いけいけGOGO みんな煽てられ天まで上る?

なんかよくわからないけど、GOTOシリーズが目白押上で、人がヤケクソ?になったように、
旅行や飲食店や商店街に繰り出しているみたいだ。引きこもるときは、みんな一斉にフジツボみたいに殻
に入ってしまい、「いけいけ」と号令がかかると、猫も杓子もイケイケGOGO、まるで集団自殺する動物たちみたい・・・自分も
そんな在日日本人の端くれに属しているけど、なんやら、複雑な気分がする。
どちらかといえば、今は、じっとひとりでいる時間のほうが、よい時間。

今日は日曜日なので16時まで それから3人が蕎麦打ち道場にやってくる。

今日の朝日新聞の「折々のことば」は、詩人の茨木のり子さんの言葉が紹介されている。

「ひとりは賑(にぎ)やか」

ひとりでいるとき
淋しいやつが
二人よったら
なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと
堕落だな   (茨木のり子)

至福の「孤独」を凛とした気分で詠っておられる。さすが。

茨木さんの詩で一番好きなんは・・・・なんといってもこれ。さきの戦争で
青春の真っ只中にいた彼女の心境が、赤裸々につづられている。どんな時代にあっても、
自分を大切にした女性。みんなそんな「きれいだった」とか「幸せだった」とかいう時間がきっとあるのだろう、と信じたい。

「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆 発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

東京暮らし 一日目

能登にいても、東京にいても、朝散歩するのが日常茶飯のはじまり。
能登では、釣り竿2本(一本はタコ専用 もう一本は大物?ねらい)をもって、海
までの道すがら、神社に寄ったり、畑仕事しているおばあちゃんと話したり、里山の中を
季節の草木花をみつけにブラブラしながら小一時間。最近の石川は「くま」が多く、
今年は500件近い目撃情報があったり、「こんなところに」という身近な場所で遭遇
したりして、新聞やテレビのニュースに頻繁に登場する。能登にはまだ旅してこないが、
時間の問題のような気がする。くまった、という前に、「腹減ってるんやろな」と思う。
こんな環境を破壊しているのは、なにをおいてもわれわれ「人間」のせいだくまもん。
でも、渡り鳥をはじめ、きじやモズやいろんな鳥たちの姿をバードウォッチングしながらのウォーキング。

東京の一日目。仕込みがやまんごた(たくさん)あるばってん、まず香取さまにお参りして、
おかまのMくんへ、うちでとれた柿をポスティングして、休み中にお店の植物の水やり係を
担当してくれる文庫ちゃんところへ、能登の野菜とか、こんかずけ(能登の発酵文化さかな)
をもっていったりした。それから、自分も「燻(いぶ)し人」になるくらい珈琲豆を焙煎し、
お蕎麦の出汁をとったり・・・ひとつひとつをこなしていくと、陽がくれた。
能登で一時間散歩しても、お店は「中根酒店」一軒だけで、お酒や6Pチーズや、ときどきお菓子とか、を買ったり、
昔の「よろずや」みたいなところで重宝している。それにひきかえ、うらぶれた十間橋通り商店街
だけど、アコレはあるし、オリンピックもあるし、駅までいけば、スカイツリーの中にも、いろんなお店が
ある。「こんなにあってどうする」感も否めないけど、都会という場所は、便利で、お金が適当にあれば
なんでも手に入るところだ。いったり来たりしていると、タイムマシンにのった気分を味わえる。
そろそろ冬支度。炭を注文したり、ペレットの用意をする季節。ウナ帽も、能登からもってきた。
来月は能登特産の「珪藻土の七輪」をもってこようと思う。おもち、魚、肉・・・遠赤効果で、ベツモノの味になる。

