
キャバレーで、地酒を飲み過ぎ、笑いすぎ、3人で千鳥足で高山の街を徘徊しながら宿まで歩いた。

昭和の哲人・中村天風さんは、夏の修練会で、「わらえ~」といって、笑う修練をしておられた。
世相が混とんとしてきた昨今、街を歩いていても、電車の中でも、笑っている人が少ないような気がする。
「楽しいから、愉快だから笑うのではない。ただ笑う訓練をすれば、運も人もついてくる」ということだ。
今もっとも明るい話題といえば、大谷翔平くんの活躍。彼は天風先生の本をなんども読んでいるらしい。
あの「笑顔」は、昭和の哲人が、伝授した慈顔なのだ。   感謝。

子ほめ

古典落語に「子ほめ」というのがある。
あけすけな性格の八五郎(八つぁん)が、ご隠居さんから教わったお世辞を使って、子供を褒め、なんとかタダ酒にありつこうとするも失敗する、という噺。噺家によって、話のアレンジも違うし、オチも違っていておもしろい。

昨日、イワジーがそばを手繰りにきた。かっぽれの相方で、池袋時代は、いっしょに篠笛も練習した。
師匠は人間国宝の四代目 寶 山左衛門(六代目福原百之助)の娘さんで、きれいな先生やった。

イワジーが目を丸くして「やっと孫ができた」という。もともとハンサム(半分寒い)、というより、
ゼンサムな頭で、若い時から良寛さんみたいな風貌なので「イワジー」と呼ばせてもらっているが、昨日は
頭だけじゃなく、全体的にオーラがかかっていた。よっぽど孫ができたことがうれしいのだろう。
最近は、お酒を飲むと、帰る足取りがおぼつかないと、珈琲を飲んでいたが、いきなり「酒ください」
とのこと。山形の「初孫」でもあれば、いい場面だけど、最近は秋田の酒しか置いていないので、それで乾杯。

「インスタは死ぬまでやらない、と決めていたけど、孫の写真が更新されるのを見なくちゃいけないので、やることにした」
とのこと。のろけのような「孫ほめ劇場」が始まりそうな予感。
ぼくは、窓際でひとり酒を飲んでいる若い美人の子のほうが、気になって、「おかわり?」とか声をかけたりしてけど、
イワジーのテンションは全開(笑)
結局、本人の墓や戒名の話にまで発展した。
定番の古典落語と同じように、老人が集まると「年金」や「病気」や「墓じまい」などの話になることが多い。
「過去の話」「自慢話」「説教話」は、老害の三種の神器だ。

オギ、こと荻上直子さんの最新作の映画「まる」は、仙厓和尚の揮毫「〇◇▽」から、ヒントを得たらしい。出光美術館にいくと観れる。
仙厓和尚が、孫ができたと喜ぶ檀家さんから「なにか、おめでたいことを書いてください」と頼まれ、
「よし、わかった」といって「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫したら、おこられた。「では」
といって「孫死ね 子死ね 親死ね」と書いたら、「なるほど、順番に逝きなさい、ということですね」
といって、喜ばれたという逸話。

人は親であろうが、孫であろうが、病気や老衰で死ぬのではない。生まれてきたから死ぬのだ。天地自然の理に、感謝。

三業地から、おいしいおにぎりが発祥?

水曜日は、歯医者。
あーん、と口を開けて、掃除や治療をしてもらう。だからどこでもいい、というわけにはいかない。
寿司屋とか、床屋、と同じように、店を選ぶ。

上池袋から押上にきてから17年になるけど、歯医者は上池袋時代から通っていたK歯科に
通っている。錦糸町から大塚駅行きのバスで終点。それから、元癌研通りを通り、明治通りに
ぶつかったら、右折、桜並木をJR板橋駅に向かって歩くと、公園の手前に歯医者がある。

大塚駅前は、駅舎が新しくなったのと、駅前の「ぼんご」というおにぎりやが、大フィーバー
していること。あと、産業地の入口のパチンコ屋「ひょうたん島」が壊され、置き屋や、ラブホなどが、ことごとく
消えた。ぼくがとあるIT業界団体の理事長をやっていた時、その三業地の中に事務所があった。Oさんという、
ゴルフ仲間の職人さんに、テントをつくってもらい、青地に「ネット21」と書いた立派なテント
を30年前につくってもらった。ぼくがでた後、ある婦人団体の事務所になったけど、テントは「そのまま使わせてください」
とのことで、今も当時のままだ。Oさんは、5年くらい前に住む場所を変えたけど、テントは生きている。

