渋柿を収穫 渋柿は干し柿にすると、甘い柿より美味いね!

能登の家には、柿の木がある。甘柿。ここ志賀町は「ころ柿」で知られる。
毎日収穫して、ひとつふたつ食べる。
隣の家との間に、渋柿がある。熟した渋柿を食べると、
渋柿のほうが美味い。また熟していなくても、蔕(へた)を焼酎につけ、
入れ物に並べて、ビニールをかけの三密にすると、「これ渋柿?」
というベツモノの味になる。

昨日、となりのひとが「明日明後日と大雨になるので、今日渋柿を収穫して東京
にもって帰って」と、籠とはさみ(高い木の果実を挟んできる)を用意してくれた。
うちにも栗の木と柿の木の木があるので、収穫の籠とはさみは倉庫に入っているけど、
せっかくのご厚意なので、それを借りて収穫。
熟した柿は、縄文人のように、その場で立ち食い。立ち食い柿。

最近百姓を始めた友達から、無農薬の生姜が届いた。明日の朝、東京に
向けて出発するので、今日は筆子さんが「ガリ」を作っている。
「佐賀のがばいじいちゃん」が月に一度すし会をやってくれてからこっち、毎年つくっている。
じいちゃんが天国にいって3年。ときどき、すし会をやる時に使ったり、カレーをする時に、
福神漬けのかわりにガリを使ったりする。

お返しに能登で焙煎した「炭火珈琲」をおくったら電話がかかってきた。
「せっかくの炭火珈琲なので、石臼はないけど、セラミックのすり鉢と棒(そんなものが世の中にあること知らなんだ)
で豆を削って飲んだら、天真庵の珈琲より美味しかった」とのこと(笑)
能登の海べりで炭火焙煎をするようになって、確かに珈琲の味が格段に進化しているように思う。
「これからの珈琲時間」にぴったりの珈琲カップと、ドリッパー、サーバーの新作もできた、と久保さん
から電話がきた。
いいもんは、古いも新しいもない。これからの時代は、そんなホンモノが活躍する時代ではなかろうか・・

急遽、今晩三輪福さんがやってくる。お互いにスローライフをやるつもりで、能登で生活しているが、
彼女が考案したアイピローや不思議グッズが、時代を迎えたのか、思いのほか注文がきて、みな手作業でやっているので、
おっつかない。うれしい悲鳴ではありまするが、「これからどうする会議」を、タコ鍋でもつつきながら、やる予定。感謝。

夏から急に冬きたる?寒い!

一昨日、囲炉裏に炭を入れた。先週くる時は、タコの絵が描かれた半袖のTシャツ
ですんだのに、下着をふくむ3枚の長袖で、炭火と夜は石油ストーブもたき、遊穂の「あお」
とかの地酒を冷やして飲んでいたのを、竹葉の燗酒を鉄瓶の中に錫のチロリを浮かべて飲んだ。
能登の冬、とくに外浦といわれるぼくが住んでいる側の冬は厳しい。でもこんな晩酌のひと時の一献は、
人と比べる必要もない、唯一無二の「今ここ」の至福時間。

三輪福さんちのは、珪藻土の「かまど」が入った、とメールがきた。うちも土間で出番を待っている。
梅茶翁は昨年から薪ストーブが入り、薪割りを冬支度の必須な仕事にしている。あの火をみながら夜を過ごす、
という贅も、一度体験したい、と密かに思っているけど・・ハンディを反対に、長所にかえる。また楽しからずや!

