サムシングルレートと繋がる詩

昨日は、家の前の海でとれた「生わかめ」を、
昨年千葉からUターンでもどってこられた近所のおばさんに
お裾分けしてもらった。能登ではこの季節、「わかめのしゃぶしゃぶ」
を食べる。都会では、野菜とかお肉やらをいれて、しゃぶしゃぶするのが普通だけど、
こちらでは、旬の礒をまるごと味わうのがならわしで、わかめのみを、しゃぶしゃぶする。
このそぎ落とされた「海の恵み」を味わうには、「能登に住む」しかない。

能登の柳田というところに、合鹿という地があり「合鹿碗」という伝統的な漆の器がある。
三輪福さんが、それを再興した作家の手ほどきをうけ、自作で合鹿碗をつくった。「ごうろくわん」
その作家を紹介してほしい、とメールをしたら、おまけに「この映画見てみて」という
メッセージがかえってきたので、昨夜見てみた。

サムシンググレートなると繋がる「祈り」をテーマにしている。大好きなマザーテレサさん
やダライダマ翁などもでてくる。
最後に、素敵な詩が朗読された。昔、ニューヨークによくいってたころ、定宿やったセントラルパークの前にあった
「エッセクス・日航ホテル」に泊まり、近くの日本人がやっていた「割烹 麦」という居酒屋(仙台出身の主人)で、
ホヤを酒肴に「いいちこ」を飲んでいたら、その店に「ドネーション」をお願いしにきた美容師の女性に、声を
かけられ、ぼくもその場で100ドルのドネーションをお願いされ、それが「日米陶芸コンテスト」を主宰する、
という内容ので、そのまま審査委員のボランティアまで頼まれ、久保さんや南條先生の作品も、海を渡った、そんな縁ができたお店。
。そして、そんな流れで、「ニューヨーク州立病院の壁に刻まれた詩」のことを教えてもろうた。
そのころもピンときたけど、今の時代、「つながる意味」がより切迫しているので、今のほうがより沁みる。

「ニューヨーク州立病院の壁に刻まれた詩」

大きな事を成し遂げるために 
力を与えてほしいと神に求めたのに  
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった  

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに 
より良きことができるようにと病弱をあたえられた 

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった  

世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった

求めた物は一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ物であるにかかわらず  
心の中で言い表せないものは全て叶えられた 

私はあらゆる人の中で  
最も豊かに祝福されていたのだ         感謝(この二文字は、刻まれていません  原文はもちろん英語)

能登ごはん

よくお客さまに「天ぷらはやらないのですか?」と聞かれる。
昔から天ぷらは、人にあげてもらったほうが美味いので、お店でもまかないでも
天ぷらはやらない。ときどき、出張の蕎麦会をやったりするとき、その地の人が
つくってくれたりすると、そばよりも、そちらの方に自然と箸が伸びる。
昨年の夏に、長崎の雲仙でやった時、福田屋という老舗旅館の料理長さんたちが
天ぷらをあげてくれた。筆舌が及ばぬ幸福感に満たされ、彼らと飲んだことがアンフォゲッタブル長崎、
として脳裏に焼き付いている。

昨日、近所のおばあちゃんが「食べて」と、タラの芽、こしあぶら、を笊にいれてもってきてくれた。
これは、天ぷらが一番なので、米粉を溶いて衣にし、さっそく天ぷらにした。久保さんの伊賀の大皿に
のせ、能登ワインで夕食。一本がまたたく間に空き、囲炉裏の上に置いた鉄瓶に、角居くん作の錫のチロリを入れ、
「亀泉」を熱めの燗酒にして飲む。中村伸郎さんの「永くもがなの酒びたり」を読みながら飲んでいたら、
日ずけ変更線を超えた。朝6時の目覚まし(災害用の有線で、季節ごとに違う音楽が鳴る)で、一度
目が覚めたけど、春眠暁をおぼえず、で寝坊してしまった。

