シエアハウスよりお世話しあうハウス

先々月、還暦をすぎて、生まれてはじめて「ゲストハウス初体験」をした。
漆職人の街、輪島に「輪島カブーレ」という、漆にもかぶれないようなモダンな街つくり(空き家利用ですが)が行われ、
二段ベットのゲストハウス「うめのや」に3500円で泊まり、入浴券を
受付でいただき、温泉施設までゲタはいて、そぞろ歩き、温泉で都会の疲れを流し、併設する「そばや」で、
能登の地酒で「そば前」を飲(や)り、「連」という人気の居酒屋にいって梯子酒を飲み、千鳥足で
やどまで歩く。潮風がさわやかで、「能登で生きてる」と実感した。酔って、朝おきたら、酔い覚ましに散歩
しながら「朝市」も楽しめる。

今月は、大学時代の親友夫妻が能登にこられる。ぼくの「卒論」を代筆してくれた恩人。
それでも単位が足らず、6年在籍して横からしか卒業できなんだばってん。
「ひさしぶりだから、輪島カブーレでもいって、朝まで飲もう」と提案したけど、「二段ベッド」
に少し抵抗があるようで、地元の「湖月館」をすすめ、そこに泊まることになった。
ぼくらは、夕餉を一緒にする約束をした。昔から文人墨客が愛した宿で、酒を飲んでいるだけで、
エッセーや小説がかけるような気分になる宿だ。ぼくが能登を旅するなら、ここを定宿にするな。

もう一組、若い女子ふたりが能登にやってくる。彼女たちは、新しくできた古民家民泊「結舎」
に泊まるらしい。ぼくもこの宿には興味があって、近々泊まりにいこうと思っている。
うちの近所に「TOGISO」という民泊もある。3代目になる「お世話係」は、埼玉から移住した若いご夫婦プラス
一歳のなんやらちゃん。先月散歩がてら挨拶にいった。赤崎という、なんともいえない風情の港町にあって、
「能登の里海まるごといただきま~す」といった宿だ。希望者には、釣り具も用意されている。

昨日は近所の「お世話しあうハウス」のママさんが、夕方珈琲を飲みにきた。
座るやいなや「財布わすれた」といって、席を立とうとしたので「キャッシュレスは時代の先端ですね、うちはペイペイ
もいりません。顔みしりの常連さんはいつも「ヨカヨカ」システムですけん」といったら安心されて、珈琲を
飲んでかえっていかれた。
「こないだの、死なせてしまったここの常連さんが、マンションに挨拶にきましたよ。マスターが連絡したんでしょ?」
という。ぼくと同じ年で、独身で、お世話しあうハウスの元女子たちに人気があったけど、引っ越しされて、
「きっと死んだんだわ」とばあちゃんたちの話題になってた人の話。
「いえ、連絡してませんよ」と答えた。きっと、ぼくのブログを読んだのだろう。

もうひとり、近くのカフェの店主で「珪藻土焙煎器UFO、今なら1万円。」の人も、昨日卵かけごはんにきて、
完食した後、「UFOください」といって、一万円で買っていかれた。
きっとブログを読んだのだろう。

喫茶店のマスターといえども、「世界の中で仕事をしている」といういい感覚をもった青年だ、と
ヨイショしておこう。

でも、ほんとうに、どんな仕事も、「世界」を相手にしなけりゃ、生き残れらいね。
珈琲豆というのは、戦争の足音が聞こえたり、地球の環境が
変わってしまったら、ありえないものだ。

雨露が凌げる居場所があり、粗食でもおまんまが食え、ボロでも纏う服があり、
戦争にまきこまれず、すきなことができる・・・・そんなささやかな毎日が「幸せ」だとつくづく思う今日このごろ。
やっぱり「健康」が土台になるけど。感謝。

一楽、二萩、三唐津

昨日は、近くのシェアハウスに住む若い女子ふたりが、「引っ越します」
という挨拶にこられた。Z世代の若い子たち。
界隈は「木蜜地帯」とかいう、聞きなれない地域で、さきの戦争で空襲を
のがれた長屋などが残っていて、路地に今の救急車などが入れないところがあまたあって
「30年以内に8割の確率」という分かったようなわからない予測の大地震の時に、危うい
地域として、そんな不名誉な名前がついている。その下町の木蜜地帯も、オリンピックの影響で
だいぶ様変わりしてきた。