よく冬に「三寒四温」(さんかんしおん)なんていう言い方をした。 冬に寒い日が3日続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように7日周期で寒暖が繰り返される現象・・・昔教科書にそんな風に書いてあったと思う。異常気象というのは、四季がなくなる、に限りなく近い現象のことをゆうらしいが、四季もなくなりつつあり、都会では季語らしき情緒的な移り変わりも少なくなりつつある。
まさか、四年ぶりの選挙に「季」を感ずる、なんてナンセンスだと思う。でも、大きな分水嶺みたいな選挙になりそ。

昨日も炭火で焙煎をした。海風が強くて、釣り用のジャンパーを着てやった。ハゼるまで、けっこう時間があるので、
右手で焙煎機のハンドル、左手で電話、陶芸家の久保さんと新作の珈琲カップ・ドリッパーなどの打ち合わせ、馬上ゆたかな美少年(田原坂のリズム・古い?)で、のんびり焙煎。珠洲の大野製炭所の切り炭と、備長炭を組み合わせてやってみた。陶芸家の仕事もそうだけど、「火」の扱い方が
作品(ぼくの場合は珈琲)の出来不出来を左右する。今日の夕方あたりから、雨になるみたい。
金沢のイタリアンから注文がきたので、これからまた、移動式の焙煎機を海まではこび、ガラガラと焙煎。
お客さんもガラガラ、いや誰もこないけど(今回は美人のジャズウーマンのみ)、けっこう忙しい毎日。

明日はひがな一日☔。ぶり起こしの稲妻がやってきそうだ。
明後日の朝、東京へ出発。充実した「二股暮らし」(世間ではデュアルライフ、なんてハイカラな言い方をするらしい)。感謝。

タコ鍋をつつく

ずっと、以前からジャズの国貞雅子が「能登で紹介したい女子がいる。すごくきれいな人」
と、酔うたびにあつく語っていた女(ひと)から電話があって、約束の時間に近くの
「棚田ビュースポット」で待ち合わせ。

「黒い車でくる」、とのことなので、こちらは「緑色のトレーナー」といって、約束の時間に
歩いていくと、すぐに黒い車がきたので、「これだ」と思って、手を振ったら、車ごと
すこしビビった感じが伝わってきた。恐る恐るでてきた人は、男で、こんな辺鄙なとこで
まるでソープで呼び込みにあったような気分?お互いに不思議な出会いに言葉を失ったけど
、「ヤセの断崖はまだ先ですか?」と問われたので、「まっつぐ、あと1キロいけば、右手に駐車場があります」
と答えた。「松本清張の『ゼロの焦点』読みました?」と余計なことをいったら、「大ファンで小倉の記念館にも
行きました」という。ソープ街の呼び込み出会いみたいなものにしては高尚な話になって、自分が小倉生まれであることや、
この先の集落に移住してきた話などをしていると・・

もう一台の黒い車がとまって、国貞がいうような、すごくきれいな
女性が運転席でちょこんと頭をさげた。初めてあったのに、アッシーよろしく、助手席に座って、
自分ちの駐車場まで「口ナビ」・・・
昨日は急に寒くなったので、置き囲炉裏をだし、先日調達してきた珠洲の大野炭点の炭をおこした。
銀座の隕石カフェより、また珈琲豆の注文がきていたので、午前中に炭火焙煎した「ほぼブラジル」を入れ、
あんこガレットを食べながら、暖炉風発、もとい、談論風発・・・
能登でジャズといえば、かかせない人なので、話が機関銃トークになって、陽が落ちるまでお互いにガンガン撃ちまくる
ごとくの囲炉裏端会議。

腹がへったので、囲炉裏に南部鉄鍋をおき、水と同量の酒(地酒の亀泉)を入れ、
朝釣った蛸、能登ネギ、エノキ、はるさめを入れ、かえし(甘醤油)と塩で味を
整えて、「タコ鍋」をつつきながら、第二部の「機関銃トーク」。
久しぶりに「無駄のない縁でむすばれた」ようなひとときを過ごす。