今日は「燃えるごみ」の日なので、海が見えるごみの収集場所にもっていったら、目の前の
海に伝馬船がいっぱい。春の風物詩、わかめをとっている。
それぞれの家庭に、大きな竹の笊があって、あがったわかめを、そこで天日で干して、みそ汁のみ、
端っこは小さくして、ふりかけにする。
先日、土産のそばのお返しに、はちめ、いとより、かさご・・これ食べる?といわれ、そのわかめの
ふりかけをいただいた。朝ごはんの時、持参の「八郷の暮らしの実験室の平飼い卵」で卵かけごはん
をつくり、そこに、その「能登ふりかけ」をぱらりとかけて食べてみた。
数々の「ご当地ごはん」があるけど、これは「能登一の朝ごはん」だ。

悼・田中 邦衛

なかなか味のある俳優さんだった。
「北の国から」は、フジテレビの精神的文化力が最大だったころの
世界遺産みたいな作品やと思う。作った人たちや見る「人」たちが世界遺産やったのかもなんばん。
彼が土岐という焼き物の街で、家業が焼き物だった、とは知らなかった。
ぼくの友達にも、美濃の焼き物屋で生まれ、今も京都に住んで俳優を続けているKくんがいる。

昨日の夕方、「おれのことなら放つといて」という新劇俳優で、故・中村伸郎さんのエッセイを読みながら、
ウィスキーをチビチビ飲んでいた。本の帯に・・

◎俳優中村伸郎の舞台には、ひょうひょうとした味がある。今度初めて随筆をだした。これがまた、味があって面白い。
家の近くのセブンイレブンに買い物にでようとして、奥さんに「どこへ行くんですか」ときかれ、
「イレブン・ピーエム」といってしまう、奥さんは平気な顔で、「じゃ、食パン買ってきてください」と頼む。
こんな話がさらっと書かれている。

まさに、飄々とした日常が綴られていて、何度読んでも笑顔で元気になれる一冊。
そして、俳優のKくんは元気にしているだろうか・・
と思っていたら、携帯が鳴った。Kだ。

「今日フジテレビのMさんと食事をして、明日天真庵で蕎麦を手繰ろうと思っていたら、
Mさんが、明日は休みかもしれない、というので電話をしてみた」とのこと。
「ごめん、今能登やねん」というと、「まじっすか・・」と若者言葉を使って残念がる。
芦屋釜のある北九州は遠賀川河口の街に友達がいて、飲んで話していたら、芦屋と能登との深いつながりの話、などを、
まるで主役になった俳優みたいに、一言一言を大事に噛みしめるように話す。まるで、映画のシーンで北九州のうらびれた
居酒屋で飲んでいるような気分になる。さすが俳優だと思わされた。会うといつもそんな感じになる。
長い大部屋暮らしの苦労が、しっかりした土台になって、なんとも言い難い味わいのある人間性を醸し出している。

最後に「東京にMくんと野村くんが友達でいてくれるのが、ぼくの自慢や」という。
「こちらこそ」をお返ししたい。ぼくもどちらかというと「おれのことなら放つといてくれ」という性格だが、
時々友が遠方より遊びにきてくれると、またうれしからずや、でもある。感謝。

能登から世界へ

月曜日の夕方に木工の般若くんが、トレードマークのタオルのかぶりものして
やってきた。カウンターにある8つの椅子の「とう」の張り替え。
湯河原の名旅館の「石葉」の朝ごはん食べる部屋にも、般若くんがつくった
椅子が置いてあり、朝ごはんを食べていると、サルが庭に遊びにきたり、自然と三密に
なれる素敵な旅館。そこのスタッフが、原田先生の花を習いにきていたので、一度正月に
泊まって、竹林から竹を切ってきて、「竹の生け方」を原田先生に教わったことを思い出した。