あまり意義がわからないままオリンピックが行われ、袖の下の腋臭みたいなキナ臭い話がプンプンする
話だけが最近よく新聞やテレビでさわがれるようになった。
それとは、少し違うけど、同じような匂いがする悪臭の中、不動産ラッシュが続いていて、木蜜地帯にも、
長屋を取り壊し、新しい住宅やマンションなどが、雨後のタケノコのように、立ち始めた。

そんな中で、逆のトレンドとして、古い建物を改装(なんでも、リノベーション、とかいうかゆくなるような言葉を使うのが
長い流行だけど・・・)して、シェアハウスやカフェなどにするのも、目立つようになった。
彼女たちは、そんな流れで、古い長屋を改装した新しいシェアハウスに住んでいた。
なにごとも「シェア」できる世代。「持つ」という概念が少ないのが特徴だ。

昔から、職を辞したり、就職口が見つからない人たちが「とりあえず、喫茶店でもやるか」という「喫茶店」が
「カフェ」に置き換わっているだけのような気もするけど・・・そして、「喫茶店」の経営というのは、昔から
そんなに簡単なことではない。

昔は「会社の寿命は30年」という説があった。平成以降は、会社法がかわって、設立しやすくなったことも
あるけど、会社の平均寿命は「5年以下」らしい。
個人経営のカフェや居酒屋は、たぶん「3年以下」ではなかろうか・・?一年もたない店も5割以上あるのでは・・

今回、「珪藻土焙煎器 UFO」ができて、近所のカフェの人たちも、習いにくるようになった。
焙煎した豆を買う、のと、自分で焙煎する、のでは、原価が天と地ほど違う。これから、もろもろの
材料費や原料代などが、高騰することが予想されるので、そうしたほがいいと思う。
お店といわず、個人の人も、家にいる時間が多く、「おーいお茶」といえば、お茶がでてくる時代でもなし、
自分でインスタントコーヒーや、缶コーヒーを飲むよりも、朝いちばんの仕事を「焙煎」にしたら、
人生の色合い、というか香りがかわってくるのではないかしらん・・
10月は、そんなIT業界のサラリーマンさんたちが「焙煎塾」に入門してくる。なるべく「一日コース」
で、卒業していってほしいものだ。

話は飛躍するが、マクドナルドの創業者のレイ・クロックがマクロナルド兄弟にあって、「このハンバーガーを
どこでも食べれるようにしよう」と決心したのが52歳の時。ケンタッキー・フライドチキンのカーネルサンダー
さんが、創業したのは、還暦を過ぎてからだ。
ようするに、「こころざし」が、しっかりしていて、「継続は力なり」を信じて、自分の道を歩く人には、
年齢は不問である、ということだ。
とくに、今みたいに、時代がうねっているような時代は、チャンスだと思う。

そんな話をしながら、ふたりの女子の引っ越し祝いに久保さんの「皮くじらの珈琲椀」をさしあげた。
昔から茶人たちの好みの順に、「一楽(楽茶碗)、二萩(萩焼き)、三唐津(唐津の中でも、皮くじらが好まれた)」
とかいわれた。ラク、ハギが二文字で、カラツが三文字なので、いいやすさで末席に甘んじているけど、圧倒的に
唐津が茶人に好まれてきた。
彼女たちが、いい歳を迎えたころ、世界中の粋人たちは、自宅でUFOで焙煎し、皮くじらの珈琲椀で
朝のコーヒーを飲むような時代を迎えるかもなんばん!感謝。

「夢みる小学校」

昨日は16時でお店を閉め、すみやかに片づけをして、半蔵門の半蔵門駅で降りて、一番町
にある「いきいきプラザ一番町」にて、「夢みる小学校」を観た。
たまたま、その近くに常連様がふたり住んでいて、そのひとりが、この映画の自主上映の
お手伝いをしている縁で、観れることになった。その上映会費(大人1500円 大学生以下無料)
と、クラウドファンディングで、この映画をつくったらしい。

