お茶を飲むとコロナが消える!?令和の喫茶養生記!

昨日「新茶ができたばい。明日発送するけん・・」と、福岡の星野村のお茶農家さんから電話。
2007年4月1日、押上に天真庵を移してからこっち、ずっとそこのお茶をつかっている。
「一芯二葉」、ていねいに手で摘まれた茶の「やさしさ」が染みる。

どこのうちにも、台所の食器戸棚とか、引き出しなんかに、賞味期限ぎれの茶葉や、香典返しの
お茶などがあると思う。賞味期限なんてかまわない。焙烙(ほうろく)はなくても、フライパンがあれば、それらを煎って
ほうじ茶にして飲むと、長年の日健康的な生活からきた血圧とかを上手に調整してくれるよ。
麦茶をわかす(ペットボトルで買って飲む人が大半だろうけど、網つきの薬缶で、ミネラルウォータ以上
の水で麦茶を沸かすと、似て非なる茶ができる。栄西禅師が言ったように「茶は薬」。草を食べて楽になるもんやねん。

間違えて、玉露などが手に入ったら・・・昔から日本人は「宝瓶」(ほうひん)といって、取っ手のない急須で
淹れた。ないひとは、急須でけっこう。取っ手が割れたのがあると、それが宝瓶になる?
九州の八女茶(星野村もふくむ)のとこでは、「雫茶」(しずくちゃ)といって、蓋つきの器に入れて
玉露を飲み、三煎くらい楽しんだ後に、その出がらし茶葉にポン酢を入れて食す。
「一物一体」の天地自然の理にかなった茶の楽しみ方。

ぼくのHPの「還元くん」のところに、京都府立大の茶の論文がのっている。
コロナのみならず、いろんな感染症などに「茶」がいい・・・
ということをいわはった。あちこちの大学で同じような論文が発表されているけど、
製薬会社も医者も「そんなんが日常茶飯になったら、わしら飯も茶も飲めん・・」といって、否定的だ。
それより問題なのは、日本人の日常茶飯から茶が消えつつある。そこや。

ぼくは、昨年の6月から、赤絵の「還元くん」に、玉露を5g入れ、40度の湯を入れ、12時間待ち、
それに薬缶で沸かした裸麦茶をブレンドして、冷蔵庫で冷やして飲んでいる。能登の家にも、一本おいてある。
長旅をする時は、スーパーで「お~い・・」みたいな茶をIケース買って、それに還元くんで、水素茶にした茶を
混ぜながら、自分たちで飲んだり、ふれあう旅先の人にふるまったり。。いろいろ。

ネットにも載せているけど、いろんなところで、いっぱい売られているので、興味のある方は、縁ある
サイトから購入してみるといい。電源もない「魔法のボトル」が26000円・・・*天真庵で買うと、星野村のお茶(40g)と元気シールがおまけ!
日頃からマスコミに洗脳された頭では「あやしい~」なんて思うだろうけど、ぼくからいわせると
「お茶(12時間たつと水素茶になるのです)を飲むだけで、病気の予防になるならタダみたいなもんや」
と思っている。薬事法に抵触するので、なんやかんやいえへんけど、それから天真庵で「還元くん」をもってかえって
使ってる人が40人を超えもうすぐ50人。「手ごたえ」は、その40人と家族それぞれなんだろうけど、おおむね好評みたいだ。
今、日本人のふたりにひとりがガンになる。近い将来「限りなく全員に近い」数字になるという。
専守防衛では間に合わない。転ばぬ先の壷?で、「いざ」に供えるほうが懸命やと思う。

今日明日は「12時から16時」。それ以降は「蕎麦打ち教室」
昨日、若い(20代)のくんから「焙煎塾に入門したい」との電話あり。
「高い(一回5500円)し、きびしいよ」と返事したけど、真剣な様子。
カフェとレストランの店長ふたりが、お弟子様になった。いろいろ全部教えていきたい、そんな気分の今日このごろ。
竈・茶・珪藻土七輪・・・・時代おくれが、気がつけば時代の先頭・・・そんな時代がくる?こないか~?感謝!