般若くんの師匠が「どんなに忙しくなっても、朝いっぱいの珈琲を楽しむ生活をしてください」
と卒業する時にはなむけの言葉としてくれたらしい。なかなかいい先生だ。天真庵のイスは土台が
ウォルナットで作ってある。その時の端材で、水出し珈琲の台と、コーノ珈琲の取っ手を
つくってもらった。天真庵のショールームの中に、そのコーノ珈琲のガラスポットと、久保さん
の輪花(りんか)ドリッパーを飾ってある。

般若くんのアトリエは金沢にあり、木材置き場は、能登の千里浜海岸の近くの幼稚園の跡地にある。
将来はそこで「子供と親のイドコロ」みたいなカフェでもやろうか、などといっている。
能登の天真庵からも、車で一時間内。
能登の天真庵も「オフグリッドで、ひとりと自然を楽しむカフェ」を企画中。
電気もガスも水道もひかないので、倉庫をかたずけ、一人用のテーブルと椅子を般若くんに
つくってもらったら、できがり。今回、焙煎機、久保さんの新作の珈琲カップやミルクピッチャーなどを
運んできたので、もう9割がた完成した。今週末も、そんな「夢の計画」を語りに、般若家族がやってくる予定だ。

今朝、釣りと能登の里山を徘徊散歩をしている時、天真庵にいる般若くんに電話をした。冷たい珈琲は
「冷蔵庫に入っているけど、暖かい珈琲を飲む説明をしていなかった。
豆を石臼でひき、銅のミルクパン(これの取っ手も般若くん)をガスレンジにのせ、
縄文ドリポットに、コーノの円錐形のペーパーをのせ、挽いた豆を入れ、あとは、
とぐろをまくように、そうろうとお湯を注ぎ、珈琲ドームができたら1分くらい待って、
二杯目のお湯を次ぎ、つごう三回の注ぎで完成。」

そんな話をして、「これからは、この朝の珈琲のすばらしさが、世界中に優美に能登からひろがっていくイメージで
淹れてください」というと、電話の向こうで笑っていた。
ぼくの中ではニューヨークやパリのカフェでも、そんなソフト(日本のお茶のような世界)とハード(珈琲まわりの道具たち)が一体になったイメージができあがっているのだが・・

マグチョンスピクカフェ準備中!

「月曜の朝は卵かけごはん」
雨が降ろうが、槍が降ってこようが、毎週月曜日に、
押上駅で途中下車をして、持ち時間10分で、「卵かけごはん、ご飯半分、みそ汁半分、デミのコーヒを常温で・・」
という常連様がいる。そんな「神様」みたいな人がいるので、月曜日の営業が終わった後に、能登に出発するようになった。

今日から、東京も「マンボー」。♪今宵こそ ふたりで・・(笑)
飲食店だけではないけど、みな「存在の意義」が問われるような時代になった。サラリーマンかて、安穏としてられへん。
今日は木工の般若くんが、金沢からやってきて椅子の修理をしてくれはる。カウンターの椅子は14年前に彼がつくったもの。
それからこっち、場所がら、ときどき関取なんかも、カウンターにせきとりをして、座ったりしてきたけど、
さすが名工がつくる椅子は丈夫で14年もった。これから14年ここでカフェを続けることはないけど、ひさしぶり
にメンテをする。

能登の天真庵の車の車庫は、塩害からふせぐため、ドア付きの二階建ての小屋になっている。電気もガスも水道も
ない。その後ろには、里山がせまり、栗の木と柿の木が秋の味覚を楽しませてくれる。
そこに小さな畑があり、主に「ねずみ大根」という小さないけど、山椒のようにピリリと辛い大根を
「うめ星農法」よろしく、ほったらかし農法でつくっている。虫やみみずたちとも共生し、🐗いのししさんたちから
も荒らされない、楽園のようなとこ。雨水を信楽の大壺にため、その中に「うめ星」を入れていて、それをときどき畑にまく。
最近、電気もガスも使わない「オフグリッド」なる生き方が注目されている。みんなで目指せば「原発」なんていらなくなる!!