映画はドキュメントで、「きのくに子供の村学園」という、
「宿題がない」「テストがない」「先生がいない」というないないずくしの学校で、子供たちが、田植えや収穫、
そばを栽培し、そば打ちをしたり、椅子や遊び場を自分たちで作ったり、紙をすいたりする映像が、「たくらみ」
もなく、素裸の生きざまが映像になっている。自然によりそい、天地いっぱいの力をいただきながら、楽しそうに成長する子供たちが
まぶしい。偏差値を気にし、大人になっても、人と比べたり、羨まし、嫉妬、欺瞞に満ちた世界とは、異次元な世界を
垣間見ることができる。そこでは、二日しかやらへんかったけど、どこかで、だれかが手をあげて、同じような自主上映を
されていると思うので、観てみるといい。味付けの薄い、いらぬ調味料のはいっていない、素材を大事にする料理を堪能
した後のような幸せな気分になる。手遅れかもしらんばってん、「大人」がみてほしいね。

帰りは、一番町の坂をのぼり、四番町の「東郷公園」を通って、靖国神社の横を通って、九段下から半蔵門線で押上に
もどってきた。東郷公園の前に、創業当時のソフトバンクがあった。(その当時は、日本ソフトバンク、といった)
京都にいて病気療養中に一度遊びにいった。半地下にあって、倉庫、出版、営業・・社長室もない時代に、孫さんもそこにいた。髪もあった。
そして、押しかけ女房みたいに、その仲間になることになり、一年間、創業メンバーと同じ釜の飯(といっても、昼は近くの魚屋、夜は
居酒屋)を食った。その後、自分は独立して秋葉原で会社を興した。だから約40年ぶりにこの地にきた。

昨日は「アントニオ猪木」さんが旅立った日やった。東郷公園とは、その盟友の「グレート東郷」の記念公園。
ウソよ。バルチック艦隊を日本海海戦で破った東郷平八郎司令官長の屋敷跡。
ぼくの田舎の海辺にも「東郷公園」がある。その先が日本海海戦の舞台で、その勝利を記念して、個人(もちろん故Z人でもある)が
私財をつかってつくった公園。新日鉄が寄贈した鉄性の海図が飾られていて、バルチック艦隊の戦艦たちが沈んだ地図がおいてある。
もちろん、三笠はじめ、日本の船は一艘も沈んでいない。
その戦いの日に掲げられたのが「Z旗」。今のこの国のリーダーたちは、霊感商法やオリンピック癒着などにいそしみ、
この国の「未来」をほんとうに考えているのだろうか?と思うことばかりの毎日。

「Z旗」
皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ

今日は16時まで営業。それから「そば打ち教室」と「UFO焙煎教室」(珪藻土焙煎器UFO を使って焙煎を伝授)

明日の朝は「卵かけごはん」 それが終わって10時からも「UFO焙煎教室」(なんか、バルチック艦隊より強烈な艦隊が
押し寄せてきているみたい。「きのくに子供の村学園」みたいに、そのうち先生がいなくなる、を目指したい ) 

値上げの秋・・・自給自足しかない?ちゃんと考えていますか?

今日から10月。今年もあと3か月。新聞の一面も、「値上げ値上げ・・」のニュース。
近くの押上文庫ちゃんも、「電気代が5万を超えました」と苦笑い。
「屋上で夏は団扇をもってビアガーデン、冬は七輪で焼き鳥(焼き魚)のスタイルしかないね」
なんて話をしながら、人ごとではなく、お店も企業も、家庭も、赤字に転落しそうな年末になりそうだ。
そばもつなぎの小麦粉も、珈琲豆も、うなぎやよろしくうなぎ登りの勢いで上がっている。

今年の6月の珠洲の震度6の地震で、知り合いの七輪屋さんの窯が壊れた。社長も従業員も古希を超え、
再興はむずかしいかな?なんて世間は心配していたが、国内のみならず海外からの需要も増えていたので、
古い窯をつかって生産を再開し、新しい窯は、クラウドファンディングにて有志の力を借りてやっていこう、
ということになった。スピリッツがすごい!
壊れた窯の片づけを手伝っていたら、少しチャネッて、「この珪藻土で、焙煎器つくったらよかばい!」
という声が聞こえた。
その場で社長に、「これもっていっていい?」と聞いたら、「捨てるのにもお金かかるし、いくらでももっていって」
といわれ、車に積んで、帰りに穴水の「クロネコ」から、三重の久保さんの家まで、「瓦礫」をおくった。