月曜日の朝は「竈炊きの卵かけごはん」  新しいちっこい竈もゲット。

旅はいいね!九州で秋に蕎麦会!

3年ぶりに九州に帰省し、小浜に移住して4月から「彩雲」という日本料理屋をはじめた
知人の店にいって、昔、頼山陽が島原を旅してどこまでも青い海と、その先にある髪の毛のような地平線に
感動して「青一髪」と詩にした海を眺めながら、地産地消の料理に舌鼓を打った。神楽坂で15年以上やっていただけに、
料理の腕は確かをはるかに超えて、地平線まで届きそうなレベル。

翌日、磐座(いわくら)が神代のころからそこにあるような神社にいった。駐車場を降りて、砂利道を800mくらい歩く。
左手には、棚田が自然のまま開墾され、ひとりの農夫が田植えをしていた。「さわってよかですか?」といって、水田に貼られた
水に手をいれさせてもろうたら、5月とは思えない冷たさだった。能登の瑞穂(みずほ)の水とよくにている。
「失礼ですが、ここの米がもしあまっていたら、少し買わせてほしいとですが・・・」とお国訛りを思い出しながら、尋ねたら
「売るほどできんとです。」と苦笑いされた。しかたなく、参道を歩いて、神社にお参り。駐車場にもどる帰路で、農夫さんに
「いい神社ですね。神様がちゃんとおらっしゃるげな気がしました」と告げた。「ありがとう。ごくろうさま」と返事が返ってきた後、
「この米が秋実ったら、10kだったら、おわけしましょうか?」といわれた。うれしくなって、「秋にきます」と答えた。

南島原に6年前に移住したなつきくん・じゅんちゃんに、能登の珪藻土竈をその日に届けた。「月曜の朝は卵かけごはん」を島原で
やることになり、この竈が主役になるらしい。お米は熊本の「UFOがつくるお米」。
天真庵が2007年にブクロから押上に引っ越した。古色蒼然とした昭和20年にできた長屋を、芸大での中西くんたちが、
上手に勝手気ままに改装。その途中に、「きらきら橘商店街の明治通りに面したところに、同じような元喫茶店があるのですが・・」
という大家さんがきて、兄弟店のような「爬虫類分館」(通称ブンカン)ができた。
そして、昼の店長が「なつきくん」になり、夜の店長が「UFO(名前が夕帆くん)」になった。
311がきて、UFO一家は熊本に移住し、自然農でお米や野菜をつくっている。もうじきゲストハウスも完成する予定らしい。
なつきくんたちが、その後南島原の口之津に移住し、ときどき、夜逃げのような里帰りで福岡までいった足をのばし、
島原で「そば会」などをやってきた。

昨日は、そのUFOくんに、お米を注文させてもろうた。
いつもおまかせだけど、秋の収穫の時期は、島原とか熊本で「蕎麦会」が企画されそうな予感。
いつも車には、能登の珪藻土七輪と手回しの焙煎機をいれて旅しているが、蕎麦道具も常備に
なりそうな感じ・・・
それと、今回の長崎や天草の海をまわってみて、「たこ」がいっぱいいることがわかった。
タコ釣りの竿も、のし棒といっしょに、袋にいれていこう、っと。

ぼくのタコ釣りの師匠は「YouTube先生」。
これからの時代の走り、みたいなもんだと自負している。

昨日はこんな映画をYouTubeで見た。YouTube先生、とおらぼーごたる。
「”ドンバス 2016″ドキュメンタリー映画(アンヌ=ロール・ボネル監督」
日本ではほとんどマスコミがとりあげていないけど、フランスの美人ジャーナリスト
の「アンヌ=ロール・ボネル」さんは、これから目がはなせない。
このドキュメント映画を見ると、「世界の今」・・・ウクライナの実相が見えてくる。感謝。

お米も大豆も珈琲も、みんな粒々皆辛苦の「お豆の旅」

昨日は、卵かけごはん。
竈(かまど)でごはんに挑戦して、3回目。前回はうまくいきすぎて、オコゲができなんだ。
昨日はすこし火を強めて炊いたら、めちゃくちゃオコゲがいい具合にできた。
試食という名の、つまみ食いで一合くらい食べた?