今日の真民さん。

「冬」

冬が近づいてくる
わたしの生まれた季節が
一葉一葉を落として
近づいてくる
わたしも雑念を
一つ一つ落として
白の世界に入っていこう

能登の秘湯

昨日は、能登島の「みず」で、カキフライ定食を食べた。
焼き魚定食が700円で、カキフライ定食が1000円。
「定食」を注文すると、ごはん、と味噌汁と、小皿3皿
を選んでセルフサービスで席につく。おなかがすいていると、その三皿で
ごはん一杯が空になる。だいたいいつもは、ブリのカマ焼き、とか、さばの塩焼き(日本海のさばは美味い)
を食べる。ブリはもう少し寒くなったほうが美味いので、昨日はカキフライ定食にした。カキのフライが10個
くらい(数えてない)ついてくる。同じスタイルで、毎日「サービス定食」があり、昨日は「さば味噌煮」になって
いて、500円。このお店のおばあちゃんが、千寿荘という民宿をやっている。そこの「水」は、全国に名前が知れ渡っている。
その「水」に感謝して、お店の名前が「水」。

いつもは、それから橋を渡り、加賀屋の大きなビルのような本館の横の「総湯」という共同風呂に入って、東京に向かう、
といういつもの道と違う道を選び、湯川温泉「龍王閣」にいって600円で、自噴源泉かけ流しの能登の秘湯を満喫した。
泉湯46度で、「加温・加水なし、もちろん塩素殺菌もなし。」(この条件を満たす温泉が、日本にはほとんど残っていない)
四捨五入したら、齢80になるご夫婦が、切り盛りして48年。頭が下がる。
「いいお湯でした」と頭を下げて、一階の部屋の名前がかいた看板を見ると、「無限 愛の部屋」・・そんな部屋名だった。
「いい名前ですね」というと、女将が「この温泉をつくる時に尽力してくれた母が、開店を目の前にして他界したので、
父がその時の思いをこめて、そうつけました」とこと。思わず合掌。

表には「ありがとうございます」という大きな看板。駐車場には「一夜で泊が二夜となる 天下の名湯」という看板。
車に乗ると、大学時代の友人からショートメールがきていて、「存命かどうかブログをのぞくと、まだ更新しているので、
生きていることを確認。また飲もう」と。大学時代に「英米文学研究会」でいっしょにDHロレンス(ドエッチ・ロレンス)を勉強
したIからだ。今は大きな商社の取り締まられ役。
思えば、一回生の夏の合宿が能登だった。卒業(ぼくは中退)前に、ふたりで金沢・能登をまわろうと計画し、
一泊目の金沢の香林坊で飲みすぎて、金がなくなり、次の日に京都にもどったことを思い出した。
「二夜の予定が、酒で一夜となる」。あのころは、まだこういった詫びた世界を逍遥していなかった。おわり。

「能登」が10周年。

「能登」そんな季刊誌がある。地元の小さな出版社がやっているのだが、
今回は10周年記念号で「移住・定住スペシャルⅡ」だった。
表紙に、焼き締めの徳利に、薄(すすき)など秋の草が自然にいけてある写真。(京都桜田で修行
した料理人が能登で日本料理やを7月につくった。「一本杉」というお店。その彼の料理と生け花がのった)
昨年の夏に「いち」があった。その時の表紙は、蕎麦のお弟子様で、梅茶翁
の「しんごちゃん」のかき氷だった。

梅茶翁は、古民家を改装し、3年かかりで自作しているペチカにこの秋、火入れができた。
冬が楽しみだ。

2016年に東京から能登に移住して、イタリア料理店「ヴィラ デラ パーチェ」をやっている平田さん
が、海が見える元海の家を改装して、新しいレストランももうすぐ開店する。くだんの「日本料理屋」も、
海の家のイタリアンも、ひとり2万円くらいの予算。料理の素材や器の設えからいって、「そんなもの」
だと思うし、それに景色や空気などをいれると、「安い」かもしれない、けど、なんといっても「シンコロ時代」
がどう左右するか、などと思うとひとごとではない。でも「唯一無二」の世界を歩む時は、自分を信じて
すすむしかない。どうぞ、能登に旅することがあったら、「梅茶翁」「一本杉」「ヴィラ デラ パーチェ」

今後ますます、移住をしたり、そこにお店をつくって、定住したりのトレンドが大きくなってくると思う。
一番大事なのは、都会と同じく、いやそれ以上に「人間関係」が、大きくハバをきかせてくる。
「人間力」を磨く、というのは、スポーツジムに通ったり、カルチャーセンターで身につくようなものでは
ないばってん、毎日毎日を、出会う人たちに感謝しながら、通っていくことしかないのではないかしらん。
こちらは、還暦を過ぎて、新しい土地にきて、新しいことをやっているロートルだけれども、まだまだ
毎日毎日「知らんかった」というモノやコトと邂逅しながら、青春の真っ只中にいるような錯覚をしている今日このごろ。感謝。
これから東京。