それから3か月後の今週の水曜日に、久保さんちから「珪藻土焙煎器 UFO」の完成版が飛んできた。
60gの生豆を入れて、ガスコンロの上で、UFOが飛ぶようにふわふわふると、5分で爆ぜ、約8分で
シティーローストの珈琲豆ができあがる。
珪藻土というのは、海のプランクトンなどが、悠久の時を超えて土になったもので、七輪の材料や、建材としてつかわれる。
遠赤効果、つまり輻射熱がすごくて、能登の七輪で魚や肉を焼いたら、普通の肉でも「能登牛?」と思うくらいにうまくなる。
そして、珈琲豆も、歴代の焙煎機のどんな名機と比べても、相手にならないくらい中までカリッと焼けて、うまい珈琲になる。

昨日、いつものように近くの香取神社にお詣りの途中、近くにできたカフェの前を
通ったら、若い店主に「UFO見ましたよ」といわれた。
「そう。スカイツリーのまわりによくでるらしいが、ぼくはまだ見たことがない」というと、
「違いますよ。焙煎器のUFO。キヨミさん(筆子さんの本名)のインスタで見ました。すごいですね。」というので、
「え・・・まだ自家焙煎じゃないの?これからインフレ、円安、戦争・・・珈琲豆もまだまだ高騰するし、自家焙煎じゃないと
生き残れないよ。今だと、発売記念価格で一万円で売ってあげる」といったら、
「その後は、いくらになるんですか?」と真顔できくので「5000円くらいかな・・」と答えたら、
「え~っ!・・だったら、後になって買います」といった。(ぼくなら、ぜったい、イの一番を買うけど(笑))
「よかった。近くのカフェがライバル店にならなくて・・・」と冗談半分につぶやきながら神社に歩いていった。

人のいく裏に道あり花の山

という諺がある。みんなと同じことをやっていてもしかたない。
山にも「上り坂」と「下り坂」と、「まさかの坂」がある。
前のふたつは、努力とか根性なんかで克服できる。
でも今は「まさかの坂」の時代。この坂は、これまでの生きざまや人間力が試される坂らしい。
今日明日は16時まで、それからは「そば打ち教室」
今日は、麹町に「夢みる小学校」の映画を観にいく予定。

悲喜こもごもの2022年の年末3か月、になりそうだ。感謝。

悠玄亭玉さんの愛犬コバナが旅立った

台風15号の影響で、一日雨模様だった日曜日、生まれたての赤子を
だくように、常連さまが入ってきた。余命いくばくもない老犬が、バスタオルにくるまれていた。
「コバナがここにきたがっているようなので連れてきました」とのこと。
もう寝た切りで、目も白内障で真っ白。でも、なんとなく懐かしく思ったのか、
お店の中の「たまちゃんの残像」を追っているようだった。

元浅草芸者で、晩年は三味線のお教室をやりながら、時々浅草の東洋館や、各地のイベントなどで
幇間(ほうかん 一種のお座敷芸)をやっておられた「たまちゃん」こと、悠玄亭玉さん。
晩年は近くに住んでいたので、引っ越してきてからこっち3年間、ほぼ毎日のように来てくれて、「そばと珈琲」
を注文された。彼女の誕生日の6月には「誕生日ライブ」をやって、みなを笑わしてくれ、お弟子さまの発表会も
天真庵でやった。彼女がいる間は、うらぶれた十間橋通りに、三味の音がしていた。
最初は「バナナ」という犬を買っていて、その後釜にきたのが、その子分か子供か、そんな意味
あいもあって「コバナ」になった。近所の子供たちにも人気ものになった。