開店前に、「これ飾って」といって、近所のお世話しあうハウスの女将が、河原撫子、ユリ、蛍袋を新聞紙に
くるんでもってきてくれた。北秋田の四合瓶も。近所の認知症のおばあちゃんに朝ごはんと薬をのませ、散歩してる途中。
ちょうど竈でたきたてのごはんを、お櫃(ひつ)に移してる時で、「ごはん食べたけど、おいしそうなので、食べていこうかしら」
といって、卵かけごはんを食べていかれた。「お櫃の木の香りがごはんにほんのり、乗り移っておいしいわね」とのこと。

近所の大学の学生さんたちもきて、にぎやかな「卵かけ時間」。お米を炊いた後は、残った炭火で焙煎し、それを石臼でひいて、デミで100円でだすのがならわし。
ちょっと贅沢だけど、能登ジェラトン(隕石粉入りの器)のデミカップ(ショットグラス)で供すことにしている。朝から「いきなり宇宙人」
みたいな一杯。先週に久保さんから新作の珈琲カップが届いた。
隕石は入っていないけど、高台(こうだい 抹茶茶碗など、底にぐるりがついてあるでしょ。器のみどころ)つき。何種類かつくってもらった
ので、いろいろ試し中。ストレート珈琲を所望されると、新作器でだしている。なかなか口あたりがやさしく、高台がついた分、品がよりでてきた。
「ほぼぶらじる」が、最近日本料理屋などからも注文をもらうようになってきた。久保さんの器をつかっておられた名古屋の「金豊舘」(きんぽうかん)
も〆には、お茶でなく、珈琲がでていた。
〆の「こころの一盌」は、おいしい珈琲、というお店が増えてきている。
新しい「豆の旅」がはじまったような気持ちで、気をひきしめて、毎日がらがらと
手回し焙煎機を回す日々。

夕方、陶芸家の渡辺愛子さんが、珈琲を飲みにこられた。銀座の黒田陶苑さんで陶展が終わりちょっと一服気分。
お土産に「ゆば」をくれた。彼女は京都の大学をでて陶芸家にならはった。
京都の祇園に「北郎」という料理屋がある。そこの「お豆の旅」は、実に美味い。藤山寛美さんが生前よく食べにこられ、その名前を命名した。
ゆば、椎茸、山椒、ごまなどを佃煮にして、お茶ずけにする。
そこからヒントをえて、昨日は、お米とユバと山椒・梅干し・・を入れて、「お豆の旅ごはん」みたいなんをこさえてみた。
朝いただいた「北秋田」の酒肴にしながらグビグビ・・、よき季節5月を満喫。感謝。

月曜の朝は、竈炊きのTKG(卵かけごはん)

熊本の「たまな創生館」の館長から電話。
「車に積んであったケイソウド?やったかいな?あの七輪、一個おくってくれんね」とのこと。(車の中に、珪藻土七輪・焙煎機・クーラー(中にパラダイス酵母・・それを
訪問先にマーキングみたいに、お裾分け。「ぜったい売らないでね」といいきかせて(笑))
「今、外国や日本のキャンパーたちに大人気なので、3か月くらいかかるけど、それでよかなら、OK牧場ですけど・・」
と返事したら、「もう平均年齢をこえたけん、死ぬまでに頼むばい」とのこと。
100歳を目標にしたら、折り返しあたりにいたり、あと〇〇年と、楽観できるかも知れないけど、
冷静に考えるとけっこう人生は短いものだ。団塊世代の館長は到達(笑)・・ぼくはあと8年・・どちらにせよ「あっという間」の束の間の旅。