今日の真民さん

「出会い」

人生とは
真実一路の
道を行く
出逢いの
旅である

またたく
星よ
わたしの旅路を
守らせたまえ

本当の豊かさを。移住と、里山ライフのカルチャーマガジン

そんな雑誌が創刊された。「Soil mag」(ソイルマグ)。
創刊の特集は「耕す暮らし」の創りかた。自分らしく紡ぐ、農的暮らしと自給自足のヒント。

10年前の311で、「安全な暮らし」を求めて、地方に移住するムーブメントが大きく動いた。
九州でも能登でも、そのタイミングの移住人組があまたいる。そして、長引くシンコロ自粛生活のおかげで
地方で生活しようという動きが加速しているように思う。
時代がいろいろ大変化している時なので、「えいや!」で移住するのではなく、最初は週末援農とか
ベランダに野菜の種を蒔く、でもいいと思う。

今回の特集に「半農半X研究所」の塩見直紀さんも大きく紹介されている。
著者は「おおもと」の聖地・京都綾部生まれ。2003年、日経新聞に大きく紹介され、「半農半Xという生き方」
を著し、移住をめざす人たちのバイブルみたいになり、綾部への移住が増えた。
天真庵が押上に結ばれてすぐの時、塩見さんがひょこっとカウンターに座って蕎麦を手繰りながら談論風発したことがある。
まさか、彼に洗脳されたわけではないけど、能登と東京の二股暮らしが始まり、田んぼや畑で「耕す暮らし」
が始まった。ぼくにとってのXは、「蕎麦打ち」とか「炭火焙煎」とかなんかがあてはまる。
Xはなりわいをたてる職業ではない。名刺(職業)というより動詞(つなげたい)というイメージらしい。
ぼくの場合は「蛸を釣る」にあたるか。

昨日は土曜日。「働きかた改革」みたいな感じで、この集落の人たちは、伝馬船で釣りをしない、潜って漁をしない、
釣をしない日。玄界灘の地島(じのしま)の人たちが、海を汚さないように、合成洗剤を禁止しながら生活する、
と同じように「生き方」と「環境」を考慮した結果の取り決めだ。各地に広がればいい。能登の美しい海にふれあいながらもそう思う。
朝散歩していても、伝馬船の音はなく、かもめやイソヒヨドリや、ときどき雉(きじ)がガラガラ声をだしながら
羽を一生懸命ばたつかせながら飛ぶ音しかしない。神社にお参りをしようとゆっくり歩いていると、漁師が
自宅の柿の木から柿を2個もぎり、無言で一個「食え」みたいに手渡された。
ふたりで、柿を喰いながらの男の井戸端会議。
釣の話、畑の話、能登地震の話・・・。彼の舟には「なんやら丸」というのがペンキで
かかれている。漢字は違うけど、うちの筆子さんと同じ名前だ。
「奥さんの名前?」と聞くと「な~んも」(違う、という能登弁)という。小指をたてて「昔の・・?」
と聞くと、柿の種を飛ばしながら噴出した。横の畑で、奥さんも笑っている。

彼は今年70歳になった。畑をやり漁をする。「半農半漁」という能登に暮らす人たちの典型。
夜はガソリンスタンドでアルバイト。年金があるため、月に15万以上の収入があると税金が高くなるので、
ゆっくりとセルフのスタンドで、お店番(自販機に紙幣がつまる そんなことがときどきあるらしい)
をやって10万ほど稼ぐらしい。「たったの10万だけど、ここでは、これで二人の生活費がまかなえ、
孫の小遣いになったり、釣り具を買ったり、ときどきカラオケや趣味のボーリングにいったりして、年金には
一円も手をつけない」と笑っていた。

ときどき蛸釣りをやっていると、なんとか丸の上で「ちょっとまってろ」なんて声がかかる。
それは「大漁」のあかしだ。伝馬船を陸にあげる手伝いをすると、アオリイカだったり、ふくらぎやがんど
というブリの出生前の若魚なんかのお裾分けがあったりする。
3年前、移住し始めのころは「ゆたかだな」と思った。そして3年後の今でもより「ゆたかだな」
と思うようになった。時代の性もあるだろう。こちらの寄る年波の性でもあるだろう。
でも若い人たちほど「これから」を模索し、何かXを始める、そんな時代がきたかな、とも思う。
な~んもあせることはない。ゆっくりできることから始めればいい。