2018年の夏、たまちゃんが旅たち、ひとりきりになったコバナを、カリスマ動物病院の医院長が
ひきとり、面倒を見ていた。名にしおう「厳しい先生」(犬のためを思い、飼い主は厳しい)だが、下町人情と男気も時代おくれなくらい、あふれている。
ときどき、応援するボクサーの試合を見に後楽園ホールのリングサイドに応援にいくけど、きっとまわりの人たちは、ぼくらを見て、
「昔懐かしいどこかの組の人」(リングサイドには、そんな人がいっぱいいた)と思っていたに違いない。

そしてお別れを言いににきた翌日、コバナが旅立った。17歳。

昨日、珈琲の道具を買いに、押上から浅草を通って合羽橋まで徘徊散歩をした。
今でも時々、彼女が贔屓にしていたお店から、ひょこっとでてきそうな気配がすることがある。

珪藻土焙煎器 UFO がやってくる・・

珪藻土焙煎器 UFO が本日やってくることになった。
「来月はじめあたり・・・」とふんでゆっくりしていたばってん、
ばたばたな1日になりそうだ。なにせ、予約を受けた人たちは、「はつものすき」
みたいな人たちばかりなので、ケンカになりそう。

今日は月イチの歯医者。これから、もと住んでいた板橋の歯医者までいく。
急遽、クロネコさんに、「夕方に届けてメール」をした。
歯医者の後、大塚のカフェのママさんに「出張・ほうろく焙煎」の約束があるので、
その後に受け取ることになる。

明日は、いっしょにくる「隕石グッズ」を銀座のカフェに届ける約束。
午前中は焙煎をやって終わりなので、明日は、ちょっとむずかしい・・・

はやく「焙烙がほしい」と思ったら、金曜日いこうにしてください。
焙煎教室の再受講を希望の人は、10月第1週の木曜日の午後13時を予約してちょうだい。

というわけで、てんやわんやの日々になりそうな気配・・・ニューヨークでカフェを
やっている知り合いから「ちょっと興味がある」とメールがきた。
今回の「珪藻土焙烙焙煎器UFO」は、世界中の空を徘徊していくような気がする。ゆっくり温泉で入浴した後、
ニューヨークへいくかどうか考えてみよう。UFOにのれば、5秒くらいでいけるか?

珪藻土焙煎器 UFO

毎日、新しい焙烙(ほうろく)を使って焙煎している。珈琲豆を均等に焼くためには、
いわゆるメビウスみたいなイメージで焙烙をふる必要がある。
今回の焙烙は、珪藻土でつくっているので、輻射熱(ふくしゃねつ)がいい具合に作用して、
これまでの「生焼け」みたいな焙煎とは、似て非なる世界の豆ができる。
「昔の石焼芋」よ、美味かったね、アレ。チンするのと違うでしょ。

能登の縄文真脇遺跡の近所でとれる珪藻土を使っているのでそのまま「縄文」にしようか?
とか「UFO」(やきそばにそんな名前があるので、「焼き豆UHO」なんて名前にすると、すぐに各家庭に
飛んでいくかも・・・でも、久保さんが一個一個ていねいにつくるので、あまりでても大変だ・・・
なんて「とらたぬ」みたいな不埒なこと考えながら、珈琲道を徘徊する日々。でも名前も決まらないのに、
最初のロットは完売し、来月できてくる第二弾も、予約で完売まじかになった。「まじかよ~」
という感じ。しかも、もうすでに焙煎塾を卒業したような人たちが、「もう一度教えてチーパッパ・・」
というので、来月のカレンダーに「焙煎塾」という文字が増えてきた。
ほんとうは、そんな卒業生たちが、縁ある人たちに、優美に広げていってほしいものです。
「100匹目のいサル現象」のように、100人がこの焙煎器を使うようになったら、能登でも(能登が今でも一番多いけど・・)
佐渡島でも、沖縄でも使われると思う。

まだ内緒なんですが、「珈琲みるちゃん」なる新製品も来月あがってくる。なんかぼくも「ユーチューバー」
にたった気分?九州弁を磨いていくと、ジャパネット博多、くらいにはなるかもなんばん。
天真庵では、石臼で珈琲豆を粉にする。電気じかけのものと、異次元の粉ができる。
熱も静電気もおきへんし、簡単にいうと、こんにゃくを手でちぎって料理すると、煮含まれ感とか
触感がかわるでしょ。あれと同じこと。石臼を家庭で使うと、置き場所に困るやろうけん、簡単に
そげな風にできる「みるちゃん」を開発中。いつも青色吐息のわが社の株があがるかもなんばん?(上場しとらんばってん)