昨日は、近くの「お世話しあうハウス」の女将さんが、「福井の兄のお墓まいりにいってきた」といって、五月ケ瀬(サツキガセ)という福井のお菓子(煎餅にピーナッツ)
をもってきてくれた。齢(よわい)80を超えられたけど、毎日近所のおばあちゃんたちを、散歩させたり、ご飯を食べさせたり、薬を飲ませたり、病院に連れていったり・・・
の大忙しで、矍鑠(かくしゃく)としておられる。女将さんのまわりの平均年齢は90歳超。

九州の高菜漬けをさしあげ、いつもの「原始的ぶつぶつ交換」が成立。
彼女は、毎日「かたい」と「やわい」の二種類のごはんを炊くそうだ。
「総入れ歯の人にかぎって、『わたしは、かたいごはんじゃないとダメ』というのよ」
とのこと。だから、「かたい」ごはんは、文化鍋で炊き、(電気釜だと、やはりべちゃっとなる)、やわいほうを
電気釜で炊くそうだ。

「これで今日の夕ご飯がきまった」と笑顔で颯爽とかえっていかれた。
炊き立てのごはんに、卵とじ、高菜(高齢者相手なので、細かくタテとヨコに刻む、のがコツらしい)、ジャコを入れるのが、定番レシピ。
ときどきご相伴にあずかることができるのだが、「ほんなこつ、うまかっちゃん」とおらぼー(さけぶ)ごたある味だ。

彼女なりの「幸せに歳をとり、長生きするコツ」は・・・この半年いろいろ話をしていて気づいたこと・・・

・好きなことをする(だって、自分の人生じゃない)
・なるべく、医者に頼らない(ワクチンや薬なんていらないわ)
・肉も魚も、好きであればどんどん食べる。(ごはんも、かたい、やわい、の好みをいいなさい)
・お酒も好きだったら、毎日飲む(わたしは、ひとくちしか飲めないけど、毎日飲むわよ)
・欲望は長生きの源だから、いくつになっても恋をする(おしゃれこころがなくなると、おしまいね)
・認知症になっても、みな幸せそうよ(他人に迷惑かけるけど、それも忘れるし、病気になったことも忘れるみたいよ)
・おむつを恥じるな(行動力を広げるのよね)
・記憶力は年齢じゃないのよ(使わないから落ちるのよ)
・眠れなくなるけど、そのまま自然体(死んだらゆっくり眠れるわよ)
・徘徊散歩する(足腰が悪くなると、きゅうにガクっとくるわね)

「しばらく留守(里帰りで)にしていたら、まわりのおばあちゃんたちは、煮炊きとか大変ですね」と質問したら、
「食べないと死ぬので、そんな時は、自分たちでできるのよ」といって笑っていた。
その間は、交代でごはんを炊き、女将さんが毎日仏壇の先祖さまにあげるように、彼女の部屋の仏壇に炊き立てのご飯をあげ、
「女将さんがはやく東京に帰ってきますように」とみんなでお願いをするそうだ。ほのぼのとした、下町人情あふれる「お世話しあうハウス」の物語。感謝。

明日は月曜日。
月曜の朝は、竈炊きのTKG(卵かけごはん)!

新茶・うめぼし・昔のおんな

沖縄にいくと、しばらく誰かれとなく沖縄の話をするようになる。これを「沖縄病」という。
能登にいくと、同じような現象の原因不明な感染症がある。「能登病」とはいわないけど、沖縄病
になんとなく似ている。
今回、能登に3日いて、それから大阪にいき、フェリーで門司港までいった。その後も、熊本の
天草からフェリーで口之津まで渡り、帰りも同じコースで、天草やら玉名などに寄り道して帰ってきた。
昨日は、ひがな一日、ガラガラヘビよろしく炭火焙煎をし、近くのカフェを二軒梯子して、「九州の話」
をしてきた。「九州病」に羅病したとばいね?