♪東京でベコ買うだ~

吉幾三の歌にそんなのがあった。

昨日は、富来(とぎ)にある「花よし」という焼き肉屋でランチ。
いつも能登の家にいく前、近くの「A-coop」でタコヤキを買ってかえり、
ついたその日は、「即飲み」するのがならわしになった。
今回は、自分でタコを釣り、それをタコ焼きにする、を目標にしていたので、
たこ焼き屋では「タイ焼き」を買って車の中で食べた。

最近、蕎麦打ちのお弟子さまが、ぞくぞくと入門されてくる。その中の一人が、
能登ゆかりの深いお方で、両親が能登、という奇特な人だ。
先月、そば打ちの後に「おばさんが、富来領家町にある「花よし」をやっている」
という話を聞いて、無駄のない縁を感じていってみた。娘さん、つまり
お弟子様の従弟さんが、接客担当。テキパキしていて、気持ちがいい。

いろいろ話が盛り上がって、帰りに「イギス」という海藻やら、冬にかかせない「鍋味噌?」(味噌仕立てにする鍋の味噌)などを
土産にもらった。突然、能登に親戚ができた感じ。今朝、いつものように隣の港町で、漁師さんたちと四方山話をしていた。
「TOGISO」(富来荘)が、新聞やテレビで紹介されたので、みんな楽しみにしておられる。その話のついでに、「花よし」
の話題になったら・・ひとりが「娘のMちゃんかわいいよね」ということになった。
こんどいったら「Mちゃん」と呼んでみよう(笑)花よしの前には、「べっこ」という名前の焼き肉屋と、民宿を
近くでやっていたらしい。♪東京でベコ飼うだ~  能登では牛のことを「べっこ」という。能登牛は最高に美味いベッコだ。

明日から、そばのお弟子さま家族が能登に旅行にこられる。来月は「梅の剪定」もあるし、いろんな人がやってくる。
いろいろ楽しみだ。明日、柿を収穫したら、車につんで東京にかえる。
桜切るばか、梅切らぬばか・・・・実のなる木は剪定すると元気になる。柿も昨年剪定したので元気に実った。感謝。

ホボブラジルの原点・・?

今日は海が凪いでいる。
6時に有線で「さざえさん」が流れる。まだ薄暗い。
昨日の夕方、釣ったタコでタコヤキをつくった。
東京のお店の近くのオリンピックというお店で、イワタニの
コンロとタコ焼き器を買っていたので、はじめてつかった。一家に一台あると、楽しくなるよ。
タコヤキには、なぜだかハイボールが似合う?

今朝はあまったタコで、「たこくりご飯」を仕込み(こちらでは、カセットコンロと土鍋を使う)、
いつものように、釣りにでかけた。能登の秋は、渡り鳥たちがあまたやってくる。ツグミ、マヒワ、シメ、ウソ・・・
港に大きな漁船を修理しているじいちゃんがいた。船のことは、門外漢だが、どうみても
じいちゃんひとりの力では、うんともすんとも、微動だにしない様子。「ぼくにできることあれば、力かしましょうか?」
というと、「まだ若いもんの世話にはなりたくない」と、頑固な返事が返ってきた。
しばらく見ていたけど、やっぱりひとりでは、どうしようもないので、少しかせいをして、船を動かした。

このじいちゃんとは、何度か会話したことがある。昭和18年生まれてこのかた、この能登から離れていないので、
彼の能登弁は、2割くらいも理解できない。
向うも氣を使って、そんな時は「おれは年金がたくさん入ってきて、何百億もあって使いきれない」とか、「昔は
女にもててしかたなかった」などといって、抜けた前歯を見せながら笑う。