今、その小屋を「オフグリッドなカフェ」にしようと、ゆっくりと準備している。
バス停はあるけど、一日2本くらいしかないので、バスできても、帰りどうする?という場所。
車できても、駐車場は「義経の舟隠し」なる観光地の駐車場が600mのところにあるだけ・・
三密をさけるため、カフェでは「試飲」くらいできるけど、「ホボブラジルお渡し処」
になる。朝は釣り、昼は畑、途中昼寝や読書や散歩をしているので、必ず「予約」を入れてもらう。
二人以上の来店は禁止。滞在時間は「30分」 焙煎を習いたい人「2時間」 卒業して焙煎を自分でやる人「一時間」・・・・誰もこないかもしれないけど、
そんなカフェ(もちろん、飲食としての許可はでないので、別名「マグチヨンスピクカフェ」(持続可能な10元素を具えたカフェ  天真庵のHPの「うめ星」のところに解説文あり)
をつくり始めた。まだ般若くんに相談してないけど、今日の夜は、そんな企画会議?押上の天真庵も、15年前に、般若くん、中西くん
たちと酒を飲みながら「よっしゃ やったろやん」で始めた。でも、よくよく考えてみると、もうすぐ「自動運転」が当たり前になる。そうなったら、「能登 義経の舟隠し」にセットすると、目を覚ますと能登、という時代がすぐそこ。寒山詩にある「鳥にならないといけないような場所」やけど、「気がつけば時代の先頭カフェ」になっているかもなんばん。感謝。

明日から能登休み 23日(金)まで

倉庫から古いコンドーム・・

能登の天真庵の近くに赤崎という港町がある。昔は「富来」(とぎ)
とよばれていたとこ。もちろんのこと能登の天真庵も、旧・富来町だった。
そこに東京から移住した友人が、民宿を始めた。
「富来荘」をローマ字にして「TOGISO」。検索すると、古民家を
美味い具合改装した家の中を見ることができる。
一番関心したのは、都会の子供たちが海で遊んでいる天真爛漫な笑顔。
車で10分もかからない場所やし、安くとまれて、好評。
基本的に能登ではお店もやらず、旅館みたいな家だけど、「梅林ガールズ」
が梅仕事を手伝ってくれる以外は、宿泊はお断りしているので、おすすめの宿
として、紹介している。温泉がいい人は、夕陽のきれいなホテルを紹介している。

そこに倉があって、整理していたら、「古い時代のコンドームがでてきた」らしく、
地元の新聞にも大きくのったらしい。
「中根酒店」の店主が、大きな声で「おたくの友達が、コンドームのことで、北國新聞にでてた」
と教えてくれた。「それがどうした?」という感じだけど、ま、いっか・・?

能登の天真庵にも、納屋があって、いろんなものがまだ残されている。
冠婚葬祭や祭りで、人が集まるので、食器・お膳・鍋などの調理器具などがいっぱいある。
使えそうなものは、知り合いのお店にあげたり、東京にもってきて、近くのカフェやシェアハウス
などにあげたりしながら、3年になる。古民家を買うと、掃除に3年かかる、というけど、
ほんとうだ。月に10日しかいかないので、粗大ごみの日にあたらず、家電なんかは
「昭和の暮らし・展示場」のごとくだ。

先月は「ボーンチャイナ」の珈琲カップを5セットもってきた。「なるみ」という名古屋で昭和21年
に産声をあげた器やさんで、軽くて丈夫なボーンチャイナは、一世を風靡しながら半世紀になった。
今年から看護婦になるという、近くのシェアハウスに住むA子が、蕎麦を手繰りにきた。
京都の骨董市にいったらしく、ゲットした木製のスプーンなどの
戦利品を見せてもらった。若いのに、なかなか「目」がある。
「少し重いけど、ボーンチャイナの珈琲カップもっていくか?」と聞くと、生返事みたく
「どうしようかな~」と迷っていた。そこに「押上の珍品堂商会」と名前を改め?たような
押上文庫の文庫くんが来店。「この珈琲カップは、いい仕事してますね」と👀を輝かせた。
その声を聞くやいなや「これ、大事に使わせてもらいます」といって、A子は抱えてもって
帰った。かわりに文庫くんは、「コーノ珈琲のポット(手作りの木製取っ手つき)を買って帰った。
天真庵こそ「珍品堂商会」か?珈琲豆から隕石まで、なんでもありますチンカラリン・・