今日は東京は朝から曇り空。気温もあまりあがらないようだけど、少し深めに焙煎し、水出し珈琲をしかけ、
元気にばんばん蕎麦を打った。アイス珈琲の美味しい季節がやってきた。
気温があがると、そばも「あったかい蕎麦」(カレー・鳥そば・能登牛すじ蕎麦)より、ざるそばや梅おろしそば
を所望する人が増えてくる。だから「かえし」をつくる作業が忙しくなる。

梅といえば、来月は「梅仕事」。自分で源流からやりたい人は、能登へきてもらって、梅を摘む、からやる。
そうすれば、食べ物でいう「一物一体」みたいに、「理(ことわり」が体にしみる。料理も、いろいろな「料」(食材)の
「理」(こちわり)のことをいう。もっといえば、剪定をやったり、まわりの雑草といわれる植物たちを、風通しのさまたげに
ならぬよう、風道をつくってあげたりするお世話をすると、植物たちと話ができるようになってくる。
6月は、「田植え」もする。今年ワークマン女子の「田植え用長靴」を買って、また原稿用紙に一文字一文字をいれるように、
稲を植えたいと思う。3年前まで、九州の実家の「松の手入れ」も6月にやっていた。
雨が多く、地味な月だけど、よくよく考えると滋味につながる大事な季節。

今日くらい、ひょっとしたら、福岡から新茶が届く。昨日の「天声人語」にあったけど、日本人が茶を飲む量が、以前の3割以下
になっているらしい。「おいおい」と思うけど、まわりを見ても、そげなふうになってきた。
九州の御茶を急須にいれて飲むとうまかばい・・・とおらぼーごたる。

昨日は、陶芸家の久保さんから新作の珈琲カップが届いた。高台がついていて、横から見ると、抹茶盌を眺めるような風合いになる。
ひとつをリュックに入れ、留守中お世話になる文庫ちゃんのところへ、長崎土産といっしょにもっていった。
九州の話を機関銃トークしていたら、カップをあげるのを忘れた。最近物忘れなる老人力が加速している。
予防をかねて、若い美人店主・たねちゃんがいるカフェ「オフ珈琲」にいって、新作のカップをあげ、四方山話をしてきた。
久保さんのこんどのカップは、深煎りの珈琲をハンドドリップすると、真価を発揮するようだ。
たねちゃん、から連想。島原に「タネト」という東京から移住したご夫婦がやっている直売所がある。まじめに食べ物や染色などを
やっている人たちの「もの」が生き生きと並んでいる。ぼくがときどき蕎麦会をやる時、かけつけてくれる農業家の野菜をいっぱい買って帰った。
「くちのつ巷珈琲焙煎所(&美容院ビーナス)」「タネト」「彩雲」・・・島原の三種の神器みたいなお店。

ひさしぶりに、シルバー川柳を二題ほど

・手をつなぎ 昔はデート いま介護
・忘れもの ブツブツとなえて 取りにいく

長崎のお米も美味いけど、肥後米はやっぱ、うまかっちゃん!

口之津(くちのつ・南島原の最南端の港)の「くちのつ巷珈琲焙煎所」(墨田から6年前に移住したなつきくん
が営んでいる。)に無事竈を届けた。じゅんちゃんが、近くの元美容院(美容院ビーナス)を改装して、カフェ&ときどきおでんや&月曜の朝は卵かけごはん(これはこれから)
を始めた。音楽祭も立ち上げ、地元のアーティストたちが集い、身土不二な音楽を楽しんだり、いろいろな発信をしている。そこで能登の竈がつかわれ、能登ジェラトン(隕石粉入り器)が使われたちするようになった。これからじゅんちゃんのことを、みなが「この星の王女さま」と呼ぶようになるかもなんばん。