今日は、「お孫さんは・・?」というぼくの質問から、明後日の方向に話が飛んだ。
ぼく「お孫さんは?」と聞くと、おじいちゃん「金沢に結婚した娘がいるけど、ベベせんもんで、孫ができん」
とのこと。ここで「ベベ?」とか聞くと、じいちゃんの血圧があがったり、入れ歯が抜けたりしそうなので、
「ふーん」といって、あいまいな相槌を打った。
北前船で、文化や言葉が交差した日本海。神社の名前や、土地名などが、九州と同じようなものが多い。
「ベベ」・・・九州では「ボボ」にあたる。
昔、黒人プロレスラーで、ココナッツパッド(頭突き)の強いプロレスラーがいた。「ボボ・ブラジル」。
タモリがネタにしていたけど、その当時の九州の西日本スポーツ新聞には、放送コードにひっかかるので
「ポポ・ブラジル」と表記した、とか?。天真庵のブレンドの「ホボ・ブラジル」も、そんな流れからできた名前。

それはそれとしておいといて、先日、福岡の妹から電話。「昨日、王子さんが、マツコの番組にでとったバイ」とのこと。
先月、フジテレビで放映されたものが、テレビ西日本で再放映されたのだと思う。
能登は、渡り鳥たちの玄関であり、北前船で、九州と北海道の往路で栄えた土地。
最近は「UFOで町おこし」に成功している。次の「黒船」は、アメリカではなく、宇宙からこの能登に
やってくる、と、信じてやまない人たちが生きているとこ。

能登暮らし6日目

昨日は、釣りと畑仕事をした後、近くの日帰り温泉「じんのびの湯」にいく。
日本海に沈む夕陽がきれいで、ビュースポット?みたいな名前の宿泊施設もあり、
そこにある「雪割草」は、魚料理や能登牛がうまい。
ワインのお店も敷地内にあり、なかなか人気のスポットだ。
そこから能登の家までの海岸は、「千年旅人」(辻仁成)の映画のロケ地やった。
不思議な物語だが、あの世とこの世が、表裏一体の地、という点では稀有な場所だ。

家に帰って、さて何をつくって食べるか?なんて思っていたら、ご近所さまが
「シオが釣れたんで食べて」、ともってきてくれた。「塩?」
と思っていたら、ちゃんと半身を捌いて、しかも刺身になっていて、大根とみょうがのツマつき。
「カンパチの若魚のことを、このへんではシオいうの」とのこと。
ブリの若魚が「がんど」。カンパチの若魚が「しお」。日本海を全力で泳いでいただけの若さが刺身
の弾力にでていて、釣ったつぎの日あたりが食べごろということだったが、「そく飲み」のつまみに
して完食。「竹葉」もすぐに空になった。

今朝は、能登らしくどんより曇り。こんな日はタコフェスタの日。「たこやん」(タコ釣りの疑似餌)を用意し、
テクテク20分ほど歩いて、隣の港町へ。
能登の伝統的なタコ漁の「タコスカシ」の名人じいちゃんが先客で、すこし距離をおいてタコヤンをズル引きしながら
、30分くらいで2はいのタコを釣った。名人のおじいちゃんは、3はい。テトラポットを二本の竿もって渡り歩く身体能力
にはびっくりした。どう見ても70歳くらいに見えるのだが・・・  軽トラにのって帰る瞬間に、「おいくつですか?」
と聞くと「当年とって80歳」とのこと。釣りキチ三平のモデルになった「名人」が能登にいるらしいが、港港に
名人がいるような気がする。♪タコタコ・・タコの足・・・

我が家の栗の木の栗を、留守中に畑のおとなりさんが収穫して、もってきてくれた。
「くりごはん」と「タコめし」をいっしょに炊いて、お返ししたいと思う。(タコをゆでた汁で、タコと栗をいっしょに土鍋で炊くと、最高)
6日能登で暮らしているが、まだ買い出しにいっていない。使ったお金が、ほぼぜろ。(昨日の温泉代が500円・・)

能登くらし5日目

今朝の海は凪いでいる。おじいちゃんたちは伝馬船ににのって、アオリイカ
を狙いにいく。5時半くらいになると、港にある舟はほぼ空っぽ。
ほんとうに、みんな海が好きだ。