縁起のいい魚  福来る 冬近し・・

昨日は天気がいいし、移動式の焙煎機を海岸まで運び、炭火で焙煎をした。
(ネコという農業用の一輪車に、七輪をのせた世界初?の移動式焙煎機)
先月から、能登でも焙煎をするようになった。これまであまり考えてなかったけど、
生豆を洗う「水」が違うし、ミネラルたっぷりの能登の海の風が、珈琲の味に影響しないハズがない。
焙煎をしている本人の気分が一番ちがう、かもなんばん。「おいしい珈琲」の定義が根本から変わる。

途中、沖でアオリイカを釣っていた伝馬船にのった漁師さんたちが港に帰ってくる。
たぶん、この港で珈琲の焙煎香をはじめてのことだろうから、「珈琲焼いているんや」
なんていいながら、話かけてくる。
珈琲豆が天地いっぱいの力をかりて大きくハゼて、炭火焙煎の珈琲ができあがった時、思わず
拍手をいただいた。焙煎していて拍手をもらうのは、生まれてはじめてだ。

午前中いっぱい焙煎をし、家に帰ろうとしたら、ひとりの漁師さんが、魚をくれた。
東京では「イナダ」というブリの若もの。能登では「ふくらぎ」という。
福が来る、という縁起のいい魚。これから日本海の荒波にもまれて、がんど(一般にはわらさ)
になり、ぶり起こしという稲妻がくる冬に、立派なブリになる。
氷見の寒ブリは、有名。富山湾をかかえる能登の内浦でとれるブリも氷見と同じ環境のブリだ。
これから魚がますます美味しくなる。

夕餉は、朝まずめに釣ったタコの刺身と、ふくらぎを刺身にした。
久保さんの志野の四方皿に盛り付け、地酒の「遊穂」(羽咋の酒 UFOで町おこしをしたところで、この酒
もかけている)を飲む。「今宵はUFOが遊びにこないかな~」なんていう気分。感謝。

最高のアウトドアギア

先日、書いたように、最高のアウトドアギアは、七輪。
しかも珠洲の珪藻土でつくった「切り出しもの」は、最高峰にある。
先月七輪を買いにいった。よこで筆子さんが「そんなにいっぱい買ってどうする」
みたいな顔をしているのを、横眼ですかし、「これください」といって、買った(笑)
肉や魚の焼け具合も違うけど、小豆や珈琲豆などが、まめまめしく炊けたり、焼けたりする。
理屈ではわかっているけど、このめんどくさい、前近代的な暮らしで活躍していたものに、
目がいかない、というか、後ろ向きのエネルギーを感じるのだろうね。
そのくせ、焼き鳥屋さんを選ぶ時には、「備長炭で焼いています」みたいな看板に弱い、というところがあるのも
日本人?

先月、かたわらに「かまど」があった。「上にのせる釡がないから、なかなか売れない」と、お店の長老(ひょっとして社長)
がいった。ながさをを計って、合羽橋のいきつけの道具屋にいくと、ちょうどいい大きさの釡があったので、先にそれを
買って、昨日もちこんで大きさを確かめて、買った。
その後、梅茶翁へ・・

三輪福さんと、田んぼへいく。一応、刈り入れになることを想定して、長靴ももっていってけど、
来月あたりになりそうだ。「のむら暮らし」に動画でアップしている自分たちで開墾からやった田圃に
稲が元気に収穫の時を待つ。
「来月は収穫祭をやろう」と三輪福さんがいうので、車の中から「かまど」をだして、「梅茶翁でも
こんなかまどどう?」というやいなや、珪藻土やに電話をして、「一個抑えた」早業に「さすが」
と拍手をおくった。