能登の地酒・「遊穂」(UFOの街・羽咋の銘酒)も、3本能登から届けた。それを飲みながら、空を見上げると、UFOが見えると思う。
そんなバカ話をしながら談論風発し、じゅんちゃんちに一泊させてもろうて、翌日の朝、口之津港からフェリーで天草へUターン。
吉田拓郎の♪わざわざ見送ってくれて 女の子みたいに・・・
よろしく、じゅんちゃんたちが、堤防で手をふってくれていた。

釣師や魚好きに定評な民宿がその日の宿。
お酒を飲むのを忘れるくらい、魚料理が美味く、舌鼓を打つ。「くまさんの力」「森のくまさん」というお米も美味かった。
夜のニュースに、長崎に東京からUターンしてきた若夫婦が営む民宿が
紹介されていた。
ここは、ぜひいってみたい宿なので、メモ替わりに、自分のブログにのせることにした。
「小値賀島 弥三」(やさおとこでないけど、ヤサ・・・島の名前はオジカジマ、と呼びます)。

よく朝、天真庵のHPにリンクしている「たまな創生舘」の館長・橋本太郎先輩のところへ顔をだす。
築100年以上たつ実家を改装し、自然派の食堂・カフェ・ギャラリー、そして農機具がひしめいた倉庫を改装してコンサートホールに
した。さながら「田舎の文化塾」だ。無農薬・無肥料・無除草剤で育てた「くまもんの気骨のお米(勝手にぼくが命名)」をわけていただいた。
くまもとのお米は、昔から、東の大関「加賀米」とならぶ西の大関「肥後米」といわれ、名にしおう米どころだった。肥後もっくす館長が「♪おんなのこみたいに」
わざわざ見送りをしてくれて、門司港目指す。久留米から高速を降りて下道をゆっくり走る。秋月城跡あたりの評判の蕎麦屋で蕎麦を手繰り、
お店で使っている「本葛」を調達し、筑豊の道の駅・おおとう桜街道で温泉に浸かり、門司の街中のコインランドリーで旅の衣を洗い出発。

門司のフェリーで横須賀までいく。夜おそい出発(11時50分出発・翌実の20時45分到着)なので、次回は生まれた街・小倉の夜を楽しみたいと思う。
もうすぐ九州でも「杜人(もりびと)」が上映される。となりの門司出身の気骨ある男のドキュメント映画。♪こころもじもじ 気は佐世保 さのヨイヨイ!感謝。

旅先で焙煎

ひさしぶりに九州の空気を吸っている。
海の匂いも、薫風の匂いも、やはり懐かしい。
自分の生まれた土地、というのは、母の子宮の中みたいなものなのだろう。

旅先でも、豆の注文をいただく。ので・・・
旅先の宿の庭を借りて、能登の珪藻土七輪で焙煎。
その後、温泉に入って焙煎匂いと汗を流し、近くの郵便局から
レターパックにておくることにする。

今日は、南島原に移住したなつきくん、じゅんちゃんに頼まれた「珪藻土竈」を
納品する。天草からフェリーにのって、くちのつ港にいく予定である。
明日は門司港までもどって、フェリーで東京に向かう。

「豆と能登七輪の旅」も、いよいよ終盤だ。
なかなか充実した旅だった。感謝。

沖縄の風

今日は沖縄が本土復帰50年。
あまり関係ないばってん、3年ぶりに九州に里帰り。
といっても、実家は親父が亡くなって売却したので、帰る家はなくなっった。
「ふるさとに帰る」というのは、生まれた場所にもどることだけど、そこに「人がいる」から
だと思う。母は90になり、妹の嫁いだ家から徒歩3分の施設で元気にいてくれて、母の日の花をおくると
自分で電話をかけてきて「きれいかったばい」とか元気に応対できる。まだまだコロナが治まらないので、施設の庭
から手を振りながら、電話で話す、という手段で再会した。