ぼくは、港の端っこにある岩場から、ルアーを投げて、ヒラメを狙う。
ヒラメは、海の底におられるので、沈むタイプのルアーにする。そうすると、
砂場だと大丈夫だが、この近辺の海は、ヤセの断崖や義経の隠し舟のように、断崖や岩
が多い場所。根がかりが多くて苦戦する。
「餌釣りにすると、アイナメやカサゴが釣れそう・・」そんな弱気な気分になるけど、
今年来年は、やはりルアーで、タコ・イカ・ヒラメを釣る名人になろうと思う。

しばらく岸壁で海を見ていたじいちゃんと挨拶。
じいちゃん「なんか釣れたね?」ぼく「今日はダメでした」
じいちゃん「わしは、若いころ舟でケープタウンあたりにもいってた。(うちの集落は船乗りさんが多い)
今年85歳になり、そろそろ舟を誰かにやろうと思う。いる?」
ぼく「ぼくは、オカズリ専門でいこうと思ってます」というと・・・笑いながら「そのほうがおもしろいな~」と。
最近「オカズリ」というのも、死語になってきた。狩り、も、釣りもしない「男子」ばかりが娑婆を闊歩しておられる。
還暦を過ぎると、モテキを卒業するので、釣り以上に、いろいろ工夫と努力をしないと、オカでは何も釣れないけど・・

近くの赤崎という小さな港町に「TOGISO」という「能登体験型の民宿」ができた。そこの主人は東京の天真庵に、ときどき
蕎麦を手繰りにこられていた。先月は、オープニングに「花火」をあげたらしい。地元の北國新聞に大きく紹介された。
今日も取材をうけるらしい。「都会の人たちに、能登暮らしのすばらしさを紹介したい」という、同じ志を持つ。
来年あたりから、いろいろジョイントしながら、発信力を倍音にしたいと思っている。

能登くらし4日目

先日、能登町の「梅茶翁」にいってきた。
3年かけてつくった自作の「ペチカ」ができあがり、火入れ式をやり、
毎日試運転中。19歳のミニチュアダックスの「いっち」(市松)も、先月交通事故
にあったけど、奇跡的な回復。きっと30歳まで生きられる。
昨年は、薪ストーブが入り、今年はペチカ。来月は梅の剪定。
田舎くらしは、できるだけ、できることは自分でする。畑仕事、家の修理や片づけ、山菜とりや
魚や海藻も自分でゲット・・・縄文時代に近づくほど、自然に寄り添い、神に畏敬の気持ちが自噴し、
「ゆたかさ」や「ありがたさ」が、教えられなくても、強要されなくてもわかる。それが本来の教養?

梅茶翁にいく時は、珠洲にいって、まわり道をしていく、のがならわしになった。
まず「塩屋」さんに立ち寄る。先月「にがり」をいただいたので、おかえしに「珈琲豆」をもっていった。
じいちゃんは、たばこと珈琲とジャズが大好きなモボ(モダンボーイ)。
にっこりご機嫌で「モシオ、をつくったんで、そばにかけて試食して・・」といって、少し茶色になった藻塩を
くれた。能登では、砂浜に塩をまいて、それを鉄の釜でなんども煮詰めて塩をつくる。「揚げ浜式」
という。昔朝ドラの「まれ」で、紹介された古式の塩田法。その時代の前に、海藻(ホンダワラ等)を乾燥させ、その上に
海水をまき、それを煮詰めて塩をつったものが「藻塩」である。このじいちゃんと四方山話をしていると、
お互いが「機関銃トーク」になって、きりがない。いつも横で筆子さんが、足やら手やらでぼくの足をこずいたり
して、おいとまの間をつくるのに、苦労する。

昨日は、先月蒔いた辛味大根を間引き。まびきした大根は、赤ちゃんのチンチンより小さいけど、葉っぱと
いっしょに刻んで、朝の味噌汁に。味噌汁の出汁は、前日いただいたタコを煮た汁。この汁で、
いもやじゃがいもを炊いたんのが、能登の郷土料理。「たこいも」という。
「よばれ」という秋の行事には、かかせない風物詩の味だ。「能登はやさしさ土までも」
という言葉の神髄が、五臓六腑に染みわたる滋味でもある。