三業地というのは、旅館、料理、芸者、の「三業」が、それぞれ分業で、なりわいを立てている「地」だ。
今どき温泉地みたいに、ぜんぶをホテルみたいな旅館が「ねこそぎ稼ぐ」みたいなんとわけが違う。役割分担(シェアー)する精神がある。
芸者さんは卒業すると、置き屋の女将さんの面倒を見たり、独立して小料理屋や、お茶漬けや、おにぎりや
などで、たつきを凌いだりした。「ぼんご」ももともとは、そんな時代の流れの中で、うぶ声をあげた。

そんなわけで、「ぼんご」のおにぎりは、毎月の勉強会、理事会、小腹がすいた時、飲んだ後・・・
よく通った。女将さんは、雑誌やテレビで紹介され、「おにぎりのカリスマ」に君臨し、お元気な様子。
ぼんごのおにぎりは、「のりに包んだおにぎらず」だと思う。
ぼくは時々、サランラップにのりを一枚のせ、そこに能登の塩をパラリとかけ、その上に炊いたばかりのごはんの「かまじか」
をのせ、ふんわりくるんで「能登のおにぎらず」を作って食べる。
かまじか、というのは、羽釜で炊いたごはんを、しゃもじでまぜる前に、上の部分をすくって、そのまま食べることをいう。
だから、せいぜい、ふたりぶんくらいしかできないので、お店のメニューにはできない。
最後のおこげの部分は、お茶を注いで茶漬けにしたりする。もともとの「茶事」のごはんは、そんな風にして楽しんだ。

天真庵では、月曜の朝だけ、珪藻土の竈(かまど)に炭をおこし、羽釜のごはんを「玉子かけごはん」として供している。
冬は、「おこげ」のごはんに、おでんの汁をかけると、「このまま天国にいってもいいや」くらいの気分になる!
土鍋でごはんを炊くと、同じような味になる。「オール電化」に洗脳された家だと無理だけど、「ひとてま」かけるとどれもが
「至福の時間」になる。犬みたいに忙しくて、あっちに駆けてってワン、また明後日に駆けていってワンワン・・・
みたいな多忙な人は、「カリカリごはん」を食べていればいいけど・・・・

おコンそば

昨日、黒板(といっても、緑色)に、新しいそば(新そばはまだ)の「うすあげUFO」
と書いていたら、女性が入ってきた。「温かいそばでおすすめありますか?」
というので、「うすあげUFO」と答えると、「じゃあ、それください」になった。
なかば、半強制的に、UFOがそのお客さんに飛んでいった。

するってーと、来月24日に「落語会」(一日で満席ごめんになった)をすることになった橘家竹蔵師匠がやってきて、
カウンターに座った。「今日は寒いね~ あったかいやつをよろしく」とのこと。「うすあげUFO」が続けてでる(笑)
師匠がきて、そばを手繰る間、お店の中は「時そば」の舞台になる。「このきつね、うまいね~」と褒め殺しされた。

閉店間際に、「押上文庫ちゃん」が珈琲を飲みにきた。彼が東京音大の学生のころ、青山の骨董屋で出会った。四半世紀のつきあい。
押上文庫の二階は、お座敷になっていて、女義(じょぎ 女義太夫)や、落語会などをときどきやっている。

閉店して、ひさしぶりに志ん生さんの落語のCDを聴きながら、酒を飲んでいた。
「安兵衛狐(やすべいぎつね)」
亀戸が舞台で、墓参りにいって「狐」の幽霊を嫁(おコン)にする小噺。まいどばかばかしい・・・
が、志ん生が演じると、笑いのるつぼと化す。
落ちが、「安兵衛もきつねじゃないか?」と彼の家に集まる長屋の住人たち。そのひとりがポツリ。
「安兵衛はコン(来ない)」。やっぱりきつねだ。

そんなわけで、昨日からはじめた「うすあげUFO」は、真打に昇進して
「おコンそば」になります。感謝。

月曜の朝は玉子かけごはん!