今日も16時まで営業。16時以降は「蕎麦打ち教室」

徘徊散歩

昨日、仕込みをしていたら、おじいちゃんが「ちわっす」と入ってきた。
先月柱時計を修理してくれた骨董屋みたいなお医者さん。息がきれているので
「亀戸から歩いてくるだけで、息がきれているなんて、医者の不養生ですね」
といったら、「一時間以上かかってきました」と笑っている。
「ひょっとして、道に迷った?認知が始まった?」といくと、「3月で病院を
やめたので、毎朝2時間くらい散歩することにした。今日は先月修理した時計が
動いているか気になったので、亀戸ー天真庵を往復2時間かけて散歩します」とのこと。

さっそく時計の音を聞きながら「ふむふむ 元気な音しているね」などとつぶやきながらご満悦だ。
「ところで、この店は、骨董屋?珈琲や?そばや?」と聞かれるので、「最近はみそやかな」と答える
と笑っていた。カウンターの上のコーノ珈琲のガラスのポットに、般若くん作の取っ手と、久保さん
の新作「輪花ドリッパー」を見て、「やっぱり骨董屋さんだ」と笑った。

彼のおにいさんは珈琲専門店をやっていて、「珈琲を淹れる時、最初に豆(珈琲ドーム)が膨らむと、
20秒まって、二回目を入れないと、おいしい珈琲はできない、と教わったんだけど、せっかち
なんでぼくは10秒たらずでやるんですよ。でもここのホボブラジルは、一分待つと、劇的に
おいしくなりますね」と真顔でいった。ぼくは実のところ、もっとせっかちで、珈琲ドームが
できてから、6秒くらいで二回目のお湯を注いでいるような気がする。すこし「間」をかえてみようかな?

蕎麦を手繰り、ホボブラジルを飲みながら、「医者という仕事も忙しくて、ゆっくりした時間がもてない職業だが、
今の日本人は、手間とか時間をかけて一杯の珈琲を楽しむ時間っていうのが、とても大切だと思うな~」
とまた時計に話しかけているように、ひとりつぶやいた。ほんとうに神の声のような言霊を感じて、
しばらくして、お客さんがいない間に、表のショールームに、コーノのポットや、輪花ドリッパーや、
能登ジェラトン(隕石粉入りセラミック)の珈琲カップなどを飾った。

飄々と年を重ねたおじいちゃんの話や、時計を修理する仕事ぶりには、作為がなく自然だ。
「ものをつくる」という作業も、自然が一番だが、どうしても作為が働く。まったく作為がない、というのは、ウソだ。
それを無理にけしたり、ウマヘタ、みたいに、わざと下手に見せたり、反対に「どうだ」と力みすぎるのもみっともない。
今回の一連の「珈琲まわりの仕事」には、これまでの自分の珈琲時間とか空間とか、そこで出会って話してきたこと、
悲喜こもごもの思い、なんかを、自然に「カタチ」にしたいと思い、久保さんに無理いったり、般若くんたちの力を
借りて、できあがったものだ。かっこよくいえば「無目的な珈琲ラブレター」。
自然に伝わっていく、のがよい、と思う。明後日、能登に帰る。その日に、金沢から般若くんがきて、二日かけて、
カウンターの椅子を修理してくれることになっている。彼は、自分のつくった椅子に座っているビオラ奏者のヨッシーに、
ひとめぼれして、結婚した。今は4人家族になって、ときどき、能登の家に遊びにくる。
14年ぶりに、自作の椅子の「とう」を編み直す。これとて、「無目的な椅子ラブレター」。