妹は孫たちの世話で、けっこうてんやわんやの元気おばあちゃん。
「能登の七輪で、孫たちに魚とかを焼いて食べさせたい」というので、能登を出発する前に、
珠洲の七輪たさんにいく。コロナのおかげで、「七輪」が見直されていて、能登の道の駅も、
東京の合羽橋も「いつ入荷されるか未定」な状態。少し落ち着きを見せてきた様子だったけど、
最近は「海外需要」で、また忙しそうにしていた。つい最近まで、合羽橋の売れ筋は「日本の研ぎが必要なホンモノ包丁」で、
包丁やさんに青い目の外人さんが跋扈していたけど、今は、通販で「七輪」がうれている。
日本ではアウトドア用品といえば、横文字の外国産が人気があり、バーベキューの時は「鐵板」のもので
「外で食べたらおいしい・・・ぼりぼり・・」スタイルが普通だが、海の向こうでは「日本の珪藻土七輪で肉を焼いたら、
べつもんバイ・・・ぼりぼり」が浸透しているみたい。本家どり?・・・相変わらず、日本人は自分たちのまわりに昔からある「ホンモノ」
に気づかない民族なのかもなんばん・・

そんなことはどうでもいいけど、そんなわけで、九州に能登の珪藻土七輪がひとつ上陸した。
車の中には、いつでもどこでも焙煎できるように、七輪と焙煎機を積んでいる。
天草のお店から注文があったけん、今日はそちらに向かう。
魚や肉を焼くときに、「七輪」の威力が発揮するばってん、一番は、「珈琲の焙煎」じゃないかしらん。
嗜好品だから、10人いれば10人の意見があるけど、「べつもん」になるような気がする。
これもまた、灯台下暗しで、日本で広まるまで時間がかかる。いっそのこと、シアトルあたりにもって
いこうか?なんて、半分ほんきで思ったりする今日このごろ・・    感謝

究極の珈琲を淹れるコツ?

昔から
「地獄より熱く、恋のように甘く、思い出のようにほろ苦く」
のいうのがあった。

♪昔アラブの偉い坊さんが・・・
ではなく、フランスの伯爵。名前をシャルル=モーリス・ド・タレーラン。
政治家でもあり美食家でもあり、おフランスの彼の珈琲哲学は、永い間、世界中の珈琲党の
目標でもあった。

「珈琲タレーランの事件簿」(また会えたらなら、あなたの淹れた珈琲を)という本が人気らしい。
タレーランは、そのタレーラン。京都の喫茶店「タレーラン」を舞台にしたもので、作家は福岡出身で京大
法学部出身の岡崎琢磨さん。読んでみたい本だ。

一昨日、能登のお店から豆の注文がきて、朝からガラガラ炭火焙煎をし、納品。昨日は
また違う店から、思った以上の注文をいただき、今日納品した。
最近輪島に移住して、日本料理屋を始めた話題のお店の主人が、気にいっていただき、注文をもらった、ということだ。
まだそのお店にいったことはないけど、関西から能登へ移住、というから、きっとぼくの修行先の珈琲は飲んで
いたに違いない。ほんまに「おーきに」といいたくなるくらい、ありがたいことです、ホンマ、ほんなこつ、感謝。

明日は能登から九州にもどる帰路につくので、輪島から帰る帰路にあるある「食堂」へ・・・
そこの主人は、81歳。40歳で早期退職をしてお店を開いた。
入り口がふたつ。左のほうの部屋から、笑い声が聞こえた。そこからでてくるお客さんは、みなクーラなどをもってでてくる。
駐車場の隅っこに車を止めようとすると、でてきたおばさまが「すぐでるから、ここにとめて」といって笑った。
車をとめて、その左の玄関から入ろうとすると、「入り口は右からどうぞ」といわれ、それにしたがう。
つまり、左が常連さん、右が一見さん・・・だ。べつに問題なし。。