アメリカでは、スーパーマンの俳優さんが、オカマだった、ということが賛否両論の話題になっている。
そちらのオカマより、今はお釜のほうが大事な課題。
東京のお店で、月曜日の「卵かけごはん」の日は、かまどごはんにしようか・・・???
骨董やで、いいものを見つけた時に似ている。「何に使う(もちろんごはんを炊くのだが)か、
はっきりきまっていないけど、今ここ、で買わないと、一生後悔しそうな」、そんな気がして
「かまど」を買った。

今朝は、気分よくいつもの道をてくてく歩いて、海へ・・
5分くらいで、大きな蛸をゲット。
かたわらで、タコすかしをしていた師匠がよってきて「うまなったな~ 今季一番でかいタコや」
と笑っていた。感謝。

能登暮らし 二日目 粗大ごみの日

今日は粗大ごみの日。
東京では、コンビニなどで粗大ごみ券を買い、然るべき日に粗大ごみお願い、
と連絡すると、その日に引き取りにきてくれる。
能登では、年に4回ほど「粗大ごみの日」がある。月に10日の能登暮らし。
なかなかその日にいないことが多く、実質年一二日の貴重な日。
倉庫の中に、前家主さんたちが、昭和時代に使っていた電気釜、ガス窯、保温釜、蠅防止の網
の張った小さな台所用品(昭和の時代どの家にもあった)、皮の旅行鞄(この集落の人たちは、船乗りさんが多い。)
などを指定のごみ置き場にもっていった。

家の中に広い納屋があり、その中に、いろいろな生活用品が納めれていた。
「古民家を買うと、掃除に3年」といわれるけど、なるほどそうだな、と実感する。
まだまだ家の中に、立派な箪笥などがいくつもある。東京なら、近所の若者たちに
「もしも使うならどうぞ」と声をかけるところだが、こちらではぼくらが一番若者。
「二階へは、葬式がある時、喪服をとりに上がるだけ」というような生活スタイルの人ばかりだ。
そうなる前に、こんどの(いつかわからんばってん)粗大ごみの日は、箪笥を運ぶ予定。予定は未定やけど・・

畑には、先月種を蒔いた鼠大根が葉をだした。先月は毎日が栗の収穫祭だったけど、今月は
栗の横にある柿の木に、たわわに柿が実をつけている。
徒然草にも、「日本の家は夏用に整えないといけない」みたいなことが、書かれてあるけど、
こちらは、夏はエアコンなしでも、生活ができる。どちらかといえば、これからの冬のほうが
準備に力が入る。囲炉裏に炭をおこし、傍らに石油ストーブ、東京のお店と同じようなスタイル
で能登でも冬の暖をとる。ひょんなことから、そのノウハウからビットがたち、今は炭火で焙煎する、
という「気が付けば時代の先端?」と思われる、縄文時代にさかのぼるような不思議なライフワーク
も始まった。

明日はまた珠洲に、炭とか七輪を調達にいく予定。
アウトドアが盛んで、「アウトドアギア」があれこれでているけど、
調理を外でするなら、能登の珪藻土の七輪、がいいよ・・横文字ブランドのギア(なんかきどったいいかたやね、ギア)
には、遠く及ばぬ実力派。
軽いし、使った後、すぐに冷めるので、車で運びやすい。
肉でも魚でも、遠赤効果で、焼け具合が家庭用のグリルとか電子レンジとは、似て非なる次元の
ものができるよ。ブランド肉でなく、そのへんのスーパーで買う肉が、ダンチの上等な肉に変身。

能登暮らし 一日目

日曜日。新しい車は間に合わず、日産の人が、白いセレナを代車に、と
もってきてくれた。南條先生の寒山拾得の屏風を九州の実家にもっていく時
にも、セレナで運んだことがあるので、OK牧場だ。
佐久平で仮眠。3列あるシートの真ん中を後ろに下げ、運転席の枕をとって、倒したら
けっこう並行になる。車中泊がはやっていて、この車の人気があるのがよくわかった。
「まくら」をとる、のがポイント・・・そこまでけっこう時間がかかったのやと思う。