なにより「お金」の話が、まくらになる時代だけど、人が生きていく、というのは、時間とか空間のうつろい
であるのだから、もう一度深呼吸して、狭くても天守閣ののような「今ここ」という居場所を発見してもらいたいものだ。
椅子やテーブルなどの道具、そこに「自分が一番だと思う一杯の珈琲」があれば、いうことなし。

夜の「寺子屋」は解散した。4月27日17時からに昔やっていた「無門塾」みたいな会を臨時でやることにした。
「大道無門」・・・興味がある人は、連絡ください。身分や性別年齢は不問。コロナ禍でマンボー中なので、
6人くらい限定。7時半おひらき、会費3000円。(そば・つまみ三種・お酒一杯つき)
題は「人間の健康と宇宙誕生のかかわり」  教師はあだ名が「くりくり先生」。

究極の珈琲ドリッパー 輪花ドリッパーが完成!

昔昔桃山時代から輪花、という花が咲くような形の器がある。
轆轤(ろくろ)を使って、どのようにして作るのか、知らないけど、
手が器用でないと、なかなかうまくできない、ことだけは素人の
ぼくでもわかる。

先週、久保さんから新作のドリッパーが届いた。
お昼のそばタイムが落ち着き、3時ころ箱をあけたら、
白いドリッパーがでてきた。カウンターに置いていたら、文庫くん
が珈琲を飲みにきて、「さすが久保さんの『リンカ』ですね」と感嘆。
簡単ではないけど、すごくいいのができた。

さっそく巣鴨の「コーノ珈琲」にいき、
ガラスのポットを買ってきた。ここのポットの手とドリッパーは
プラスティック製で、ピンクや黒や青・・・いろんな色があるけど、
「これかわいい~ ボリボリねーちゃん」のご用達カフェでは、
そのままんま使ってもよろしいけど、ちょっと気合を入れて珈琲出すお店
だったら、取っ手は取り換えられるので、木でつくってほしいものだ。

天真庵では、縄文ドリポットを使っているので、不要だけど、
14年前に、椅子を般若くんにお願いした時に、恐竜の頭みたいな
「手」をつくってもらったものが残っている。
その手にかえて、輪花ドリッパーをのせてみたら、とてもお洒落な
逸品になった。これから、家やお店で「素敵な珈琲時間」を
というお洒落な人に、使ってほしいと思う。

押上文庫では「カフェタイム」がなくなったけど、二階で
いろいろな「和ものイベント」が、目白押上文庫になってきたので、
どこかの骨董屋から少し大きめの茶櫃(ちゃびつ)と、茶たくなんかを
調達して、「珈琲の茶櫃点前(ちゃびつてまえ)」なんか始めるといいかもなんばん。

昨日、散歩の途中、たこやきやから燕京亭の方に歩き、そこで右折してすぐに駐車場が
あって、その隣で、改装中のとこがあった。覗いたら、知ってる顔の女子がいて
「今月末めざして改装してます」とのこと。
うちでやっていた「長屋で女史会」のI先生が英語の会をやっていた「オーロラキッチン」。
ブンカンの先でやっていたのを、「席数を多くしたいので」とのことで、近くに越してきた。
若い女性たちに圧倒的に人気のあるカフェ。楽しみが増えた。
反対に、「スマイルキッチン」は、3月末で緞帳を下げた。
京子さんのシフォンケーキは、押上村の特産物のように美味かった。

人生は、「結んで 開いて」の繰り返し。最近そんな風に思うことしきり・・・感謝。

作務衣では寒い!