昨日は朝5時前におき、炭火を起こし、珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊き、残った炭火で
焙煎(こちらは、手回し焙煎機)し、残った火で、麦茶をわかし(久しぶりに夜の勉強会があった)、
ちょっと不思議おばちゃんが、卵かけごはんにきて、話があいすぎて、気が付けばお昼近くになり、
そのままろれんを下げ、6時まで営業。

6時からは、ちょっと異次元世界を逍遥する不思議先生の勉強会。
その先生のファンとか、これからに不安をかかえる女子たち、いつも泰然自若なお姉さま・・・
奇人変人倶楽部と、異名を持つ天真庵の同窓会みたいな夜だった。
能登で釣ったタコを冷凍にしていたので、それで「タコカレー」をつくった。
タコも宇宙人みたいだけど、それを食べている女子たちの顔を見ていたら同じ生き物に見えた(笑)。
今日は安倍さんの国葬。「まるで自民党の葬儀みたい」といった女性の小説家がいる。
言い得てて妙だ。でもそれ以上に、今の日本は妙か?

人生の最後の10年間を「林住期」というらしい。中国では聖人たちは、竹林で隠居する。
それまでの「しがらみ」とか「常識」とか、「習慣」とかを一度わすれ、Oから再出発して、最後の
十年を黄金期にする、そんなニュアンスだろうか。
いろいろな人たちの話をきくと、「地球の竹林期がきてるんじゃない」というような説も・・
どちらにしても、明日地球が終わりの日を迎えても、「今ここ」をしっかりとつかんで通っていかねばなりませぬ。感謝。

男の独居老人はもてる?みんなモテキが一度くらいやってくる。

ときどき(というかほぼ毎日)、近くの「お世話しあうハウス」のママさん(80歳)
が、そばを手繰り、珈琲を飲みにくる。

古い分譲マンションに住んでいて、まわりはほとんど女性の「おひとりさま」(平均年齢の差、生命力の差で、
最後は女性のおひとりさまが増える)
が住んでいる。ママは、朝起きると、みそ汁とごはんの一汁一菜をもって、近所の90を超え、痴呆
がすすむおばあちゃんのところへいって、ごはんを食べさせ、薬を飲ませて、自分の部屋にもどると、
いつものメンバー(みんなママより年上らしい)が「モーニング娘」よろしく、朝ごはんを所望する。
総入れ歯のモームスにかぎり「私はかたいごはんが好き」といい、まだ自前の歯の娘が「やわいほうが、よか」
とかいう傾向があるらしい。食後は、緑茶か紅茶か珈琲をいれるのがならわしらしいが、「エスプレッソの珈琲が好き」
というわがまわハイカラ娘のために、マシーンまで用意したらしい。すべて、ママさんの自腹で、朝ごはん代もタダ。
ただし、週に一度は、ママさんのために、ほかの人たちが、得意料理を披露する日があって、それで「原始的ぶつぶつ交換」
がなりたっているらしい。首相がいう「新しい資本主義」よりも現実味があり、毎日の生活の中からうまれた実践型で持続可能な資本主義だ。

先日お彼岸の日に、ママさんが「おはぎ」をいっぱいもってきてくれた。「こしはん派と、つぶあん派にわかれるので、いっぱいつくった」
とのこと。入れ歯のあるなし、とは別に、また違う「派」があるらしい。
昔から女子が好むもんに「いも くり なんきん」なんていう諺があったけど、今どきの女子はもっと複雑そうだ。

話の流れで、「みな痴呆がはいっているけど、男に対する興味は残っているのよ」と笑った。
水道工事とかで、若いおにいさんがきたりすると、髪をとかしたり、お化粧したり、普段は遠くなった耳が
聞こえるようになる・・・・らしい。シルバー川柳の材料がいっぱいだ。