いつものように「すしのや」ですしをつまんで、温泉にいく。新聞を読んでいて柳家小三治さん
の訃報を知る。彼こそ「まくらの小三治」といわれた名人。

池袋に住んでいるころ、毎週一二度のように目白にあった「ヨネクラボクシングジム」に通っていた。
明治通りをまっつぐ新宿のほうに歩く。池袋の雑踏を抜け、200mくらいいったところに、歩道橋がある。
小さな薬局の前を右折して、住宅街をてくてく歩いていくと、そこにジムがあった。山の手線の電車の窓
から、かわいいボクサーがグローブをした人形が飾ってあるのが見えた。柴田国明さん、ガッツ石松さんら
世界チャンピョンを5名。大山のすしや「いわもと」の岩本さんなど、日本チャンピオンもたくさん輩出した名門ジム。

ぼくは、練習が終わった後、同じ道を通って家に帰った。帰り道に、小さな喫茶店に立ち寄った。
ガチンコのボクサーたちには悪いが、ぼくは汗を流した後、その店の二人掛けのテーブルで「なんやら」(普段は黒ラベルが好きだが、その店にはそれしかなかった)いう小さなビンに入ったビールを飲むのがならわしだった。その店は、繁華街(目白・池袋)から少し離れているので、
いつもゆっくりできて、「こんな特別な場所、つまり家でも職場でもない、イドコロがあるから、東京はいいな」
と思う喫茶店だった。これまで誰にも紹介していない(笑)
たぶん、彼もそうだと思う。その店のカウンターには、よく小三治師匠がひとりでとまっておられ、お店のママさん
と談論風発しながら、おいしそうに珈琲を飲んでおられた。いつしか、その店であうと、頭をちょこんと下げ、
「まくら」がわりの挨拶をするようになった。もう20年も前の話だけど・・
何度か寄席や独演会で、名人芸を聞いたことがある。
最後にきいた「小言念仏」の、間、のうまさには、国宝を超えた技みたいなものを感じた。
あんな素敵な念仏を聞けたら、天国の人たちも寂しくあるまい。鎮魂。

渋谷区立松濤美術館にいったことありますか?

先日、おっさが蕎麦を手繰りにきた。
今話題になっているアニメの竜とそばかすの姫の主役の
中村佳穂さんのファッションを数々てがけ、人気のデザイナーになって、
押上から世田谷へ引っ越しの最中。たぶん、今日が天真庵でそばを手繰る最後
の日になりそうだ。まさに「引っ越しそば」。もっとも、彼はぼくのそばのお弟子さまで
あるので、世田谷に移ってもときどき蕎麦を打ちにくる予定ではある。

カウンターの中に、「松濤美術館 開館40周年記念 白井晟一入門」(第一部2021・10月23日~12月12日 二部2022・1・4~1・30)の特別招待状を発見し、「野村さん、やばいっすね。どうして特別招待券がくるのですか?」というので、
「竜とそばかすの姫の試写会のVIP席に座るおっさのほうが、やばいっすよ」と、返した。

世界的な建築家・白井晟一・・・あまりにも存在が大きすぎるのか、以外と日本人に知られていない。
そもそも、渋谷の松濤美術館そのものが、白井晟一翁が設計したものだ。
40年たって、今更、「入門」もないような気がするけど、せっかくコロナも沈静に向かって
いるし、「こんなすごい建築家が日本にいたのか」を思い知るような体験にもなると思うので、
ぜひ足を運んでほしい。