今回の能登休みは、安曇族・宗像族が、九州からヒスイを求めて、糸魚川にいき、
そこから姫川をのぼって、安曇野にいった道を通って東京にきた。
はっきりとした声は聞こえなかったばってん、先祖さんから歓迎されたような気がした。
「いつかきたことがあるとこやな」と思う場所がある。そんな気がした。

途中、安曇野で「平飼いの玉子」を買ってきた。見るからに、元気そうな玉子。
今日の「玉子かけごはん」の玉子は、その安曇野の玉子。
昨日は、それをゆで玉子にして、おでんにした。食べたお客さんが「うまい」「きれい」
といった。近くの有名なスパイス・カレーの両親なんだが、さすがに、嗅覚や味覚がするどい。
もうひとつ、「うすあげ」の美味さに感動されていた。ぼくの腕ではなく、その豆腐屋の魂がこもったうすあげ。

夜は「ゆるゆるヨガ」だった。5人のヨガ女子のうち、うたりの女子のお母さまが、たてつづけに召された。
こんな日は、献杯せなあかんし、それならざるより、もりのほうがよかろうと、その「芸術的なうすあげ」
をいれて、合六椀にいれてだした。5人とも、おつゆまで飲み干した。お酒も飲みほした。
温かい汁もので酒を飲めるようになると、左党大学も卒業まじかになる。
昔「とんさま」という豚そばで5合飲んだ強者がいたが、このそばも3合くらいはいけそうだ。

関西の「きつね」が美味いのは、出汁もしかりだけど、美味い豆腐屋の「うすあげ」がきいている。
ミシュラン系のお店も、こそっと使っているその「うすあげ」をいれた新メニュー(といっても、17年前から『まかない』で
だしていたそば」を、新メニューにすることになった。

「うすあげUFO」

UFO珈琲よりも人気になったら、お店の名前を「UFO珈琲天真庵」から「うすあげUFO天真庵」に変更しなくてはいけなくなる。感謝。

焼きそばUFO?おでん?熱燗?昔の女?

おでんの季節になった。
天真庵では「文膳(ふみぜん)」という昼酒セットがある。冬は三種盛りが「おでん三種盛り」になる。
そば豆腐・三種盛り・酒一合・そば・珈琲で2500円。ちかごろ流行りの「センベロ」(千円でベロベロに酔う)
にはかなわいが、リーズナブルだと思う。ときどき、店の前でウロウロしながら、入ろうか、やめようか、
と迷う人いる。決心して入ってこられる時には、「よくこんな入りにくいお店に入ってこれたね」と声をかける。
追加で「ぼくなら、ぜったいに入らない」(笑)
でも、「文膳」なら、徘徊散歩の途中に入りたいと思う。
吉兆時代のながや君(今は、早川で『ながや』という日本料理屋を経営)に教えてもらった「そば豆腐」
は、自分でいうのもなんやけど、逸品やと思う。久保さんにつくってもろうた「ひさご皿」にのせてだす。

おでんにはまったのは、小学校の6年のころ。近くのスパルタ塾に、衆議院議員の末松義則くん
たちと、机を並べ、ビンタされながら勉強した。
塾へ通う途中に、左に「酒屋」、右手に「おでんや」という、きわめて「昭和の北九州」という場所があった。
おでんは持ち帰り専門なので、「ごぼてん」とか「ちくわ」とかを買って、歩きながら食ったものだ。
酒屋は、伊藤酒店といって、「角打ち」もやっていた。おでんやでおでんを買って、角打ちというのも、ルール違反じゃ
なかった。九州では、小学校6年か中学に入ると、家では酒が飲めたが、外で飲むと補導されたので、「中学生になったら、
角打ちで一献」と思っていたけど、店主の伊藤さんに「まだはやか」としかられた。
そのうちに・・・と思っていたら、後継ぎの伊藤くんが、京都のからふねやで働いていたぼくのところに弟子入りし、
下鴨神社の横の「からふねや下鴨店」の店長になったので、ついに「伊藤酒店で角打ち」の夢はかなわなかった。