一番人気が「かつ丼」で、850円。二番人気が「焼きめし」800円。同じくらい人気が能登が原点のオムライス850円。
ぼくが焼きめし、筆子さんがオムライスを注文した。能登の海でとれたワカメと、門前の上質な豆腐の味噌汁と、生ハムとレタス、トマトのサラダ
がついてこの価格。さすがに、40年も続く店だけに、たいへん美味しく仕上がっていた。となりの常連席の人が、足立ナンバーの車(ぼくたち)に
、「遠いところからわざわざありがとう」とか「この店は、みんなマイモン」といって、マイモン、これはこちらの方言といって笑った。
「大丈夫ですよ、ぼくらは能登4年生、マイモンが『うまいもん』くらいはわかります」と答えたら、また笑っておられた。「米寿になった」とか「あがった」(これは思い出のようにほろ苦い?)とか・・みんな人生の先輩たちだ・・・

女将さんが「お口にあいましたか?」といって、お膳を下げにきた。「味はわかりませんが、珈琲がつきます」といって、
白い磁器の珈琲カップに、ちゃんとした珈琲がでてきた。
珈琲つきでこの値段。
思わず「大変けっこうなオカゲンの珈琲です」と答えたら、隣の部屋のおばあちゃんたちが「いっこうにフカゲンですいません」と答える。

こんな不思議な「食堂」が、門前にある。「能登はやさしや土までも」というが、やはり「ひと」がやさしいのです。
こんな土地で、すこしづつではありますが、ぼくの「ほぼぶらじる」が静かに手ごたえを感じながら広がってきた。
タレーランには遠く及ばないけど、ぼくの「おいしい珈琲を淹れるコツ」は

のみ口 ひと口めが すっきり
人肌に さめても まったり
あと口 余韻が 一時間

五月の風が吹いたら、能登にイルカがくる

風薫る能登路を気持ちよく走ってきた。
空気がおいしい。先日のお昼、カウンターに若い女子がすわり、
蕎麦を手繰っていかれた。「能登おしの理由はなんですか?」と聞くので、
能登と東京の二股暮らし(世間ではデュアルライフとかいうらしい)の顛末を説明した。
「能登のどちらに?」と質問されたので「志賀(しか)ばい」と九州弁で返した。
志賀島とこの志賀はどうも根っこが繋がっていると思うっちゃん。
すると女子が「うちのおばあちゃん、志賀町に住んでいます」とのこと・・
たぶん、いつもタコ釣りにてくてく歩いていくエリアらしい。

そんな不思議な縁を感じながら、今朝は5時におきて、タコヤンをもって、いつもの海に歩く。
里山の木々には、巣食うように、薄紫色したシンクラメン、もとい萩が満開を迎えている。
縄文人は、萩が咲くと、イルカがやってくる、ということを知っていて、結(ゆい)で協力して
イルカを捕獲し、みなでわけ、イシリという魚醤で保存した。その「生き方」や「宗教観」や「食」
が今も日本人のDNAに残っている。

今朝は潮がひいていたので、海の底に、ナメコやサザエやあわびなどがよく見えた。
4年前までは、見えなかったけど、最近はタコが見えるようになってきた。
5分くらいして、岩場の小さな穴にタコの足を発見。そこにタコヤンを近づけたら、「眠いよ」
という感じで足ではらう。その足がタコヤンの針にひっかかり、水面まであがり、あと30cmで
あがる、というところでばれた。
それを見ていたタコすかしの名人じいちゃんが、「はらへってないタコやね」「それと産卵期で、食欲
よりアッチの欲のほうがかっとる時期なんや」・・といって、ブラックとかかれた缶珈琲を飲みながらカカっ
と笑った。数日前に、貞子さまに教わった「愛欲」といっしょ。タコも人間も・・・

沖からかえってきた漁師さんが、「そばのお礼」といって、グレとタイをくれた。
グレは、関西ではメジナ、九州では「クロ」といって、青黒い体につぶらな瞳の魚。
さっそく、ウロコをとって、三枚におろして、今朝は朝から高級魚が食卓にあがる。
炭火をおこしたので、塩焼きにしようと思う。ソテーにしても、クロは美味い。

朝飯が終わったら、炭火を七輪にうつして焙煎。明日、輪島と珠洲のお店に納品して、
次の朝、九州に向かう。