「ついこないだも、近所にすむ男の独居老人の家が、解体されたのよ。そしたら、
みんな『え~ あのじいちゃん病院(施設)?』とか『家売ったの?』」いう話に尾ひれがついて、
「暑い中、死んで発見されず、フランケンシュタイン(腐乱死体)で発見された」みたいに大げさになった。」とのこと。
結局、近所の人に聞いてみたら、「借地権の関係で、家を売って、近くのマンションに越した」ということが判明したらしい。

ちょっと気になって、「もしも、それ、Mさんのこと?」と尋ねたら、「え~っ、マスターはMさん知ってるの」と返ってきた。
「彼はうちの常連さま(といっても、うちは一度きたらみな常連さま)。毎日、隕石のカップで日本酒5合が晩酌の
酒豪ですよ」と教えてあげた。能登ジェラトンの初期のコップを買われた。
「ときどき、散歩しているけど、髪はボサボサで、猫背で、とぼとぼ歩いているよ」とのこと。
確かに、そんな風体でお店の前も通る。でも、しっかりモテキを迎えている。モームスたちには、気になる存在で生きたり、死んだりしている。
ママさんには言わなかったけど、そのMさんという独居老人は、ぼくと同じ昭和31年生まれ(笑えない)

同年配の人にこんな傑作川柳が・・・

マイナンバー ナンマイダーと 聴き違え(山梨県、67歳、男性)

明日の朝は「卵かけごはん」だ。

♪長崎から船にのって神戸についた!

そんな歌があった。森進一?五木ひろし?
昨日、長崎から佐賀の武雄温泉まで新幹線が開通した。
5月に里帰りの足を延ばして長崎にいった。11月も小浜温泉でそば会をやる予定でいる。
40年くらい九州までは車でいくのが、ならわしになった。
最近は、能登経由でいくので、大阪から門司まではフェリーを
使ったりする。ゆっくり、という今どき風の時間の使いかたとしては、
「船の旅」は、いい。夕暮れどき、沈む夕陽を眺めながら酒を飲むなんて至福の極みだ。

最初に長崎にいったのは、浪人時代の昭和50年。小倉の予備校で勉強の後、飲んで
(福岡はだいたいの人が中学校くらいから酒を飲んでいた)、最終列車長崎行きにのって朝起きたら
長崎やった。「いった」というより、「もってかれた」みたいな感じ。
高校卒業の年だし、シクラメンの香りが流行した年だし、
新幹線が博多にきた年なのでよく覚えている。その年にできた博多の地下街は「デイトス」とかいう、横滑りしそうな名前がついちょった。
「みんながここでデートしてほしか」という意味げな。博多商人のあきんど根性がよくでてる名前ばい、と思った。
あれから半世紀たって、長崎に(まだ博多から長崎は通じてない・・あまり意味ない?)新幹線。
長崎は、場所場所で風俗や景色やひと柄も違うので、できたら、1週間から10日かけて、五島列島あたりまで足を
延ばしながら旅するのが一番だと思う。最後は、南島原から船で天草まで渡り、くまもん文化と混じりあう風土の風も
感じてほしか・・欲張りか?

めちゃくちゃな浪人生活やったけど、翌年無事に第一志望の立命館に受かり、小倉駅のホームの
立ち食いうどんを食べて、新しくできた新幹線で京都にいった。
そんなこともあって、九州にかえる時は、車がほとんどだけど、小倉駅で「うどん」を食べないと、なにか大事な忘れ物を
したような気分になる。

昨日のセレモニーは、長崎出身のタレントさん長濱ねるさんが一日駅長になった、とニュースが伝えた。
昭和50年の開通した時は「デイトス」の特設会場のステージで今陽子さんが歌をうたっていた。
♪わーすれられないの・・・ピンキーとキラーズで一世を風靡した後ソロで活動し始めたころ。
2000年の前後に、よくニューヨークにいってたころ、陶芸コンテストのボランティア活動の中に、彼女がいた。
「ぼくがはじめてあった芸能人はあなたですバイ」といったら、大笑いされた。ある日、彼女のジャズをあちらのライブハウスで聴いた。
歌謡曲よりジャズのほうが、「♪忘れられないの」、くらい感動したことを今でも覚えている。感謝。