でも、そのころ伊藤君や松崎くん(ふたりとも、引野中学の3年後輩でともに、からふねやで働いた)とは、荒神口にあった「安兵衛」というおでんやでよく飲んだ。
近くには、「シャンクレール」という有名なジャズ喫茶があり、ジャズにも、おでんにも、はまりまくっていた。
「豆腐」「薄揚げ」「玉子」などをアテに、伏見の「名誉冠」という二級酒の燗酒を飲んだ。
比叡下ろしが、体を縮こませるくらい寒い京都の冬に、伏見の「おんな酒」(甘い酒)の燗はしみた。

作家諸井 薫さんの本で「おでん 熱燗 昔の女」という名エッセーがある。ときどき読み返す。  
昔の女を、酒のツマミにすることはないが、今でも能登に若い女の子が遊びにくると、
橋本食堂にいって、「おでん」を食べながら熱燗を飲む。「おでん 熱燗 未来の女」
・・・・時間は、未来~今~昔の順にに流れている、って知ってる?感謝!

今日は16時まで。それから「UFO焙煎塾」「そば打ち教室」二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

UFOコースター

川口葉子さんが、新しい本を上梓され、昨日おくられてきた。
「今日も、古民家カフェ日和」(新たな時間の旅42軒 ・世界文化社)
これまでは「長屋茶房・天真庵」だったけど、「UFO珈琲天真庵」に名前を変更した。
「路地に残る店」というところに、「UFO珈琲天真庵」とは、奇妙な感じがするけど、目次
には、そんなふうに紹介されている。今日あたり、街の大きな本屋に並んでいると思う。
骨董もそうだけど、時代にかかわらず「古い新しいもなく残っていくモノ」というのは、
いいものが多い。これから「カフェ」をやろうなんて奇特な人にはおすすめ。
ぼくの店を参考にすると、危篤になるのでご用心。

古民家というのは、50年以上の建物のことをゆうらしい。天真庵の建物は昭和20年の東京大空襲で
焼かれた家を建てたものだから、来年で80年になる。17年前に、柱など耐震補強したおかげで、
さきの大地震には、耐えた。今いわれている「次の東京直下型地震」に耐えられるかは、?だけど・・・
能登の「寒山拾得美術館」の建物は、来年あたり50歳になる。今回の大地震には、ほんとうに
よく耐えたもんだ。

UFO焙煎器をつくった記念に「UFOコースタ」もつくった。前回のコースタは〇だったけど、
今回は◇にした。7年くらい前に、ベトナムに呼ばれて「そば会」をやった。
その時に、マジェスティック・ホテルのバーで、ウィスキーを飲んだ。サイゴン川のほとりに建つコロニアル風
の素敵なホテル。開高健が、ベトナム戦争を取材にいった時に泊まったホテル。
そこででてきたコースタが◇で、とてもシンプルなものだった。それを意識して、なつきくんに頼んだ。
なかなか好評だ。

200人の部隊で生き残りが彼(開高健)を含めて17人という、凄まじい現場から東京の雑誌社におくった国際電話。

「ベトナム人はそういわけで、貧しい農民兵であって、海外に逃げることもできず、戦争に狩りだされて、
ジャングルへ忍びこんで同じベトナム人に撃たれて死んでいく。いつかは必ず死んでいく。アメリカ兵はアメリカ兵で、
まったく自分の意志が通じないで、命令系統を持たないですから、よい意見をだすけど、よい意見は空中で散ってしまってですね、
採用されない。そのままやっぱり後ろから撃たれて犬死にで死んでいく。ベトコンのほうはどうかというと、空から今度は猛爆撃を
食らって、えー、何十トンという爆弾を浴びせられるわけですが、やっぱり死んでいく。結論を最後に申しあげればですね、
アメリカの曹長が私に、のどからからになってですね、水筒の水をやったときに言ってましたけど、『戦争に勝利者はいない』
ということだと思うんです。このことだけは、あのー、はっきり書いておいていただきたいわけなんです」

今も世界中で戦争モードになっている。結局、あの当時から人間は進化していないのだ。
開高健が、サントリーの宣伝で伝説のコピーライトがある。時代が変わってもまったく古くならない文だ。感謝。

「人間」らしく
やりたいナ

トリスを飲んで
「人間」らしく
やりたいナ

「人間」なんだからナ