ちなみに、天真庵の片隅で、チクタクチクタクと時を刻んでいるボンボン時計は、白井晟一
が生前愛用していたものだ。カウンターの上のアンティークなガラスのランプシェードもしかり。。
ボンボン時計の横に飾ってある「生」は、白井さんの揮毫した書である。
ぼくは、毎日それを眺めながら、「生」そばを打ったり、「生豆」を洗って焙煎したり、花を「生」けたりしながら、
「生」かされている何かに感謝し、正直な人「生」をまっとうしよう・・・みたいなことを思いながら珈琲を飲んでいる。

昨日できた「新しい名刺」の裏に、「天真庵がめざす 炭火珈琲の味」
がのってある。それも、白井さんが生前、弟子である嫡男の白井昱磨(いくま)さんに
語ったものを参考にしてつくってみたものだ。いわゆるパクリ、である。
ぼくが、蕎麦の修行をした広島の「雪花山房」は、白井昱磨さんが設計。そのご縁でそばの神様、高橋翁の
もとで、そばの特訓をして、押上に「天真庵」を結んだ。「虚白庵」(白井晟一翁のアトリエ)で教わった
ことは、大事な宝もの。
特別招待のお礼に、今朝焙煎した炭火珈琲と新しい名刺を昱磨さんちに届ける予定。

明日から22日まで「能登暮らし」。

各地で地震・・・炭火を使えるようにせんとね!

金沢の某有名なイタリアンのシェフから「炭火珈琲」
の注文が入ったので、今朝は蕎麦打ちの後、炭をおこし
、焙煎をした。東京では、都市ガスがきているので、大きめ
のコンロに、火起こしをおき、そこに備長炭をいれれば、火がおきる。
少しづつ、「炭火珈琲」が優美に広がっていくみたい・・・
明日はその先鞭をつけてくれた銀座の「隕石カフェ」がテレビにでる。
また明日は朝から、炭火で珈琲を焙煎しなくてはいけない。うれしい悲鳴。
明日19時の「ナニコレ珍百景」という番組。

能登では、プロパンガスの契約をしていない(月10日、なので基本料金がもったいない。
もっとも、基本料金があるとは知らなんだ!)、ネコ(農業用の一輪車)の上に、七輪をおき、
そこにキャンプ用の安い炭をいれ、着火剤をつかって火をおこし、赤くなったら、その上に
備長炭をのせる・・・という作業になる。夏場は汗かくけど、どこでもいつでも焙煎ができて、この上なく
幸せ気分の珈琲時間。炭火を生活の中にいれる、というのは、
なんとなく縄文人になったみたいで、「素」にもどれるような感覚になる。

今朝はできあがった焙煎豆を、桶にいれ、外でチャフをとばしていたら、近所の経師屋のおっちゃんに
声かけられた。
「あいかわらず、いいコーシーの香りがするね」だって。
昔はこんな時にはすぐに「ハイ、日本語講座をはじめます。レッスンワン、ヒーの発音。しっかり口を横に開いて
ヒー・・どうぞ」みたいなこといって、からかっていた。さすがに口の悪い下町の職人も、
そんな遊びにつられると、日本語がでなくなっていた。
そのオヤジがスマホに変えたころよく冗談で

「お昼にかあちゃんに、これから帰るのでシルメシ(昼飯)頼む、と入力しようとしても、
うまくいなかんだよ」とか
「せっかく、親からつけてもれったのにおれの名前の「しろし(宏司)、ってでないんだよ」
なんていいながら、周りを笑わせていたのも、今は昔。すっかり年寄りになった。

自転車が、電動になったオヤジが別れ際に、「いっかい、能登の家に遊びにいきてーな。シロイ家だってね」
とのたまう。
IT業界にもうすこしい続けて、成金にでもなっていたら、東京の高級住宅地に、白い家を
建てていたかもなんばんだけど、今のところそんな金も趣味も持ち合わせていない。
今日明日は16時まで。それから「蕎麦打ち道場」
明後日から22日まで「能登」。