UFOが栗積んでやってきた。

先週不思議な夢を見た。能登の真脇(まわき)遺跡の縄文建築みたいな質素な空間で、
焙烙(ほうろく)で珈琲豆を焙煎した後、小さな鉢にいれ、すりこぎで
それを粉にした後、縄文土器の中にいれ、お湯を注いで縄文的な珈琲なるものを
淹れている。
今日の秋分の日を境に、いっぱんの人も「ちゃねる」ことが、身近になってくるらしい。
この夢もいっしゅの「ちゃねる?」と思って、久保さんに電話して
「縄文時代の珈琲ミル、を、つくってみませんか?」と言ったら、「同じこと考えていた。すぐつってみよう」
とのこと。来月あたり、長い悠久の時空をこえて、縄文時代からやってきそうだ。
その遺跡の近くの珪藻土をつかって、焙烙とみるが完成したら、それを縄文ドリポットで
淹れると、「縄文珈琲」ができあがる。ひょっとしたら、「宇宙一のバリスタになれる?」

確か、天真庵のHPの「のむら暮らし」の中に、縄文真脇遺跡の中の縄文家の中で三輪福さんと
お茶のお稽古をしている写真がある。縄文真脇遺跡の家つくりを手伝っているのもあるはず。
今は、テレビにでたり、本になった「縄文大工の雨宮さん」の写真ものってる(笑)。
縄文人は、米つくりをしていないので、狩猟が中心で、一か所に定住せず、あちこちを移りすみながら
生き暮らしていた、というのが定説。でもここは、何千年もの間定住していた、というのが最近判明した。

ひとつは、「春、藤の花が咲くころ、能登の沖合に対馬海流にのってイルカがやってくる」という花時計を
縄文人がもっていた。そしてふたつめが、それを集落の長が、切り分け、冷蔵庫がない時代なので、それを発酵させた魚醤
(イシル)につけて保存した。今でも能登では、場所場所で「イカ」や「いわし」や「めぎす」などでイシルをつくり、
保存と料理に大活躍させている。

そんなことを考えながら、美人の珈琲のお弟子様にいただいた「さばのヘシコ」を酒肴に、遺跡近くにある数馬酒造の「竹葉」を飲みながら
逍遥していた。ヘシコとは、さばやいわし、ふぐ(輪島がフグの漁獲高全国一)などを、塩漬けにした後、ヌカ漬けにした
発酵食品。能登では「こんか漬け」という。金沢から福井、島根あたりまではヘシコという。
東京や大阪など、食通があまたいそうなところでもヘシコを知っている人は、少ない。京都は、福井からの鯖街道を通じて
伝わったので、京女に「ヘシコ、おいしおすえ」なんていわれると、ついデレーとした顔で、「それお願い」ということになり、人気の酒肴である。
簡単にいえば「魚の漬けもの」やね。最近はバルサミコ酢とかオリーブオイルを使って、ヘシコと混ぜあわせ、能登ワインのアテ
にするようなこじゃれたお店も能登にあったりする。縄文時代からの「かもし」が、今も残っているのだ。

昨日は、能登の家の隣のおばちゃんが、栗をおくってきてくれた。手書きで「台風がくる前に、うちの畑に落ちた栗(ぼくの家の栗の木)
を拾い、東京におくりました」とのこと。ちょうど、銀座の隕石カフェに珈琲豆を発送用意していたので、
「能登からUFOにのって、栗がきたけん、おすそわけ。リスやないけん、そのまま食べたらあかんばい。栗ごはんにしてね」
と王子にメールした。間髪をおかずに返事。「朝からクリとりす、の話ありがとうございます。蕎麦の薬味は、昔からちょっとエロが
きいてますね」

銀座の松屋の裏手、珈琲の名店が立ち並ぶ場所で、「隕石カフェ」(正式名称は、スタバに対抗しているような名前?)は
がんばっておられる。こんど縄文式珈琲の焙煎と、縄文みるをもって、伝授しにいこうと思う。
雨宮さんと王子・・・・なんとなく、雰囲気に共通するものがある!

「ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋 」(平凡社新書・雨宮国広 (著))
これからの新しい時代を生き抜くヒントがいっぱいつまっています!おすすめ!