桜も咲き、ポカポカ陽気な毎日やったけど、昨日は冬がもどって
きたような天気だった。
夕方、空にした石油ストーブーに、また石油を入れ、火をいれて
暖をとっていたら、お洒落なチャリンコにのった青年らしき人が
蕎麦を手繰りにきた。よくよく見ると「王子」だ。

押上の細い男根のようなスカイツリーの麓に「隕石直売所」なるものをつくり、地元の人や
観光客に「あやし~い」なんてこといわれながら、着実に実績を重ね、一昨年に、銀座4丁目に移転し、コロナ禍の
中でもちゃんと業績をアップさせている不思議な宇宙人みたいな人だ。人よんで「星の王子」。
実家が太陽系の・・・ではなく、福岡県宗像市・・・の下の街のところまで一緒で、彼のところが
一丁目、うちが4丁目という奇縁だ。
ときどき「宇宙農法でつくったイチゴ」とかいって、わざわざ届けてくれたり、見た目やテレビにでる時とは
違って、フレンドリーだ。

昨日は「免許取り消しになったけん、銀座から自転車できたっちゃん」という。土産は
大そうな箱に入った「朝鮮人参」。「?」な顔していると、「これいただきもんばってん、
うちでは不要なんで、誰にあげようか相談したら、『天真庵でしょう』とみながいったので・・」
とのこと、能登に移住した三輪福さんちに、梅ができ、最初の年に処理にこまって50kくらい
おくられてきて、「梅仕事」が始まったように、きっかけはどうであれ、「困った時は天真庵」
から、何かが始まることが、ままある。
さっそく、大きな蓋つきの野草酒などをつくるガラスの瓶に入れ、35度の焼酎をなみなみ入れて
「朝鮮人参酒」を仕込んだ。

ぼくらのふるさと宗像は、宗像大社の神域で、昔から大陸との交流が盛んな土地。みな小さいころから
「神湊」(こうのみなと 神の湊ばい)や鐘崎港(九州一の魚があがる港)で釣りの洗礼を受ける。
海女(あま)の発症の地でもあり、北前船で人や文化が伝わり、能登では今でも現役の海女さんが、あまたおられる。
そんなわけで王子もぼくも無類の釣りバカである。

20年近く前に韓国にいった時に買った「朝鮮人参酒」がまだ家にのこっている。空になったら、またつぎ酒のように
焼酎を継ぎ足せば、ちゃんと黄金色した酒ができる。空港などの土産店で買ってくると、ラベルに小さく「メイドインジャパン」
なんて書いてあるものが多い。地元のホンモノは、畑が何年も使えないくらい、土の栄養素を吸収する。
久しぶりに、その滋養強壮のかたまりのような「朝鮮人参酒」を飲みながら、開高健の本を読んだ。

こんなくだりが・・

総じて言うて人生は短い。だから「ランプの消えぬ間に生を楽しめよ」というフレーズに、
すかさずたくさんの声が「私ならランプが消えてからにしたいわ」・・・

サントリーの広告部で数々の名文句を生み、芥川賞をとり、世界中で釣りを楽しんだ作家らしき一文。
「釣師は、おしなべて短気で助平」という諺も、彼の文章にはあまたでてくる。
なんとなく、ストンの丹田の下のほうに、すんなり落ちる名言でもある。感謝。

人知らずして、うらみず・・

「論語」にある。陰徳を積む、というか、人が見ていようがいなかろうが、認めれれようがなかろうか、
かまわず、自分の思った道をいく・・・そのような意味かしらん。

『人不知而不慍、不亦君子乎』(人知らずし てうらみず、また君子ならずや…)

今日は月曜日、「月曜の朝は卵かけごはん」
先週は、東北の大学を卒業して、近くのシェアハウスに越してきた下町新人くんが卵かけごはんに
きた。まだ20代前半なのに、「これから合羽橋にいって土鍋を買ってきます」というので、
就職祝いに万古焼(ばんこやき   けっして「まん」と読まないでほしい)の土鍋をあげた。

土鍋でごはんを炊き、みそ汁、香のもの(漬物)があれば、一汁一菜。もうなにも足す必要なし。
「足るを知る」生活が保障されている。夜は錫のチロリにお酒を入れて、人肌のぬる燗。
そんな暮らしを「まっとう」というのではないかしらん。

人知らず・・・・今日の「真民さん」の日めくりカレンダーに同じようなことが書いてある。

「尊いのは足の裏である」

尊いのは
頭ではなく
手ではなく
足の裏である

一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その努めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの

しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