夜は、アオリイカのパスタをつくった。アンチョビがわりに、漁師にいただいた「こんか漬け」(糠で青魚をつけたもの。能登の伝統発酵食)
を小さく刻んで入れると、能登ワインのなくなるスピードが加速した。

今日は土曜日なので、この界隈の海は、釣りも舟も海にでるのは中止デー。小さな港町だが、地球の環境のことを
ちゃんと考えながら、「能登で生きる」をやっておられる。
昨日収穫した「さつまいも」で大学イモでも作ろうか、などと考えている。
井原西鶴もかく語りき、 「女の好むもの、芝居(しばい)浄瑠璃(じょうるり) 芋(いも)蛸(たこ)南瓜(なんきん)」。感謝。

うんこくさい ぱーと2

うんこくさい(野人・上口愚朗)、を書いた本に「嗤う茶碗」(淡交社)がある。
日本一のテーラーを卒業して、陶芸家になっただけの「こだわり」が、古陶の研究
にも注ぎ込まれ、当時の陶芸界やマスコミに、なかばヤケクソぎみに投稿した論文が
紹介されているが、あながちクソミソではない、「裏もまた真なり」のことが書かれているように思う。
さすが「ウンコ哲学」を徹頭徹尾、貫かれた人だ。

捨ててしまえばみな糞袋・・・・そんな名言もあった・・なるほどと唸る!

田舎のほうは、「粗大ごみ」の整理に苦労する。「古民家を買うと、かたずけに3年かかる」という名言もある。
けだし名言だと、先日、座卓3つをゴミ捨て場にもっていって痛感した。集落の人たちも、「同じようなもの」
(箪笥・座卓・椅子・ちゃぶ台・・・)などに、200円の「粗大ごみシール」をはってだしていた。
人形ケースを捨てにきたおじいちゃんが「うちの二階にも、テーブルなどがいくつもあるけど、最近は
二階にもあがらん。ときどき葬式があると礼服をとりにあがるくらいや」とのこと。他人事ではない、とうなずく。
断捨離、というよりも、「捨てるようなものは買わない」とつくづく思う。

ごみ捨てが終わって家に帰ったら、近所のおばさんが「これ釣れたんで」と、カワハギを5匹もってきてくれた。高級魚にギョッ!
そこのご主人は漁師で、ときどき海が見えるベンチで四方山話をする。彼のカワハギ漁は、伝統的なもので、
「生きたクラゲ」を餌にして、竹で組んだ大きな籠みたいなものを舟からおろし、ころを見て、その籠をあげると、
うまくいくと、大漁のカワハギ祭りが催されるごとし、という話を聞いた。昨日は、お祭り(本来、釣りでオマツリ、というと、隣の
人と釣り糸がもつれることをいうけど・・)だったのだ。

さっそく、まないたのカワハギをさばく。口のところと、トゲのような背びれを、出刃包丁で落とす。
すると名前のように、カワハギがスムーズにできる。大きいのは、少し力がいるが。頭の先を出刃のかかとで
チョンと落とし、頭を手で折るようにすると、キモつきの内臓がでてくる。気持ち悪いことを、バカモノ
たちは「キモイ」とかいうけど、カワハギのキモは、美味い。
久保さんの斑唐津の盃にキモを入れ、皮をはいだ下の皮も包丁でとる。それを湯引きすると、フグにも負けない珍味が味わえる。
刺身をタコ引き包丁でうすく切り、織部の四方皿にのせ、かえしを豆皿に落とし、キモをまぜながら刺身をいただく。筆舌を超えた能登の味。

余談だが、能登の漁師はカワハギのことを「バクチ」という。
博打、つまり、賭け事で身包みはがれるようなことを揶揄したようなあだ名ではあるが、
「板子(いたご)一枚下は地獄」の命がけの漁師ならではの命名やな、と痛感した。
シンコロで、国の財政も、金融政策や、企業といわず、サラリーマンも、家計を預かる主婦も、
これからの未来のほうが多い子供たちも、ある意味、一歩間違えば「カワハギ」の運命に
なるような時代がやってきている。
「大丈夫、絶対死ぬまで生きられる」  絵描きの生井さんの言葉を反芻しながら、花垣を飲む。感謝。